炎天下、アスファルトの照り返しがやけに眩しい。
伊坂秀吾は、手に提げた白い紙袋を見て頬をゆるめた。中には、今日発売の新作プラモデルが三つ。朝から開店を待った甲斐があったと、彼は一人小さくガッツポーズを取る。
「いやあ、これは組み立て甲斐あるぞ……」
自宅で積みプラが増えていることには目をつむるとして、今日は最高の日だ。
そう思ったのも束の間――。
「あれ、伊坂じゃん」
通りすがりの声に顔を上げると、クラスの女子二人がこちらを見ていた。
伊坂は、咄嗟に紙袋を体の後ろに隠す。けれどもう遅い。
「うわ、ガチでオタクじゃん……なにその袋。うちの弟でも引くわ」
「マジでキモ……」
嘲るような笑い声とともに彼女たちは通り過ぎていった。
心臓がぎゅっと縮んだ。頭に血がのぼるわけでも、怒りが湧くわけでもない。ただ、ひたすら恥ずかしくて、情けなかった。
せっかくの喜びが、氷水をかけられたように冷めていく。
伊坂はうつむき、ぼんやりと歩き出した。
――だから、気づかなかった。
角を曲がったところで、人と正面からぶつかるなんて。
「うわっ、ごめん! 大丈夫?」
男の声だった。咄嗟に顔を上げると、見知らぬ青年がこちらを心配そうに覗き込んでいた。二十代半ばくらいだろうか。黒髪で、シャツの袖をまくっていて、なんだかやけに爽やかだ。
「い、いえ、こっちこそ……」
「足とかひねってない? あー、手に持ってたのって……プラモ?」
「あっ……!」
伊坂は慌てて紙袋を抱え直した。プラモデルだと知られた。それだけで、さっきの女子の言葉が頭に蘇る。
「それ、今月の新作? すごいじゃん。俺も昔、ちょっと作ってたなあ」
「えっ……」
予想外の言葉に、顔を上げる。
青年は笑っていた。軽やかで、馬鹿にする感じはまったくない。
「……あの」
「ん?」
「お名前、聞いてませんでした」
「ああ、俺? まあ、葛西って呼んでくれ」
「葛西さんは……バカにしないんですね、こういうの」
伊坂は、そっと袋を見せるように持ち直した。そこにはメカのイラストが並ぶプラモデルたち。
「まあな。趣味があるってのは、いいことだよ」
それは、さっき女子たちに言われた言葉とは正反対だった。
ただの社交辞令かもしれない。けど、そうは思えなかった。葛西さんの声は、どこか懐かしくて、温かくて――。
「ちょうど昼時だし、飯でも行こうか。俺も腹減ってきたし」
「えっ」
「お詫びも兼ねて。奢るよ。ファミレスでいい?」
「はい」
こんな展開、まるで漫画みたいだ。けれど、断る理由なんてなかった。
店内で二人は軽く自己紹介をし、食事をしながら会話を交わした。
葛西は驚くほど聞き上手で、伊坂が何気なく語ったプラモデルの魅力にも、頷きながら興味を持ってくれた。
「組むだけじゃなくて、塗装とか改造もするんです」
「へぇ。じゃあ、完成品は世界に一つだけってことか。すごいな」
「そんな大げさなものじゃ……」
でも、心の中では嬉しかった。こんなふうに、自分の好きなものを否定せずに聞いてくれる人がいるなんて。
食事が終わり、会計を済ませたあと、二人は入り口で立ち止まった。
「よかったら、連絡先とか……」
「もちろん。こっちに打ち込んで」
スマホを差し出されて、伊坂は自分の番号を入力する。
「じゃあ、また」
そう言って、葛西は手を軽く振って歩き出した。
その背中を見送りながら、伊坂はスマホの画面に表示された名前を見た。
『葛西』
どこかで見たような気がする名前。だけど、すぐには思い出せない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
――今日は、きっと人生で一番、気分のいい日だ。