1-1.【呪われた娘と呼ばれて】
ロミー・フォン・ヴァルトシュタインが「呪われた娘」と呼ばれる運命に晒されたのは、彼女がまだ幼い頃から始まっていた。ヴァルトシュタイン家は、代々王国に忠誠を誓い、格式高い伝統を守り続ける名門であった。家中に流れる高貴な血筋は、誰もが誇りに思うものであったが、その一方で、血の色や容姿といった外見的要素に敏感な社会の中で、常識から逸脱した存在は決して受け入れられることはなかった。ロミーは生まれながらにして、家族の誰とも異なる容姿を持っていた。彼女の長い金髪は、柔らかな光を反射してまるで朝日に輝く麦畑のようであり、澄んだ青い瞳は、まるで冬の澄んだ空そのものを映し出すかのようであった。しかし、その美しさは、決して家族や一族が望む「正統なヴァルトシュタインの顔立ち」とは一致せず、むしろ冷ややかな疑念と不信を呼び起こす原因となった。
幼いロミーがまだ五歳の頃、豪奢な夕餉の席で、一人の来客がふと漏らした一言が、家中に冷たい風を巻き起こした。「この子は、我々と違いすぎる。まるで遠い異国の血が混じっているかのようだ…」その言葉は、既に厳格な家族の間に潜んでいた不安を一層煽る結果となった。父であり公爵である男は、表面上は笑顔を崩さなかったものの、内心ではロミーの存在が自らの血統や家名にとって都合の悪いものだと感じ始めていた。さらに、母アンネマリーは、息子ハインリヒや継母ルイーゼの視線を背に受けながら、ただただ愛情深くロミーを育てようと必死であった。しかし、家中に広がる「異端の子」という噂は、次第にアンネマリーさえも孤立させ、家族内での立場を危うくする結果となった。
時は流れ、ロミーが七歳になったある冬の日、家族にとって決定的な悲劇が起こった。母アンネマリーが突如として高熱に倒れ、日増しに衰弱していく様は、まるで命そのものが闇に飲み込まれていくかのようであった。病床に伏す母は、わずかな声で「ロミー……私の愛は、決してお前から離れたことはない」と伝えたが、その温もりはすぐに凍りつくように消え去ってしまった。母の死は、家族全体に暗い影を落とし、父や継母、そして兄ハインリヒは、冷徹な顔でその事実に対処するばかりで、ロミーへの慰めや優しさを見せることはなかった。むしろ、アンネマリーの死は、ロミーが「呪われた娘」としてますます不吉な存在となる決定的な引き金となった。
母の死後、ロミーは深い孤独と絶望の中で、誰にも見られたくない自分自身の姿に対する恥ずかしさを抱くようになった。彼女は自室の窓辺でひっそりと涙を流しながら、ふと鏡に映る自分の顔に怯えた。家族が口にする「不吉な血筋」「呪いの印」という言葉が、頭の中で何度も繰り返されるたび、彼女の心はさらに深い闇に沈んでいった。そして、ある日から、ロミーは自ら進んでフード付きのケープを身に纏うようになった。黒いケープは、彼女の輝く金髪や透き通るような青い瞳を完全に覆い隠し、まるで自らの存在を否定するかのような、無言の抗議のようでもあった。
使用人たちの間では、「あの娘は呪われている」とささやかれるようになった。下働きの者たちは、陰口で「彼女の顔は、呪いのせいで醜くなったらしい」と話し、屋敷の廊下を行くたびにその言葉を耳にするようになった。家族は、すでに彼女の存在を厭わしいものとして扱い、公共の場に出ることすら許さなかった。継母ルイーゼは、「ロミーはただの不幸の象徴。家の名誉を汚す存在に他ならない」と、冷徹な口調で人々に語り、兄ハインリヒもまた、彼女を家の外へ追いやるような態度を取るようになった。
それゆえ、ロミーは次第に屋敷の奥深く、誰の目にも触れない場所へと引きこもるようになった。彼女は、廊下の陰に潜むように歩き、静かに物思いにふける日々を送った。その姿は、まるで存在そのものを否定するかのようであり、やがて「ヴァルトシュタインの呪われた令嬢」として、貴族社会における都市伝説のような噂となっていった。人々は、彼女の姿を一度見た者は二度と見ることはなく、ただただ恐れと哀れみの眼差しをもって語り継いだ。
