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第82話  報酬はプライスレスの香り


 腰が抜けてマリナに抱きとめられている。


 腰が抜けたのは、初めての経験だ。

 こう、腰がガクーンとなって、立っていられない。

 そんな俺をマリナがベアーハグ気味に抱きとめている。


 だけど、やっぱりズリ落ちちゃう。

 身長は俺のほうがマリナより少し高いのだけど、ズリ落ちてきてしまう。


 さて、マリナはさっきクマにやられてケガをした。

 そしてディアナとレベッカさんに診てくれと頼んだ。

 外傷がある。そんな時どうする?

 当然、まず鎧を脱がす。楽な格好にさせるのは基本中の基本だからだ。

 脱がした。ひどい傷だ。鎧下も脱がそう。

 ――となる。


 まあ、要するに今マリナは鎧どころか、鎧の下に着る、キルティングの分厚い鎧下ギャンベゾンも着ておらず、上はTシャツだけだということだ。


 わー、マリナのおっぱいやーらけー。


 外から見ると、胸に顔を埋めて抱きしめられ、内股気味で腰砕けという、スーパー情けない感じになっているのだろう。

 が、いまいち格好付かないのが俺だ。

 もうあきらめた。


 こうしてるとシミジミ思うが、マリナは体温が高い。

 俺が冷血なのかどうかは知らないが、俺より3度くらいは体温が高そうである。

 激しく戦闘行動をして、体温が上がっている今でもそう感じるのだから、布団の中に入れておけば湯たんぽ代わりになるに違いない。是非、試してみたいものだ。

 昔、どっかで女は男よりも体温が低いと聞いたような気がするんだけど、少なくともマリナには当てはまらないようだな……。


 ああ……、しかし、それにしても癒されるぜ……。

 これが噂のヒーリングスポットというやつだ。できれば全身でこの癒し力を感じてみたいものだ。


 俺は暖かく柔らかく大きいマリナの胸に顔を埋めながら、そんな益体もないことを考えていた。



「……なんて顔してるのです」


 突然ディアナの呆れたような声がして我に返る。


 おおっと、イケナイ。

 涙腺どころか、全身が緩みきってしまっていたぞ。


 ――と思ったが、俺は今、全員に背を向けている格好だ。ディアナには俺のダラシナフェイスは見えていないはず……。


「デへ。いまだかつてない感覚なのであります。姫、……もうちょっと、もうちょっとだけ、このまま……」


「もう、しょうのない子ね。……すぐよ。次は私の番なのです」


 どういう状況だ。


 とはいえ、腰の抜けた俺にはなんの抵抗力もない。マリナの気が済むまで、抱きしめられているしかないぜ。


 ――1分後。

 解放された俺は、地べたに座りこみディアナと向い合っていた。


「……それで、なんだっけ? ああ、えっと、そうだ。マリナのケガはどうだったんだ、結局。なんで無傷?」


 マリナが無事だったから後回しにした件を聞く。


 ディアナはニマニマと表情を緩ませて答えた。


「うふふふ。ご主人さま。マリナのケガなら、私が治したのです。精霊魔法で! フフン。……その代わり、マリナの精霊石は使ってしまいましたが」


 普段、あまり見る機会がないほどのドヤ顔である。フフンて。

 確かに、マリナの精霊石はあったけど……。


「ディアナって精霊石があれば、あんなケガも治せるのか……? あんな跡形もなく?」


 あの時、クマの一撃をまともに食らい、吹っ飛んでいったマリナ。

 あれはどう見ても致命傷だった。

 車にハネられたのと同じくらいの衝撃はあったろうし、ミスリルの鎧を切り裂くほど鋭利な爪による外傷も、かなり深刻な状況に見えた。


 しかし、ディアナは「当然」という顔。


「もちろんなのです。これでも私はエルフなのですよ? ご主人さまはもっと私を重宝がるべきなのです。フフン」


 フフンはもういいよ。


「……でもおまえ、簡単な精霊魔法しか使えないって」


「それは今の私には精霊力の吸収がわずかしかできない上に、体内にも本来の一割程度しか精霊力を留めておけないからなのです。ですから、精霊力の塊である精霊石があるなら、力技でこの程度のことはできるのですよ」


