「売れないねぇ……」
「みンな、見る目がないンだよ! まったくなんなンだい、どいつもこいつも!」
「ちょ、まだお客さんすぐそこにいるから。抑えて、抑えて。ドウドウ」
「あたしゃ馬かい」
2日目は祭りのメイン日でもある。
我が奴隷商館にも多くの客が訪れて、財布の紐も緩んでいるのか、奴隷もまあまあ売れた。
しかし、ターク族のマリナは売れなかった。
売れなかったどころか、ターク族など並べるなと嫌味さえ言われる始末だ。
「……山岳送りは嫌であります……。マリナは……騎士になるんであります」
マリナには私のお導きのことを話してある。だからこそ、大精霊のお導きによる良い出会いがあると彼女は信じていたのだが、それがこれでは、彼女も意気消沈である。
「大丈夫、まだ祭りは一週間以上続くんだから」
「でも、みんな私のこと気持ち悪いって目で見るんであります。私がターク族だから……」
「ターク族を見たことがないからだろう」
そんな慰めを言ってみたところで、どうにもならない。
現に彼女は売れ残っているのだから。
とはいえ、お導きはまだちゃんと続いている。
大精霊だって意味もなく、こんなお導きを出すわけがないのだ。必ず彼女を求める人間が現れるはず。
……しかし、私も自信を失いかけていた。
この半年、きっとマリナは祭りが始まればすぐに売れると、お導きが出たことを根拠に、そう考えていたのだから。
「……ご主人、お取り込み中のところすまないが、ちょっといいかい?」
「おや、エフタさん。どうしたんです?」
祭りで市長となにやら用事があると式典に出ていたはずのエフタ氏が戻ってきて言う。
「彼女の主人が決まりましてね。部屋を使わせて欲しいんですよ」
「主人? ……いや、彼女とは……ひょっとしてディアナさんのことですか?」
「そうですよ」
「まさか」
ディアナさんを預かっていてわかったが、彼女は普通のエルフではない。
私も、一度くらいはエルフを奴隷として扱ったことがある。だが、ディアナさんは、その髪の輝きも、神々しいまでの気配も、ただのエルフとは一線を画すものだ。
王に対して自然と頭を垂れてしまう臣民の如く、彼女がいる間、この商館は彼女のものだったと言ってもいいほどだ。
どんな屈強な奴隷相手でも、一歩も引くことがない私の妻でさえ、ディアナさんにはタジタジだったほどである。
そう。主として上位にいる存在。最も精霊に近しい者。
ただでさえ、そう言われているエルフの――おそらくは王族。
その彼女を奴隷として契約する者が決まった……エフタ氏はそう言っているのだ。
「し……しかし、どういうことなんです? 彼女――ディアナさんは奴隷だったのですか?」
「いえ、厳密には違うんですが……まあ、そんなことを言っても仕方がありませんね。ディアナさんは、これから奴隷契約を行います。それもこれも、大精霊のお導きですよ。我々、一市民には理解できないことです」
これは詮索するなという意味だろう。
まあ、どうせ私には関係がないことだ。
私たち夫婦にとっては、マリナが売れるかどうかのほうが問題なのだから。
貸した部屋の中でどんな話が行われていたのかはわからないが、エフタ氏が連れてきたディアナさんの主人となるらしい人は、想像からは懸け離れた平凡な青年だった。
着ている服こそは仕立ての良さそうなものだったが、奴隷商館そのものが初めてなのか、キョロキョロと落ち着かない様子で、エルフの奴隷を買い求められるほどの金持ちには到底見えない。
「主人、ディアナさんの護衛として奴隷を一人、彼のために購入させてもらいますので、用意して貰えますか?」
「それは、エフタさんがお買い上げになるので?」
「ええ、彼とはちょっとした賭けをしましてね。彼への贈り物ですよ」
奴隷を贈るなど、さすがエフタ氏は大金持ちだが、それを勝ち取ったあの青年のほうに私の興味は移っていた。