幼きロミーは、周囲から蔑まれ、冷たい視線に晒されながらも、心の奥底でひっそりと「自分は呪われているのだろうか」と自問し続けた。しかし、同時に彼女の内面には、母アンネマリーの温かい記憶と、決して折れない強い意志が芽生え始めていた。どんなに周囲が冷たくとも、母の愛情だけは確かに彼女に宿っていると、密かに信じる瞬間もあった。だが、その希望は、現実という残酷な壁の前に、すぐさま打ち砕かれてしまう。家族からの非難や、冷酷な嘲笑が日常の一部となったロミーにとって、未来などありはしないかのように感じられたのだ。
こうして、幼少期から「呪われた娘」として烙印を押され、誰にも理解されず、ただひたすらに孤独と闘いながら生きる運命を背負ったロミー。彼女の存在は、家族にとっては厄介で不吉なものとして扱われ、世間においても恐れと偏見の対象となった。だが、その一方で、ロミーの内面には、まだ誰にも気付かれることのない、静かな反抗の炎がそっと燃え始めていた。母の最後の温もりすら遠ざかってしまった今、彼女はいつか自らの運命を覆す日が来ると、心の奥底でそっと誓っていた。
このようにして、ロミー・フォン・ヴァルトシュタインは、幼い頃から絶え間ない非難と孤独の中で生きることを強いられ、家族の冷たい言葉と貴族社会の偏見によって「呪われた娘」というレッテルを背負うことになったのである。彼女の心は、傷つきながらも密かに、そして確かに、未来に対する希望と反抗の炎を燃やし続けていた。
1-2.【家族に虐げられる日々】
ロミー・フォン・ヴァルトシュタインが「呪われた娘」として家族に疎まれるようになってからの日々は、まるで終わりなき闇夜のように、冷たく重苦しいものであった。母アンネマリーの死を境に、ヴァルトシュタイン家の中で彼女に向けられる態度は一層厳しくなり、家族全員がロミーを忌避するかのような行動を取るようになった。館内に流れる高貴な伝統や血統の誇りとは裏腹に、彼女の存在は「恥」や「不運」の象徴とされ、日常のあらゆる瞬間に虐げられる原因となっていた。
まず、朝が来ると使用人たちは、ロミーの部屋の前を通るたびに、そっと視線を逸らすか、低い声で「あの子は…」とつぶやくのが常であった。ロミー自身も、朝早く起きては暗い廊下を足早に通り抜ける際、家中に漂う冷たい視線と無言の非難を感じずにはいられなかった。彼女の存在は、まるで汚れたもののように扱われ、家族の集う広間や食卓には、できるだけ顔を見せるべきではないと暗黙の了解があったのだ。
継母ルイーゼは、冷酷な笑みを絶やさず、ロミーに対して容赦のない言葉を浴びせることが日課となっていた。朝食の席では、家族が楽しげに談笑する中、ロミーは薄暗い部屋の隅でひっそりと朝食をとらされる。ルイーゼは時折、鋭い声で「こんな醜い顔を持つ子が、ヴァルトシュタイン家にいてよいものか」と呟き、その言葉はロミーの心に深い傷を残す。ハインリヒもまた、兄としての立場を利用し、ロミーをまるで使い物にならぬ存在として扱い、必要な時以外は部屋に閉じ込めたり、雑用を無理やり押し付けたりするのだった。
館内では、ロミーに対して与えられる役割はほとんど「影」のような存在にすぎなかった。彼女は、掃除や雑用を一切任されるわけではないが、その代わりに、屋敷の片隅でひっそりと存在を隠すことを強いられた。昼下がり、明るい光が差し込む広い廊下を歩く時も、彼女は必ずフードを深くかぶり、顔を隠していた。誰もが、ふとした瞬間に彼女の姿を目にすることがあっても、それは決して温かい視線ではなく、冷たい好奇心や軽蔑の眼差しによって迎えられた。
ある日のこと、家中の使用人が集まる厨房の隅で、ひそひそと囁く声が聞こえた。「あの子は、まるで呪いにかかっているみたいだ。見ると不吉な気分になる…」と。厨房で働く古参の女中は、かつて若い頃に出会った客人から聞いた噂を、今度は自分たちの目で確かめたかのように、ロミーの存在を嘲笑い、避けるようになっていた。彼女たちは、ロミーに何かを頼まれることは決してなく、むしろ、彼女の存在自体を不吉なものとして避けるため、顔を合わせることすら躊躇した。