「傷を治すのは力技なのか?」


「元の状態に戻すだけですから。難しい精霊魔法は、構築そのものにも精霊力を必要としますし、精霊石があっても無理なのです」


 つまり、今のディアナはヘタクソが運転する常にガス欠寸前の車みたいな存在なのだろう。

 難しいコースを走るのも苦手だし、スピードも出ないけど、燃料が一時的に補給されればアクセル全開で直線をぶっ飛ばすことぐらいはできるというわけだ。

 微妙な例えだけど、まあ大きく間違ってはいまい。


 しかし、なんにせよ助かった。

 ディアナさまさまというやつだ。


「――と、言うわけで。ささ、ご主人さま。私にも感謝の心を伝えてもいいのですよ?」


 確かに感謝はしている。だけど、そんな「さあ、ぶちかましてこい!」と言わんばかりに両手を広げられても困る。まだ腰が抜けているしな。


「うん。ありがとう」


 俺は、ディアナの広げられた両手を捕まえ、ただギュッと握りしめた。


「ムぅ……ずいぶんマリナと差があるのです」


「いや……、アレは感極まったからだし……。でも、本当に助かった。不幸中の幸いというやつだ」


 普通に恥ずかしいしな。

 童貞にはハードル高いんだよ。手を握るだけでも、ちょっと照れちゃうレベル。


「マリナ、あんまりよく覚えてないのであります。そんなにひどかったのでありますか?」


 横に座るマリナが質問してくる。記憶が飛ぶ程度の衝撃はあったということだろう。


「ああ。さっきも言ったが本気で死んだかと思ったんだぞ。もう二度とあんな真似はやめてくれよ」


「精霊石がなかったら、あの傷では助からなかったのです」


 だが、マリナは悪びれもしなかった。


「……主どの。マリナは騎士であります。主どのと姫がマリナを騎士にしてくれたんであります。騎士は……主を護るものであります」


 キッパリと仰る。


 ……まあ、マリナが自分のアイデンティティをそこに置いているのは良いことだと思う。自分を卑下することなく、せっかく騎士としての尊厳のようなものを持てるようになったのだ。否定したくはない。

 だが、今回のような事は勘弁してほしい。(結果的に助かったとはいえ)あの瞬間のことを思い出すと背筋が凍る。


「気持ちはうれしいんだが……。……そうだな。じゃあせめて優先順位はディアナを一番にしてくれ。精霊石さえあれば、致命傷でも復活できるとわかったしな。最悪、俺が怪我をしてもディアナさえいれば復活できる」


 ゲームで僧侶が死ななければなんとか立ち直せる感じだ。


 ディアナには、これから精霊石を全部預けとくことにしよう。

 なんなら、ソレ用に精霊石を買ってもいいくらいだ。

 金貨20枚程度、命の値段だと思えば安いもんだぜ。



「……ジロー。イチャついてるとこ悪いが、そろそろいいか?」


 シェローさんの声。

 さすがのシェローさんも、戦闘後には座って休んでいたが、どうやら奴隷会議が終わるのを待っていてくれたようだ。


「あ、はい。シェローさんもレベッカさんもお疲れ様です」


 俺が労うと、シェローさんは俺が放り投げた魔剣を拾い上げ近づいてきた。

 わざわざ拾ってくれたのかな。


「レベッカが言うように、妙な持ち重りがあるな……軽そうな見た目に反して。重量バランスも悪い」


 魔剣を持っての感想を呟く。

 シェローさんでも重く感じるらしい。

 俺には木刀程度の重さしかないものだがな……。


「ジロー。この剣はなんなんだ……? なぜこんな剣があんな風に扱える?」


 もっともな疑問である。

 俺も特に魔剣とか言ってなかったしな。

 ただのお気に入りの両手剣程度の認識だっただろう。


 だが、実際にはチート武器だ。

 特殊効果もいろいろあるが、単純な切れ味だって凄い。

 ちょっと説明に困る品ではあるが、まあもう隠し事するような仲でもあるまい。


 俺は魔剣のことを素直に話した。

 偶然見つけたこと。装備したら所有者としてロックされたこと。対魔獣に適性があること。吸収と回避の加護があること(厳密には加護ではないのだが、精霊加護という精霊石を使った付加効果に慣れた人なので、加護という単語のほうが通りが良いのだ)。剣を見てクマが激昂したこと。勝てると思って立ち向かったこと――


