101日目の午前零時。約束の時は、来た。
ニュー・アクツシティを覆う紫色の空が、さらに深く、禍々しい色へと変わる。
ダンジョンの最奥、今まで誰も到達できなかった場所から、地鳴りと共に、絶望的な数の魔物の軍勢が溢れ出し始めた。
「――さあ、カミサマたち、見てるー? 今日はぼくら『アストロ・ノーヴァ』の、100日記念!そして、グランドフィナーレ・スペシャルだ! 笑っても、泣いても、今日が最後っ!」
今や、最終決戦要塞となった拠点の中心部。陽平はいつもの笑顔で配信を開始した。
「見逃したらダメだよ……いいね、ぼくらを見てて」
陽平の背後には、同じように覚悟を決めた者たち。
アゲハ、熊太郎、桔梗、協力を申し出てくれたプレイヤーたちが続く。
ゆっくりとステージへ、アゲハが登壇した。思い切り息を吸う。
「いくぜ、テメーらぁぁああっ! 今宵、伝説の幕開けだ! 魂燃やして、あたしらの歴史を刻んでやんよぉおおッ!」
アゲハが、天に向かってマイクを突き上げる。
七色の発光鉱石を散りばめた特製ミラーボールが、天上から輝きを宝石のように散りばめた。
周囲に、熊太郎が情熱を込めて縫い上げた『決死の応援旗』がはためく。
重低音が、淀んだダンジョンに響き渡る。始まりを告げるファンファーレ。
「聴け、
アゲハは、拠点の一番高い場所。
『アゲハちゃん専用展望ライブステージ』に立ち、溢れ出す魔物の軍勢に向かって歌い始めた。この100日間で仲間たちと共に感じたすべてを込めた、切なくも激しい旋律。
隣に立つ神々と編まれた、アゲハ作詞作曲のオリジナルソング。
派手な手製花火が打ち鳴らされ、光と音が共鳴し脈動する。
「ユアウェルカムっ、あたしらの城へようこそっ! チケット代は、テメーらの命で払ってもらうぜっ!」
魔物の群れが、怒涛の勢いでアゲハのステージ目掛けて殺到。アゲハの役割は決死の囮。
ただひたすらに、モンスターたちに命を晒す。
しかし、それは陽平と桔梗が仕掛けた、殺しの空間――キルゾーンへと足を踏み入れることを意味していた。
「今だ! スペシャル・トラップコンボ、発動っ!!」
陽平の合図と同時に、地面が陥没。壁から無数の槍が飛び出し、天井から溶解液の雨が降り注ぐ!
これまで作り上げてきたギミックが、一斉に牙を剥いた。
「「「グギャアアアアアアアッ!!」」」
先陣を切っていたゴブリンやオークの軍勢が、阿鼻叫喚と蹴散らされていく。
繋ぎにプレイヤーたちがボウガンを構えると、特製ボルトを惜しみなく放った。
「効果確認っ! 初手は潰した。桔梗、次のパターンは?」
「左翼後方、大型のミノタウロス混成部隊、三十秒後に第二防衛ライン到達と予測。右翼の防衛ラインには、物理抵抗の高いゴーレムが出現。チッ、予定より一分早い」
思案に回せる時間は、ほぼない。即座に桔梗は答えを出した。
「限定スキル『
いつもと違う厳しい口調、本気の顔つきだった。
「了解だ、桔梗くん! 解析終わるまで、アゲハちゃん、右のゴーレムお願いできる!? 熊太郎くんはミノタウロス部隊を!」
「っしゃあ! 任せな、陽ちゃん! あいつら、あたしの美声シャワーで骨抜きにしてやんよ! 燃え上がれっ、フレイムバウト!」
「うおおおお! 我が筋肉の全てをここに捧げる! 神々よ、我に力をォォォ!! カモン、マッスルゥゥゥ!!!」
熊太郎が最前線に躍り出る。巨体は、まさに鉄壁豪風。特製肉斬包丁がミノタウロスの突撃をはじき返した。
