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【第4話】②

    ◇  ◇  ◇

 しばらくぼんやりとしていた南条に、急に眠気が襲って来る。一度にいろいろなことを考え過ぎて、頭も疲れてしまったらしい。

 このまま寝てしまう前に、とゆっくり起き上がってバスルームに行き、ざっとシャワーを浴びた。目は冴えたが気づいたばかりの想いが醒めることはなかったのに少し安心して、自然に口角が上がるのを感じる。

 シャワーを終えて、今度は南条も腰にタオルを巻いただけの格好でベッドまで戻って来た。そして熱い湯で絞ったタオルで、瑞貴の汗やその他で汚れた身体を拭き清めてやる。


「南条先生にそんな、そんなことさせるのは……」

 そのころには少し正気も戻って来ていたらしい瑞貴は、遠慮して固辞しようとした。

 しかしまだあまり身体に力も入らないようで、結局はそのまま南条にすべてを任せている。


「……ごめんなさい」

 震える声で謝る彼の身体に布団を掛けてやり、ベッドの端に腰掛けた南条は笑って返した。

 強がっていても、虚勢を張って悪ぶってはいても。きっとこれが瑞貴の『本性』だ。


「恋人同士なんだからこれくらい当然だろう? こういうことに上下関係なんてないから。そこは普段の関係とは切り離して考えていい。僕がやりたいからやってるんだよ」

「そういう意味じゃなくて、っ、恋人⁉」

「そう、恋人。もう忘れたのか、酷いな。僕と付き合おうって言ったじゃないか」

 南条は笑って瑞貴に告げた。故意に相手の言いたいことに気づかないふりをして、はぐらかすように会話を続ける。


「だからこういうことしたんだろ?」

「……恋人」

「そうだよ。これから君は、僕と『恋愛』するんだ」


 ──そして、僕も君と。


 声には出さずにそう呟くと、南条は横たわる瑞貴を斜めに見下ろして今度こそはっきりとした意思を持ってその髪を優しく撫でた。瑞貴はそっと目を閉じて柔らかな笑みを浮かべ、黙って南条の手の動きを受け入れている。

 そのまま繰り返し単調なリズムで撫でられるうちに、瑞貴はまるで幼い子どものようにすとんと眠りの淵に落ちて行った。それを見届けて、南条も寝息を立てる彼の隣に潜り込む。瑞貴の、同じように目を閉じてはいても終わったばかりのあのときとはまるで違う、無防備であどけない寝顔を眺めながら考えた。


 己の人生にこんなことが起こるだなんて、昨日、いやつい先程まで思ってもみなかった。南条はまるで夢を見ていたかのような、ここ数時間の出来事を反芻してみる。

 現実味は今もなかった。……けれど、これは間違いなく南条の『現実』なのだ。

 すぐ傍らでぐっすり眠り込んでまったく動かない瑞貴の、何も身に纏っていない剥き出しの肩や腕に手慰みのように触れると、確かな質感を持つ彼の身体がこれが夢でも幻でもないと教えてくれる。


 今日から、いまこの瞬間から恋人になった瑞貴について、南条はまだ何も知らないに等しかった。

 今まで講師と学生として接する中でそれなりに把握していたつもりだったのは、まさに『つもり』でしかなかったのだと思い知らされたばかりなのだから。

 この、自分にとってなんとも不思議な存在についてもっと知りたいという気持ちが、南条の中に生まれて育って来ていた。きっと知らない方がいいことも少なくはない筈だ。瑞貴にとっては、知られたくないことも多いのだろうと容易に想像がつく。

 ……彼が言いたくないのなら無理に口を開かせる気などはないけれど、いつか話す気になったら聞かせて欲しい。

 今日はなんだか寝られる気がしなかった。眠いと思ったときにシャワーを浴びたりしてタイミングを外してしまったからか?


 そんな風に考えていたにも関わらず、『恋人』の規則正しい寝息を聞くうちにいつの間にか南条もまた眠りにいざなわれて行った。


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