ハママツシティ滅亡のアナウンス。
翌朝になっても、どんよりとした空気感は晴れてなかった。
シェルター内で陽平たちは、いつものようにそれぞれの配信準備を始める。顔にはどこか影が落ち、口数も少ない。
アゲハは派手なメイクをしながらも、時折手が止まり遠くを見つめる。
「はあ。……ああ、なんか化粧のノリが悪いや」
熊太郎は黙々と筋トレに励むが、雄叫びにはいつもの覇気がない。
「ぬぅ。筋肉よ、おれを……おれを支えてくれ」
桔梗はスケッチブックを広げてはいるものの、なにかを描こうとしては、紙を破り捨てている。
「ピコ……なんだか、みんな元気ないピコね」
「うん、そうだね。でも、こういう時だからこそ、ぼくらはいつも通りにしなきゃさ」
陽平は妖精ピコ言い聞かせ、無理やり笑顔を作る。せめて、自分だけは変わってはいけないと思った。
都市にも『100日』のタイムリミットはじわじわと迫っている。
インフラはとっくに途絶えているのに、一般住民たちに限っては空腹を感じることも、病気が悪化することもない、奇妙な均衡状態。
外部との連絡は遮断され、空に投影される
(いや、わかってる。街の人たちは……ぼくらをダンジョンで遊び惚けているバカだって、悪口を言ってる)
地上の施設で聞いた噂。
自分たちがどれだけひどく罵られているのか。
「他のプレイヤーたちが必死に戦って死んでいるのに、あいつらはなにをしているのか」
残された両親は、無事に過ごしているだろうか。陽平は考えるだけで、胸が張り裂けそうになった。
それでも配信が始まれば、いつものように振舞おうとした。
アゲハはキレのあるダンスを、熊太郎は豪快な料理を、桔梗は皮肉たっぷりのイラストを。
しかし、表情の裏、言葉の端々に、隠しきれない不安や焦りが滲むのを、敏感な
『アゲハちゃん、今日ちょっと元気ない?』
『熊太郎、筋肉にいつものツヤがないぞ!悩みでもあるのか?』
『桔梗様の毒舌、今日はキレが鈍いような。まさか風邪か?』
『クク、ようやく“おもちゃ”らしくなってきたじゃないか』
『ほら、笑えよ。いつもみたいにな!』
心配するコメントのなかに、動揺を嘲笑う声があった。
それでも、コメントが脳内に流れるたび、陽平は「大丈夫!」「いつも通りだ」と返す。
カミサマたちの感覚は、やはりどこか人間とは違う。
陽平たちの身近な街が一つ消えたことは、神々のなかでは大きな事象ではないのだ。たくさんあるコンテンツが終わったに過ぎない。
「はあ。こたえる、か。……確かに」
異質な化物たち相手に、エンターテイメントを行っている。
そんないびつさを、ひしひしと実感する。配信後の心労は、日に日に切迫感を増していた。
「ねえ、陽ちゃん。あたしら、本当にこのままでいいのかな」
夜、地上の施設で、アゲハが弱音を漏らした。
「……アゲハちゃん?」
「全力で楽しい配信をして、カミサマの加護を得る。きっと間違ってないと思うんだ。他のプレイヤーで、死んでる人たちいるし。でも、ハママツシティみたいになったらさ。結局、全部、無駄になるんじゃないかって……」
「無駄なんかじゃないよ」
陽平は、きっぱりと言った。みんなが揺らぐのは仕方ない。
でも、自分だけは揺らいではいけなかった。……内心はどうであれ。
「ぼくたちがやってることは、遠回りの道に見えるかもしれない。でも、誰も失わずに、成果を出した。拠点まで作れた。結局、やれることは時間稼ぎだけかもしれないけど、一人でも誰かを守れる可能性は増えているよ」
「あたしは……なんていうか。ただ戦って死ぬより、あたしらしくいたい、って思っただけ。でも、ここまで来たら無駄になんかしたくないよ」
「うん、そうだね。ぼくらは『何もしない』より、『何かをした』って証を残そう。最後まで、笑ってさ」
「……あんたってさ、本当にどこまでも甘っちょろいお人好しで、すっごいポジティブなこと言うよね。でも、そういうとこ、嫌いじゃないけど」
アゲハはふっと笑ってから、髪を書き上げた。
「まあ、あたしはあたしのやり方で、キラキラしてみせっけどね」
そこにはアイドル『音波 アゲハ』が背筋を伸ばして、立っていた。
続いて、熊太郎も傍に寄ってくると重々しく口を開いた。
「おれも……同じだ。この筋肉は、誰かを守るために鍛え上げてきたつもりだ。こんなところで折れていては、我が筋肉に申し訳が立たん! おれは己の努力や信念を嘘にはしないっ!」
「熊太郎くん……」
「最後までおれは足掻くっ、それが男だ! ……それに裁縫とか、ぬいぐるみ配信で喜んでもらえるの、今までにないしな♡」
若干方向性が怪しいが、熊太郎もいつもの調子を取り戻したようだ。
最後に、桔梗が吐き捨てるように言った。