陽平も漆黒のウォーハンマーを振るい、トラップをくぐり抜けてくる魔物を次々と打ち砕く。プレイヤーたちも、必死に応戦。
「くっ……戦場に芸術性を呼び起こしてやるよ、ウチがね」
解析の反動で、頭に激痛が走る桔梗。それでも眼はギラついていた。
一定時間の解析能力を、徹底的に活かす。
「いいかい、ボスが来るまで殺しまくる。殺して、殺して……最期の夜を、奴らの血で赤く染めるんだ」
それこそが桔梗の策。城で守るのではない。
城を使い、いかに敵を殺すか。
神々からのコメントも、戦場報告と応援と絶叫の嵐。
『行けぇアストロ・ノーヴァ! 我らを失望させるなっ!』
『アゲハちゃん素敵だよ、マジでバフ効果エグいから! うちらの加護、もっと送るからがんばって!』
『熊太郎、お前の筋肉こそ至高! その背中に続け!』
『桔梗、神掛かってるぜ。いいか、出し惜しみするな! 一度崩れたら早いぞ』
『陽平! 笑え! 最後まで、お前らしく輝け! やばい後ろだ!』
だが、その時――ダンジョンの空気が一変した。
それまでの魔物とは明らかに格の違う、巨大な影が、死骸の山を踏み越えて現れる。
漆黒の鎧めいた甲殻に身を包み、鋭い爪と牙を持つ、まさに悪夢の具現。ダンジョンボス――『
見た瞬間、誰もが理解した。勝てるはずがない、と。
「嘘……でしょ……あんなの……」
アゲハの歌声が、一瞬途切れる。
敵軍に突入されると拠点は炎に包まれ始め、アゲハのステージも、熊太郎のキッチンも、桔梗の描いた絵も、次々と破壊されていく。
「――総員、地下へ退避。最終作戦に移行する」
桔梗の判断に、陽平はあらんかぎり喉を酷使した。
「みんなぁああ! プランFだぁああっ!」
聞いたプレイヤーたちが、我に返り動き出す。幸いにも、指示が通りさえすれば、みんな身体が動いた。
「陽平、先に行きなよ」
「桔梗くん、ダメだ。一緒に逃げてくれ!」
「フン、一手読み間違えた。どうせ、切り札はさっき使ったから、ウチが残るのが最適解」
「いやだ! 頼む、ぼくと来いっ!」
「時間がないんだ。ああ、クソ、なんで笑う? ……キミのその笑顔、崩せなかったのが心残り」
言い合いながらも、桔梗は大きな筆を振るい、次々に怪物たちを仕留めていく。最も早く強いのは、いつだって彼だった。
「さっき倒したゴーレムのコア、アレを誘爆させる。城に入る前にやらないとさ、意味ないんだ。ま、先に逝ってるよ」
にやりと桔梗は、シニカルに笑った。
「今までの芸術代に――あとで、ウチのためだけに泣いてよね」
桔梗は駆け抜けて、姿を消す。すぐに強烈な爆発が起きた。
視界を遮る粉塵、凄まじい閃光が、
「そん、な……」
「なにをぼうっとしている、陽平っ! こっちへ来い! 仕掛けを起動できるのは、きみだけだぞ!」
熊太郎は、殿を務めながらプレイヤーたちを逃がそうとする。
「おお、そうだ。陽平、一つ謝らねばならない」
「こんな時にやめてよ!」
「実はおれは――
陽平は絶句した。誘いを受けたのは、自分だけではなかった。
「恥ずかしながら、おれは迷ったのだ。あれだけ仲間のためと言っておきながら、迷った。おれを罵れ、怒れ、殴れ」
「そんなのっ……そうだ、ぼくだって実は誘われたんだ! すごく迷ったよ!」
「フハハッ……嘘をつくなッ! 陽平、きみは迷わないだろうが! きみはそんな男ではないのだ!」
はっきりと熊太郎は断言した。逞しい背中が、筋肉が躍動していた。
「だから、おれはこれから償いをしようと思う。いいか、あくまで償いだぞ。限定スキル解放『