「護衛といっても、ディアナさんの護衛なら、女性奴隷のほうがよろしいので?」
「……そうですね……。いや、男性奴隷だけ出して下さい」
「男性のみで? まあ、わかりましたが……」
一瞬、マリナの顔が脳裏に過ったが、まさかエフタ氏が連れて来た高貴なエルフを奴隷にするような人に、ターク族のマリナを勧めるわけにもいかない。
ターク族は、エルフ族と同じ耳を持ち、一部では偽エルフなどと蔑まれていると聞く。
彼がどう考えるかはわからないが、いずれにせよマリナが売れる可能性はないだろう。さすがの私も、この状況で彼女を薦めるわけにはいかない。
「こちらです。どうぞごゆっくりお選び下さい」
「うっ……」
男の奴隷達を集めた部屋に案内すると、ジローと呼ばれた青年はわずかに呻き声を上げた。
奴隷を見たことがない貴族の坊やのような反応だ。
もしかしたら、奴隷制のない国から来た人なのかもしれない。
「どうでしょうか。もしよろしければ天職や護衛経験の有無などを一人一人説明させていただきますが」
私がそう訊いても、なんだか上の空だ。
エフタさんも、ドワーフの戦士を引き合いに出して説明をしてくれるが、どうも納得できていない模様。
そんな彼だったが、頬をポリポリと掻きながら、言いづらそうに、こう言った。
「ええっとですね。実は、護衛としての技能を持つものが欲しいというのも第一条件としてあるのですが……、この子の世話をするという仕事も頼みたいと思っているので、できれば彼女と歳の近い女性が良いのですよ。さすがに、彼らのような頑強な男に、若い女性の世話を頼むというのもアレですしね。ですので多少妥協して、戦闘系の天職さえ持っていればいいんで、若い女性の奴隷はおりませんか?」
「おお、そういうことでしたか!」
なるほど、やはり女性の奴隷のほうが良かったらしい。
エフタ氏がニヤニヤと笑っている理由はよくわからないが、売れるのならば男だろうが女だろうがどちらでもよい。
私は一度席を外した。
別の部屋に女性の奴隷を集める。
エフタ氏のことだ、金に糸目は付けないだろう。
高額な奴隷を売るチャンスでもあった。
「あのお客さんは、こないだまでこの商館にいたディアナさんの護衛をお求めだ。戦闘系の天職を持つものはチャンスだぞ!」
ディアナさんは商館にいる間、屋敷中をうろうろと観察して回ったから、奴隷達ともすでに顔見知りだ。
彼女の護衛になれるとなれば、奴隷でなくても引き受けたい者も多いだろう。
「あ……あの……私も行っていいのでありますか?」
マリナがおずおずと手を挙げる。彼女だって、エルフの護衛などという役目があるものに選ばれるとは思ってはいないだろう。
だが、だからといってここで待っているのは嫌。そういうことか。
「マリナの天職も戦闘系といえば、そうか……」
とはいえ、正直微妙だ。
彼女はターク族。ディアナさんはターク族の彼女とも口を利いていたような気がするが、あのジローという青年がどうかはわからない。
それに、この商談ではマリナを勧めるのは難しい。エフタ氏は取引先で失礼のできない相手だし、ただ彼女が傷付くだけの商談に出すのは気が引ける。
そうでなくても、あのジロー青年は金を出さないのだから、一番高い奴隷を選ぶに決まっている。
マリナは金貨20枚まで値下げしている。わざわざ彼女を選ぶ可能性はゼロだ。
「マリナは……マリナは騎士になるのであります……。姫とも約束したんであります……」
「約束? 姫って、ディアナさんのことか?」
「そうであります。私の騎士の訓練を見ていて、少し話をしたのであります。騎士になりたいけど、このままじゃ山岳送りになるって。そしたら、じゃあ私の騎士にしてあげるって言っていたのであります」
「そんなことが……」
とはいえ、それはディアナさんの方便だろう。
それとも、あの場所にマリナを出せば、ディアナさんがマリナを指名してくれるのだろうか?
