「待ってください大地くん! 冗談ですよ!」
「冗談に聞こえませんでした」
大地の非難めいた視線に、恭平は苦笑する。
「安心してください。私の機器は地震の兆候を見逃しませんから。今のところ大丈夫です」
「本当ッスか?」
大地はなおも訝しげに恭平を見た。コメント欄には、「ここで戻るの?」「えー行けるとこまで行ってよ」「奥が気になる」「やっぱり大地は腰抜け」「ビビリだから仕方ねぇ」「怖いなら仕方ないね」「バッテリーは大丈夫なんか?」といった声が流れる。
「バッテリーは大丈夫だよ。不思議だな」
コメントを見て、大地はハッと息をのんだ。そう言えば、バッテリーが全く減っていない。どうなっているんだ?
「おお、これは興味深いですよ。私も今気づきました。太陽光発電が機能しています。どういう仕組みですかね」
「いや、先生が分かんねぇなら俺も分からねぇけど、何かスゲーのは解った」
「この研究を進めれば、発電の問題を解決できるかもしれませんよ」
「先生、ノーベル賞取れるんじゃないですか?」
「そっちは僕の分野じゃないので、他の方に任せます」
「えー、もったいねぇ」
「ノーベル賞は狙ってませんので」
気づけば恭平のペースに乗せられている大地は、逆に彼に手を引かれていた。
「この部屋、すごいですよ!」
「全部の部屋がすごいんでしょう?」
入る部屋入る部屋、「わーわー」と恭平が感嘆の声を上げる。
「いや、これは映えるってやつでは?」
「まってガチじゃん! すげー」
その部屋の中は、まるで別世界のような花畑だった。水路から水を引いているらしく、蓮の花のような美しい花々が、色とりどりに咲き乱れている。
「ヤベー綺麗」「幻想的」「蝶々飛んでるじゃん」「これは映え」「先生これは何の花ですか?」
「先生、これは蓮の花?」
「いえ、少し違うようですね。新種かもしれません。採取して……痛っ!」
「どうしました!?」
「噛まれました」
「花に!?」
見ると、恭平の指から血が滲んでいる。
「しまった。食虫植物です。大地くん、離れて!」
「うわっ!」
ビッ、ビュンと音を立てて飛んでくるムチのようなものは、根っこだろう。持ち前の俊敏さで、大地はすべて避けきる。
「くっ……」
顔を歪める恭平。腕を根っこに絡め取られてしまっている。
ブワッと、花の中から巨大な花のモンスターが現れた。
「まってまって、シーシー!!」
慌てる大地は、先ほど恭平が発した「止まれ」の合図を試みる。
「発音が違う! シー!」
珍しく声を荒らげる恭平。
「駄目です、この子はシーを聞いてくれません。大地くん、僕のことは置いて逃げて!」
「放送事故すぎる!」
大地はチッと舌打ちすると、サバイバルナイフを構える。
「そんな物では無理です」
「やってみねぇと分かんねぇだろ!」
「分かります!」
ギチギチと腕を締め上げられ、引きずられそうになる恭平は、何とか踏ん張っている状態だ。大地が逃げる時間を稼ぎたい。この太い根をサバイバルナイフで切るなど……。
ハッと恭平はあることを思い出した。
「大地くん! 君、光苔を採取したでしょう!」
「え? はい?」
ナイフを振り上げる大地は、予想外の質問に一瞬呆気に取られる。光苔がどうしたと言うのだろう。最後の食事として食べたいとでも?
