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君のいた夏
君のいた夏
雨宮徹
BL現代BL
2025年06月22日
公開日
1万字
完結済
あるところに学生がいた。彼の名は伊坂秀吾。プラモデルが好きな青年だ。同級生からはオタクと呼ばれる蔑まれている。 そんな時、謎の男性と出会う。これをきっかけに伊坂は変わっていく。

はじまりの夏

 炎天下、アスファルトの照り返しがやけに眩しい。


 伊坂秀吾は、手に提げた白い紙袋を見て頬をゆるめた。中には、今日発売の新作プラモデルが三つ。朝から開店を待った甲斐があったと、彼は一人小さくガッツポーズを取る。


「いやあ、これは組み立て甲斐あるぞ……」


 自宅で積みプラが増えていることには目をつむるとして、今日は最高の日だ。


 そう思ったのも束の間――。


「あれ、伊坂じゃん」


 通りすがりの声に顔を上げると、クラスの女子二人がこちらを見ていた。


 伊坂は、咄嗟に紙袋を体の後ろに隠す。けれどもう遅い。


「うわ、ガチでオタクじゃん……なにその袋。うちの弟でも引くわ」


「マジでキモ……」


 嘲るような笑い声とともに彼女たちは通り過ぎていった。


 心臓がぎゅっと縮んだ。頭に血がのぼるわけでも、怒りが湧くわけでもない。ただ、ひたすら恥ずかしくて、情けなかった。


 せっかくの喜びが、氷水をかけられたように冷めていく。


 伊坂はうつむき、ぼんやりと歩き出した。


 ――だから、気づかなかった。


 角を曲がったところで、人と正面からぶつかるなんて。


「うわっ、ごめん! 大丈夫?」


 男の声だった。咄嗟に顔を上げると、見知らぬ青年がこちらを心配そうに覗き込んでいた。二十代半ばくらいだろうか。黒髪で、シャツの袖をまくっていて、なんだかやけに爽やかだ。


「い、いえ、こっちこそ……」


「足とかひねってない? あー、手に持ってたのって……プラモ?」


「あっ……!」


 伊坂は慌てて紙袋を抱え直した。プラモデルだと知られた。それだけで、さっきの女子の言葉が頭に蘇る。


「それ、今月の新作? すごいじゃん。俺も昔、ちょっと作ってたなあ」


「えっ……」


 予想外の言葉に、顔を上げる。


 青年は笑っていた。軽やかで、馬鹿にする感じはまったくない。


「……あの」


「ん?」


「お名前、聞いてませんでした」


「ああ、俺? まあ、葛西って呼んでくれ」


「葛西さんは……バカにしないんですね、こういうの」


 伊坂は、そっと袋を見せるように持ち直した。そこにはメカのイラストが並ぶプラモデルたち。


「まあな。趣味があるってのは、いいことだよ」


 それは、さっき女子たちに言われた言葉とは正反対だった。


 ただの社交辞令かもしれない。けど、そうは思えなかった。葛西さんの声は、どこか懐かしくて、温かくて――。


「ちょうど昼時だし、飯でも行こうか。俺も腹減ってきたし」


「えっ」


「お詫びも兼ねて。奢るよ。ファミレスでいい?」


「はい」


 こんな展開、まるで漫画みたいだ。けれど、断る理由なんてなかった。





 店内で二人は軽く自己紹介をし、食事をしながら会話を交わした。


 葛西は驚くほど聞き上手で、伊坂が何気なく語ったプラモデルの魅力にも、頷きながら興味を持ってくれた。


「組むだけじゃなくて、塗装とか改造もするんです」


「へぇ。じゃあ、完成品は世界に一つだけってことか。すごいな」


「そんな大げさなものじゃ……」


 でも、心の中では嬉しかった。こんなふうに、自分の好きなものを否定せずに聞いてくれる人がいるなんて。


 食事が終わり、会計を済ませたあと、二人は入り口で立ち止まった。


「よかったら、連絡先とか……」


「もちろん。こっちに打ち込んで」


 スマホを差し出されて、伊坂は自分の番号を入力する。


「じゃあ、また」


 そう言って、葛西は手を軽く振って歩き出した。


 その背中を見送りながら、伊坂はスマホの画面に表示された名前を見た。


『葛西』


 どこかで見たような気がする名前。だけど、すぐには思い出せない。


 ただ、ひとつだけ確かなことがある。


 ――今日は、きっと人生で一番、気分のいい日だ。

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