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第8話「魔性の男」

 学園祭当日。

 快晴の青空の下、キャンパスは朝から多くの来場者でにぎわっていた。模擬店の匂いが立ち込め、楽しげな音楽が流れ、どこも笑い声が響いている。

 大知たちの縁日屋台も、予想以上の盛況ぶりだった。子ども連れの家族、他学部の学生、地域の住民たちまでが訪れ、途切れることなく人の波が押し寄せている。

「いらっしゃいませー!輪投げは一回100円ですー!」

 悟の明るい声が飛び交い、将吾が焼きそばを器用に炒め、朋子が受付と会計を完璧に捌いていく。純は裏方で景品の補充を黙々とこなし、亜紀は来客の子どもたちの相手を優しくしていた。

 そして大知は、あちこちを巡回しながら、細やかに全体を見守っていた。

「すごいな、盛況だな」

 ふと、通りがかった上級生が声をかける。

「ありがとうございます。皆のおかげです」

 柔らかく微笑んで答える大知に、上級生は思わず感心した表情になる。

「お前、本当に人を巻き込むのが上手いなあ。いや、巻き込むっていうより、自然と集めちまうんだな」

「そんなことないですよ。ただ、皆が頑張ってくれてるだけです」

 その謙遜ぶりもまた、見る者を好感に導いてしまう。

 周囲の空気が絶妙に温かく、柔らかく満たされていく。そこに生まれる独特の磁場。

「……やっぱり魔性の男だな」

 先輩が冗談めかして呟くと、大知は少し照れたように笑った。

「最近、そう呼ばれることが多くて困ってます」

「いいじゃねえか。まあ悪い意味じゃないよ。ある意味、才能だわ」

 先輩が軽く肩を叩いて去っていく。

――

 午後になっても来場者は途絶えず、屋台の中も外も活気に満ちていた。

 だがその裏で、小さなトラブルは続いていた。

「悟くん、たこ焼きのガス、残り少ないよ!」

「マジか!追加取ってくる!」

「純くん、こっちの輪投げ景品、在庫がもうこれだけ」

「わかった、今詰め替える」

「朋子さん、両替の小銭が……」

「大丈夫。用意してあるから」

 阿吽の呼吸で動く仲間たち。だがそのすべてを把握して柔らかく支えていたのは、大知だった。彼が動くと空気が整う。誰も慌てず、誰も責めず、皆が自然に役割をこなしていく。

 その様子を遠巻きに眺めながら、亜紀がぽつりと呟く。

「……本当に不思議な人ね」

 朋子が苦笑しながら答える。

「見れば見るほど、恐ろしいわよ。無自覚なのがまた厄介なの」

 純が腕を組んで続けた。

「ま、悪いやつじゃねえからこそ成立してんだろ。下心とか計算が見えたら、反発も起きるけどな」

「そうそう。あいつ、天然だから成立してんだよ」将吾も鼻を鳴らす。

 そこへ、悟が冷たいジュースのカップを片手に戻ってきた。

「でさ、結局今日も誰一人文句言わずに全部回ってるんだからすごいよな。やっぱズルいって、あいつ」

「ほんと魔性だわ……」

 朋子の言葉に、全員が苦笑混じりにうなずいた。




 夕暮れが近づくにつれて来場者の波も落ち着き、ようやくひと段落ついた。縁日屋台の控えスペースに六人が集まり、テーブルを囲んでジュースのカップをカチンと軽く鳴らす。

「いやー……やり切ったな!」悟が大きく伸びをしながら叫んだ。

「大したトラブルもなく終わったのが奇跡みたいだな」将吾がしみじみと呟く。

「前日の準備が修羅場だったからな」純が苦笑し、皆が笑った。

 朋子は手帳を閉じながら一息ついた。

「でも、やっぱり良かったわね。思ってた以上に成功して」

「ええ。子どもたちも楽しそうだったし」亜紀が穏やかに微笑む。

 そんな中、純がふと真顔になって口を開いた。

「……なあ、大知」

「うん?」

「お前さ、結局のところ、何が欲しいんだ?」

 少しだけ、空気が静まる。いつもなら軽口で流れる話題だが、今回は違った。

 純の問いは、純粋な好奇心以上のものを含んでいた。

「俺たちはそれぞれ、何となく欲しいものがある。楽しさだったり、将来だったり、挑戦だったり。でもお前はいつも、皆のことを優先してる。……それって本当に、お前自身が望んでることなのか?」

