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【第1話】②

 ──コイツ、ちょっとヤバいな。俺は被虐趣味なんかないし、こんな奴とセックスなんてどんな目に合わされるかわかったもんじゃない。


 まして相手は、おそらく瑞貴を誤解している。故意にミスリードしたと言えなくはないし、途中で訂正も軌道修正もしなかったので自分の責任もあるのはわかっていた。

 単に舐められているだけなら、当然面白くはないが実害はない。しかし何をしても大丈夫だなどと思われていたら危険だからだ。

 実際には瑞貴は黙って言いなりになるようなことはしないが、ホテルという密室で、しかも自分より体格のいい男が相手では分が悪い。いざというときになって、抵抗を封じられたりしたら大変なことになる。瑞貴はいかにも非力そうな見た目に反してそれなりに力はあるのだが、そもそも荒事になって怪我でもさせられたら……。


 本性を最初に見抜けなかったことを悔やんでももう遅いのだ。

 ただ一点、繕うこともなく全開にしているという意味でだけは、普通の仮面を被ってぎりぎりまで隠し通していきなりベッドで本性剥き出しにするような奴よりはまだましだと思うしかなかった。

 現に、こうして事前に対策を講じるだけの余裕もある。もちろん、どちらも御免被りたい相手に変わりはないのは言うまでもない。

 もうこうなるとさっさと断るに限る。けれど目の前にいるような自信過剰男が、振られて「ハイそうですか」とあっさり引き下がるとは思えないのが問題だ。

 もうひとつ。瑞貴にとっては初めての店だが、もしこの男が常連だとしたら。

 できるだけ避けたいが、もし争いにでもなった場合に周りがこの男に味方したりすると厄介だ。


 ──あー、もう。参ったな……。


「ねぇ、ちょっと出ない?」

「……いいね」

 いったん外に出た方がよさそうだと判断して、瑞貴は男に声を掛けた。足元を見られないようにかあからさまに喜びは表さないものの、男はすぐに承諾した。

 無言で席を立ち会計を済ませてきた彼に、瑞貴はドアの手前で適当に札を押し付ける。


「いいよ、今日は俺が」

「自分の分は払います」

 この程度のことで偉そうにされたら堪らない、と瑞貴は引かなかった。

 奢るという自分に頷かないことでも、瑞貴をこういったことに慣れていないと判断したのか。店先で揉めるのもスマートではないと嫌がり、彼は嘆息して瑞貴の差し出す金を受け取って無造作にパンツのポケットへ捩じ込んだ。


 ──俺は酒飲んでさえいないんだから、これで恩に着せられればコイツには安上がりで願ったり叶ったりかもしれないけどさ。そうでなくても、できる限り借りは作りたくないんだよ。


 瑞貴はそれでもうっすらと愛想笑いを浮かべて、男に続き店から出る。これからの少し気の重い流れを頭の中で描きながら。

 予想に違わず、そこからひと悶着があった。

 向こうはもうすっかり瑞貴を手中に収めたつもりでいたらしく、まさか拒否されるとは思ってもみなかったようだ。無理もないが、このままホテルへと誘われたと受け取ったに違いなかった。

 自分よりずっと小柄で年下、しかも勝手な思い込みに過ぎないが『おとなしくて可愛い』瑞貴などいいように扱えると考えていたのだろう。もしかしたら瑞貴は年より若く、というより実際にまだ二十歳なので幼く見られていた可能性もある。

 だが瑞貴は、顔に似合わず決して従順なタイプではないのだ。


「ゴメンね。今日は俺、なんかその気になれなくて。ホント悪いけど」

 それでもしばらくは不本意ながらも下手に出て、なんとか穏便に済ませようと努力してはみた。


 ──お前の好みだっていう「遊び慣れてなくて可愛い子」が、自分からホテル行こうなんて誘うはずねぇだろ。もうちょっと現実見ろよ。


「大丈夫だって。怖いんだろうけど、俺に任せとけば大丈夫だから」

 ──誰が怖がってるってんだよ、話勝手に作ってんじゃねーよ。お前だから嫌なんだよ!

 噛み合わない会話からも察せられたが、話を聞かない、理解する気もない独り善がりな男。

 彼にそれ以上言葉を尽くすのも無駄にしか思えなくなり、結局瑞貴は実力行使でその男を振り切って逃げる。


「っ! おい、お前。待てよ!」

 いきなりぱっと身を翻して駆け出した瑞貴に、男は一瞬不意を突かれて動けなかった。

 その間に瑞貴は人混みを縫うようにして走り、すぐにその場から姿を消してしまう。


「何なんだよ、お前!」

 誰もいない山奥でもあるまいし繁華街で派手な捕り物もどきなどみっともなくてプライドが許さなかったらしい。男はその場で悪態をついただけだった。

 無関係の歩行者にぶつからないようにだけ気を配って、瑞貴は宵の街を走り抜ける。

 体格には恵まれなかったが運動神経はいい方なので、並の相手に足で負ける気はしなかった。

 とりあえず追われている気配もないようなので、瑞貴はひとまず安心して足を緩める。


 ──なんとか撒いた、かな? つーか追い掛けても来てないのか。いやでも俺、逃げてる間は全然後ろなんか見てなかったし。


 万が一にも後をつけられて、家を突き止められたりしたら困る。瑞貴はそのまましばらく周りに気を配りつつ歩き回った。油断大敵。何とか大丈夫だと確信を得られるまで時間を潰すために。

 ……思えば、今までが上手く行き過ぎていたのかもしれない。行き摺りの見も知らぬ相手と、というのはこういう危険含みでもあるのだと瑞貴は今更のように認識する。これからは、もう少し気をつけた方がよさそうだ。

 ここまで来ても自分の行動を根本的に変える気などはなく、表面的な反省だけしながら瑞貴は帰途に就いた。


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