熊太郎の肉体から蒸気が立ち上る。決して退かぬという覚悟が、今までの積み上げた努力を昇華させた。
「フハハハハハッ、いいぞぉっ! 我は筋肉と共にここにありぃぃっ!! 神々よ、照覧あれっ! 我は殺し合いではなく、友のために逝くっ!」
肉斬包丁を両手で握りしめて、咆哮を上げるとミノタウロスを見事解体。敵軍のなかへと駆け抜けて行った。
「くっ……ああ、笑顔だ! 笑え、笑え、笑え!」
陽平は首を振る。形作る笑顔が、わずかに敵勢の猛攻を鈍らせる。
そう、今や笑顔だけが彼の盾。
アゲハも、満身創痍だった。
高見台で歌い続けていたが、壁を這い上がる怪物や、飛翔してくる怪鳥までもが現れている。
それでもなお、諦めようとしなかった。ボロボロの身体に鞭打ち、立ち上がる。
「あたしを、なめんじゃない! こちとら、空前絶後の超絶伝説級アイドルよ! ライブの途中で倒れてたまるかぁぁああ!」
最後の叫びと同時に、全身全霊の魔力を炎に変えて打ち出した。
火焔は群れを呑み込むと、
「ああ、もう……ごめんね。陽ちゃん、最後までって言ったのに」
崩れ落ちるアゲハ。ステージの残骸に横たわり、もうマイクを握る力も残っていない。それでも唇は微かに動き、最期の歌を口ずさんでいた。
――大好きだった、陽ちゃん。ずっと一緒に、いたかったな。
もう誰にも届かない。陽平にも。
「アゲハちゃんっ!!!」
陽平は絶叫し、
そこを他のプレイヤーたちに羽交い締めにされ、地下へと引きずり込まれた。
「やめろ、離せ! アゲハちゃんが! 熊太郎くんも、桔梗くんもっ! みんな……みんながっ!!」
「陽平、しっかりしろ! お前じゃなければ、作戦が決行できないだろうがっ!」
仲間の死を乗り越えろと?
酷すぎる、どれだけ惨いことを要求するつもりなんだ。無理だ。こんな気持ちで笑顔を作ることなんて、到底――。
「いいか、ここは俺たちが守っておいてやる」
「ふざけた配信ばかりしやがったくせに、今更なんだ。責任取って走れっ!」
ぶつけられた声。自分でなければならない理由。
本命の罠は、トラップ製作者の陽平でなければ起動できない。
「くそ、くそ、くそぉ……っ!」
悪態をつきながら駆け出した。城の地下には秘策が埋蔵されていた。
これまで陽平たちが集めてきた、ありとあらゆる魔法素材。そこから、生み出された膨大なエネルギーを凝縮した、巨大な魔力爆弾。
撤退ラインから起爆することで、致命的なダメージを与える。合図を出す観測は、空を飛ぶ妖精ピコ。
「今だピコ! 陽平っ!」
「お前なんかに……お前なんかに、みんなの想いを……壊されてたまるかぁぁぁ!!」
レバーを下ろすと、城が大爆発を起こした。轟音と閃光の奔流が、獣帝の巨体を吹き飛ばす。ダンジョン全体が揺れたかと思うほどの衝撃。
もうもうと立ち込める煙。誰もが息をのんで、爆心地を見つめた。
遅れて、陽介も避難先の地下穴から顔を出した。
だが――粉塵が晴れた先に立っていたのは、甲殻の数カ所が砕け、黒煙を上げながらも、未だ絶命には至らない
「――嘘、だろ」
プレイヤーたちから漏れた絶望。
陽平もまた、失意のまま膝から崩れ落ちた。
(……そんな。もう、何も残っていない。仲間も、希望も、何もかも)
頬を伝う熱い雫。それはこの100日間で、初めて流した涙だった。
「ああ……カミサマ、どうか助けて。もう、ぼくには何も。ぼくのすべてを引き換えにしてもいいから……どうか、みんなをっ!」
ただ純粋な、魂からの祈り。
そこにコメントが、脳内に打たれた。
『まだ、終わってない』
