雨の降る中を二人で館まで歩く。さっきまであんなに混乱していた気持ちが不思議と収まっていくのを五月は感じていた。門扉をくぐって敷石を踏み、重厚なドアを開くと、館の中はとても暖かい。居間に行くと暖炉には薪がくべられており、パチパチと火の粉が舞っていた。
ハーベンはすぐにホットチョコレートを淹れて五月に手渡してくれる。しかし五月は冷え切っていて、上手くカップを受け取れなかった。
「先に体を温めよう。もう準備はできているからね」
「お風呂?」
「そう。今日はローズマリーを入れてみたよ」
なんでもハーベンが言うにはローズマリーには殺菌や抗菌の効果が期待できるほかにも、血行をよくしたりリフレッシュを助けたりもできるらしい。外出して冷え切った体を流すにはピッタリだと選んでくれたのだろう。
五月はハーベンに連れられてバスルームへ行き、衣類を丁寧に脱がせてもらって、ローズマリーの入浴剤が入ったバスタブへ浸かった。ハーベンはかたわらで腕まくりをして五月の髪と体を洗うと、より温まるよう腕やふくらはぎをマッサージしてくれる。
急に体が温まったせいなのか、五月は何度か小さく咳をした。
「大丈夫かい?」
「うん」
「風邪でないといいんだが……どんな薬も使いたくないからね。君には強すぎるかもしれないし」
「平気だよ、ハーベン」
しっかりと温まった五月を、まるでこの世でもっとも貴重な宝石でも扱うかのような手つきでハーベンはタオルで包み込んだ。そして冷えない内にと手早く夜着とガウンを着せる。
五月は今、自分がどんな顔をしているだろうかと恥ずかしくなった。子供のようにハーベンに風呂に入れてもらって、すべての世話を任せてしまっている。自然と顔が熱くなるのを感じた。バスルームに鏡がなくてよかったと心底思う。
「今日はもう疲れただろう? 早めに眠るといい」
「そうする」
「ホットミルクを持っていくから、先にベッドに入っていなさい」
ベッドルームの前でハーベンはそう言い残して一度キッチンへと引き返して行った。五月はガウンを脱いで、言われた通りにベッドにもぐりこむ。サラサラと肌に当たる寝具が気持ちよい。ハーベンはほどなくいつものホットミルクを手に戻ってきた。
「薬の代わりにジンジャーを少しだけ入れてみたよ」
「ありがとう」
にっこりと笑いながら渡されたホットミルクを、今度はきちんと受け取って、五月はゆっくりと味わう。
「これも美味しいね」
「それはよかった」
疲れていたせいか、ホットミルクを飲み進める度に五月の視界はぐにゃりと歪んで、急激な眠気に襲われ始めた。ハーベンが五月の手からカップをそっと取り上げてサイドテーブルの上に置く。力の抜けた五月の体をベッドへと横たわらせたハーベンは、愛しげに彼の額にキスをした。
「……ハーベン……」
「愛している。サツキ」
五月は穏やかな表情を浮かべて、自分の頬や鼻先にキスをするハーベンの背中に両手を回そうとする。だが、昼間に見た笑っていないハーベンの顔をふと思い出してしまった。あの冷たい顔つきはどこかで見た覚えがある。そしてその顔と共に何か大切な記憶が思い出せそうな気もしていた。
ハーベンはそんな五月の唇に口づけて、首筋へとさらに顔を埋める。
思い出せない記憶のせいなのか、ちくりとした痛みが走ったように思えたが、そこで五月の記憶は途切れてしまった。
――どうして、僕はここに、いるんだろう。