「……そうか。魔剣……。なんてものがこの世には存在したのだな。アイザックが持っていた剣もあるいはそうだったのかもしれん。あれも本気で戦う時には、不思議な明滅を繰り返していたからな」


 不思議な明滅? 夢中で気付かなかったな。


「剣が明滅してたんですか?」


「そうだな。時々赤く光って、また黒に戻ったりしていたな」


「なるほど」


 魔剣の性質なのかな。

 それとも、スキルが発動すると明滅する――なんてやつかも。


 しかし、アイザックが持っていたのは魔剣ではあるまい。

 聖騎士と将軍の天職を持つ、天然チート野郎である。そんな奴が持つなら聖剣しかないじゃん。

 聖剣なんてものが存在してるかどうかは知らないけどな!


「ジロー。……これ」


 レベッカさんが、クマから出た魔結晶を持ってきてくれる。

 スケルトンから出た小石程度の結晶とは比べ物にならないサイズ。

 ブラックオニキスに似た黒い石。なかなかキレイだ。

 サイズは人間の頭ほどもある。

 見た目に反して重量はさほどでもない。


「ジロー、さっきの戦い……かっこよかったわよ。あんなにヘナチョコだったのに、いつのまにかあんなに戦えるようになってたなんてね……。最近は、マリナたちばかり見てたから知らなかったわー」


 頬を染めてそんなことを言うレベッカさん。照れるぜ。


「まあ、半分以上は魔剣のおかげですよ。運も良かった」


「ふふふ、強い子はみんなそう言うのよー?」


 嬉しいけど、こっ恥ずかしいぜ。

 話題を変えよう。


「そ、それでこの魔結晶ですけど、僕はとりあえず使い道もないですし。今回迷惑掛けましたし、シェローさんが貰ってください」


 精霊石なら欲しいが、魔結晶は差し当たって使い道がない。

 高価な品らしいから売ってもいいんだが、今回のは全員で勝ち取った勝利である。

 ドロップ品は山分けしねーと。


「……ジロー。そのサイズの魔結晶がどれくらいするか知っているのか?」


「え、うーん? 精霊石に近いものだと言ってましたっけ? でもスケルトン程度のモンスターからも出るんだし、単位価値は低そう……。それでも金貨30枚くらいの価値あるんですか?」


 精霊石1.5個分。値段にして450万円。

 あえて低くは言わず、高めに予想してみた。


「ヒトツヅキのラストモンスター級だからな。こいつは、金貨200枚くらいの価値はある。例年、これの換金をあてにしてヒトツヅキの時にハンターを呼ぶくらいだからな」


 ……200枚? 金貨で?


 ……3000万円くらいの価値だ。


 普通に生活してるリーマンが40年くらいかけてやっと貯金できるかできないかというような金額。

 大金なんてもんじゃない。

 ニートの俺からすると、一生遊んで暮らせるんじゃないかと錯覚するほどのカネだ。


 命がけとはいえ、たった一回の戦闘で手に入れていい金額じゃない。

 じゃないけど、嬉しい。

 うわーマジか、マジか。


「魔結晶はいらん。ほとんどジローが戦ってたようなものだしな。そのかわり、ヒトツヅキの時は手伝ってくれると嬉しい。今のお前なら十分に戦力となるだろう」


「そ、それはもちろん手伝うつもりでしたけど、いいんですか?」


「ヒトツヅキでは、戦士を確保するほうが難しいからな。お前ら騎士隊で手伝ってくれるなら心強い」


 なるほど、案外ヒトツヅキでは苦労するものらしいな。

 戦士として認められた! ということもないだろうが、騎士隊の使い道がこういう形とはいえあったようで良かった。

 女の子達には、あんまり危険な戦いはやらせたくはないが、仕事としては真っ当な気がするし、モンスター退治は名誉があり騎士の仕事としては打ってつけのようにも思う。


 なんにせよ、屋敷のすぐ近くで強力なモンスターが湧くのだし、知り合いがそれに対応するのだ。他人事ではない。



 さて。

 それはさておき、モンスターは倒したのだ、クエストが進行するのか試してみよう。


 モンスターが倒され消滅しても、果実は依然として樹に実ったままだった。


「とりあえず、採ってみるか。このクエスト、この果実を取ったら、依頼主の女の子に渡さなきゃならないらしいが……。千年前のクエストじゃあな……。果物食べて終わりかなー」


