ニュー・アクツシティ、ダンジョン発生から90日目が過ぎた。
終わりへの、カウントダウンは迫る。
『アストロ・ノーヴァ』の秘密基地で語られるのは、101日目突入時の戦略。
きっと作ったステージも、キッチンも、ホールも、何もかもが戦場になる。そもそもそのために作ったのだ。楽しさで全てを覆い隠してきた。
「ねえ、陽ちゃん。本当に『解散』とか書いちゃってよかったわけ? なんか、縁起悪くない?」
彼らは「100日記念!アストロ・ノーヴァ解散(!?)涙と爆笑のグランドフィナーレ・スペシャル!」と銘打った、最後の大型コラボ配信を神々に告知していた。
「解散って言いたくなかった?」
「……うん」
「負けることなんて、考えたくないけどさ。勝ったら勝ったで解散だよ」
「そりゃ、そうなんだけどさ……。え、寂しいの、あたしだけ?」
アゲハは、配信で使う小道具を準備しながら呟く。
いつもよりメイクは控えめ、瞳がうるんでいた。
「ううん。ぼくも寂しいな。でも、そうだなあ。……きっと一緒だよ、どうなったとしても」
「本当に? ……一緒かな~、だって日常に戻ったら」
「大丈夫だよ。ぼくらはアイドルグループじゃないんだからさ。スキャンダルなし、制限もなし! やっちゃいけないことはなにもない!」
思い切り、大きな声で陽平は言い切った。
アゲハは目をぱちくりさせている。
「だからさ。解散宣言して、あとからやっぱなし! とか、もしかしたらアリじゃないかな」
「うん? う、うん、そう、かなぁ?」
「アリだよ、なんでもアリ。だから、先のことは……また考えようよ」
どこか陽平は、自分に言い聞かせるようだった。まだ先があるかも、と。
「だから、最後まで『アストロ・ノーヴァ』らしく、派手にいこうよ」
「そか、『アストロ・ノーヴァ』らしく、か。……その方が陽ちゃんは、嬉しいんだよね?」
「……そうだね。ぼくは……楽しく最後までやれたほうが嬉しいよ」
「うん、わかった。……ま、そーねっ! どうせやるなら、あたしらのラストステージ、伝説にしてやんないとね!」
いつもと変わらぬ陽平の姿に、アゲハは強気な笑顔を取り戻した。
裏で、着々と決戦の準備を進めていく。
シェルターは既に、陽平のDIYスキルと桔梗の戦術眼によって、難攻不落の要塞へと変貌を遂げている。
無数のトラップ、計算され尽くした防衛ライン、仲間たちの能力を最大限に引き出すための設備。
(序盤のエリアを面白おかしく掌握しながら、カミサマを楽しませる。はは、無茶苦茶なプランだと思ってたけど、やった出来たじゃないか)
ただ、可能性の突破口を開かんがために。
熊太郎は、これまでの配信で得た神々の加護を注ぎ込み、メンバー全員分の特注武器と防具を鍛え上げていた。
槌音は、決戦の訪れを告げるゴングのように響く。
「うぉぉおおっ、神々よ! 我が、筋肉の脈動を照覧あれっ! マッスルパワーのご加護をっ!」
仲間の装備を作る、という一点において。
チームで最も優れていたのは、熊太郎だった。料理もそう。常に彼は、みんなのために何かを作ろうとしていた。それが性に合っていた。戦うことよりも。
「ふぅ、振りつけ。一緒に考えてくれてありがとうね。あ、歌詞と曲? アハハ、カミサマと新曲考えるとか激ヤバだよね~」
アゲハは、歌声とダンスに込める「想い」を極限まで高めようと、何度もパフォーマンス練習を繰り返す。
元気な歌声は、仲間たちを鼓舞し、敵を鈍らせる、強力な大魔法となりつつあった。
「わあ、すっごい。今、人生で一番歌えてるわ~。あー、何で終わっちゃうんだろ」
汗を拭きながら、ぼうっとする。心地よい充実感。
「え、解散しないでって? うん、したくないな。お願い。誰か、叶えてよ、カミサマ」
妖精に向かって、ウインクする。
だが、向き直る寸前に、わずかに素の少女の顔が垣間見えた。目元に雫が光った。
