清く正しく凛とあれ。
そんな言葉があの子をああさせたのなら、それはまったく、いびつなことだと思う。
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第一訓練場の桜が狂い咲いたらしい。そんなことになんてべつにまったく興味はなかったのだけれど、午後いちばんの教練がまさに第一訓練場で行われるとのことで、あたしたち魔女軍候補生『新課』第二期生たちは軒並みそちらに向かっていた。お日さまがてっぺんにまで昇ってもまだ肌寒いというのに酔狂なものである。
自由を履き違えると碌なことにはならない。だいたい五〇〇の十三分の一もいるあたしたちは、ほぼ全員が自由参加のレクリエーションに興じようというのであった。弾かれるってのは飛んでいくってこと。飛んでいくってのは浮くってことだ。同調圧力の話ね。
そんで『健常な肉体発達』のための『教練』だとかいう、おおよそ楽しそうでもない集団娯楽にみんなでだらだら向かっていると、たぶん年上の同類数人に出くわした。出くわしたって言うかお見かけしたのだ。その、女子らしい剣呑さを陰湿に纏ったご同類数人は、実はさらに年上の、しかもとっても上官でいらっしゃられる見た目幼女を囲んでは、無知ゆえのムチムチ粘着質でなんぞかをぐちぐち愚痴っているのであった。
「あのう、失礼しまっす」
軍人らしからぬよれよれの発言と低姿勢でもって、あたしは彼女らに特攻した。いちおう敬礼はしておいたぞ。
ああなんだてめえぶっ飛ばすぞ飛ぶってことは浮くってことだぞとか言われる前に言うことがある。
「ここって見えるんですよ」
あたしはそう言って彼方を見つめた。霊感は零感だけれど、彼方は虚空ではない。『彼』の『方』と書くからわかりにくいのだ。『彼女』の『方』と言えばきっと伝わる。
当教習施設の中でもっとも高い塔。そのてっぺんにいらっしゃる、『正義の魔法少女』と目が合った。あんなに高いところからまっすぐあたしを見ている。あたしを見ているってことは、彼女たちも見られていると錯覚しているだろう。ちっ覚えとけよと言われたが、はたしてあたしはなにを覚えていなければならないのだろうか。
「あの、名乗られては?」
あたしは真珠の瞳から涙を流しかけていた幼女、もとい、大先輩の大上官に不躾ながら手を差し出した。
「お名前、言う、隙も……」
ずびずびしゅびどぅばーっと涙と鼻水をぐちゅぐちゅさせて、アイちゃん大先輩はひっくひっくしている。あたしの手を掴もうとしたのだけれど、そのお手ては途中で疲れたみたいに止まって、中空でマリオネットしていた。しゃーないのであたしががんばって引っぱりあげる。
「お部屋まで送りますよ。あたし桜に興味ないし」
アイちゃん大先輩はワケワカンネってお顔してたけど、それはつまり泣き顔じゃなくなってたってことだ。のど元過ぎれば熱さを忘れるっていうけど、でも火傷してたらどうせ思い出すんだけどね。
「つーか正義の魔法少女さまがまだあたし睨んでんの」
指さしたらかわいい顔が険しくなった。まあ人を指さしちゃいけないよな。
「仲、いいですね」
アイちゃん大先輩はちょっと笑った。この人ほんとうに今年で十八か? 八歳の間違いじゃなくて?
「わたしもいっしょにあやまりますね」
「いや、なんで叱られなきゃならんのですか」
アイちゃん大先輩、改め、慈愛の魔法少女はるんるんとスキップを始めた。この人ほんとうに八歳か? 四歳の間違いだろ。
*
扉は頑丈そうだったのでドンドン叩いたら叱られた。
「お邪魔しまっす」
「失礼します、でしょう」
叱られた。
「戸を叩くときも、そんなに力を入れなくてもけっこうです」
また叱られた。
正義の魔法少女さまはその名に恥じぬたたずまいであたしを待っていた。きりりと軍服を着こなし、微動だにせず凛と立っている。
「セイカちゃん。あのね、鳩さんがね」
「現認しております。アイ一等魔法少女」
ちらり。っていうか、びって感じに、セイカはアイちゃん大先輩を見た。ほんとうなら十歳と四歳だぞ。もうちょっときゃっきゃうふふしろ。
「彼の者ら四名は『旧課』の第七期生です。顔は覚えました。後ほど上へ報告を」
「え」
「……なにか?」
思わず声が出たら睨まれた。びって睨まれた。
「いや、言うほどのことかなあって。つーか上って中将以上でしょ」
魔女部隊の最高士官、一等魔法少女は少将と同じ階級扱いだ。つまりアイちゃん大先輩も少将です。えらい。かわいいから撫でとこ。
「部隊内で起きたことはすべて仔細に報告しています」
「あたしらまだ候補生ですし」
「私の管轄ですから」
なんだかちょっとだけセイカが緩い口調になった。気がする。
「隊規定通りの行動です」
「そんな些事までお耳に入れなくても。中将のおっさんたちまたハゲるよ」
「それは」
きぴきぴとおはなししていたセイカが、ここではじめて口ごもった。
「かわいそうですが、仕方ありません」
張っていた胸がすこし緩んで、セイカはお鼻でだけ嘆息した。鼻で笑ったって言うと印象悪いからね。
「あんた嫌がらせでやってんじゃないでしょうね」
「隊規定通りです」
「行動はね。感情は?」
「隊規定通りです」
「つまり嫌がらせじゃねえか」
論理は通っていなかったが、心は通った。セイカがすこしだけ噴き出した。
「セイカちゃん、あうと~」
アイちゃん大先輩がけらけらと笑った。十歳くらいになった。つまりセイカと同い年だ。
「アイ」
びっ、がなくなって、じっとりとセイカはアイちゃん大先輩を見る。うんうん。だいぶ同い年だ。
「
真面目くさったお顔で言ってから、セイカは悪そうに笑った。腕時計なんかしていないのに、そのへんをぺんぺんと叩いて見せる。
アイちゃん大先輩はくね~って頭をかたむけて、やがてびっくりしたみたいにまっすぐになった。
「たいへん! 着替えなきゃ!」
あたふたしながらずっこけながら壁に激突しながらアイちゃん大先輩は走っていった。めっちゃ痛そう。
「なんかあんの?」
「会議」
二人になったのでセイカは口調を緩めて端的に言った。軍帽を外しながら開けっ放しの扉を締めに行く。すれ違いざまに金属臭がした。血とか鉄じゃなくて、生クリームみたいな甘い金属臭だ。
それは、
「さて、じゃ、本題」
セイカが先に座って、促されるままあたしも正面に座る。ダメになりそうなふかふかのソファである。
「どう、そろそろ、魔法少女の力は覚醒した?」
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もしもあたしが魔法少女になったなら、なんと呼ばれるのだろうか。正義だとか慈愛だとか、そんなご大層ななにかではないだろう。あたしは、世界を変えられるほどなにかを一心に思うことなんてできないから。
あたしは、物語の端役だ。そんじょそこらの、どこにでもいる、ひどくありふれた、ただの人間だ。
あるいはせいぜい、この子の姉ちゃんであるってくらいの、それだけなのだ。
正義の魔法少女、セイカ。あたしの唯一の家族。
あたしが何者であるかの説明なんて、それだけで十分だろう。