目次
ブックマーク
応援する
14
コメント
シェア
通報

第43話

駆も佳穂も、驚きを隠せない表情を浮かべていた。  

佳穂も、このことは知らなかった。


まったく、真希は口が堅いな。

こんなひどい目にあっていたのに、拓海の悪口をひとつも言わないなんて。

正直、あの拓海のどこがそんなにいいのか、全然分からない。偽善者だし、まだ郁の方がマシなくらいだ……。


その郁だが、最近どうかしている。  

あの日、突然姿を消してアメリカに行ったきり、もうすぐ一ヶ月。

未だに何の連絡もない。


駆は病室のベッドに横たわる真希を見て、眉をひそめてスマートフォンで写真を撮り、誰かに送信した。  

そして、またいつもの気だるげな様子に戻る。


佳穂は体を震わせながら、真希の手をぎゅっと握りしめた。  

この件、絶対に拓海が絡んでいる。  

拓海以外に、真希をここまで傷つけられる人間なんていない——。


真希が倒れてから、佳穂は何度か真希に、拓海に何をされたのか尋ねた。  

知っているのは、拓海が真希にひどいことをしたことと、薬物のことだけ。  

それ以外、真希は何も話してくれなかった。


佳穂もそれ以上は聞けなかった。真希をこれ以上苦しめたくなかったから。  

ただ、心の中で、きっと拓海は想像以上に残酷なことをしたのだろうと思っていた。  

まさか、ここまで非道だったとは——。


だから、真希は長年愛してきた拓海への気持ちを捨て、離婚を決意したのだろう。


考えれば考えるほど、怒りが込み上げてくる。


「ロケットランチャー、持ってない?」  

「何するつもり?」  

「拓海を吹っ飛ばしたいの!」  

駆は思わず笑ってしまった。

佳穂の小さな体で、ロケットランチャーなんか持てるはずがない。


佳穂の怒りは無視して、駆はその場に立つ医者に目を向けた。  

医師の表情はどこか重々しい。


「まだ、何かあるのか?」


「江藤さんは、妊娠しています。」


「……なんだって?」


今度ばかりは、駆も笑顔が消えた。


「江藤さんは骨髄を採取された直後に、高濃度の薬物を投与されています。毒素は骨髄にまで及んでおり、この状態での妊娠は母体にも胎児にも命取りです。この子は正常に育つことはできません。母体への負担も大きくなりますので、早期の中絶を強くおすすめします。」


「じゃあ、すぐに処置してくれ。」  

駆は一切の迷いもなく言った。


佳穂は駆を見つめた。逆光の中に座る彼は、まるで王子のような気品を漂わせているのに、口から出る言葉は冷たく、命をまるで顧みていないようだった。


駆は佳穂の驚きの視線に気づき、冷たく言い放つ。  

「何? 反対なのか?拓海の子を産ませて、真希を犠牲にするつもり?」


……さすが駆。  

言葉の一つ一つが核心を突いてくる。


「拓海の子供」という響きが、なんとも皮肉だった。  

拓海のせいで真希がこんな目に遭ったのに、さらにその子供に命まで奪われるなんて、絶対にあってはならないことだ。


佳穂は心を鬼にした。  

真希が目を覚ます前に、静かにこの子を消してしまうのが、皆のためだ。


彼女は医師にうなずいた。


「では、手術の準備をします。」


佳穂がベッドに目を戻すと、眠っているはずの真希が、いつの間にか目を覚ましていた。  

その瞳はどこか虚ろで、焦点が合っていなかった。


「起きてたの?!」  

驚きと動揺が入り混じる。


真希がいつから目を覚ましていたのか、彼女たちの会話は全て聞こえていたのだろうか?