さらに、家族の中でも最も冷徹な存在であった継母ルイーゼは、時折、ロミーの部屋の前で立ち止まり、ドア越しに鋭い視線を向けながら、冷たい言葉を投げかけることがあった。「あの子の顔は、決して見るべきではない。ヴァルトシュタインの誇りを汚す存在だ」と、誰にも聞かれることなく呟くその声は、やがて家中に伝わり、ロミーの名をさらに汚す結果となった。家族の中では、彼女を引き立てる言葉は一切なく、ただただ彼女を「忌み嫌う」ための言葉だけが繰り返された。
また、家族の集まる場、例えば夜の食卓や館内のリビングルームにおいても、ロミーは極力その場に現さないように命じられた。宴が始まると、誰もが盛大に酒を酌み交わし、笑い声が響く中、ロミーの姿は決して見せられなかった。もし、どうしても姿を現す必要があったとしても、彼女は決して正面を向かず、壁際にひっそりと佇むか、そっと隅に隠れるような行動を取った。家族は、彼女が見えること自体を不都合だと考え、その存在を完全に排除するかのような態度を取り続けた。
日が経つにつれて、ロミーは次第に心を閉ざし、外界との接触を避けるようになった。自室の窓から見える外の景色さえも、彼女にとっては遠い世界の出来事のように感じられた。家族からの日々の虐げ、冷たい言葉、そして無情な扱いは、彼女の心に深い孤独と絶望を刻み込み、次第に自分自身の存在価値を見失わせるに至った。だが、その一方で、どこかで母アンネマリーの温かな記憶が、彼女に微かな光を与えていた。夜な夜な、静寂の中で一人、ロミーは母の微笑みや、かつて母が囁いてくれた優しい言葉を思い返し、心の奥底でひっそりと希望を探していた。
こうした家族からの虐げられる日々は、ただ単に肉体的な苦痛や孤立だけにとどまらず、精神的な深い傷をもロミーに与えた。彼女は、家族の中で自分がいかに無用であり、忌み嫌われる存在であるかを痛感し、己の存在そのものが呪いであるかのように感じるようになった。朝の薄明かりの中、鏡に映る自分の顔を見ることすら恐ろしくなり、何度も涙にくれながら、「私は一体何のために生まれてきたのだろう」と、独り言を呟く日々が続いた。
このようにして、ロミー・フォン・ヴァルトシュタインは、家族の冷酷な扱いや無情な偏見の中で、日々の生存を強いられながらも、内面に小さな希望の火を灯し続けるという、苦しくも孤高な日々を送ることになった。誰にも理解されず、ただただ「呪われた娘」として蔑まれるその生き様は、彼女の未来にどのような転機をもたらすのか――それは、まだ誰にも知る由もなかった。
1-3.【突然の婚約話】
ロミー・フォン・ヴァルトシュタインが、家族から冷たく疎まれ、日々の苦悩の中で生きるようになってからしばらく経ったある日のこと、まるで嵐の前触れのように、家中に衝撃的な知らせが舞い込んできた。それは、かつて誰もが信じなかった「婚約話」であった。これまで影に潜むように扱われ、決して前に出ることを許されなかったロミーに、突然、家族の意向とは無関係に、世間がその運命を決めようとするかのような事態が持ち上がったのである。
その日の夕暮れ、館内に流れる空気はいつもと異なり、どこか不穏な緊張感に包まれていた。使用人たちが低い声で何かを囁き合い、家中の奥深い廊下には、ささやかながらも明確な期待と不安が交錯する空気が漂っていた。ロミーは、ひとり静かに自室の窓辺に腰を下ろし、外に沈む夕日をぼんやりと見つめていた。だが、そのとき、重厚な扉が激しく叩かれる音とともに、家族が集う広間へと呼び出される号令が響いた。心臓が激しく脈打つのを感じながら、ロミーは仕方なくその呼びかけに従うしかなかった。