「じゃあ、マリナもいちおう出すが……大事な客の前だ、選ばれなかったとしても、静かにしてるんだぞ。この祭り中にきっと買い手は現れるはずだから」
「りょ、了解であります」
まあ、一番端の所に立たせておけば、変に波風を立てることもないだろう。
私としても、マリナを出すのはただのダメ元だった。
これまで、何百人もの客に選ばれなかったのがマリナなのだから。
選択肢にすら入らなかったのが、マリナなのだから。
◇◆◆◆◇
――数刻後。
私の手にはマリナの髪色と同じ、紫色に輝く精霊石が握られている。
つまり、あのマリナが選ばれ、売れたということだ。
私は、ほとんど腰を抜かし掛けていた。
女性奴隷たちを並べた部屋に、彼らを案内して。
あのジローという青年は、全く……一瞬すら迷う素振りを見せなかった。
手前に並べたイチオシの奴隷たちには目もくれず、一直線にマリナの元へ向かったのだ。
それは、まるで最初から決められていた出会いであったかのよう。
大精霊が導いた出会い。
そうとしか言いようがない。
真っ直ぐに選ばれたマリナが、慌ててわけのわからないことを口走った時にはキモを冷やしたが、それすらあのジローという青年は愛おしいものを見るような瞳のまま許した。
まさかマリナが売れるとは思えなかった私は、エフタ氏には正直なところを話した。
彼女が売れ残りであったということ。
お導きが出ていたこと。
価格は金貨20枚であるということ。
するとエフタ氏は、「せっかく彼に恩を着せるチャンスなのに、金貨20枚じゃ弱いですね。正価でお支払いしますよ。金貨……60枚くらいですか?」と言い、その金額を支払ってくれたのだ。
損どころか、精霊石の分も入れれば大儲けである。
……まあ、金貨60枚でも奴隷としては普通に最低ランクの金額ではあるのだが。
私と妻は、マリナに最高級のドレスを贈った。
あの青年は奴隷を酷く扱ったりすることはないだろう。
良い主人に巡り会えたマリナに対する、私と妻からのお祝いだった。
「う、うう~。二人ともお世話になったのであります~~」
「しっかりと仕えて、可愛がってもらうんだぞ。絶対に出戻って来たりするんじゃないぞ」
「ああ、本当に良い主人に巡り会えて、私もホッとしたよ。ちゃんといろいろと満足させてやれば、きっとあンたのことも手放せなくなるはずだからね。頑張るンだよ」
「マリナ、頑張ります! 騎士として仕事を全うしてみせるであります!」
涙を拭って、気合いを入れるマリナ。
騎士としての仕事があるかどうかはわからないが、なんにせよ頑張ってもらいたいものだ。
もし出戻って来られたら、いよいよ私たち夫婦は彼女を養女にでもするしかなくなる。
もうとっくに、彼女を山岳送りになんてできなくなっているのだから。
そうして、1年以上奴隷商館で過ごした彼女は、新しい同い年くらいの主人を得て、商館から去っていった。
これから彼女がどのような人生を歩むのかはわからない。
だが、せめて幸せになって欲しい。そう願わずには居られない。
奴隷商館の主人としては、湿っぽすぎる性格だと思う。
長く奴隷を置いておくのはこれっきりにしよう。
そう誓う私なのだった。
◇◆◆◆◇
その後。
ジロー青年はエリシェで暮らしているらしく、彼がディアナさんとマリナを連れて歩く姿を時々街で見かけた。
マリナは、いつも嬉しそうに青年に引っ付いて歩いていた。
それは恋する少女のようで、とても奴隷がするような表情ではない。
街中で目立つ長柄の武器を携帯し、本当に騎士として護衛としてジロー青年とディアナさんを護っているのだろう。エリシェは治安の良い街だが、だからといって、犯罪がないというわけではない。
エルフであるディアナさんに手を出すような不届き者がいるとは思えないが、それでも護衛は必要だ。
マリナは時々商館に顔を出して、近況を話してくれた。
娘のように思っているといえば、大袈裟すぎるが、それでも私たちが送り出した娘に違いはなかった。そんな彼女が、奴隷としてでも充実した人生を送れていることに喜びを感じないはずがない。
◇◆◆◆◇
「あンた。新聞みたかい? 怖いねぇ。ヒトツヅキでもないのに、モンスターの大量発生だって」
