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023 迷宮、そして安寧の暗がりへ



 大きな街にまで辿り着いていた。


 この世界に転移される前、ナナミへ教えるために事前情報を得ていたから、まるで中世ファンタジー世界そのもののような街並みにも驚くことはなかった。


 人が多く、雑多で、変な臭いがして、大声の飛び交う街だった。

 活気と生活。

 それはあの森の中にはないものだ。

 だが、俺はそれに感情を動かされることはなかった。


 なぜ、街に引き寄せられてしまったのか、自分でもわからなかった。

 光に引き寄せられる虫のように、この街には何かがある。

 ――闇の気配。そうとしか言いようがない何かが。


 ここでなら、視線の届かぬ闇に紛れていられる。

 俺の求めている暗がりの底が、ここにある。

 それは不思議な確信だった。


 街は精霊力に満ちていた。

 この世界では、人が集まっている場所はこういうものなのだろうか。人間にも魔物にも精霊力が宿っている。それが集まれば、こんな風にエネルギーに溢れた場所になるのかもしれない。


 俺は、あれから一度もステータスボードを開いていない。

 地図を使えないのは不便だったが、意地になっていた。

 ナナミのアルバムはシャドウバッグにしまってある。きっと死ぬまで開くことはないだろう。


 より闇の深い場所を求めて歩いた結果、路地に隠れるようにして立つ何でも屋のようなところで、手持ちの精霊石を換金することができた。

 狼の精霊石と、子猿のそれとで銀貨何十枚かと交換できたので、その金で服と外套、そして短剣を購入した。それだけで、もういくらも残らなかった。

 相場などわからないから、もしかすると損な取引をしたのかもしれなかったが、そんなことを気にするだけの余裕はなかった。


 安宿の場所を聞き、泊まる。

 一番安い個室でもそれなりの金額だったし、部屋は汚く簡素で、ベッドも板張りの上に申し訳程度のマットレスのようなものが敷かれたものだったが、それでもひさしぶりのベッドには違いない。

 自覚はなかったが疲れていたのだろう。驚くほど熟睡してしまった。


 俺は、夜中のうちに起き出して、闇に乗じて街の中心へと向かった。

 何でも屋の店主が言っていた。ここは迷宮の街だと。

 街の中心には大迷宮があり、そこから得られる資源で、街は潤っているのだと。


 迷宮の場所はすぐにわかった。

 街の中心にそびえ立つ螺旋状に捻れた円錐の巨大クリスタル。

 昨日も遠目から見たこれは、日光を反射して、ビカビカと節操なく輝き、ランドマークとしてこの上ない存在感を主張していた。その時はまさか迷宮だとは思いもしなかったが。


 高さにして80メートルほどだろうか。どうやって作られたものなのかは不明だが、あのクリスタルはもしかすると大きな一つの精霊石なのかもしれない。


 なにしろ精霊の気配が尋常ではない。この街自体が精霊の気配に満ち満ちているのだが、それ以上に濃密な気配が迷宮の入り口からは溢れ出している。


 街中では、おそらく精霊術の使用は危険とか、そういう理由で禁術措置みたいなものが施されていたのだろう。

 闇の精霊術もかなり使いにくかったのだが、迷宮の近くではむしろ逆で、夜中ということもあり、数倍の効果が期待できそうに感じた。


 クリスタルの根元にはポッカリと迷宮が口を開けていた。

 迷宮は地下へ地下へと潜っていくタイプなのだろう、ここから見えるのは、下へ続く大きな階段のみだが、その先はまるで時空がゆがんでいるかのように曖昧だ。

 暗視を持っている俺でも見えないのだから、文字通り迷宮という異世界への入り口なのかもしれない。

 入り口は大きく、横30メートル、縦も10メートルほどもあり、内部の巨大さを想像させた。


 迷宮の入り口には、何人かの人間がいた。

 迷宮探索者とおぼしき、物々しい装備に身を包んだ一団。

 篝火を背に立つ見張りらしき男が4人。


 迷宮に入るのに金が必要だったりするのかもしれない。

 呼び止められても面倒だ。


「ダークネスフォグ」


 ダークネスフォグは、位階が4に上がったことで、闇の量を調整できるようになっていた。最大出力で使えば半径10メートルもの範囲を闇で包み込むことができるだろう。

 だが、それは状況次第とはいえ、ほとんどの場合悪目立ちする。

 俺はほんの1メートル程度の範囲で術を行使し、闇に乗じて迷宮へと滑り込んだ。

 誰も俺の存在に気付くことはなかった。


(落ち着くな……)