 静寂の中、大知は少しだけ目を伏せた。

「……皆がこうして一緒にいてくれるのが、一番嬉しいよ」

 ゆっくりと、けれど迷いのない声だった。

「僕は、誰かと一緒に何かをしている時間が好きなんだ。だから皆が笑っていてくれたら、それだけで十分だよ」

 その言葉に、しばし誰も返事ができなかった。重たくはないが、どこか切なさが漂っていた。

 ふいに悟が立ち上がり、ぐっと大知の肩に腕を回した。

「まったくお前は……そうやってまたズルいこと言う!でもな、もしお前が寂しくなった時は、俺たちがいるからな?」

「……うん」

 肩越しに笑う大知の目に、一瞬ほんのわずかな潤みが滲んだのを、朋子は見逃さなかった。

(ああ、この人は……やっぱり自分の寂しさを誰にも押しつけないんだ)

 亜紀がそっと囁くように付け加えた。

「そうね。私たちがいる限り、大知くんが独りにはならないわ」

「当然だろ」将吾がぼそっと言い、純もうなずいた。

「まあ、お前の面倒くらいは見てやるよ」

 自然と輪になるように集まった六人。学園祭のざわめきが少し離れた場所で続く中、この一角だけがやけに暖かく感じられた。

 朋子はゆっくりと、確信を込めて言った。

「……やっぱりあなたは“魔性の男”ね、大知」

 皆がクスクスと笑い出す。悟が大げさに叫んだ。

「決定ー!本日をもって正式に命名だな!」

 大知は困ったように微笑んだまま、小さく首を振った。

「もう……みんな、からかうのが好きだな」

「まあな!」

 悟の言葉に皆が笑った。

 こうして、大知を中心に育まれた小さな磁場は、静かに、だが確かに揺るがぬ絆へと形を変えていった。




 打ち上げの帰り道、夜のキャンパスは静まり返っていた。

 灯りの消えた屋台の残骸を横目に、六人はゆっくりと歩く。

 ふと、亜紀が立ち止まって空を仰いだ。

「星、きれいね」

「おう、ほんとだ。今日はよく見えるな」将吾が続ける。

「この学園祭、なんかすごくいい思い出になったなぁ」悟が感慨深げに呟いた。

「うん」大知も穏やかに答えた。

 朋子がふと足を止め、大知の隣に立った。

「……ねえ、大知」

「うん?」

「あなた、これからもこうやって皆を引き寄せていくんだろうね」

 大知は少しだけ考え込んだあと、微笑んだ。

「僕は引き寄せてるつもりはないよ。ただ、誰かと一緒にいるのが好きなだけなんだ」

「それがもう“魔性”なのよ」

 朋子は苦笑しながらも、どこか満たされた顔でそう言った。

 純が後ろからぽんと背中を叩く。

「ま、今はそれでいいさ。何かあっても、誰かが突っ込むだろうしな」

「おう。俺らがいる限り、調子に乗ったらぶん殴ってやるよ」将吾がにやりと笑う。

「それが友情ってやつよね」亜紀が静かに微笑む。

 悟が両手を大きく広げた。

「よーし!じゃあこのまま次の打ち上げ計画立てるぞー!」

「お前、打ち上げは今日やったばっかだろ」純が呆れた顔でツッコむ。

「細かいことは気にしなーい!」

 賑やかな笑い声が夜空に溶けていく。

 夜風が若葉を揺らし、遠くで虫の声が静かに響いていた。

 こうして——

 彼は正式に、“魔性の男”と呼ばれるようになった。

 だがその魔性とは、誰も傷つけず、誰も無理をさせず、ただそっと人の心に安らぎを与える、不思議な柔らかさだった。

 彼の磁場の中心には、寂しさすら抱きしめる優しさが、静かに漂っていた。


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