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第130話  異世界より愛を込めて



「手紙……だよな」


 鏡が割れて、一ヶ月ほども無気力に過ごしたある日。

 尽きぬ後悔、憤怒、憎悪、無念、苦痛、諦観、悲嘆、空虚……。

 ありとあらゆる感情に翻弄され、脳が焼き切れたように、なにも考えないように、感じないように、時間が解決するまで微睡みの中でただ過ごしていた、そんなある日。


 鏡から手を入れると、何枚かの紙の束と石をひとつ手渡された。

 見慣れたコピー紙を、きれいに四つ折りにした紙の束。

 透明な、水晶クォーツの原石を思わせる、握りこぶし大の石。

 手紙と精霊石だ。


 オリカは確かに日本語の勉強を進めていた。

 だが、まだ日本語で手紙を書くなんて真似ができるレベルじゃなかったはず……。

 でも……。


 俺は震える指で、手紙を開こうとして躊躇した。


 なにが書いてあるのか、正直に言って怖い。


 ――――もうあなたは必要ありません

 ――――ディダさんがよくしてくれています

 ――――もうあなた抜きでも大丈夫です

 ――――さようなら


 そんな言葉を――もし見つけてしまったら。俺はどうなってしまうんだろう。

 じゃあ仕方がないと諦めて。

 向こうの世界のことを、すっぱりと忘れて。

 新しい気持ちで、この世界で生きていくことができるのだろうか。


 手紙を開く指が、自分のものでないかのように震える。

 手紙を床に押し付けるようにして、開いていく。

 心臓が早鐘を打つ。


 できるわけがない。

 みんなのことを忘れて、簡単に諦めて生きるなんて、できるわけがない。


 手紙を開く手が止まる。 

 怖い。背筋が寒くなるほどだ。

 中にあるのは、救いか、それとも別の何かか。

 もちろん、みんなのことは信じている。

 しかし、脳天気に、すべて上手くいく、ひょっとしたら鏡を直す方法にも目処がたったと書いてある……そんな風に思うことはできなかった。

 それは、こちらからはみんなの顔が見れるから、それである程度察せられるって部分もあったけれど。


 だが、読まないという選択肢はない。

 この手紙を望んでいたのは、きっと……誰よりも自分自身なのだから。


 オリカからの手紙は、部屋にたくさん置いてあったA4のコピー用紙六枚にも及ぶ大作だった。

 何度も何度も間違えた言葉を消して書き直した跡があり、苦労が忍ばれた。


「オリカ…………」


 俺は手紙を開いた。




―――――――――――――――――――――――――――


 だんなさまへ

             オリカより


 だんなさま。

 おてがみ、おそくなってごめんなさい。

 ほんとうは、もっとはやく出したかったけど、じかんがかかってしまいました。


 みんな、げんきです。

 ディアナさまは、すこしやせたけど、だんなさまからおへんじが来たら、きっとげんきが出るとおもいます。あんしんさせてあげてください。


 だんなさまをおそったオートマタは、ちかしつにいたのをシャマシュさんがうごかなくしました。

 ディダという商人も、ヘティーさんがつかまえてます。

 だんなさまをおそったのは、ディダでまちがいないですか?


 レベッカさんとヘティーさんで、かがみをなおす方法をさがしています。

 神官さまにも聞いてもらっているので、きっとすぐ見つかるとおもいます。


 シャマシュさんは、やしきのけっかいをはりなおしてくれました。

 前のよりもつよいので、わたしたちしか入れません。

 あと、かがみのことも、なおす方法もさがしてくれています。


 マリナさんは、毎日くんれんをがんばってます。

 イオンさんもつきあってくんれんがんばっています。


 ごめんなさい。

 だいじなことをわすれてました。


 きしたいのパレードはだいせいこうでした!

