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第2話 医者として

 次の火曜日、銀河ぎんがはいつも通り白衣と共に第2診察室に入る。午前中は相変わらず予約でいっぱいである。何故男性患者が自分に対して想いを伝えるのかがわからない。そこまで自分に魅力があるとは思えないのだ。


「……俺の何がそんなにいいんだ? 昔から兄貴の方がずっと優秀だったのに」


 銀河家は全員医者である。父は院長、母は皮膚科医、兄は父の病院で次期院長として有力視されている敏腕外科医。

 彩人さいと自身もこの家に生まれたからには医者となることが絶対であった。代々医者の華麗なる一族と言われているが、実際には兄の方が幼い頃から優秀であった。


「お兄さんはこのような所で計算ミスなどしませんでしたよ! 一からやり直しです、彩人くん」


 小学生の頃は友人と遊びたくても専属の家庭教師に毎日のように机に向かわされ、知識ばかり詰め込んだ。結果としてどうにか医大には合格できたが、その医大は父や兄の通ったところではない。


 両親ともに期待するのは兄のほう。

 自分には見向きもしない。

 正確には、何かに失敗した時のみ責められる。


 そのような彩人は医大に入学するために家を出た。あえて実家から遠くの場所を選んだのだ。あの家にいると肉体的にも精神的にも息苦しくなる。医大にさえ合格すれば親の目から離れても良いだろう。


「……どうすれば、友人が出来るのか」


 医大に入ってまずそれを考えた彩人。これまで実家に“支配”されていたようなもの。自分から誰かに話しかけるとしても最初の声の掛け方が分からない。


「漢方医学研究サークルです。いかがですか」

「えっ……俺は……」

「……君、すごく魅力的だ。あ、ごめんつい本音が出てしまった。何というか、天から舞い降りた王子様のようだ」


 彩人はこの漢方医学研究サークルに入ることとなる。生まれて初めてここまで褒められて、ついYesと答えてしまった。


「そりゃそうだ。これまでほとんど外に出ずに過ごしていたのだから、紫外線は人と比べれば浴びていないはずだよな」


 彩人は自宅マンションでこう呟き、自身の白っぽい腕を見ながらため息をつく。それでもこんな自分なんかに声をかけてくれたことが嬉しかった。正直サークルはどこでも良かったが漢方医学研究サークルであれば、勉強も兼ねており悪くはない。


 ちなみに銀河家では文武両道が義務付けられていたので、彩人の運動神経は抜群である。ただし、実家地下室のジムで運動をしていたためやはり外に出る機会は少なかった。

 その結果、身体つきは逞しく綺麗な白肌、生まれながらの端正な顔立ちも合わさって“天から舞い降りた王子様”と呼ばれたのであろう。


 そして彼が4年生の時に1年生として井園いぞのがサークルに入る。井園は細身でふんわりとした茶髪、自信のなさげな学生であった。そのような姿にどこか自分と似たようなものを感じた彩人は井園にすぐ話しかけた。


「緊張しているのか?」

「ぎ……銀河さん……僕はたまたま受かっただけなんです。模試だってずっとE判定だった。なのにこの医大だなんて。周りがみんな優秀でついていける気がしなくて」

「ハハッ……そんなのどうにかなるさ。俺だって色々と不安だった。実家から離れた解放感はあったが……最初は君と同じだった」

「……銀河さんみたいな人に言われるなんて……僕、嬉しいです」


 井園のホッと和らぐ笑顔に彩人自身も心が癒される。これまで自分がそうだったように井園もどこか不安定な気がする。それなら今度は自分が支えてやりたいと思うまでになった。

 いつも隣で冗談を言いながらも自分を慕ってくれた井園。彼と話していると実家のことや兄のこと、全てがどうでもよくなっていた。


 やがて彼も実習生となったが、骨髄検査の見学の時に実際にその“現場”を見て緊張で震えているのがすぐに分かった。


 座学であのような検査をすることは分かっていても、いざ実習となると恐ろしさを感じる者もたまにいる。研修医であった彩人は井園の隣にスッと立ち、彼の背中を……ゆっくりとさすった。井園は彩人の方を見て少し頬を赤らめていたが、震えが徐々に収まっていったようで、笑顔を向ける。


「銀河さん……じゃなくてもう……銀河先生ですよね。ありがとうございました」

「落ち着いたか?」

「はい……おかげでしっかりと観察できました。実習って……ためになりますね」

「当たり前だろうが」

「ハハ……ですね!」


 その後、井園も国家試験を突破し同じ血液内科病棟に所属することとなった。

 医大に「たまたま受かっただけ」と言っていた井園は周りにもっと追いつこうと、日々の努力を怠らなかった。遅くまで残って医学書を読んでいたこともあった。


「井園……まだ残ってたのか?」

「銀河先生、川上さんの……この腫瘍について全身の放射線治療で本当にいいのかが気になって。川上さんはこれまでも吐き気が酷く出る患者さんだった。だから……」


「本当に井園は真面目だな、俺も見ようか?」

「いえ、僕一人で大丈夫ですから。銀河先生は明日夜勤ですよね? 今日は早く帰っていただいた方が」

「……よく知ってるんだな」

「それは……」


 井園は銀河彩人――彼のことを一番に考えるようになっていた。患者のことも大事であるが、銀河にだけは心配をかけたくない。尊敬している銀河に追いつきたい。


 もちろん血液内科には銀河以外の先輩医者もいるが――彼らに励まされたり褒められたりしても、いつも思い出すのは銀河だけなのだ。

 その気持ちが高まり、30を過ぎた今でも自分のことだけでなく銀河をサポートしようとしている。


「どうしてあいつはいつも俺のことを気にかけてくれるんだろうか。男性患者に言い寄られるのは困るのだが、もしこれが井園なら……困らないような気がする」


 銀河が部屋でそう呟く。

 初めて感じる不思議なこの気持ちをどう表現すれば良いのか。


 一方で井園は時折、自宅ソファで脇腹に手を添えながらぼんやりと天井を眺めてこう言っていた。


「最近……患者と向き合うの……疲れてきたかも」

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