広間に入ると、そこには既に父、公爵、そして兄ハインリヒ、継母ルイーゼが厳かな面持ちで座しており、部屋の中心には、重々しい雰囲気を纏った一通の文書がテーブルの上に置かれていた。父は厳格な表情を崩さず、重い口を開いた。「これより、家の名誉を守るため、そしてヴァルトシュタイン家の未来を確かなものとするために、我が娘ロミーに婚約の申し込みをすることと相成った。」その言葉が放たれた瞬間、広間内には一瞬の静寂が訪れた。だが、その直後、父の横に座る継母ルイーゼが、冷ややかな笑みを浮かべながら「やはり、あの呪われた娘にも、何かしらの利用価値が見いだせるようになったのね」と、鋭い言葉を付け加えた。家族一同の視線が、一方的にロミーへと向けられる中、彼女は静かに息をのみ、心の中で混乱と苦悶を感じた。
婚約の相手として名指しされたのは、侯爵家の嫡男であるレオンという青年であった。彼は、美貌と風格を兼ね備え、貴族社会でも一目置かれる存在として知られていた。だが、同時に、彼の評判は決して高潔なものばかりではなく、噂ではその奔放な生活ぶりや、女性遍歴の多さが囁かれていた。家族は、そんなレオンとの婚約により、ロミーの存在を世間の目から一掃し、家の名誉を守るための一策として、この婚約話を持ち上げたのであった。
しかし、ロミー自身は、長い年月にわたる家族からの虐げや、孤独な日々の中で、己の存在がどうあれ、誰かの道具にされることに抵抗を感じていた。彼女は、これまで誰にも愛されることなく、ただただ「呪われた娘」として扱われ、冷たい視線と偏見の中で生きてきた。そんな自分に、いきなり華やかな婚約話が持ち上がるという事実は、皮肉にもあまりにも不条理で、彼女の心に複雑な思いを呼び起こした。
広間に響く父の重々しい声と、継母ルイーゼの冷笑に、ロミーは何とか静かに答えようとした。しかし、その時、彼女の心に突如、母アンネマリーの温かい記憶がふと蘇る。母がかつて、ロミーに「自分は誰かのために生まれてきたのではない。あなた自身のために生きなさい」と囁いた言葉。その言葉は、彼女にとって唯一の救いであり、また、今この瞬間、家族によって決められた運命に抗うための、かすかな希望の火種となった。しかし、現実は冷たく、家族はそのような感情など一切顧みようとはしなかった。
父は続ける。「この婚約は、我々の家の名誉回復と、あなたが将来立派な女性として羽ばたくための、一大決断である。レオンとの結びつきは、家の未来にとって極めて重要な意味を持つ。」その言葉に、広間に集まった者たちは、まるで契約が成立したかのような重々しい空気を醸し出した。だが、ロミーの心は、言葉の一つ一つが自分をさらに追い詰める鞭のように感じられた。彼女は、これまで誰にも強要されることなく、自分の意志で生きることを夢見た。しかし、今や自分の運命は、家族の意向によって、すでに決めつけられてしまったのだ。
その瞬間、ロミーは内心で叫んだ。「私には、私自身の生きる道があるはずだ!」しかし、その叫びは、広間に響く冷たい静寂の中に、ただひとり孤独に消えていった。彼女の目に浮かんだ涙は、家族の傍らでは決して許されない弱さとして映り、すぐにかき消されるように固く閉ざされた。
一方、レオン自身は、宮廷の華やかな社交界で度々目にする存在でありながら、その裏では数多の女性との不倫騒動や、軽薄な振る舞いで名を馳せていた。彼にとって、今回の婚約は、ただの一つのステータスの維持に過ぎず、家族が仕組んだこの縁談に大きな期待など持たなかった。むしろ、彼は内心、「こんなにも影に隠れた存在と婚約するなんて、我が家のプライドを汚すに違いない」と密かに嘲笑っていたのだ。
こうして、ヴァルトシュタイン家の誇り高き家長たちは、ロミーという存在を、かえって利用しようと決意する。彼らは、かつて自分たちが拒絶し、蔑んだこの娘を、今度こそ家の誇りへと引き上げ、さらには社会においても、その呪いのような烙印を覆い隠すための手段としようとする。しかし、その決定は、ロミーにとっては、さらなる束縛であり、逃れがたい運命の鎖であった。