 マリナがハルバードを上手く扱って、「空色の無花果イチジク」を落とし、俺がそれをキャッチした。初めての共同作業は上手くいったようだ。


「デカいな、しかし。こんなイチジクがあるか! 中にイチジク太郎でも詰まってるサイズだぞ」


 イチジクは先程の魔結晶にも劣らないほどのサイズ。

 薄く発光なんかしちゃって、おしゃれなインテリアになりそうだ。


「美味しそうであります!」とマリナ。


 さっき死にかけた癖に元気でなによりだ。

 まあ、届け先もわからんし、みんなで食べてみるか?

 案外、魔法の果実の効果でなんか良い事あるかも。


 俺は魔法の地図を広げ確認した。特別内容に変化はない。

 食べるか、売るかするしかないか。

 腐らせる前に決断しなきゃ――


「ありがとう! お兄ちゃん!」


 突然、声を掛けられて振り返る。知らない声だ。


 そこには、貧乏な街娘としか形容できないような、中学生くらいの女の子がニコニコと屈託なく微笑んでいた。


 ……誰?


 ぜんぜん知らない子だ。

 狼狽し、シェローさんレベッカさんを見ても、首を振るばかり。

 ディアナやマリナが知るわけもない。エレピピとオリカも知らないようだ。オリカが知らないということは村の子でもないだろう。


 全員の頭にハテナマークが浮かぶ。

 この状況で、しかし少女は全く動じなかった。


「お母さんの為に果物を採ってくれたのね! これで、きっとお母さんの体も良くなるわ!」


 そして、果物よこせとジェスチャー。


 俺が、促されるままに、少女に果物を渡すと、「ありがとう! 本当にありがとう!」と笑顔で(ものすごい速度で)走り去って行った。



 ポンッ!


 状況に頭が追いつく前に、魔法の地図が精霊(小)に変化。流暢に喋り出した。


「初めてのクエストクリアーおめでとうございます! 今回の報酬は、なんと! 50ゴールドになります」


 ポンッ!


 そのまま精霊は布の袋に入ったお金に変化した。


 え……? え……?

 なにこのスピーディな展開。想定外なんですけど。


 それにこの報酬のお金。

 ジャラリと案外重いけど、5枚くらいしか入ってなくね……?

 50ゴールドって……。

 あんなに苦労したのに……。


 ポンッ!


 今度は、天職板が飛び出して、精霊(小)に変化。


 そういえば、「クエストに挑戦してみよう」なんてお導き出てたっけ。


「よおよお! まさかアルカスを倒しちまうとは驚きだったぜ! 基本職の坊やが倒せる相手じゃないはずなんだがな! せめて魔法を使えば楽だったのにな! せっかくことわりがあるんだから、有意義に使ってくれよ! じゃあな、死なない程度にガンバって精霊様に貢献してくれよな!」


 ポンッ


 相変わらずの精霊(小)であるが、お導きの達成で出るやつと、それ以外ので出るやつとは厳密には違う個体のようだ。

 見た目はほとんど同じだが、口調が汚いのはお導きで出る奴だけだしな。


 掌にはお導き達成の証、精霊石。

 緑色の石。

 翡翠にしては透明感がある。エメラルドだろう。



「そういえば、マリナの『はじめての精霊石』、使っちゃったな。本当は記念に残しとくんだろ?」


「え、いえ、マリナは主どのに貰ってもらうつもりだったので……」


「そうなの? うーん」


 まあ、俺が預かっていても別に良かったが、とにかくもう、怪我を治すのに使って消滅してしまったのだ。

 チラッとしか見てないが、薄紫の石に見えた。

 紫の宝石といえば、アメジストが有名だが、サファイア、トルマリン、スピネルなどにも鮮やかな紫色のものがある。

 今となっては、どの原石であったかなど調べようがないし、再生もできない。


 よし。マリナには記念になにか紫色のジュエリーでも買ってきてやることにしよう。命を救ってもらった礼も兼ねて。

 アメジストなんか安いもんだしな。



 こうして、なんとか無事にクエストは終わり、お導きもクリアして、50ゴールドと精霊石を一個ゲットしたのだった。




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