待機画面で踊る謎の草が消え、黒背景にNo Signalの文字の画面と、右下のワイプに割と整った容姿の青年が映る。
「はいどうもぉ、ぼくですよぉ。ごめんねぇ遅刻しちゃってぇ。残業発生しましてねぇ」
配信者――あにぃが独特の間延びした喋り方で挨拶をすると、途端にコメントが滝のように流れる。
―兄ぃ、お疲れ様です!
―あにぃさん待ってたよぉ
―お勤めご苦労様です兄ぃ
―【兄ぃおつ、これで1連して [¥300]】
「みんなおつありー、と、ねこまるもちさんスペチャありがとうねぇ、っていちじゃ連続にならんから単発だねぇ」
なはは、と気が抜けた笑いと共に言いながら、ワイプの中のあにぃがコンタクトレンズを装着する。
「今日はねぇ、事前告知の通りエターナルダンジョン……通称エタダンのVR移植版をやっていくよぉ。いずれRTAもやりたいけど、今日のところは本家のエタダンにあった裏技とかバグとかがどれくらい生きてるか確認しながら、のんびりお散歩だよぉ」
黒背景の画面が少し小さくなり、代わりにワイプ枠が広がりあにぃの全身が映る。中肉中背、ついでに黒髪で、街中にすっかり溶け込めむだろう。
しかし、手元には剣や盾を模したデバイスが配置され、身体も薄い鎧のようなものに包まれている。周囲にはNo Signalの文字が表示されたモニターがあるし、少し上を見れば無数のセンサーまである。
VRの進化目覚ましい昨今、デバイスのみに頼った操作は減った。周囲のモニターに『プレイヤー』の周囲が表示され、装着されたコンタクトレンズを通してNPCやモンスター、アイテムなどがポップ表示される。無数のセンサーで移動やコマンド入力の動作を読み取り、剣盾鎧のデバイスもそれぞれ相応の動作を感知する。
もちろんこれだけの環境を整えている個人というものは少ないものの、大きな街にはカラオケボックスのようにVRゲームボックスがあり、ゲームを持ち込んだり借りたりして遊べるようになってもいる。
「一応ねぇ、レンズの中にコメントも表示しとるけどねぇ、あんまり読む余裕なさそうだからそこはご了承くださいねぇ。スペチャも反応できないかもしれんから、もし万が一してくれるなら配信最後の雑談コーナーでお願いねぇ」
ワイプの中のあにぃが軽く手を振ると、了解、のコメントが溢れ、やがてコメントも減り“静か”になる。
No Signalの文字が消え、薄青の背景の中木のグラフィックに囲まれたメーカー名が表示され、数秒ののちにごごごごご、というSEと共にメーカー名が崩れ、洞窟の入り口のグラフィックと共に【エターナルダンジョン】の文字、そしてNew Gameの選択肢が現れた。
「っと、その前に、一応エタダンの説明しておこうかねぇ? エタダンはねぇ、1990年代にコンシューマーゲームで発売された探索ゲームでねぇ、決まったマップと物語があるストーリーモードと、ランダム生成されたダンジョンをひたすら潜っていく探索モードがあるよぉ。6年前の大会で世界記録を出したのはストーリーモードだよぉ」
―あのときのレンチングリッチは度肝を抜かれたよ
―普通ソフトをチンするとか考え付かないよな、どうして兄ぃはそんなことしたんだよ
「そうそう、そのとき初出しした、ソフトを300ワットで3秒チンして時短セーブデータ出すグリッチは今回無理だからねぇ、タイトル画面の子並コマンドから試していくよぉ。……どうしてそんなことしたかって?親戚の子供のいたずらだよぉ」
子並コマンド。子供でも並のゲーマーなら知っている隠しコマンド、を略したもので、下下上上右左右左AB、と入力すると様々なゲームでアイテム入手や自機強化などの恩恵が得られる。
ゆったりとした喋りで説明をしながらも、両手を上下左右に振り、最後にぱん、と手を叩くと、ピロン、という軽快な音が鳴る。
「コンシューマー版における子並コマンドの効果は、初期装備が通常2階層以降にドロップするプラス効果武器になるのと、王様からもらえる支度金が倍になる、だよぉ」