「ああ。なんでもエリシェの騎士たちが鎮圧させたらしいじゃないか」
「そうそう。凱旋パレードをやるんだって? すぐそこだから、見てみたいね」
ルクラエラで事件があったのは、マリナがジロー青年の奴隷となって、少し経ってからのことだった。
エリシェの騎士というのは聞き覚えがないが、憲兵隊のことだろうか。
どちらにせよ、凱旋パレードをするというのだから、見に行くべきだろう。
エリシェが市を挙げて行うパレードということで、すでに野次馬が大量に訪れていた。
「まるで祭りみたいだ。それにしても、騎士隊だなんて、そんなのがエリシェにあったとは知らなかったな」
「自警団の一種みたいよ。詳しいことはわからないけど」
「へぇ」
いずれにせよ、大量発生したモンスターを抑えられるような組織ということだ。
なかなか頼もしいじゃないか。
エリシェは平和だが、かといってその平和が未来永劫続くわけではないのだ。
ヒトツヅキだってある。
「あっ、来たよ! あ、あれは……ドラゴン?」
「うおおおお! かっこいいな! 北のほうには騎竜がいるなんて聞いたことがあったけど! 実物見るのは初めてだ!」
「あンたが、そんなに興奮するなんて珍しいね」
先頭の赤髪の女性が乗っているのは、なんとドラゴンだった。
まるで馬に乗るように自然に、竜に乗っている。話に聞いたことがある「竜騎士」というやつなのだろうか。
後に、かなり立派な軍馬が続く。
遠目には、十人程度の規模の騎士たちのようだ。
それは、輝く白鎧を身に纏った、|女性たち(・・・・)だった。
「女騎士……? ヴァルキュリアか!」
「あ、あンた! あれ、あれ!」
妻が指さす先にいたのは、凜と真っ直ぐに前を見て進むマリナだった。
私たちが送り出した、洗濯の時に物干し竿流とふざけて棒を振り回していた、あのマリナだ。
「マリナ! 騎士隊ってあの子がそうだったのか」
「そうだよ! そうだったんだよ! だって、ほら、どうみたって騎士だよ……!」
俺達の声が聞こえたのか、マリナは笑顔で手を振ってくれた。
奴隷商館で卑屈になっていた彼女の姿はもうどこにもない。
輝く白い鎧を身に纏い、マントを羽織り、紫色の髪には、キラキラとサークレットが輝いている。
美しく可憐な騎士そのものだった。
「綺麗だ……。あの子、綺麗だよ……」
「ああ……。本当に……本当に騎士になったんだな……。嘘みたいだ……」
ジロー青年の姿は見えなかったが、彼は本当にマリナを騎士にしたのだ。
女の騎士は騎士になれないなどという慣例を吹き飛ばして、彼女たちが戦えることを、彼女たちだって騎士なのだと証明したのだ。
「あ。あの子……奴隷紋がないよ」
「解放奴隷……。そうか、マリナ……自由になったんだな……」
私は驚かずにはいられなかった。
奴隷という身分に落ちるということは、そう簡単なことではない。
自らを買い戻すには、相応の努力……それも長い長い努力が必要というのが慣例だからだ。それを打ち破ったのがマリナ本人なのか、それともジロー青年が単に彼女を解放したのか、それはわからない。
いずれにせよ、彼女は奴隷ではなく、一人の騎士になったということだ。
マリナは、真っ直ぐに前を見て、胸を張り、本当に美しかった。
あの姿を見て、彼女を|女騎士(ヴァルキュリア)と笑う者はいないだろう。
その後、広場で彼女たちの戦闘デモンストレーションが行われた。
魔術師が生み出した魔物を、女騎士たちが一刀のもとに仕留めていく。
マリナも、目にもとまらぬ速さで、大きな豚の魔物を倒していた。
女騎士は戦えない。
そんな偏見を両断する強さを見せつけられたようだった。
◇◆◆◆◇
それからしばらくして。
冬の気配が色濃くなって来た頃、ヒトツヅキが来た。
今年は、例年よりも遥かに強いモンスターが出たらしい。それを抑えたのは、またしてもジロー青年の騎士隊の活躍によるものだったのだそうだ。
ラストモンスターを倒したのもジロー青年だと新聞にはあったが、その真偽はわからない。街で見かける彼は、とても強そうには見えなかったから。
ほどなくして、長い冬の到来。
エリシェの冬は雪に閉ざされる。