広間の中で、父の宣告が終わると、家族一同は何事もなかったかのように、形式的な挨拶と儀礼を交わしながら、ロミーに対して無言の圧力を強いる。その場に立ち尽くすロミーは、心の中で母の温かな言葉を懐かしみつつも、同時に、自らの存在が完全に家族の都合の下に置かれてしまったという絶望感に打ちひしがれていた。彼女は、自分がただの「利用される駒」として扱われる運命に、どうしても納得することができなかった。
夜が更けるにつれて、ロミーは自室に戻り、窓の外に広がる漆黒の闇を見つめながら、ひとり静かに涙を流した。彼女の心は、家族の意向に反して自分自身の意志で生きたいという、かすかな反抗の炎を抱いていた。しかし、その反抗の炎は、すぐに冷たい現実の風に吹き消されるかのようで、彼女はただひたすらに、押し寄せる運命の流れに逆らえない自分を責め続けるのだった。
このようにして、ロミーに突如として告げられた婚約話は、彼女の生涯においても最も苦い試練の一つとなった。家族の誇りや名誉のために、彼女の意思は完全に無視され、ただひたすらに「利用される存在」として、次々と決められていく運命の歯車に組み込まれてしまったのだ。ロミーは、誰にも理解されない孤独と絶望の中で、ただ静かにその運命を受け入れるしかなかった。しかし、同時に、心の奥底では、いつの日か自らの意志でこの呪縛から解き放たれ、真の自由と幸福を掴み取るという、かすかな希望を捨てることはなかった。
1-4.【婚約破棄と新たな展開】
ロミー・フォン・ヴァルトシュタインに突如として告げられた婚約話は、家族内外に波紋を呼び、彼女の運命に更なる転機をもたらす出来事であった。しかし、期待とは裏腹に、運命の歯車は急速に狂い始めた。侯爵家の嫡男レオンとの婚約は、家族が名誉回復のために仕組んだ策略であり、ロミーにとっては、これまでの孤独な日々に終止符を打つかのような一縷の望みを抱かせるものであった。しかし、その希望は、すぐに過酷な現実によって打ち砕かれることになる。
ある日の晩餐の後、家族が集う広間において、ロミーの婚約成立が正式に発表されたかに見えた瞬間、突然、空気が凍りつくような冷たい空気が流れ始めた。レオンが、堂々とした装いで現れたにもかかわらず、その顔にはどこか不敵な笑みが浮かんでいた。彼は、すでに多くの愛人たちと密かに交際しているという噂があったが、その実態は誰もが知るところとなっていた。宴席の最中、ひときわ大きな声で、レオンは突如、皆の前で口を開いた。
「これまでの婚約話は、私にとってはただの形式に過ぎぬものだった。正直なところ、顔も姿も見えぬ相手と結婚するなど、私の誇りに反するものである。しかも、あの噂通り、彼女は呪いにかかっているとまで言われている。私がそのような存在と婚約するはずがない!」
その瞬間、広間に凍りついたような静寂が広がった。父である公爵は眉をひそめ、継母ルイーゼは冷笑を隠せず、兄ハインリヒは口元を引き結んでいた。しかし、ロミーの心は、既に深い傷と絶望に覆われ、ただただ呆然としていた。これまで、家族から「呪われた娘」として冷たく扱われ、孤独に耐え続けてきた彼女にとって、婚約が破棄されるという事実は、想像を絶する屈辱と悲哀をもたらすに違いなかった。
レオンの言葉は、瞬く間に家中に広まり、噂となって各界に伝播していった。すでにロミーの存在は、「呪い」として知られるに至っていたため、彼の婚約破棄の理由は、家族や近隣の貴族たちにとっても、当然の結果であるかのように受け止められた。彼らは、「やはり呪われた娘にしては、この程度のことで済むはずがない」と、冷笑混じりに口々に語ったのだ。継母ルイーゼですら、あえてその言葉を強調し、ロミーの非を責め立てるかのような態度を崩さなかった。