「ふん。バカみたいに前向きな奴らだね、キミたち。……でも、まぁ、無気力になるよりは賢明だよ。だから、ウチは最後まで付き合ってあげる、この茶番に」
いつもの毒舌、だが間違いなく温かみがあった。
『アストロ・ノヴァ』の絆の強さとは裏腹に、終わりの時は刻一刻と近づいて来ている。
数日後、陽平は配信外の時間に、ダンジョンの浅い層で鍛錬をしていた。仲間たちは、先に地上の施設に戻っている。
ピコを連れ、たった一人で陽平は戦い続けていた。ツルハシを強化して生み出された漆黒のウォーハンマーを握りしめて。
「うりゃっ! ……よしっ、倒した」
渾身の一撃が、巨大な蜘蛛型モンスターを打ち砕く。
(ぼくは建築とかに時間を費やしているから、他のメンバーよりも戦っている時間が足りない。だから、人一倍頑張らなきゃ)
結局のところ、どれだけ加護ポイントを貰っても、戦いの経験なければ、スキルは得られない。
スキル覚醒の祝福は、相応しい者だけが得られる権利だ。
「はあはあ。……まあ、スキルだけもらっても、自分が弱かったらダメだしね」
「ピコー! でも、一人で無理しても、ダメピコよ?」
「仲間におんぶにだっこじゃ、成長できないだろ。それに加護だって相応しくない振る舞いをしたら、消されちゃうかもわかんないからね」
だから、勇敢でなければ。特に、配信中は。
脳裏に、数ヶ月前の光景が蘇る――。
『緊急警報。ニュー・アクツシティに、未確認ダンジョン発生。住民の皆様は落ち着いて――』
あの日、いつも通りの日常は、突如として終わりを告げた。
空は不気味な紫色に覆われ、街全体が巨大な結界に包まれ封鎖された。
住民たちは、一切外に出られなくなった。出入りが許されたのは、住民でない者たちだけ。
『みんな聞こえてるかなぁ? まあ、聞こえてなくてもどうでもいいんだけどさ。僕は"運命玩ぶトリックスター"だよ。君達に素晴らしいチャンスを与えよう』
混乱のさなか、嘲笑う声と共に、妖精が現れ「キミはプレイヤーに選ばれたピコ!」と告げてきた時の衝撃と絶望。
両親の引きつった顔。政府の呼びかけ。
「国の指示に従って下さい。大丈夫。あなたたちならきっと――」
逆らっても無駄だ。『100日』という絶望的なタイムリミットからは、逃げられない。
攻略を拒否した者は『保護』の名目で、捕らえられ監視下に置かれた。誰もが恐怖に怯えていた。
「陽平、行かなくてもいい! そうだ、お父さんが守ってやるっ!」
「そうよ、あなたがそんなことをしなくても……きっと誰かがっ」
両親は必死に抱きしめて、陽平に言った。生意気な妹まで詰め寄ってくる。
「お、おにいちゃんに、戦うなんて出来るわけないじゃん。虫いっぴき出ただけでも大騒ぎなのに! そうだよ、誰かが何とかしてくれるよ!」
ふわふわと浮かぶ妖精だけが、非現実的な状況が夢ではないと告げていた。
確かに自分が行こうが、行くまいが何も変わらないかもしれないな、とは思った。
(でも、誰かって、誰だ?)
自分はちょっと器用なだけの、一般人でしかない。
でも、それはみんなも同じことではないのか。仮に助かったとして、自分は誰かが犠牲になったことに、胸を張れるのだろうか。
陽平は笑って首を振った。
「ありがとう……嬉しかった。家族として、ちゃんと愛してくれて」
結局、決意を固めた一番の理由は、家族が必死になってくれたことかもしれない。だからこそ、行かねばならないと思った。
家族の悲痛な顔をあとに、政府の召集に応じて、他のプレイヤーたちと隔離施設へと収容されることにした。
「ありがとう。君の家族は、我々に出来る範囲で保護しよう。……残念ながら、プレイヤーの身内は迫害されることがあるからね」
政府の人が、気遣ってくれたのが救いだった。
収容されたプレイヤーには、アゲハ、熊太郎、桔梗の姿もあった。
施設では研修が行われた。国内外の他都市の失敗例や、ダンジョンの構造、モンスターの情報などが叩き込まれる。しかし、そのどれもが絶望的な内容ばかりだった。
「えー。……まず、我々は君たちに対する指揮権を持たない。そのような動きがみられた場合、モンスターを即時、国内に投入すると宣言されている」
事実上の降伏宣言だ。
世界は、カミサマを名乗るゲーム主催者に従うしかなかった。
政府は、ゲームに参加するまでは強制できても、攻略方法はプレイヤーに命じられないのだという。
あまりにも理不尽な、神々の気まぐれなゲーム。
選ばれたプレイヤーは、100日以内にダンジョンをクリアしなければならない。さもなければ、都市は滅びる。
「何の……意味があるんだろう?」
クリア条件は、最奥にいるボスの討伐。
なのに道中ですら、並の戦闘能力では、到底太刀打ちできない強大なモンスターがごろごろいる。