「全部、聞こえてたよ。」  

真希はうつろな目を動かしながら、そう答えた。


たった一度だけなのに、拓海の子供を授かってしまった。  

かつては、拓海との子供を心から望んでいた。  

あの頃、子供の顔を予想するアプリが流行っていた。  

自分と拓海の写真を入力すると、二人の良いところを合わせたような可愛い赤ちゃんが現れる。  

ぱっちりした目、小さな鼻、愛らしい口元——その笑顔は、真希の心をとろけさせた。


でも、今やってきたこの子を、もう抱くことはできない。


目に涙が溢れ、一粒が静かに頬を伝う。


佳穂は胸を痛めながら、「真希、子どものことは、これからだっていくらでもチャンスがあるよ」と励ました。


そうだよね。でも、もうこの子じゃない——。


「佳穂、この間、本当に迷惑かけたね。私のせいで、あんなことに巻き込んでしまって……」


真希は記憶が混乱して、いろいろなことを忘れていたが、今は——


「全部、思い出したの?」


真希は小さくうなずいた。


この間に起きたこと、全部思い出した。  

拓海に騙されたこと、小雪に傷つけられたこと、そして、小雪が佳穂を刑務所に送ったことも。


「ごめんね……」


「何言ってるの、悪いのは小雪でしょ。あなたのせいじゃないよ。」


「いつ出てきたの?」


「今日の午後、駆が迎えに来てくれたの。」  

佳穂は駆を指さす。


「ついでだ。」

駆が補足する。

「用事があって行ったら、たまたま佳穂もいて、一緒に保釈しただけだ。」


佳穂は続けた。  

「出てから、拓海が君の誕生日パーティーを開いてるって聞いて、心配で「煙雲」まで駆けつけたの。車を降りたら、ちょうど真希が裸足で飛び出してきて、車を奪って走り去ったんだよ。」


あの時奪った車、そういうことだったのか。  

慌てていて、誰の車かなんて分からなかったけど。


佳穂は、その時の真希の姿が忘れられない。  

絶望でいっぱいの顔、裸足で逃げる姿に、心臓が凍りついた。  

駆がすぐに別の車を手配して、追いかけてくれた。


江藤家の屋敷に着いた時、ちょうど真希と小雪の会話が聞こえてきて、色々な真実を知った。  

あの恐ろしい男が真希に手をかけようとした瞬間、駆が真希を助け出したのだ。


「これからどうする? 私、力になるよ。」  

真希が目を覚ましてからの冷静さに、佳穂は嵐の前の静けさを感じていた。


真希は痛みをこらえながら、目に決意を宿す。  

「これが拓海の子供なら、彼にもきちんと知らせてあげないとね……」


拓海には、一生忘れられない“贈り物”を届けてやるつもりだ——。


駆は眉を上げ、面白そうに二人を見つめる。この悪だくみ、なかなか楽しそうだ、と。


その頃、拓海は表も裏もあらゆる力を使い、真希を探すために張り巡らせた網を張っていた。  

真希が少しでも姿を見せれば、すぐに分かるように。


さらに、闇サイトにも懸賞金をかけていた。真希を見つけた者には一億円——。


地上も裏社会も、騒然となった。


各名家も異変に気づき、この数日間は静まり返っている。敵対していた者同士も、一時的に手を引き、この嵐が過ぎるのを待っていた。


しかし、一日、二日、一週間経っても、真希の行方は分からない。


拓海はますます苛立っていた。


真希が消えてからというもの、ほとんど眠っていない。  

煙草を何本も吸い、目は血走り、かつての穏やかな青年の面影はどこにもなかった。  

今や、無精髭を生やした、落ちぶれた男そのものだ。


江藤グループ本社ビルでは、社員たちもみな静かに歩き、ピリピリとした空気が張り詰めていた。  

誰もが、あの“魔王”に怒りを買わないようにと神経を尖らせている。


拓海は手に持っていたファイルを放り投げる。


「出ていけ!」


各部署の責任者たちは、すぐに部屋を飛び出す。


オフィスの外で、みんなは目配せをし合った。  

「最近の社長、本当に怖すぎる……」  

「一体、誰が社長をここまで怒らせたんだろう……」


その時、エレベーターの扉が開き、白いワンピース姿の小雪が手に食事の入った箱を持って現れた。  

社員たちは一斉に彼女に視線を向けた——。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?