――突如。
パァッと、突然空に小さな光の玉が打ち上がり、庭園が照らされる。
「見つけたっ!」
遠く、パーティー会場から、耳に馴染んだ声がして、その声の主はズンズンとこちらに向かってきた。
「ヒカル! どうしていなくなっちゃうんですか! 探したんですよ!?」
「リフレイア……」
想定外だった。
今日はもうこのまま顔を合わさずにいようとすら、考えていたから。
「えっ……ヒカル……? 泣いてたんですか?」
リフレイアが顔を寄せる。俺は見られたくなくて顔を背けた。
「はは、まさか。ちょっと夜風に当たってただけだよ」
「でも……酷い顔してますよ」
「少し飲み過ぎたからかもな」
俺はリフレイアの顔を見ることもできず、適当にはぐらかした。
「ヒカル……。ダメですよ……。私だって、我慢してるんですから…………」
「なにをだ……?」
「最後まで笑って……笑顔でお別れしようって、私、せっかくそう決めてたのに」
俯き、肩を震わせるリフレイア。
彼女がそんなことを考えていたなんて、一瞬すらも考えていなかった俺は、どうしていいのかわからなくなってしまう。
夜の帳が降りた庭園で、リフレイアの嗚咽の声だけが静かに響く。
「ヒカル……。私……明日発ちます」
その言葉に、俺は胸が締め付けられた。
そうなることがわかっていたくせに。
それを自分が望んだくせに。
「ヒカルが気を失っている間に決めたんです。ヒカルが意識を取り戻して……決心が変わらないなら、自分自身の決意が鈍る前に発とうって……。そうしないと……私、もうヒカルから離れられなくなってしまうから」
「そうか……」
今日、俺が目覚めてからリフレイアはこの話をしなかったし、俺もしなかった。
もう俺達の関係は、魔王を待つ四層へ続く下り階段で終わっていたから。
俺がリフレイアを拒絶して、彼女が泣いて。
そして、彼女がフォトンレイを使った瞬間、それは決定的なものになったのだ。
立ち尽くす俺の胸に、リフレイアはコツンと額をぶつけた。
こんな瞬間でさえ、数億もの視聴者達に見られているという居心地の悪さを感じて、それを気にしてしまう自分が嫌だった。
最後の時くらい、しっかり彼女と向き合いたいのに。
「……あの時言っていた、視聴者の数を競うレース? あれ、どうなったんですか?」
下を向いたまま、戸惑いがちな問いかけ。
「ダメだったよ。けっこう良い線いってたんだけど、上には上がいる」
「……そうですか……。じゃあ、幼馴染みの子を生き返らせるのも?」
「ああ……。残念だけど」
そうして言葉にすると何一ついいところがなかったような気がしてくるが、そうではない。
良いことだってあったのだ。
「でも、リフレイアがフォトンレイを使えるようになったのは良かったと思ってるんだ。俺の探索に付き合ってもらって……恩が少しは返せた気分になれるから」
「私は、フォトンレイなんて覚えたくありませんでしたよ」
「リフレイア――」
「私はッ! ヒカルと別れたくなんてなかったです!」
込み上げてきたものを吐き出すように、リフレイアは下を向いたまま俺の手首を掴む。
「ずっと……ずっと、いっしょに探索者をしながら暮らすことができるなら、もう実家にだって戻らなくていいって――――酷いですよね、私。自分のことばっかりで。今だって、妹は病気で苦しんでいるのに。自分ばっかり……好きな人を見つけて夢中だなんて……」
彼女にとって、聖堂騎士になる夢がどれくらいの大きさのものだったのかはわからない。
だが、それを蹴ってでも俺といたいと言ってくれる彼女の気持ちに偽りはないだろう。
俺だって、もし異世界人などではなく、現地の人間であったならば……いや、ただ偶然この世界に飛ばされただけの一個人であったなら、俺はリフレイアといっしょにいることを選んだはずだ。
ただ――――そうはならなかったというだけの話。
「リフレイア。こんなことを言うのは酷い男だと思うけど……、俺、リフレイアのこと好きだったよ。このわけのわからない世界に来て、どれだけお前に救われたかわからない。命だけじゃなく、心もな。だから……ありがとう」
言わないつもりだった言葉を、俺は彼女に伝えた。
伝えずにはいられなかった。それが俺が彼女にできる最後の誠実さだった。
