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第7話「小さな危機」

 学園祭まで、ついにあと三日。

 キャンパスは準備に追われる学生たちでごった返していた。どの教室も廊下も、ダンボールや道具が山積みになり、慌ただしい声が飛び交っている。

 その中心のひとつ、縁日屋台の準備班でも、空気がざわつき始めていた。

「ちょっと、こっちのテント設営、予定より遅れてるじゃない!」

 朋子の声が響く。彼女の表情にはわずかな焦りが滲んでいた。ここ数日、想定外のトラブルが立て続けに起きていたのだ。

「す、すみません!ロープが足りなくて……」

 後輩たちが慌てて謝る。

 さらに追い打ちをかけるように別の班から連絡が入る。

「朋子先輩!肝試し用の小道具、注文ミスで数量が足りないって連絡来ました!」

「はあ!? なんで今更!」

 朋子は思わず頭を抱えた。これまで順調だった準備が、ここにきて一気にほころび始めている。

 焦燥が広がり、他の班員たちもピリピリとした空気になっていく。

「どうすんだよこれ!」「こっちも手一杯だってば!」

 怒号こそ上がらないが、誰の表情にも苛立ちと不安が浮かんでいた。

 そんな中、大知が静かに現場を見渡していた。

 彼は一人一人の顔をゆっくりと確認してから、そっと口を開いた。

「みんな、大丈夫。今ならまだ調整できる時間があるよ」

 その落ち着いた声に、ざわついた空気が少し和らぐ。

「朋子さん、肝試しの小道具は代用品で対応できるものをリストアップしよう。僕と純くんが手分けして集めに行く」

「え?あ、うん……」

「テントのロープは、将吾くんと悟くんでホームセンターに買い足しに行ってくれる?」

「お、おう、任せろ!」悟が即座に返事する。

 将吾も肩をすくめつつ頷いた。

「ったく……仕方ねえな。行くか」

 大知は次々と指示を出しながら、決して責める言葉を使わなかった。むしろ皆の不安を吸収するように、柔らかく支えていく。

 朋子はその様子を見ながら、ふと胸が熱くなるのを感じた。

(まただわ……。こうやって、誰も責めずに、自然と皆を動かしていく……)

 その柔らかな磁力に、焦燥すらも吸い寄せられていくようだった。




 夕方にはすべての買い出しと代用品の手配が終わり、なんとか形が整い始めた。

「よし……これでひとまず明日の通し準備には間に合うな」

 将吾がホッとしたように言う。隣で悟が両手を上げた。

「いやー、危なかったな!正直、胃が痛くなるかと思ったぜ」

「実際ちょっと痛くなった」純がぼそっと呟き、皆がくすっと笑った。

 その輪の中心で、大知は穏やかに微笑んでいた。

「本当に皆が動いてくれたおかげだよ。ありがとう」

「お前があんだけ自然に指示出すから、動きやすかったんだろ」

 将吾がやや照れくさそうに言うと、朋子も小さく頷いた。

「……そうね。私、今日ちょっと焦りすぎてたわ」

「大丈夫。焦るのは、それだけ大事に思ってるからだよ」

 朋子は苦笑する。

「ほんと、あなたってそういう言葉が自然に出るのね。羨ましいくらい」

「朋子さんの準備がなかったら、今頃もっと大変だったよ」

 その真っ直ぐな言葉に、朋子は思わず目を伏せた。少しだけ、また泣きそうになる。だがそれを悟が茶化す。

「お、また告白タイムか?そろそろ大知争奪戦始まる?」

「バカ言わないで」朋子がすぐに返すが、その表情はもう柔らかい。

 亜紀がそんなやり取りを静かに見守っていた。小さく笑いながら、そっと独り言のように呟く。

「……ほんとに、見事な磁場ね」

 純がすぐに食いつく。

「もうそれ、あだ名にしちゃえよ。“磁場の男・大知”って」

「いや、それだとカッコよすぎるから、やっぱ“魔性の男”の方がしっくり来るわ」朋子が軽口を叩く。

「俺は“天然吸引機”とかの方がピッタリだと思うけど」将吾がぼそっと付け加えると、皆が一斉に笑った。

 その中心で、大知は少しだけ困ったように微笑む。

「どんなあだ名だって、こうして皆が笑ってくれてるなら嬉しいよ」

 悟が肩を組みながら叫んだ。

「ほら出た、またそれ!ほんっとズルい男だぜ!」

 夜のキャンパスに笑い声が響く。トラブルはあったが、それを乗り越えたことで、この小さなグループの絆はまた少しだけ深まっていた。




 翌日、学園祭前日の最終通しリハーサル。

 縁日風の屋台も肝試しコーナーも、ようやく予定通りの形に仕上がった。班員たちは疲れた顔を見せながらも、どこか誇らしげだった。

 そんな中、最終確認を終えた大知がふと皆を集めた。

「今日は本当に、みんなお疲れさまでした」

 大知の静かな声が、自然と場の空気を整える。

「今回の準備、正直僕一人じゃどうにもならなかった。でも、みんながいてくれたから、ここまで来られたよ」

 朋子が小さく微笑んだ。

「もちろんでしょ。私たち、チームなんだから」

 純が腕を組んでうなずく。

「まあ、最初にトラブル起こしたのは俺たちだけどな」

 将吾が苦笑しながら頭をかく。

「でも、そういう失敗があったから、今こうしてまとまった気もするな」

 亜紀が静かに微笑む。

「危機を乗り越えると、人は強くなるものよ」

 悟が大きく腕を広げた。

「よーし!じゃあ明日は思いっきり楽しもうぜ!」

「うん。明日、きっと楽しい一日になるよ」

 大知の柔らかな笑顔に、皆の顔も自然とほころぶ。

 夕陽がオレンジ色に染めるキャンパス。テントの向こうで、風に揺れるカラフルな飾り付けが静かに踊っていた。

 誰もが知らず知らずのうちに、大知という中心の“磁場”に安心し、引き寄せられていた。

 この日、小さな危機は乗り越えられた。けれど——この「魔性の男」の真価は、まだほんの序章にすぎなかった。

(第7話 完)


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