洗顔と呼ぶにはあまりに雑で、どちらかといえば水遊びだったやりとりを終え、彼らは広場へと向かった。
そこには、魔獣の死骸がいくつも運び込まれていた。
すべてではない。素材として価値のある部位や食用にできる肉など、人間にとって利用価値のあるものが優先して選別されていた。
これらは一度、軍の管理下に置かれる。
そのうえで、街への損害補填や軍の予算補強、そして今夜行われる“送りの焚き火”に充てられる。
今回は、街そのものに被害は出ていない。多少流通は止まったが、その程度だ。
さらにこの街は、行商人の往来が多い土地でもある。
軍にも素材をさばく経路はあるが、ここで売却ができれば、より迅速かつ簡便に進められるだろう。
そうした事情を踏まえれば、渦が発生したにもかかわらず、この一件はむしろ“収益が出た”とすら言えるかもしれない。
死骸の山を目にした街の人々は、静かに息を呑んだ。
あれほどの魔獣が迫っていたのかと、いまさらながらに“渦”という災厄の重さを実感する。
同時に、それを鎮めた“軍”という存在に、自然と畏敬の念を抱いた。
そんな視線が注がれる中、レオナルドたちは広場の一角に立つクラディアンの元へと向かう。
クラディアンも彼らに気付き、軽く頷いて見せた。
レオナルド、クラウス、ケイランの三人が、揃って敬礼を取る。
「敬礼は解いていい。三人とも、休めたか?」
「はい。中尉のお心遣いのおかげで、身体を休めることができました」
三人を代表して、レオナルドが簡潔に答えた。
「そうか。……レオナルド学生、少し話せるか」
クラディアンの問いに、レオナルドは即座に「はっ」と応じる。
その所作には、貴族としての在り方、そして軍人としての在り方が同居していた。
「残りの二人は、下がっていい」
ケイランは「軍務中とはいえ、実兄からこんなふうに扱われるのか」と、クラディアンからクラウスへの対応に驚いた。
しかし、この場でそれに疑問を持っているのは自分だけのように見えたため、ケイランはそれを口にせず、胸の内に仕舞い込んだ。
二人が下がると、クラディアンが口を開く。
「レオナルド学生、魔獣の死骸についてだが……何らかの権利を主張するか? 貴殿は“軍人学校の学生”であり、まだ“軍人”ではない。功績そのものは記録として残るが、直接的な褒賞を与えることはできない。加えて、貴殿には“貴族”という立場もある」
「主張はいたしません。あれは全て、皆がいたからこその成果です。強いて言うならば――我々に指示を出した教官こそが、評価を受けるべきかと」
「コルペン軍曹とは、すでに話を済ませてある。そのうえで、貴殿自身の意思を確認している」
面倒だ。レオナルドは、そう思った。
だが同時に、クラディアンの意図も理解していた。
レオナルドは、やり過ぎてしまった。
必要な行動だった。あそこで魔獣を逃せば、被害は避けられなかっただろう。
だが、それほどの成果を上げた者に「何も与えない」では、指揮官の度量が疑われる。
何かしら、求める姿勢を見せねばならない。
「それでは、ひとつだけ願ってもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「それは――」
クラディアンはレオナルドの言葉に、「あぁ」と納得したかのように、頷いた。
「分かった。叶えよう」
「ありがとうございます」
レオナルドの礼に、クラディアンは軽く手を上げた。
「あぁそうだ。すでに聞き及んでいると思うが、夕刻から“送りの焚き火”を行なう。現在はその準備をしているのだが……貴殿にはコルペン軍曹の補佐をしてほしい」
「補佐、ですか?」
「彼はこういった状況に不慣れだろう。……休むようには言ったが、今も彼なりに動き続けている」
なるほど。クラディアンは教官を休ませようとしたが、教官が空回っているのか。
教官は、上層部との接点がほとんどない。クラディアンの言葉を、額面通りに受け取ってはならないと思ったのだろう。
しかしクラディアンからすると、その行動ははた迷惑に違いない。
クラディアンは、二十一歳という若さで“中尉”だ。そしてエリート部隊と呼べる即応部隊の中隊長を務めている。
いかにアイゼンハルトの子息といえ――いや、だからこそ、向けられる嫉妬は少なくない。
取り入ろうとする者もいれば、足を引っ張ろうとする者もいる。彼らに、その隙を見せてはならない。
直属の部下ではない教官に強く命令をすることで生まれかねない軋轢と、本人のやる気を鑑みて、無理に休ませはしなかった。レオナルドは、そう捉えた。
彼は内心でため息をつきながら、「分かりました」と答えた。
そして下がるように言われ敬礼を返し、クラディアンの前から離れる。
仕方ない。適当に休ませながら、“送りの焚き火”まで持たせよう。
レオナルドは再び「面倒だな」と思いながら、クラウスたちとは逆の方向へと歩を進めた。