今年は特に雪深く、私は冬前にすべての奴隷を売り払い、久しぶりに夫婦水入らずで過ごした。
◇◆◆◆◇
そして、季節は過ぎ去り、夏。
一人の男が、うちに一人の女性奴隷を連れてきた。
値段はいくらでもいいから買い取って欲しいのだという。
とうが立った女性で、到底奴隷として仕入れられるものではない……普通ならそう考える。私も1年前なら、にべもなく断っていただろう。
彼女が――ターク族でなかったなら。
「あなた、もしかして娘がいたりしませんか……?」
「えっ!? どうしてです?」
「いえ、あなたに目鼻立ちの似た娘を知っていまして」
「知っているのですか? マリナを。あの子は生きているんですか……!?」
「やはり……! ええ。元気にしていますよ。とてもね」
こんな偶然は、奴隷商をやっていてもそうはないことだ。
親子揃って奴隷というのは珍しくない。
だが、それが再会することなどは。
私は男に金貨を支払い、彼女を買い取った。
次の瞬間、男の手に出現する精霊石。
その石は、マリナの髪と同じ鮮やかな紫色をしていた。
すぐに、エフタ氏経由でジロー青年とマリナに商館に来て貰った。
久しぶりに顔を出したマリナの腕には、小さな命が抱かれていた。
まあ、私と妻は彼とマリナたちの結婚式に呼ばれていたので、そのこと自体は特に驚かなかったが。
「それで会わせたい人とは?」
ジロー氏が言う。私は、驚かせようと思い詳細は伝えていなかった。
「今、連れてきます。赤ちゃんはジローさんが抱いていたほうがいいかもしれませんよ」
「え? わかりました」
一度部屋から出て、マリナの母親を連れて戻った。
顔を合わせると、二人は確かに似ていて、親子であるというのは明白だった。
マリナの母親は大きく目を見開き、そして、ぽろぽろと涙を流した。
「……マリナ! 本当にマリナなのね……!? 大きくなって……それに、とても幸せそう……」
「え……! え、え……お母さん……? お母さん……なの? ほんとに……?」
「ええ……。あなたと別れる時、今生の別れになると思っていたけれど……。これも、大精霊のお導きなのかしらね」
「お、お母さん! う、うわぁああぁぁ」
堪えきれず母親に抱き付くマリナ。
その姿に、私も胸が熱くなってしまう。
二人が涙を流して抱き合うのを見て、私はそっと部屋から出た。
しばらくして、エフタ氏も部屋から出てくる。
家族のことは家族だけでということだろう。
「……エフタさん、少し頼まれてくれませんか?」
「いいですけど……、なんです?」
「あのマリナの母親は、縁があってうちに来ただけで、商品ではないんですよ。あのまま連れていくようジローさんに伝えて貰えませんか」
「正気ですか? 仮にも商売でしょう? 彼は金貨1000枚でも出すと思いますよ?」
「まさか……。あんな姿を見て、金なんか取れるものじゃありませんわ」
「そうですか。ふふふ、あなたはつくづく奴隷商に向いてないですねぇ」
笑って肩をすくめるエフタ氏。
確かに私はあまり奴隷商に向いていない。
競合がいないエリシェだから、なんとか商売として存続できているが、他の都市だったらすぐに店を潰していただろう。
「ご主人。……実は、今度新しい事業を始めるにあたって、信頼のできる人間を集めているんですよ」
「え?」
「もし良かったら、店を畳んで私と来てくれませんか? 帝国内を縦断する新しい移送手段を創設するんです。もちろん、手当はこの店での稼ぎの倍ほど出させてもらいますよ?」
「し、しかし、私なんて商人としては全然たいしたことありませんのに」
「いえいえ、奴隷商というのは言うほど簡単な仕事ではありません。長年、見てきたからわかります。あなたは人の心が分かる、信頼できる人間です。是非、いっしょに来て欲しい。もちろん、奥方もいっしょに」
そうソロ家の人間に誘われて、断る人間がいるだろうか。
私は、彼が言う新しい事業――「てつどう」というらしい――の為に、残りの人生を使うことに決めた。
どのみち、奴隷商は向いていないと、今回の件で私だって痛感していたのだ。
これも、大いなる精霊ル・バラカの導きというものだろう。