 迷宮の中は精霊力に満ち、いくらでも精霊術が使えそうだった。

 俺は闇の中、ナイトヴィジョンとダークネスフォグを併用しながら、歩いた。

 閉鎖された空間だからか、それとも闇の溢れた場所だからか。おそらくその両方だろうが、ここでは視聴者たちの視線は感じなかった。


 もちろん、それは気のせいなのだろう。

 今でも視聴者たちは俺のことを見ていて、早く死ねと。迷宮でくたばれと。そんなことを考えているはずだ。

 だが、こうして闇の中にいれば、そのことを忘れられた。


 心細さも。寂しさも。外に出さずにすんだ。


「ダークネスフォグ」


 闇の中にあれば、誰にも気付かれなかった。

 闇深い迷宮の中で、さらに深い闇があろうと、人も魔物も気にもとめない。そういうものなのだろう。


(……これが迷宮か。不思議な場所だ。誰かが作ったのかな)


 ――この迷宮がメルティア大迷宮という名で、階層ごとに名前が付けられていることを、この時はまだ知らなかった。

 第一層の名は『黄昏冥府街』。

 その特徴は――


(広いな……)


 いかにも迷宮といった狭い道を抜けた先は、広い空間だった。

 ポッカリと空いた野球場より広い空間で、天井部分はまるで黄昏時の空のように赤く煙っている。

 地面には石で出来た廃屋が建ち並び、その奥には城のようなものが見えている。

 そして、その街に住む住人は――


(スケルトン……ってやつか)


 チャッチャッチャと独特の足音を響かせて、白骨たちが徘徊している。

 無手の者、剣のようなものを装備した者、大きい者、小さい者、姿は様々だが、ここはスケルトンたちの街のようだった。

 300メートルくらい離れた場所で戦っている探索者パーティが見える。

 スケルトンを倒しても精霊石が得られるのだろうか?