 たくさんの人がきてくれました。

 たくさんのかんせいが上がりました。

 もぎせんも、バッジのじゅよもだいじょうぶでした。

 レベッカさんが、いくつか、おしごとのやくそくをもらいました。

 みんなほんとうにきれいでカッコよかったです。

 だんなさまにも見せたかった。


 エリシェのお店は、エトワちゃんとエレピピさんが、ちゃんとつづけています。

 ざいこがもうすぐなくなっちゃうので、これからどうすればいいかなと、エトワちゃんが気にしてました。

 あたらしくかりたお店は、だんなさまがもどってくるまで開けずにいるそうです。


 かじやのほうも、きどうにのって、お客さんがふえました。

 だんなさまがかんがえた道具をつくって、エリシェのおみせでうりはじめています。

 エトワちゃんが、うまくやってくれているそうで、レベッカさんもほめていました。


 ここまでがみんなのはなしです。


 わたしから、だんなさまへ。


 だんなさま、わたしからはだんなさまのすがたを見ることができません。

 でも、イオンさんもマリナさんも、ほんとうのほんとうにしんぱいしています。

 だんなさまが、かがみの中に閉じこめられて、ごはんは食べているけれど、ずっとかがみの前からはなれずに、まいにち泣いているって、ディアナさまとおなじに、まいにち泣いているって聞きました。


 わたしたちは、なんとかうまくやっています。

 だんなさまがげんきになってくれないと、みんなみんなずっとしんぱいしたままです。

 きっとかがみはなおります。

 だから、げんきを出してほしいです。

 わたしも、おいしいごはん、毎日つくります。

 だんなさまが、げんきになれるように、つくります。


 おてがみも、たくさん書きます。

 にほんご、べんきょう中だけど、ちゃんと意味つたわってますよね?


 いっしょにわたした、せいれい石。おみちびきがたっせいになって、せいれいさまからさずかったものです。

 わたしは、だんなさまにひろってもらって、目もなおしてもらって、やっと一人前になれました。

 これで、ほんのすこしだけど、ごおんが返せたらとおもいます。

 もちろん、まだまだずっとだんなさまにお仕えするつもりですけどね!


 かきたいことたくさんあるけど、今日はこれでおわりにします。

 おへんじまっています。そしたら、またかきますね。



 みんなから、メッセージをあずかっています。



 マリナさん


 もうずっとぜったいにはなれない。

 だから、一生分、あなたがいない間、くんれんします。

 はやく、あいたい。

 いきていていちばんさびしいです。



 レベッカさん


 こっちのことは、しんぱいむようです。

 かがみをなおす方法も、かならず見つけます。

 けんこうに気をつけていてください。

 そして、もどってきたら、まただきしめて。



 ヘティーさん


 ディダはわたしがなかまといっしょにおいつめています。

 トランシーバーかりてます。べんりです。

 どうやらディアナさまがもくてきのようでしたが、こちらをなめたのがうんのつき。

 ジローさまをころせば、ディアナさまのおみちびきにしゅうせいりょくがはたらくと考えていたようです。たんらくてきですね。

 あの男は人の心というものがなにもわかっていないのです。

 ジローさま。わたしもベッキーもかならずあなたを救いだします。

 そしたら、わたしはキスのひとつでもしてもらおうかしら?



 シャマシュさん


 まだ、まほうは失われていない。

 きぼうをすてずに、まっていてくれ。かならず手はあるはずだ。

 あと、たまにはわたしもさわってくれ。

 それですこし、ゆうきがもらえる。



 イオンさん


 あまり元気そうでないのは、かがみを見てわかっています。

 かがみの中のあなたが、さびしげにほほえむたび、わたしの心はいたくなります。

 やしきのこと、すこしむりをしてるマリナさんのことは、わたしにまかせてください。

 どうか、安心してください。

 あなたが元気になられるのを、心のそこからねがっています。



 エトワちゃん


 ボス、だいじょうぶですか?