「ふふ……わかってますよ。ヒカルが私のことをどれだけ大事にしてくれてるのかなんて。あれから、ずっと……ずっと考えてましたから。その気になれば、私のことなんて、いくらでも好きにできるのに、バカですね……ホント……お人好しで、バカ正直で、真面目で…………愛おしい人」
遠く、パーティー会場から流れる旋律が、静かな曲調に変わった。
雲のない満天の星空は、チカチカと瞬き、満ちた月が東の空で煌々と輝いている。
「……ヒカル、踊りましょうか」
「ごめん……前も言ったけど、こうしてるのも全世界の人間が見てるんだ、だから俺は――」
言いかけたところで、両手を掴まれグイッとリフレイアは身を寄せてきた。
柔らかいものが当たってドギマギしてしまう。
ほとんど抱き合ってるのと同じ体勢。お互いの鼓動の音すら聞こえそうな距離。
「私は気にしないって言ってるんですよ。それに……ダンスくらい、問題ないでしょう?」
こうして二人の距離が近付くほどに、これからの距離を感じて胸が苦しくなってしまう。
リフレイアはそうではないのだろうか。
……いや、そうだからこそ、明日発つと言っているのか。
これが、二人で過ごす最後の時間なのだ。
「はい、いちにーさん。いちにーさん。ふふ、上手じゃないですか」
「上の妹に仕込まれたから」
上の妹であるセリカは滅茶苦茶に社交的なやつで、ダンスくらいできなきゃ話にならないと、俺を練習台にして一時期特訓していたのだ。
そのおかげで、簡単なステップだけだが俺も習得できた。
「ねぇ、ヒカル。さっき、アレックスさんに声を掛けられた時、なんで逃げちゃったんですか?」
「……それ、訊くのかよ……」
「ええ、だってお友達なんでしょう? 彼」
「どうかな」
アレックスは同じ地球人だし、まあ良い奴と言っていいと思う。
でも、友達だと断言できるほど、付き合いがあるわけではなかった。
「私が口説かれるって思ったんでしょう。それで見てられなかった?」
クスクスと悪戯っぽく笑って、身体を密着させるリフレイア。
いつかの記憶が蘇る。もしかしたら、お酒を飲んでいるのかもしれない。
「……そうだよ。アレックスは俺なんかよりずっと男前だし……。リフレイアみたいな美人と俺とじゃ釣り合いがとれないって、ずっと思ってたからな」
「ふふ、素直でよろしい。……でも、私が好きなのはヒカルだけ。ずっとずっと、一緒にいたいのは、あなただけ――」
笑うように、歌うように、そして泣くように、俺への気持ちをステップに乗せるリフレイアに、俺は何も言えなくなってしまう。
「アレックスさんの話は、ヒカル、あなたのことでしたよ。なんだか一人で気を張っていて友達もいなそうだから、心配だって。堅苦しいやつだけど、いっしょにいて助けてやってくれって。私にそう頼んできたんです」
「あいつが、そんなことを…………?」
「ええ。だから、逆に私がお願いしておきました。私がいなくなってからのあなたのこと」
「そっか……」
俺はどちらかといえば、あいつのこと避けていたのに、本格的に良い奴なのだろう。
それに引き換え、俺は嫌な奴だ。後で謝っておかなきゃな。
スローテンポな音楽が何曲か続き、俺とリフレイアはゆっくりゆっくり、二人だけの最後の時間を確かめるようにステップを踏んだ。
そして、音楽が止み、俺達も足を止めた。
リフレイアは身体を離すことなく、俺に身を寄せたまま静かに顔を上げた。
月の光に照らされ、その美しい相貌が露わになる。
決意を秘めた輝く瞳。
紅潮した頬。
何かを言いたげにわずかに開かれた唇。
「ヒカル……」
「リ、リフレイア……。ダメだよ……、みんなが見ているんだ……。実感はないかもしれないけど、ほんとうに……」
「だいじょうぶ」
リフレイアはただ、そう一言返事をして、瞳を閉じた。
根拠のない言葉だったけれど、このときの俺はそれで押し切られてしまった。
息が掛かるほどの距離まで近づく顔と顔。
俺はそれに抗うことができない。
フッと、ほんの少し。触れるだけのキス。
一度だけ顔を離して、真っ赤な顔で彼女ははにかんだ。
「ね? 誰も見ていませんよ。お月様以外にはね」
そう言って、もう一度、くちづけ。
触れ合った唇から、愛おしさが溢れて、俺達はしばらくお互いを求め合った。
――それが、二人の最後の思い出になると、知りながら。