 圧倒的に情報が少なかった。


「ダークネスフォグ」


 俺は闇を身に纏い、おそるおそる一匹でいるスケルトンに近付いてみた。

 ダークネスフォグは、視覚を遮断する術だ。

 音は聞こえるし、臭いも通るだろう。

 スケルトンが何で相手を認識するのかわからないうちは、闇の中であっても安全ではない。

 いざとなったら戦闘も辞さない。迷宮の第一層に出る魔物だ。

 そこまで強烈に強くはないだろう。

 いずれにせよ金を稼がなければ、あと数日で無一文だ。


 かなり近付いたが、スケルトンはこちらには反応を示さなかった。

 少し離れてから、一度術を解くと瞬間的にこちらへ反応したから、ダークネスフォグによって知覚を遮断されているのは間違いなさそうだ。

 闇の霧の中からでも、物音を出せば反応するから、油断はできないだろうが。


 相手は、無手のスケルトン。動きも速くなく、あまり強そうでない。


 意識していなかったが、この時の俺は初めてのダンジョンに浮かれていたのだろう。

 闇の中で、視聴者達の視線を感じなかった。

 だからこんなことを考えてしまった。


「戦ってみるか……」と。


 ――ははは

 ――うふ、うふふ

 ――キャッキャッキャ


 笑い声が聞こえた。

 どこからか。遠く離れた場所から。あるいは、すぐ耳元から。


 全身を突き刺す視線。

 見られている。

 10億の視線を感じる。

 嘲笑と共に、視聴者たちが、俺の一挙手一投足を監視している。


 この異世界で、オタク少年がやりたがりそうなことを、ついにやるぞと。

 念願のモンスターとの初戦闘をやるぞと。


 好奇の視線が。

 地球から無数の視線が送られてきている。


 吐き気が込み上げる。


 ――うふふ

 ――きゃっきゃっ

 ――あはは


 視聴者達の嘲笑が聞こえる。

 俺を、笑っている。


<戦うのか? かっこよくモンスター退治をしてくれよ、勇者クン(笑)>

<はやく戦って死ねよ。なるべく無様にな>

<そうだよね、ファンタジー世界に来たんだから魔物退治したいよな(笑) スケルトン倒して俺TUEEEってか?>

<やっぱり異世界満喫してんじゃねーか>

<短剣片手に闇の魔法剣士ですかぁ? うわぁ、かっこいいw 反吐が出そうwww>


 こんなのは全部自分自身の心の声なのだとわかっていた。

 だけど、自意識過剰でもなんでもなく、本当にみんなが俺のことを見ているのだ。


 俺の一挙手一投足を。

 俺が無様に戦うのを。

 俺が初勝利に酔う様を。


 せっかく闇に紛れて、考えないようにしていたのに。


「ダークネスフォグ……!」


 俺は吐き気を抑えて、闇に閉じこもり、走った。


 戦うなんてとんでもない。

 見られたくなかった。

 忘れてほしかった。

 俺の存在ごと、消えてなくなりたかった。


 走って走って、気付いたときには階段を降りて、第二階層まで辿り着いていた。

 第二階層は、第一階層よりも狭く、まさに迷宮という作りで、俺はかなり奥のほうまで進んで、闇の中でうずくまった。

 小さな人型の魔物や、犬のような魔物、鬼のような魔物も見かけたが、どの魔物も闇の中では俺を発見できないようだった。


 この深い闇の中にあって、さらに深い闇に紛れていれば、誰の視線も届かなかった。

 今は声も止んでいる。


「はぁ……はぁ……」


 ピチョン、ピチョンと地下水のようなものが壁を伝う、古く汚れた地下迷宮だった。

 暗視能力がない者には、この場所の探索はかなり苦しいだろう。

 しばらく、そこでうずくまっていた。

 何度かあまり強そうでない魔物が通り掛かったが、俺に気付くことなく素通りしていった。

 その次の魔物も。

 またその次の魔物も。


 闇の中では、俺はいなくなることができた。

 そうして、しばらく闇に抱かれることで、ようやく落ち着くことができた。


(……あれは?)


 何時間かしてから、俺はソレに気付いた。

 今の今まで気付かなかったのは、それだけ冷静さを失っていたからなのだろう。

 まるで監獄のような形をしている向かいの小部屋の中で、鈍く光るものがある。


 俺は腰を上げた。

 近付くと、それは探索者の抜け殻のようだった。


 粗末な革の鎧、外套、革の手袋、脚絆に短靴。

 探索者の装備が人の形を保った状態で横たわっていた。

 死体はどこにも存在せず、本来なら首の位置となる部分に、小さな赤い精霊石がぽつんと置かれている。

 まるで、肉体が煙となり消え去り、精霊石だけが残されたかのようだ。


(……死んだのか? 肉体は……?) 


 わからない。

 迷宮という異常な場所では、異常なことが起きるのかもしれなかった。


 装備品の剣は折れ、防具も安っぽい代物。

 おそらく駆け出しの探索者だったのだろう。

 俺は探索者の成れの果ての装備品と荷物をシャドウバッグの中に入れた。


「……死体漁りか……。俺も落ちるとこまで落ちたってことか」


 戦えないなら、こんな事しか金を得る手段はない。

 すべて闇の中で行われていること。

 視聴者たちには見えていないだろう。


 不思議と、自分が汚れていくことは許容できた。

 死んだ相手にまで心を配るような余裕も失っていた。


 幼馴染みも、家族も、帰る場所も、個人の尊厳すら失った俺に、もう失うものなど命くらいしかなかった。

 それでも、生きる。

 それだけが今の俺の精一杯だ。


 ――そうやって、俺は今日もこの迷宮街で暮らしている。


 ◇◆◆◆◇


 俺にはこの暗がりが心地よかった。


 静寂と死が充満する迷宮に潜み、物言わぬ骸と化した探索者達から装備を剥ぎ売りさばけば、なんとか食べていくことができた。


 死と隣り合わせの羨道で、玄室で。

 俺は闇を身に纏い、今日もただ息を殺し蹲っている。


 誰にも見られないように。

 誰からも注目を集めないように。


 そして。

 誰もが俺のことを忘れるように――




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