「サバイバルナイフに光苔をまぶしてください!」
「えっ、えっ?」
「早く!!」
「は、はい!」
恭平に言われるまま、大地は光苔をナイフにまぶす。
「それで切ってみてください!」
「わかった!」
もう一度ナイフを振りかぶり、根っこに斬りかかる。飛び散る緑の汁に大地は驚く。
「うわっ! えっ、切れた!?」
「切れました! 逃げますよ!」
恭平は腕に残った根っこを振り払い、大地の手を掴むと走った。後ろから追いかけてくる根っこを、何とか振り切る。
「トー」
そう声を出すと、部屋の扉が閉まった。
ホッと胸を撫で下ろす大地と恭平。お互い腰が抜けて座り込んでしまう。
「ヤベー焦ったぁ」
「ええ、本当に焦りました。助けてくれて有難うございます」
「いや、こちらこそ。って、これ配信だ! コメント欄見てなかった!」
すっかり頭から抜けてしまっていた。と言うか、コメント欄を見る余裕なんてなかった。確認すると、ものすごいコメントの流れで追いつけない。
「何々?」「やべぇー」「先生がああぁぁ」「マジで放送事故じゃん」「大地死ぬなーー」「先生も死なないで」「これら本当にヤバいぞ」「えっなに? 光苔?」「光苔?」「光苔?」「うおーー切れてる!」「光苔ヤベー」「光苔強えー」「はよ逃げ」「逃げろ逃げろ」「逃げてーー」「うおーー逃げ切った!」「さすが大地!」「今日のMVPは光苔」「光苔最強じゃん」「先生今、何か言ってた?」「トーって何?」「説明求む」「先生もお疲れじゃ」「説明はよ!」
コメント欄がすごいことになっている。投げ銭が止まらない。
「先生、説明求って言われてますよ」
「えっ、はい、あ、光苔ですかね? 食べると美味しいですよね。あの、先を歩いていた大地くんが採取したのが見えましてね。僕も欲しかったなぁなどと思いまして……ハァハァ」
恭平は疲労困憊である。息切れがすごい。
「ちょっと休ませて。水汲んでくるわ。水があって良かったよな」
「本当ですよ」
「足を、つけちゃわない?」
「良いですね」
恭平と大地は、靴を脱ぐと水に足をつけ、落ち着くのだった。
「光苔は花系モンスターの根を弱らせる効果があるんですよ。それから、『トー』と発言したのは扉を閉める古代語ですね」
ようやく落ち着きを取り戻した恭平は、大地を見ながら説明した。
「おーそうなんだ」「豆知識頂きました」「どうせすぐ忘れる」「面白い」「二人とも無事で良かったね」「マジで同接ヤバい事になってた」「ちょっと落ちかけたよ」「追い出さないでくれよな!」
「さて、先へ行きますか」
恭平が立ち上がり、さらに奥へと進もうとする。
「まだ行くんですか? そろそろ戻りましょうよ」
大地はうんざりした顔で訴える。
「まだ奥は深そうですよ」
「明日の楽しみに取っておくっていうのはどうですかね。一気に見て回っちゃもったいないんじゃねぇの?」
「うーん、入口が潰れたら二度と見れなくなってしまうという懸念が……」
恭平の言葉に、大地は思わず顔をしかめる。その時だった。
ビービー……ビービー……
突如、緊急避難を促すけたたましいサイレンが鳴り響く。
『鳴神洞窟崩落危機、鳴神洞窟崩落危機、お近くの方は速やかに避難を。繰り返します。鳴神洞窟崩落危機…‥』
恭平と大地の無線機へ同時に、外からの危険を知らせるアナウンスが流れた。
「不味いですね。地殻変動の兆候です。それも一昨日よりも大きな変動が出る危険を示唆しています。急ぎましょう!」
恭平の表情から、いつもの冷静さが消え失せていた。
「猶予はどれくらいあるんですか?」
「10分あるかないかです」
「おい、何が安心しろだ!」
大地は恭平を睨みつけ、二人同時に急いで駆け出した。コメントを見る時間はない。
「みんな、コメントの返事できなくてごめん! 無事に出たら全部読むから!!」
大地は叫びながら、必死に足を走らせる。
もう少しでひび割れた隙間というところで、激しい揺れが襲った。
「二人同時は危険です。先に行ってください。出たら合図を」