 わたしも、市場のみんなもしんぱいしています。

 いまのところ店はだいじょうぶです。

 布のざいこはあやしいですが、ダルゴスさんとそうだんして、

 少しずつあたらしい品をあつかいはじめています。

 ボスがもどってくるまで、ぜったいに店は守りぬきます。

 でも、商品のほじゅう、できそうならほしいです。



 エレピピさん


 げんきだして。

 おみせのほうは私とエトワでやっています。

 きしたいのくんれんは、すこし休んでいるけど、はしったり、剣をふったりはしてます。

 きしよろいすがたのわたしを見て、両親はすごくおどろいてました。

 はやくかえってきてね。わたしのわかだんな。



 ダルゴスさん


 せっかく日本刀のサンプルができたのに、おまえさんがいないんじゃしまらない。

 こんど、お前のところのものにもたせるから、意見をくれ。

 いろいろ、他にもおもしろい物のせいさくもはじめている。 

 はやくかえってこい。



 シェローさん


 むずかしいことはわからんが、おまえならきっとだいじょうぶだ。

 きあいでのりきれ!



 しんかんさま


 あなたにル・バラカのおみちびきがある以上、かならず道はつながっているはずです。

 あなたがこのせかいへといざなわれた、その意味が。


 げんざい、だいしんかんさまに、だいしんでんになにかきろくがないかさがしてもらっています。

 きっとすぐ見つかります。

 ル・バラカは見守ってくれています。がんばって。



 ディアナさま


 まだ、わたしたちの運命は、閉じてはいないです。

 しんじて。ずっとそばにいます。

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―――――――――――――――――――――――――――


 読んだ。

 何度も読んだ。

 紙がクシャクシャになるまで読んだ。


 目頭が熱い。鼻先がツンとして、涙が溢れて止まらない。


 みんな、元気に前向きにやっていた。

 やってくれていた。


 心配していたディダの謀略もあっさり躱して、逆に奴を追い詰めているという。


 パレードもちゃんと成功したようだ。

 なんと、騎士隊としての仕事までレベッカさんがゲットしたらしい。

 いちおう、前に市長とそんな話はしてはいた。

 だけど、確約をもらっていたわけでもなかったので、期待もしてなかったのに。


 鏡を直す方法も探してくれている。

 レベッカさんとヘティーさんと神官ちゃんとで探してくれている。

 シャマシュさんが、壊されてしまった屋敷の結界も直してくれたようだ。


 ディアナの最後のメッセージだけは、向こうの言葉で書かれていて読むことができなかった。戻ることができたら聞こう。


 みんな、俺が戻ってこれることを信じている。

 信じてくれている。

 それなのに、俺がこんないつまでも腐ってちゃダメだろう。


「そうだよな……」


 俺は涙を拭って立ち上がり部屋を出た。

 階段を降りて、洗面台で顔を洗う。


「ふ……ふふ。ひでぇ顔だ」


 ヒゲヅラで、顔をぱんぱんにして、真っ赤な目をした実に不健康そうな男が鏡に映っている。


「これじゃ、心配されて当然だ……」


 何週間かぶりのシャワーを浴びて、ヒゲを剃った。

 向こうにいる間に鍛えた筋肉が、少し落ちている。

 でも、筋肉そのものは鏡が割れたからといってなくなるわけじゃない。

 なにもかも、夢だったみたいに失われたわけじゃない。


 俺は部屋に戻ってサイフを引っ掴み、外に出た。

 車に乗って、いつも利用している布屋へ行き、買えるだけの布を買った。


 家に戻って、便箋を取り出してオリカへ、みんなへ返事を書いた。

 オリカでも読めるように、わかりやすく、ほとんどひらがなで。


 俺のことは心配いりません。

 鏡が直るまで、こっちの世界で頑張ります。

 そちらも無理せず頑張ってください。

 店の商品はこっちから送ります。

 売上の金貨はそっちで使ってください。

 騎士隊の仕事は自分達を安売りせず、誇りを持って挑んでください。

 その判断はレベッカさんに任せます。

 店のことは、全員で考えてください。

 エトワは有能だけど、まだちっちゃな女の子だから、みんなでサポートしてあげてください。


 そんなことを書いた。

 ――書いていて、なぜか別れの手紙のように思えてきて、また泣けてきてしまった。

 でも、こうなってしまった以上、どこかで割りきらなきゃならない。


 手紙を書きだしたら、いくらでも書きたいことがあった。

 みんなに個別にメッセージも書いた。

 自分が「いなくなった人間」と認めるのは、本当に苦しかったけど、直るかどうかわからない鏡に期待して人生を消費するより、足踏みはほどほどにして、どこかで自分の人生を歩き出さなきゃいけない。

