翌朝。伊坂秀吾は、スマホの画面を見つめていた。
画面には、短いメッセージの下書き。
【今日って大丈夫ですか……?】
送るか、やめるか。指がスマホの上でふらふらと迷う。
こんな時間に送ったら迷惑かもしれない。そもそも、昨日のは社交辞令だったかもしれない。思い込みすぎて引かれたらどうしよう。ぐるぐると考えがめぐる。
悩んだ末に「ええい」と押してしまった。メッセージを送信するという、ただそれだけの動作なのに、心臓の鼓動が速くなる。
すぐに既読がつき、そして返ってくる。
【もちろん】
わずか一言。それだけなのに、胸が軽くなったような気がした。
息を吐きながら、続きを打ち込む。
【じゃあ十時にプラモデル屋『ホビーショップ池田』前で集合でお願いします!】
送信。すぐに「了解!」という返信が届いた。
画面を見つめながら、伊坂はふっと笑った。
――ほんとに、来てくれるんだ。
約束の十時より、三十分も前に店の前へ着いてしまった。
暑さはすでに本格的で、汗が首筋を伝う。
でもそれすら気にならないほど、気持ちはそわそわしていた。
誰もいない歩道の脇、スマホの画面を見ては時間を確認する。あと何分? 今ので何度目? そう思いながら、時間が進むのを待った。
そして、予定の五分前――。
「よっ」
ふいにかけられた声に顔を上げると、葛西が手を振っていた。
日差しの逆光の中で見えるその姿が、やけに眩しく見えた。
「え、あ……! お、おはようございます!」
「気が早いな、伊坂。まだ十時前だぞ」
「いや、その、つい早く……!」
どもりながら答える伊坂の顔がじわじわと赤くなる。 自分でも分かるほど耳まで熱かったが、葛西は気にする素振りも見せず、ただ笑っていた。
それだけで、また少し救われた気分になる。
――ああ、この人は、やっぱり昨日と同じなんだ。
ふたりで並んで、ホビーショップ池田のドアをくぐる。
ひんやりとした空調が肌に心地よく、伊坂の緊張も少しやわらぐ。
店内には、所狭しと並んだプラモデルの箱と、補修パーツ、工具類。この空間に入るだけで、彼のテンションは勝手に上がっていく。
「うわ、これ出てたんだ……」
目を輝かせて店内を歩き回る伊坂の後ろを、葛西はついてきていた。
ときおり「へえ」とか「それ高そうだな」と、控えめに相づちを打つ。
話を合わせてくれているだけなのか、それとも本当に興味を持っているのか。分からないけど、気を使っているようなイヤな感じはなかった。
「これ、可動がすごいんですよ! この関節、信じられないくらい滑らかに動くんです!」
「関節か……。ロボットの命だもんな」
「そうなんです! わかってますね、葛西さん!」
伊坂は感激して身を乗り出した。誰かとプラモデルの話をして、こんなに盛り上がれたのは、久しぶり――いや、初めてかもしれない。
結局、伊坂は一つ、葛西も「せっかくだし」と一つ選んで購入する。
レジで袋を受け取り、ふたりは並んで外に出た。
そのときだった。
ふいに、葛西が黙った。
会話が止まり、歩く速度もゆるむ。
伊坂は、隣で葛西の表情を盗み見る。けれど、横顔は無表情だった。
なんだか、空気が変わった気がした。
――あれ? なにか……やらかした?
買い物で浮かれすぎたかもしれない。自分の趣味を語りすぎた?
押しつけがましかった? そうだよな、まだ二回しか会ってないのに……。
「あの、俺、なんか……」
思わず問いかけたその瞬間、葛西が立ち止まり、こちらを見た。
「伊坂」
唐突に、名前を呼ばれた。
ビクリと肩が跳ねる。名前を呼ばれるだけで、こんなにも緊張するのか。
「お前、小説書いてるだろ?」
「えっ……!?」
驚きで、思わず足が止まる。
まさか――そんなこと、一言も言っていないのに。
どうして。それに、どうして言い当てたんだろう。
目の前の葛西が、なぜか少し遠い存在に見えた。