それだけで理解した。
「帰ってきちまったのか。現代日本に……」
俺は弾力性の乏しいベッドから上体を起こす。
おそらく3年ぶりと思われる古アパートの202号室。
ゴミ屋敷一歩手前の汚部屋は、紛うことなき俺の部屋だ。
「ああ、くそ。本当に帰ってきちまったのかよ……っ」
俺は頭を掻きむしる。
また社畜に戻って、絶望に満ちた人生を死ぬまで這って生きていくのか。
異世界オベーリュアでの日々があまりにも輝いていた。
だからこそ、その落差はあまりにも受け入れがたい。
いっそ、命を絶ってまた異世界へ旅立てないかと本気で考える。
ところで今は西暦年何月何日なのだろうか。
俺が異世界へ旅立ったのが2025年6月6日。
これははっきりと覚えている。
部長に胸倉を掴まれて怒涛の叱責を受けた日だからだ。
怖くて恐ろしかった。
同時に、情けなくて恥ずかしかった。
それでいて妙に他人事に感じている自分もいた。
おそらく、ストレスに耐えきれないと判断した脳の仕業だろう。
ありがた迷惑だった。
そんな制御さえなければ、俺は躊躇なく命を絶っていただろうにと。
でも俺は結局、この世から去ることになった。
柄にもなく、暴漢に襲われている女性を助けた所為で。
暴漢に刺されて死んだその瞬間、俺の命は〝異世界預かり〟となったのだった。
ところでスマートフォンはどこにある?
俺は周囲を捜索。どこにもない。
そうか、スーツの内ポケットだったか。
立ち上がってスーツの上着からスマホをとり、今日の日付を確認。
2025/06/06
画面にはそう表示されていた。
3年後ではなく、異世界に行った日と同じだった。
どこかで予想はしていたが知った途端、急激に虚しさが募る。
異世界オベーリュアでの日々が全て夢だったかのように思えて。
でもあれは現実だった。
せめて記憶を記録として残しておきたい。
俺はパソコンを開く。
そうだ、小説投稿サイトで書いてみるとするか。
あわよくば多くの読者を得て、書籍化という可能性だってある。
なんといっても異世界に行った人間の実体験だ。
面白くないわけがない。
ドンッ!!
突然、部屋の壁から大きな音が響いた。
隣の住人が叩いたのだろうか。
騒音は全くといっていいほど出していない。
よって叩かれる理由はないのだが――、
ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドドンッ!!
尋常でない叩き方である。
まるで壁を壊そうとしているかのようだ。
「うるせえな。いい加減にしろよ……」
これはさすがに一言、言わなければならない。
2度ほど見たことがある。
203号室に住んでいる男は俺よりも若かった。
20代前半くらいだろうか。
線も細く、万が一の状況になっても負けることはないだろう。
いや、今なら何者が出てきても負ける気がしない。
なぜだか、そう確信できた。
俺は玄関ドアを開ける。
となりの部屋の玄関ドアが開いているのが見えた。
出掛けようとしているのだろうか。
手間が省けた。出掛ける前に詰問してやろう。
ドアから男の顔が出る。
「おい、お前――」
出てきた男の体がなかった。
代わりにあるのは、切断された首から伸びた一本の棒。
血だらけになったその棒は誰かが掴んでいるようだ。
唖然としているとその誰かが姿を現した。
小柄で緑色の皮膚に大きな耳と鼻。
着衣はぼろ布を巻き付けているだけのようで、服とは言い難い。
猫背なのもあってか、全体的な姿は醜悪そのものだ。
俺はドアをそっと閉じると、頭を整理する。
ここは間違いなく現代日本である。
自分の部屋を、別のどこかと間違えるはずもない。
だとすれば、
コスプレではなく本物であると言い切れた。
あのゴブリンが、異世界オベーリュアにいたのとそっくりだったからだ。
訳の分からない俺はテレビを付ける。
訳の分からない状況の説明をしていると思ったからだ。
最初付けた民放はカラーバーだった。
テストパターンと呼ばれる、休止時間帯に流れる試験電波放送だ。
今は昼間だ。普通に考えてあり得ない。
次の民放は画面が真っ暗で、微かにピィィという音が聞こえる。
一体どうなってんだと、ほかの民放も確認する。
すると、サイレンの音と同時に妙な画面がでた。
【最大級
命を守る最善の行動をとってください。
危険な場所であれば速やかに退避してください。
避難指示があっても自分の判断できめてください。
略奪などはせず節度ある行動をしてください。
絶対に戦おうとはしないでください。
激甚災害は聞いたことがあるが、最大級激甚災害?
それと、絶対に戦うなとはどういうことだ?
さきのゴブリンのことか?
そもそもあのゴブリンはなぜ、現代日本にいるのだ?
更なる疑問を抱きながら、他のテレビ局を試す。
似たような画面がいくつかでてきた。
だが結局、最後まで人が出てくることはなかった。
ネットはどうだろうか――と俺は調べる。
しかしパソコンもスマホも、インターネットに繋がらない。
何らかの、ネットワーク中枢の障害が発生しているのかもしれない。
ドンッ、ドンドンッッ!
今度は玄関ドアから大きな音が響く。
ドアノブを回す音も聞こえる。
さきのゴブリンだろうか。
窓の外からも声が聞こえた。
ゴブリンの発する物だとすぐに分かった。
カーテンの隙間から覗く。
案の定、ゴブリン数体が我が物顔で道路を闊歩していた。
これはもう間違いない。
どうやら
理由は全く持って不明だが。
いや待て。本当にそうか?
俺は何か、とてつもなく大事なことを忘れているような――、
ドンッ、ドンッ、ドドンッ!!
ドアを激しく叩く音で思考が遮られる。
苛立ちが再び募る。
とりあえず、始末するか。
俺はクローゼットを開ける。
服は一つもない。
あるのは、壁にずらりと並んだサバイバルナイフとエア&ガスガンなどなど。
誰かに見られようものなら、眉をひそめられること必至の俺の趣味。
無駄に知識だけはあるミリタリオタクってやつだ。
しかしその知識と情熱が異世界オベーリュアで役にたった。
現代日本でのストレスを発散するかのように、
ナイフでモンスターを切り刻み、
ハンドガンやマシンガンで異形の悪に風穴を開けまくった。
正にヒーローだった。そして勇者だった。
――過ぎ去った過去に思いを馳せている場合ではない。
ゴブリン如き、サバイバルナイフ一本あればいいだろう。
俺は迷わず、〈RANBO-06
異世界でも俺の相棒として活躍してくれた、最高のサバイバルナイフだ。