 特に、マリナとディアナのふたりはもっと朗らかに笑えるようになってほしい。

 ――俺がいなくても。

 ……ダメだ。また泣けてきてしまった。

 でも、仕方ないと思う。

 もうここで、一生分泣いたっていい。


 手紙を書き終えて、丸めた何本もの布といっしょに向こうへ送った。



 …………これで、一区切りついてしまった。



 不幸中の幸いというか、騎士隊のパレードをやるからと、ディアナとマリナとシャマシュさんの奴隷契約は解消してある。

 彼女たちを縛るものはなにもない。


 店のほうも、大親方もいるし、布を俺がこれからも供給し続ければ大丈夫だ。

 騎士隊のほうも、仕事を得て上手くやってくれるだろう。

 パレードの効果で、新しい隊員だって増えるかもしれない。

 レベッカさんもヘティーさんもいる。大丈夫だ。俺がいなくても。


 そう。

 あの子たちは、みんな、もう俺抜きでも大丈夫なのだ。


 もちろん、交流は続ける。

 愛はなくならない。

 でも、依存しすぎてもいけない。

 俺たちは離れ離れになってしまったけれど、お互いを思えばこそ強く生きていかなきゃならない。

 心配をかけないよう、立派な大人にならなきゃならない。


 俺は一ヶ月ぶりにパソコンを立ち上げた。

 掲示板を開く。

 もうずっと書き込んでいなかったからか、あまり書き込みがない。

 スレ的には、1である俺がひと月も来なかった時点で、終了宣言がなされたのかもしれない。

 とはいえケジメだ。

 俺は、スレに「鏡が割れたので、俺の異世界はひとまず終了です。本当にありがとうございました。と、いってもわずかには繋がってるんですけどね、欠片だけ。とにかく、そういうわけです。中途半端な終わりでスマン」とだけ書き込んで、掲示板を閉じた。

 住人たちとしても中途半端だろうが、もともとネタスレなんてそんなものだ。

 すぐに次のネタスレに移動して、俺のスレのことなど、すぐ忘れるだろう。


 次にネットオークションのページを開いた。

 全部の商品が落札されているが、俺が手続きをしてなかった為、そのままになっている。

 もちろん、落札されたものをそのままにしたのは、初めてだ。

 いくつか、すでに「非常に悪い出品者です」の評価が付いている。

 これは一度付いたら挽回は難しい。

 ま……いずれにせよ、ネットオークションはもう卒業だ。

 俺は、とりあえずなんのアクションもせず、オークションのページも閉じた。


 鏡を見る。

 異世界とはまだ繋がっている。

 いつもはディアナが映っているが、今は誰もいない。

 オリカに手紙を読んでもらっているのだろう。


 みんな、まだまだ……もう少しだけ、俺のサポートが必要だろう。

 今は離れ離れだけど、なぁに、ちょっとした単身赴任みたいなもんだ。

 俺が稼いで、向こうに仕送りしてやらなきゃな。

 ブラック企業で疲れたなんて言い訳して、ずっと就職から逃げていたけど、いい機会だ。


 そして俺は、現実の未来への一歩目を踏み出した。

 数々の天職。

 異世界での経験。

 巨大なモンスターとの生きるか死ぬかの戦闘だって経験したんだ、現実なんてイージーモードだろ。


 それに、俺にはあれだけの天職があった。

 剣士、魔術師、商人、詐欺師、鍛冶師、料理人、細工師、宝石学者。

 これだけの才能があるって、神様が認めてくれていたんだ。

 なんにもできないニートだなんて、自分を卑下する必要はない。

 これからなんだってできる。なんにでもなれるはずだ。


 俺は扉を開き、外へ飛び出した。

 今日はハローワークへ行こう。


 これからの未来は、鏡の中でなく、扉の外にあるのだから――





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