―そうか、VRだと子並コマンドひとつ入力するのにも腕を動かさないといけないのか
―ちょっと面白い
―コミカルあにぃ
流れるコメントと、大量の『草』を視界の端に入れ、あにぃは苦笑する。
彼は、このVRエタダン配信は面白くなる、と確信していた。
元々今でも実況配信があるくらい人気な上に、今は既に記録を塗り替えられたとはいえ、過去にRTAで世界記録を出したタイトル。VR移植版の実況自体はあれど、フル装備かつ姿を出しての配信はない。
おそらく、ただプレイ実況をしただけでも同接はそれなりに伸びる。だがそこに、裏技やグリッチの動作を入れてやればどうだ。たったひとつ、ゲーマーなら誰でも知っているコマンドを入力しただけで増えたコメントがその答えだ。
「子並コマンドは通ったねぇ。あとみんな、これで笑ってたら後々持たないよぉ? 知ってる人はエタダンの裏技とかグリッチを思い出してよぉ、プレイヤー、どんな動きしてる?」
問いかけに一瞬コメントの流れが止まり、そして再び大量の『草』とコメントが流れる。
―RTA向きじゃないけどチュートリアルの城で5分放置とかあったっけ
―敵が出ないボーナスマップの宝箱の前で反復横飛びするやつやばそう
―動き的には普通だけど壁抜けのときのグラ気になる
―そもそもRTAだと基本ダッシュ移動だけど兄ぃもそこでダッシュするの? 体力きつくね?
―ダッシュといえば終盤の毒沼ダッシュがVRでどう扱われるのかが気になる
各々が有名なグリッチを、気になる箇所を挙げるのを読むとあにぃは口元だけで笑み、そして右腕を大きく振りNew Gameの文字に触れ、ゲームをスタートした。
洞窟の入り口に焦点が合っていた風景がゆっくりと上向きになり、木々と空が広がり、下向きになると立派な城の入り口が現れる。と同時に、背後から人のざわめきがかすかに聞こえる。城下町のものだろう。その中に時折ぴちち、と鳥の鳴き声まで聞こえ、目を閉じれば本当にそこにいるような気持ちになるだろう。
…… …… …… …… …… ?
「あぁ、コンシューマー版だとここから主人公が自動で城に入っていくんだけど、VRだと自分で歩いて行かなきゃいけないんだねぇ。なるほどなるほど」
一歩踏み出すと、床が連動して動く。その滑らかな動きは本当に歩いているかのようで、感覚が合わずうっかり転んだらどうしようなどというあにぃの杞憂はすっかり消え去った。それどころか……。
「ね、ねぇみんな、最初にさぁ、コンシューマー版の挙動と同じものを探しながらお散歩って言ったんだけどさぁ、ちょーっとこのまま城の回り歩いてきていいかなぁ!? 今までのエタダンで城とダンジョン以外を歩くなんてできなかったからさぁ!!? ねぇ世界が拡張されちゃったよぉ!!???」
配信上のゲーム画面が激しく左右に揺さぶられ、時折ひょん、と持ち上がる。視点であるあにぃがきょろきょろと周囲を見回したりジャンプしたりしているのだ。そしてその動きは余すことなくワイプに映っている。
―テンション爆上りじゃん
―大草原不可避
―いいよ行きなよあにぃの配信だよ
『草』だらけのコメントの中、ちらほらと混じる言葉に否定的なものはない。……少なくとも、あにぃの視界には入らない。
「いいね!? 行くよぉ!?」
左を向き、言葉や手の動作は勢いのままに、しかし歩みだけは慎重に進める。初めて見る世界、楽しくない訳がないのだ。一歩ずつ進み、きょろきょろと周囲を見回し、城の外壁……というていの部屋の壁に触れ、さらさらと流れる川に足を踏み入れ――残念なことに水の感触までは再現されておらず、あにぃは残念がっていた――、ぐるりと城を一周した。
初期位置に再び立つと、きょろきょろと周囲を見回し、にぃ、と唇が弧を描く。
「じゃあ今度は城下町の方に行ってみるねぇ!!!!!!」
結局、外周ではしゃぎすぎたあにぃは、その日の配信で城に入ることはなかった。