しかし、この婚約破棄がもたらした影響は、単にレオン個人の問題に留まらなかった。事態は、あっという間に王宮へとまで波及していったのである。王太子・アレクセイは、婚約破棄の噂を耳にすると、興味深げに眉をひそめ、ひそかにこの件を面白がっていた。アレクセイは、これまでの貴族社会において、媚を売るような女性たちに飽き飽きしていた。そして、今やロミーのように、家族から虐げられながらも、静かに己の存在を守ってきた女性に、何か特別な魅力を感じずにはいられなかったのだ。
その晩、宴が終わった後の静かな廊下で、王太子は密かに使者を呼び寄せ、ロミーに会うよう命じた。使者がロミーの部屋に向かうと、彼女はいつものようにフードに身を包み、ひっそりと窓際に佇んでいた。使者は、口先だけでなく真摯な態度で、王太子からの召喚であると伝えた。ロミーは恐る恐る、しかしどこか心の中で待ち望んでいたその知らせに、決然と応じる決心を固めた。
翌朝、王太子・アレクセイの迎えにより、ロミーは重々しい王宮の門をくぐることとなった。廊下に響く足音とともに、彼女は初めて、自分の運命が家族の意志とは異なる形で動き出す予感を覚えた。王太子は、華やかな宮廷装束に身を包み、威厳と共に微笑みながらロミーに語りかけた。
「ロミー・フォン・ヴァルトシュタイン。あなたの存在は、これまで多くの偏見と誤解に晒されてきた。しかし、私はあなたの内面に宿る強さと、真実の美しさに気づいたのだ。あなたはただ呪われた娘ではなく、誇り高い血筋を引く一人の女性である。私と共に新たな未来を歩む覚悟はあるか?」
その言葉は、これまで家族に虐げられ、すべてを否定され続けたロミーの心に、かすかな希望の光を灯した。王太子の声には、ただの興味本位を超えた、本物の関心と情熱が感じられた。彼女は、震える声で、しかし毅然とした決意を込めて答えた。
「私の人生は、これまで多くの苦しみと悲しみの中で過ぎ去ってきました。しかし、もしあなたが私の存在を真に認め、新たな未来を切り拓いてくださるのなら、私はその道を進む覚悟があります。」
その瞬間、ロミーにとっては、家族からの冷たい非難や偏見、そしてこれまでの屈辱の日々が、まるで一筋の光の中に消え去っていくような、奇妙な感覚が走った。王太子の一言一言は、彼女に自分自身を取り戻すための勇気を与え、そして、これから始まる新たな運命への扉を開く鍵となったのだ。
王太子の召命によって、ロミーは、これまで家族に虐げられ、呪われた娘として扱われ続けた運命から解放されるかのような、一縷の希望を感じた。しかし、その希望は同時に、これまで自分を利用し、蔑んだ家族への皮肉な逆転劇の始まりでもあった。家族にとって、ロミーの婚約破棄は、単なる不名誉な事件として片付けられるはずだったが、王太子の動向によって、事態は一変し、ヴァルトシュタイン家の内部に隠された真実が、次第に明るみに出る兆しが見え始めた。
その夜、ロミーは王宮の一室で、王太子と二人きりの面会を果たす中で、自分がこれから歩むべき道について静かに思索した。彼女は、これまでの絶え間ない非難や孤立、そして「呪い」という烙印に苦しんできたが、今やそのすべてが新たな可能性へと変わろうとしていることを、痛感せずにはいられなかった。王太子の眼差しは、決して嘲笑や軽蔑に満ちたものではなく、むしろ、彼女の内に秘めた本当の輝きを見抜こうとするような、暖かさと誠意にあふれていた。
こうして、ロミーに降りかかった婚約破棄という屈辱的な事件は、単なる終わりではなく、新たな始まりを告げる転換点となった。彼女は、これまで家族から与えられた苦悩の鎖を、王太子という新たな存在によって、初めて断ち切る機会を得たのである。これから先、彼女の運命は自らの手で書き換えられる可能性を孕み、そして、いずれは呪いと呼ばれた過去をも覆す、壮大な物語へと変貌していくのだろう。
ロミーは、涙を拭い去りながら、静かに、しかし確固たる意志で自分の未来に向かって歩み出す決意を胸に刻んだ。その姿は、かつての家族による非難と冷笑に染まった孤独な少女ではなく、これから新たな世界で自らの価値を証明する、一人の強き女性としての第一歩であった。