それは、
呼応するように、陽平を応援してきたであろう神々からも、途切れ途切れの、しかし熱い声援が届く。
『そうだ! まだキミの“芸”は終わってないだろ!』
『笑え、陽平! 我らに見せたあの太陽のような笑顔を!』
『あんたの道のりは、なにひとつ無駄じゃなかった。そうでしょ!』
陽平はカミサマたちの言葉に、耳を傾ける。
こんな時だからこそ、笑え。お前の笑顔が、最後の希望になるかもしれない。
「みんな、頼む! ぼくがあそこに行くまで。なんとか時間を稼いでくれっ!」
士気喪失していたプレイヤーたちが、一斉に陽平を見る。
涙でぐしゃぐしゃになった顔だった。しかし、無理やり、不格好に、それでもわずかに口角を上げた。
間違いなく、笑ったのだ。
浮かぶ笑み、執念の【陽光の微笑み(最強)】が明確な意思を持って発動。残る全員を死地に送る。その決断を、陽平がした瞬間でもあった。
起きたのは、最後の猛攻。
彼らもまた、自分たちの神々にたくさんの加護を受け、輝きに満ちていた。
「うおおおおおっ! 行けぇ、陽平ェェェッ!!」
「俺たちの想い、無駄にすんじゃねえぞ!!」
捨て身の突撃が、陽平にわずかな時間を与える。
向かったのは、爆心地であるかつての『城』の、まだ崩れずに残っていた一番高い尖塔だった。
そこには、陽平が作り上げた『究極の
アゲハのステージを支える、骨組みやギミックノウハウ。熊太郎が鍛え上げた金属。桔梗の教えてくれた計算。
――材料は、裏で仲間たちと協力して討伐した、ドラゴンの強靭な骨。
神々の加護【創造の閃き】を限界まで使って鍛え上げた、巨大な一本槍。
ステージ昇降の仕掛けを応用した、原始的ながらも、一点集中の破壊力を持つ……一発限りの
「これが……ぼくたちの……100日間の、全てだぁぁぁああああっ!!!」
妖精ピコが、最後の力を振り絞る。巨大槍の切っ先一点だけに
「陽平の工夫、ピコも学んだピコ!!」
槍の照準を、傷つき、黒煙を上げる獣帝の甲殻の亀裂――あの巨大な魔力爆弾が生み出した、唯一の弱点へと定める。
そして、トリガーを引いた。
――巨大なドラゴンの骨槍は、衝撃と同時に放たれ、ダンジョンの闇を切り裂き。一直線に、
甲殻をぶち破り、奥深くへと侵入し――心臓を抉り抜く。
「グォォオオオオオオッ!!?」
断末魔の叫びともとれる震え、『
やがて、光の粒子となって霧散した。
――静寂。
生き残ったプレイヤーたちは、ただ呆然と、その光景を見つめていた。
実感と共に歓喜が広がっていく。
「…………やった……のか?」
「勝った……勝ったんだ、俺たち……」
「うそ? え、ほんとうに?」
陽平は崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。
視界が霞む。もう、立っているのがやっとだった。
街の紫色の空が、ゆっくりと晴れていく。住人たちは、100日ぶりに
配信は、まだ続いている。
妖精ピコは、ボロボロになりながらも、一部始終を捉えていた。
陽平は、ピコに向かって、最後の力を振り絞って笑った。
「カミサマたち……ぼくたち、勝ったよ……。みんなの、おかげだ……ありがとう……」
とうとう陽平の意識は、闇へと沈んでいった。
『アストロ・ノーヴァ』最後のライヴ配信は、確かに伝説として語り継がれる。
絶望的な状況下、最後のその瞬間まで笑顔と希望を捨てずに戦い抜いた、四人の異端児たちの物語として。
世界の、人々の心の闇を打ち払う先駆け。人の時代に、神話が生まれた。