複雑怪奇なダンジョン構造、凶悪な罠や呪い。無慈悲なタイムリミット。
ダンジョン外から持ち込めるものは、限定されているばかりか、武器として通用しない。通信機ですら、意味をなさない。
(完全に異空間……異なる法則の世界なんだ、ダンジョンとこちら側とは)
唯一、プレイヤーが有利な点は、配信と言う名の不可思議なシステムを使えること。
これを利用すれば、カミサマの人ならざる力を持って、戦える可能性が出てくる。
でも、どれだけ優れたプレイヤーが挑んでも、次々と都市は滅んでいく。
配信されるダンジョン攻略の映像は、残された市民たちにとって、希望ではなく、悲惨な見せしめにしかなっていなかった。
「攻略、じゃだめなんだ。きっと」
研修の休憩中、陽平はポツリと呟いた。
「最初から、クリアなんてさせる気がないんだ。このゲームは」
声が明瞭になるにつれて、周囲がざわつく。落ち着くように、係の人が呼び掛けていた。
「奥に行くほど強力な怪物、ダンジョン構造は明らかに向こうが有利だ。相手のフィールドに飛び込むしかない。攻めるメリットは、ボスと戦う際にフェアな戦いが用意されているであろうと言う点だけ」
だが、ボスはフェアな条件下では敵わないほど強いだろう。
そもそもほとんどのプレイヤーは、道中のモンスターに打ち倒されている。よほど正面対決に強い手段がなければ無理だ。
そこに反応したのは、桔梗だった。
「へえ? ……じゃ、どうするって? キミ、まさか諦めるってことか?」
軽蔑するような言い方だったが、陽平は怯まなかった。違う、思いついた考えに夢中で、それどころじゃなかった。
「違う。迷宮を攻略するんじゃなく、100日後に来るであろう終わりから街を守る」
シン、とした。
場にいた誰もが、陽平に注目した。
「罠の中に飛び込むんじゃなく、ぼくらが罠を作る側になるんだ。怪物たちの軍勢は101日目に突入すると、街を滅ぼす。この時、軍隊でも爆弾でも傷ひとつ与えられない。でも、101日目でもプレイヤーの攻撃は通じるんだ」
わずかな抵抗の記録があった。人類の生存時間が伸びた記録が。
「はあ? ……あー、罠が101日目でも通じるって保証は?」
「プレイヤーがダンジョン内で作った飛び道具や罠は、彼らに通用する! これは、プレイヤーが攻撃したという判定が延長されていることを意味する。おそらく、このルール自体に変更はないと思う」
そこまで話すと、桔梗は資料を見返した。侮蔑的な表情は消えて、真剣だった。
「滅びの軍勢は、ボスが率いているな。……先陣の部隊を倒しきれば、ボスと有利なフィールドで戦える?」
「取り巻きはいると思うけどね。もしかしたら、援軍も」
「だとしても……いや、アリ、なのか?」
桔梗は序盤のマップを見ながら、考えこんだ。
中層以降は、たびたび構造が変化しており、参考になりにくいが、浅い階層は情報が一致している。攻略の起点だった。
次に話しかけて来たのは、筋骨隆々の大男……熊太郎。
「しかし、だ。奥に行かねば、加護が得られないのではないか? それに神々は殺し合いを望んでるのだろう? 防衛拠点づくりなんて……」
「いや、むしろ加護を先に得た上で、必要に応じて探索しましょう。ぼくらは強くない。でも、持ち前の特技で、神々の誰かの心を動かすことはできるかもしれない。ギリギリまで希望は捨てません」
「希望だと?」
陽平は、集められたプレイヤーたちを前に、自分の考えを語った。
「みんな、聞いてほしい。このダンジョン、たぶん普通のやり方じゃクリアできない。だったら、発想を変えよう。ぼくらの『
だが、多くのプレイヤーは反発した。
「お遊びで何ができるっていうんだよ」「現実を見ろ」「つか、配信なんか街のみんなに見られんだぞ! 無駄なバカなんかできるか!」
罵声の中で、真っ先に名乗りを上げたのは、自称空前絶後アイドル。
「はい! あたし、どうせ死ぬならさぁ、ステージの上で歌って踊って、最高に輝いて終わりたいんだけど! あんたのそのノリ、結構イケてんじゃん?」
続く二人も、触発されて前に出る。
「うおおお! おれも我が筋肉と料理の全てを捧げ、この街と仲間たちを守り抜く! そして、憧れのアゲハ様の応援をする! それがおれの
「ふん、バカげた作戦だけど……何もしないよりはマシかもね。まあ、キミがその吐いた大言壮語を貫けるのか見ててあげるよ」
アゲハ、熊太郎、桔梗。彼らもまた、それぞれの理由で、足掻くことを選んだ者たちだった。
こうして、四人の異端児たちの、前代未聞の『ダンジョン防衛配信』は始まったのだ。
そうすべては、陽平のそんな発言から始まった。
だから、絶対に陽平だけは折れてはならない。彼だけはこの