桔梗は、これまでのダンジョン情報と、神々から得た敵軍のデータを元に、寸分の狂いもない最終防衛戦術図を完成させようとしていた。
ペン先から生み出される線は、まっすぐで迷いがない。
「ふうん。正直に言えば、軍勢をイラストにして見せてあげるよ。だから、言いなよ。ウチに白状しちゃえ」
玩ぶような挑発的な口調、桔梗は妖精を流し目で見る。
「別にいいでしょ、ダンジョンの攻略情報を言えってんじゃない。101日目で見たことを語れって言ってんの。わかる? ルール違反じゃないんでしょ?」
桔梗はカミサマたちの制約ぎりぎりまで、情報を搾り取る。どこまでが許されるか限りなく分析していた。
「フフ、いい子じゃん。あとでご褒美あげるから、せいぜい荒い息出してなよ。変態ちゃんたち」
地図に書き加えられた作戦案、これが命運を分けるかもしれない。絵以外のものへの情熱が、桔梗の胸を焦した。
「ああ、そうさっ! ボスだ、現れるボスさえ倒せば無駄にはならないっ! ……これがウチが贈れる最後の芸術になる」
神々からの加護も、これまでの面白い配信への『対価』として、かつてないほど注がれていた。
新たに覚醒するスキル群によって、陽平たちは『戦う力』を得た。たとえ気まぐれな、神々の慈悲だとしても、使えるものはなんでも使うつもりだった。
ここ数日間で変化も起きた。
終末が近付き、攻略を諦めた他のプレイヤーたちが、協力を申し出始めたのだ。
「今までバカにして悪かったよ、確かに
「オレは……あんたらのやり方が、正しかったとは今でも思えねえ。攻略で死んだ友達もいる。けどっ、どうせ死ぬなら、最後まで足掻きたい」
「俺たちにも、何か手伝わせてくれ!」
最初は数人だった協力者も、次第に十数人へと増えてく。
陽平の【陽光の微笑み】も、パワーが最強まで成長している。それが絶望しかけていた彼らの心を、前へと向かせる源となっていた。
(これじゃ、ますます笑顔をなくせないよなぁ。女神さまも厳しいことをするもんだなぁ)
陽平は気付いていた。
これは、ただ笑顔に力を持たせるスキルではない。『誰かの前で笑顔で在り続ける生き方』を強いる祝福。笑顔に意味を与える呪い。
そのように生きなさい、と。本当に、悔いなく全力を尽くそうとするならば、楽しいを誰かに届けんとするならば。
いついかなる時も、その想いを絶やしてはならないという……。
いわば、『天地を沸かす神楽乙女』による試練だった。
決戦前夜も、陽平は鍛錬をしていた。
最近は、地上の施設にも帰っていない。そんな暇もないほどに、己を酷使していた。
「陽平、ダメピコよ。本番でへばったら元も子もないピコ~!」
「でも、まあ。100日目は、その時が来るまで身体を休められるから」
手足に巻かれた包帯が、課した鍛錬の過酷さを物語る。
「さて、戻る前に笑顔だ。顔がね、なんかもう、たまによくわかんなくなるんだよね」
「……たまには、クヨクヨしてもいいと思うピコ」
「ダメでしょ、もう前日だもん。クヨクヨしていい時期過ぎちゃった」
それに、と陽平は付け足す。
「やせ我慢の練習さ。死ぬ間際に、みんなの前で泣きごとなんて言わないように、ね」
「――『みんな』とは、仲間のことですか? それとも、神々の?」
聞き慣れた、柔らかな声。
振り返ると、そこには心の支えであった女の子――ミヤビが立っていた。
しかし、今日の彼女はいつにも増して儚げで、瞳に深い悲しみの色が宿る。
「……え、なんで? ここは……ダンジョンなのに」
陽平は驚きを隠せない。ミヤビはプレイヤーではないはずだ。
プレイヤー以外の人間が、ダンジョンに入れるとは聞いていない。一方、妖精ピコは指摘もせず、恭しく一礼した。
「ごめんなさい、あなたの前では……普通の女の子でいたかったのだけど。でも、あなたが地上に来てくれなくなったから」