恭平の声が、揺れでかき消されそうになる。
「分かりました」
考える余裕はなく、大地は急いで隙間を抜ける。やはりキツイ。しかし、急がなければ。やっとの思いで隙間を抜けると、中に声をかけた。
「先生! 抜けましたよ!」
「僕も今……」
恭平の返事を聞くより先に、ものすごい音が聞こえたかと思ったら、あたりは真っ暗になった。何が起こったんだ? ライトの灯りも消えてしまった。幸い、スマホだけは生きてる。
「えっ?」「何?」「真っ暗」「大地大丈夫?」「どうなったの?」「先生は?」「おーい!」「無事なら返事してよ」「マジでヤバいよな」「救助要請したよ」
「みんな、心配かけてごめん。落石に巻き込まれたっぽい」
暗闇に手を伸ばすとゴツゴツとした石に触れる。スマホの明かりで辺りを照らすとよく分かった。狭い空間だが、何とか無事だ。自分は。
「俺は大丈夫。無傷だ。でも先生が……まだ隙間通り抜けてないのに……先生! 先生! 返事してくれよ!!」
大地は、おそらく隙間があっただろう方向に声をかける。しかし、返事はない。大地の声は涙声になる。
「先生……うう……」
「マジかぁ」「先生……」「てか、大地もまだ安心出来ないよ」「今、救助組織向かってるって」「鳴神洞窟テレビ映ってるけどヤバいなこれ」「大地ここに居るの?」「入洞手続きして出て来てないの大地と先生だけだって」
コメント欄だけが大地を慰める。今、本当に一人ぼっちだったら耐えられなかったかもしれない。涙が溢れそうだ。
バキッバキッ!
すごい音がしたかと思ったら、壁が壊れた。また地震か!?
「大地くん、無事ですか!?」
顔を見せたのは恭平だ。
「えっ、て、えっ? 何、アンタ、えっ!?」
大地は驚く。何と恭平は、最初に襲ってきたモンスターの腕の中にいたのだ。怖がれば良いのか、喜べば良いのか、正直分からない。
「このモンスターはここを守っていたみたいです。僕たちに危険を知らせたかったみたいですね。君のことも外まで連れていきたいと言っています」
「そりゃあ、助かりますね。うわっ!」
モンスターは大地を小脇に抱えると、ズカズカと進んでいく。強力なバリアを使っているのか、岩が避けていく。そして、安全な場所まで来ると大地と恭平を地面に下ろした。
「もう来るなと言っています。扉は閉じたそうです」
恭平は残念そうにモンスターの言葉を翻訳する。モンスターは微笑んだように見えた。そしてモンスターが帰った後には、岩で塞がれた、かつて洞窟だったものが残されるだけであった。
「古代の遺跡は、再び眠りについたということでしょうね」
「そうッスね。まあ、二人とも無事で良かったです」
「ええ、本当に」
大地と恭平は目があうと、笑い合うのだった。
「おーい、行方不明者か?」
「二人いるぞ!」
「藤波大地さんと、鷹峰恭平さんですね?」
救助隊が近づいてくる。二人の無事が全国に放送されるのだった。
「うわ、どういうこと?」
外に出た後、大地はスマホの画面を見て驚いた。
「どうしました?」
「動画をアーカイブに残そうとしたんだけど、映像が無効になっちゃってて」
「ふむ、それも古代人の力でしょうか。すごいですね」
「感心してないでくださいよ。せっかく一攫千金だったのに!!」
「配信中の投げ銭もすごかったみたいじゃないですか」
「そうだけど……」
残念だ。俺も後で見返すの楽しみだったのに。そして、多分、先生も見たかった筈だ。
「あ、後で、計算して半分渡しますね」
「いりませんよ」
ハハッと笑う恭平。表情は明るくて大地は安心した。
「みんな、アーカイブに映像残せなくてごめんね。またの配信を楽しみに! ばいばーい」
「またね大地」「またね!」「映像なくても神回」「めっちゃ良かったよ」「感動したよ」「また先生とコラボしてね」「先生とチャンネルしたら良くない?」「それいい!」「大地と恭平ちゃんねる楽しみにしてまーす」
「だって。先生、またコラボしてくれる?」
「まあ、楽しかったので良いですよ」
どうやら俺には、最高の相棒ができたようだ。