もう何度目かもわからない、数えることさえとうに放棄したその先の二人きりの夜。
──最初のうちは、孝輔さんとするのこれで何回目っていちいち数えてたんだよなぁ。まさか少女漫画のヒロインじゃあるまいし、日記につけたりはしてなかったからすぐにわかんなくなっちゃって止めたけど。
「これが最後かもしれない。もうそろそろ、先生も目新しい遊びには飽きる頃じゃないか」
毎回繰り返す疑心暗鬼の中で、瑞貴にとっては着実に増えて行く数字だけが明確に信じられるものだった。
記録はしていなかったので、回数を重ねるごとに曖昧になって行ったのも確かだ。だが、数えるのを止めた本当の理由は「もう必要がない」と瑞貴が自然に感じられたからだ。
南条との時間はこれからも絶え間なく続いて行くのだろうと頭ではなく心で信じられるようになり、いつの間にかそんなことさえ忘れていた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、いつから? いつから俺のこと、そういう意味で好きになったの? 最初から、なんて見え透いた嘘はなしでね」
愛し合ったあとの気怠い空気の中で、瑞貴は南条に尋ねた。
まるで行き当たりばったりの、それこそ成り行きとしか言いようがなかった二人の初めての夜。
南条と瑞貴の間には、愛などというものは影も形もなかった。あったのは多少の意地と憤りと、そして……?
あの日、瑞貴を『恋人』だと。『恋愛』しようなどと南条は言ってくれたものの、あれはやはり同情でしかなかったのだろうと思っている。
事実はどうであれ、少なくともそれが瑞貴にとっての真実だった。それ以外に、あのとき南条が自分を選んだことに理由など見つけられない。
瑞貴があまりにも惨めで可哀想だったから、優しいこの人はそんな学生を突き放せなかった。別に卑屈になっているわけではなく、冷静に自分のことを分析した上で導き出した答えだと瑞貴は考えている。
──もちろん、あのセックスが孝輔さんにとって、どうしても受け入れがたいものじゃなかったのが、何よりも大きいんだろうけど。
瑞貴はこうなってからも時々、二人の始まりのことを思い返しては同じ結論に達していた。そういう意味では、慣れていてよかったのかもしれない、のか。
南条も『身体から』だったという点では、それまで瑞貴が抱かれた男たちと何ら変わらなかった。しかし今では、彼が本当に瑞貴を好きだと信じられるのだ。二人で過ごした時間を経て、ようやく自信を持てるようになった。だから思い切って、ずっと気になっていたことを訊いてみる。
瑞貴の囁きに、南条は少し逡巡するように目を泳がせてから答えてくれた。
「いつ、……からか。気持ちにはっきり線引くのって難しくない?」
──それは確かにその通りなんだけど。でも、まったくのゼロからの変化はちょっと違うんじゃないの?
別に言い訳などとは思ってもいないが、瑞貴がそんな風に考えていたところへ彼は言葉を重ねる。
「でもね、瑞貴は信じないかもしれないけど。きっと最初のあの時から、君に特別な想いはあった、ような気がするんだ」
南条の言葉は、瑞貴には正直意外だった。
もちろん一度として、嫌われているとか疎まれているなどと感じたことはなかった。しかし南条が自分に向ける感情は、あくまでも研究室の学生の一人として、教員と教え子としての、謂わば型通りの域を出ていないものだとしか捉えたことがなかったからだ。
「まあいちばん最初に『付き合おう』って言ったのが、その場の勢いだったのは認めるよ」
──それはもう、よーくわかってますよ。
それでも自分に都合が悪いようなことにも向き合って曖昧に誤魔化したりしない南条は、まさしく真正直な人間なのだと瑞貴は思う。
だからこそ「何故、そんな彼が自分と」というのが気になるのだ。
「だけどまったくそういう気持ちがなければ、さすがにそんなことは言えなかったと思うんだよね」
南条が苦笑しながら付け加える。
「いくらなんでも、学生への心配だけでそこまではできないだろう?」
確かに、それはそうかもしれない。
元から男が恋愛対象の瑞貴でさえ、同じ性指向なら誰でもいいなんて思えないのだ。
ましてそんなことは考えたこともなかっただろう南条なら余計にそうだろう。実際にあのときの瑞貴も、ぎりぎりになってまでも彼が本当にそこまでできるのかと疑っていた。
「切っ掛けは確かになし崩しでどうしようもないものだったかもしれないけど、僕は君が心のどこかでずっと気になってた、んじゃないかな。だから自分を安売りする君に、無性に腹が立ったのかもしれない」
……安売り。
言葉にすればひどいものだが、確かにそうかもしれない。いやむしろ、あれは安売りというより投げ売りだったのではないか?
あのときの南条の気持ちを、改めて聞かされるのは初めてだった。瑞貴には思いもよらなかった恋人の想いを知って、嬉しいと同時に何とも形容しようがない複雑な感情に襲われる。それはきっと、悔恨というのが最も近いのかもしれなかった。
南条の台詞には言葉通りの意味しかない、それは瑞貴にもよくわかっている。単に瑞貴自身が、以前の自分を軽蔑しているのだ。
捨て鉢で愚かな自分の生き方の意味が、誰よりも愛しい人を得て初めて真に理解できた。
今の自分を形成する一要素であるのは間違いないが、できることなら忘れてしまいたい。けれど決して消すことなど叶わない過去の行い。
「……あの夜、瑞貴のことが本当に可愛いし、好きだって感じたんだ。だから君と、その場限りや身体だけなんかじゃなく、心も交わしてこのままずっと一緒に居たいと、そう思えたから」
ゆっくりと言葉を選びながら、南条は瑞貴への想いをひとつひとつ形にしてくれる。
「始まりがどうだったとしてもさ、今は瑞貴のことだけ愛してるよ。……それじゃダメかな?」
駄目なわけなどある筈もなかった。そもそも、瑞貴は南条を問い詰める意図で訊いたわけではないからだ。
──俺に『愛』を、ずっと渇望していたものをくれたあなたに、少しは何か返せていたらいいんだけど。
瑞貴は、この想いが少しでも伝わるようにと願いを込めて、同じベッドで並んで寝ている恋人にぎゅっと抱き着いてキスをした。
~『Stay Mellow』END~