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副作用は“告白”でした
副作用は“告白”でした
紅夜チャンプル
BL現代BL
2025年06月23日
公開日
1.3万字
完結済
その一線を越えたとき、彼の名前が“愛”に変わった。 副作用で“多幸感”をもたらす薬、プレドニン。 今日も血液内科医・銀河(ぎんが)のもとには、恋を囁く患者が現れる。 そんな中、難病を抱え患者となった若き医師・井園(いぞの)。 彼はプレドニンによって心も揺らされながら、ただ一人の医師を見つめていた。 医師と患者、そして同じ“医師”として。 命を見つめるその先に、あったものは――。 ※この作品には医療や病に関する描写が含まれます。苦手な方は、閲覧をお控えいただくか、ご注意のうえお読みください。

第1話 血液内科外来

 血液内科・第2診察室。

 銀河ぎんが彩人さいと・助教(35)、本日も定刻通りに白衣をなびかせて登場。白衣から除く分厚い胸板に誰もが彼に頼りたくなり、心惹かれる。


 ――特に男性に。


「田中さん、こんにちは。鉄剤がよく効いてますね。顔色が良くなってきました」


 優しい笑顔と端正な顔立ち。くせのない黒髪がさらりと額にかかるたび、患者の呼吸音が乱れる。

 そしてあの声である。

 低い声だが患者を包み込むような声……それは酸素よりも濃度が高いもの。まるで目の前に緑とオアシスが広がる癒しの時間である。


 今日の午前外来も、銀河先生狙いの“貧血患者”で予約がいっぱいだった。少なくとも3人が再診時にフラつきを訴え、1人が「鉄が足りない気がするんです」と訴え、そして1人がプレドニン(副腎皮質ホルモン剤)の投与で妙に元気になり……。


「先生! あの、聞いてください! 僕……! 僕はずっと前から……」

「え、あっ、あの……ベッドに戻ってくださいね? 血圧も測りますから」


 診察室が一瞬、告白の場になりかけた。慌てた看護師がすぐに部屋に入って血圧計を銀河に渡し、彼は冷静な顔でそれを患者の腕に巻く。


「プレドニンの副作用ですね。多幸感が出ることがあります。はい、深呼吸して」

 そんなやりとりを、隣室で静かに聞いていたのが――井園いぞのとおるだった。


(……またか)


 パソコンの画面を睨みながらも、耳はつい隣に向いてしまう。

 銀河の声が聞こえるたびに、胸の奥がひどく痛んだ。

 医者として、彼は間違いなく“最高の一人”だった。

 そして、恋する相手としても――。


「銀河先生、また“被害者”増えてるんだ。数日後には恋患いで再来院だろうな……話を聞くときは、PC画面を見ながらじゃなくて、必ず患者の目を見るんだよな。あの人は」


 井園はそっと呟いて、静かにマウスを握り直した。だが、彼の指先は少しだけ震えていた。


(一番一緒にいる時間が長いのは、僕なのに……)


 銀河と井園は医大生時代にサークルで出会った。

 3つ歳上の銀河のことを井園は初めて見た時から気になっていた。

 サークルに行けばいつも隣に銀河がいて、課題や実習の相談に乗ってもらううちに特別な想いを寄せるようになる。


 また井園が実習で血液内科病棟に行った時には、銀河は既に研修医であった。そこで初めて見る骨髄検査の様子に恐れを感じた井園の背中をゆっくりと……丁寧にさすってくれたのも銀河だった。


 銀河を追って同じ病棟に配属が決まった時には嬉しさのあまり、彼に気持ちを打ち明けようとしたぐらいだ。しかし研修医であっても、病棟では先生扱い。多忙である上に医者として患者の“人生”に向き合わなければならず、銀河に対して“余計な事”を話す時間などない。


 そして気づけば銀河も井園も30を超えた。2人とも病棟患者や外来患者の対応で慌ただしいが、唯一外来の曜日が重なる時――火曜日。

 第3診察室にいる井園は患者の対応をしながらも、銀河のいる第2診察室の様子が気になって仕方がない。


 それでも井園は彼への想いを抑えながら、そして彼にだけは実習時のような弱さをもう見せたくないという気持ちもあり、今年も日々身体を酷使することになる。


 ――やがてそれがあのようなことになるとも知らずに。



 ※※※



 水曜日の午後。

 血液内科病棟には骨髄移植後などにプレドニンを投与される患者が多く入院している。プレドニンの副作用の一つと言われる多幸感……これが何故か銀河が病室を回る時によく表れる。男性患者に。


「先生……好きです……うぅっ……先生の白衣が……眩しすぎます!」

「えっ? 太田さん……落ち着きましょうか。もともと太田さん、過活動気味ですので……」

「先生がカッコ良すぎるからです……先生のせいですっ……」


 カーテン越しに聞こえる男性患者の声。4人部屋であればあとの3人もその声を聞いて、カーテンを開けて銀河の方に向かう。


「先生……私も前から憧れていたんです……鉄剤をもっとください」

「俺もプレドニンを減らしたいのですが……徐々にで大丈夫ですので……まだまだ先生の顔を見ていたいので」

「僕にもプレドニンを投与いただけませんか? けっこう減らされて元気が出ないのです……あの時のようにもっと先生に頼りたい」


 3人に言い寄られているところに偶然通りかかった井園が止めに入る。


「皆さん、ベッドに戻りましょう。太田さんはこの後リハビリでしたよね。行きましょうか」

「井園先生じゃなくて銀河先生に連れて行って欲しいですっ……」

「銀河先生はまた来てくださいます。太田さんのリハビリも応援してくださっていますから。ねぇ銀河先生」

「……ああ、そうですね。太田さん、看護助手を呼ぶから車椅子に乗りましょうか」


 井園の機転のおかげで患者の太田はどうにかリハビリに行ってくれた。


「ありがとう、井園」

「銀河先生……」

「助かったよ……って、お前最近……顔色悪くないか?」

「いえ、そんなことございません」


 そう話しながらナースステーションへ戻る途中だった。井園は急にふらつき、壁にもたれかかる。


「井園?」

「……すみません、ただの立ちくらみですから」

「あんまり無理するなよ。いつもありがとな」


 病棟で見る銀河の笑顔。

 2人の時だけ自分のことを呼び捨てにしてくれる銀河に対し、淡い恋心が井園の中に咲いていた。

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