「え、え? ああ、うん。それは……ごめん?」
わけがわからないまま、陽平は謝った。
地上に戻らなかったのは、忙しかったからもある。でも、内心ではミヤビを避けていた。
たまに、泣きそうになってしまったから。本当に弱音を何もかも、こぼしそうになってしまったから。
「わたしは、あなたに謝らねばならないの」
「……どうして?」
「あなたに力を与えた『天地を沸かす神楽乙女』とは、わたしだから」
告げられた言葉。
訪れた静寂のなかで、陽平はなぜかあまり驚けない自分に気付いた。
理由もわかった。薄々わかっていたからだ。きっと、ミヤビは普通の人間ではないと。
ずっと、誰かに見守られている実感のなかで、共通性を覚えていた。
ただ、そう。気付いてしまいたくなかった。
「陽平くん。わたしが与えた力の本質、すでに気付いているのでしょう?」
「うん。ぼくが……自分が決めた
「そう。神の加護の本質とは、その者に与える
加護は便利な力ではなかった。思っていたものとは全然違った。
「きっとみんなもそうなんだね。アゲハちゃんは『アイドルでなければならない』し、熊太郎くんも『己を高め続けなければならない』んだ。……桔梗くんも『孤高で苛烈な芸術家』として生きる」
「神とはそういうものなの。こうあれかし、と定めることで力に形を与える」
「でも、なぜぼくだったの? えっと、ミヤビ……様?」
「うふふ、いつもみたいに呼んでいいわよ。……それはね、あなたがわたしの在り方に共鳴したから」
暗き世界に、光明を取り戻す希望。
愚かに身を投げ出して、恥を捨て、なりふり構わず、芸によって道を切り開かんとする。
己がためではなく、ありとあらゆるすべてのために。
「無理だと思ったわ。絶対に途中で心が折れるって。でも、あなたはそうじゃなかったね」
「ぼくが折れたら……さすがに無責任すぎるよ」
「そう。責任感が強いのね。いえ、強すぎた、のね」
感嘆に哀れみも浮かぶ。女神ミヤビは一つの提案をした。
「陽平くん。わたしと……逃げましょう」
裏切りの誘い。今まで頑張ったすべてへの。
「まだ、間に合います。あなた一人ならば、この絶望の輪廻から救い出せる。他の誰にも知られずに、新しい世界へ――」
「ミヤビさん」
陽平は優しく、きっぱりと遮った。
「ありがとう。その気持ちだけで、ぼくはもう十分に救われてる。でも、ぼくは行けないよ」
「なぜ……なぜなの? あなたが犠牲になったからといって、この街が救われる保証なんてどこにもない。あなたの優しさが、あなた自身を滅ぼすことになるのよ」
ミヤビが、心の底から陽平の身を案じているのが伝わって来た。だからこそ、また決意が固まってしまった。
「ぼくが助かったとしても、仲間たち、街の人たち……ぼくを応援してくれたカミサマたちも、きっと笑えなくなる。そしたら、ぼくも笑えなくなっちゃうんだ」
「カミサマですか。神々はあなたたちを『おもちゃ』として弄んでいるだけかもしれないのに?」
「うん、そうかもしれないね。でも、ぼくたちのことを真剣に見てくれて、応援してくれたカミサマもいると思うよ」
だって、あなたがそうだったから。
陽平は揺らがない。瞳が、どこまでも澄んでいた。一点の曇りもなく。
「桔梗くんがね、前に言ってたんだ。カミサマたちは、きっとぼくらの鏡だと。ぶつけられた悪意や愚かさは、元々ぼくらが持っていたものだと」
「あの子がそんなことを……」
「そうかもしれないな、って思った。向き合えば、向き合うほど。だから、怖くもあったけど……とても愛おしいなとも思えた」
「わたしたちが、愛おし、い……?」
立場が逆転していた。
人の子が、神々を慈しむように語る。
「なぜ、このゲームが行われているかは、ぼくにはわからない。でも、頭のなかに響く色んな声は……良くも悪くも真っすぐだったよ」
「あなたは、神に許しを与えるとでも言うの? こんな残酷な扱いを受けて?」
「許しはしないよ。こんな……たくさんの犠牲が世界中で出たことはきっと許せない。でも、ミヤビさん。あなたがすべてを為したのかな?」
女神ミヤビをして、答え難い問いかけだった。そうでもあり、そうでないのかもしれない。
「ほら、ぼくだってね。きっと、どこかで何かひどいことに加担してたのかも。見て見ぬ振りしたりさ。個人じゃ、どうにもできないことはあるんだ」
「……ひ、人の世の理屈で、神を語るなっ! わたしはっ! わたしはっ?!」
思わず、動揺するミヤビに、陽平はやはり笑った。
「ぼくはミヤビさんに助けられた。心も含めて。だから、あなたを憎めない。それにね、ぼくがここで感じたあなたたちへの想いや、仲間たちとの絆は、絶対に本物だから。……カミサマ相手でも絶対に否定なんかさせないんだ」
「……っ」
女神ミヤビは言葉を失う。なにか最も柔らかな部分に深く突き刺さった。
「だから、ぼくは最後まで、日向陽平として、仲間たちと一緒に戦う。それが、ぼくがぼくであるための、たった一つの
ミヤビは静かに俯き、やがて顔を上げた。
浮かんでいたのは、悲しみと諦め。そして、どこか誇らしげな眼差し。
「……わかりました。あなたの覚悟、しかと受け止めました。ならば、わたしも『天地を沸かす神楽乙女』として。いえ、『
今までのなかでも、最も過酷な神からの要求だった。
あまりにも非情な約束の強制。
「うん、約束する」
だが、陽平は頷いた。ためらうことなく。
「絶対にやり遂げなさい。わたしは、必ずや神々の誰よりも盛大な祝福をあなたに贈りましょう」
「ありがとう、ミヤビさん。……大好きだよ」
「――えっ」
「みんなを笑顔にする存在、誰かの為に全力になれる芸の女神様。あなたのお話を聞けて、ぼくは勇気を貰えました」
――ずっと、好きだったよ。
そんな告白に、女神ミヤビはふわりと微笑むと、光の粒子となって消えた。
もう、ミヤビは陽平を決して逃がすまい。その覚悟を、誰よりも理解したから。
足取り軽く、陽平がシェルターへと戻る。
仲間たちが最後の晩餐の準備をしていた。熊太郎が腕によりをかけた特製フルコース。アゲハと桔梗が、ぎこちない手つきでテーブルセッティングをしている。
「お、陽平。おかえり! 遅かったな、ちょうど料理ができたところだぞ!」
「陽ちゃん、マジでチョー遅いー! もう、お腹ペコペコなんだけど!」
「遅れて登場して、主役のつもりかい? ま、座んなよ。隣を許してあげるから」
いつもと変わらない、賑やかで温かい光景。誰も明日のことを、口にしない。
四人は食卓を囲み、これまでの思い出を語り合った。初めてダンジョンに来た日のこと、初めて配信した時の緊張。
最初のコラボ配信、神々からの無茶振りがひどかったこと。一緒に笑い、時にはぶつかり合った日々。
話は尽きることがないように思えたが、やがて言葉は途切れ、静寂が訪れる。……ああ、この宴も終わりだ。
「みんな。ありがとう。ぼくは、最高の仲間に巡り合えた。この100日間、本当に楽しかった」
「陽ちゃん……」
「明日、ぼくらは死ぬかもしれない。ううん、たぶん、死ぬだろうね。でも、ぼくは後悔してない。ぼくたちは、全力で生きたから」
「うおおお……陽平……っ!」
「最後まで、ぼくたちらしくいよう。そして、もし……もし、この戦いの先に何かがあるのなら、またみんなで、くだらないことで笑い合いたいな」
アゲハの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。大声を上げて泣いている熊太郎。桔梗は顔を伏せ、肩を震わせていた。
ただ、陽平だけがそんななかでも笑っている。
――決戦の時が来た。