学園祭まで、ついにあと三日。
キャンパスは準備に追われる学生たちでごった返していた。どの教室も廊下も、ダンボールや道具が山積みになり、慌ただしい声が飛び交っている。
その中心のひとつ、縁日屋台の準備班でも、空気がざわつき始めていた。
「ちょっと、こっちのテント設営、予定より遅れてるじゃない!」
朋子の声が響く。彼女の表情にはわずかな焦りが滲んでいた。ここ数日、想定外のトラブルが立て続けに起きていたのだ。
「す、すみません!ロープが足りなくて……」
後輩たちが慌てて謝る。
さらに追い打ちをかけるように別の班から連絡が入る。
「朋子先輩!肝試し用の小道具、注文ミスで数量が足りないって連絡来ました!」
「はあ!? なんで今更!」
朋子は思わず頭を抱えた。これまで順調だった準備が、ここにきて一気にほころび始めている。
焦燥が広がり、他の班員たちもピリピリとした空気になっていく。
「どうすんだよこれ!」「こっちも手一杯だってば!」
怒号こそ上がらないが、誰の表情にも苛立ちと不安が浮かんでいた。
そんな中、大知が静かに現場を見渡していた。
彼は一人一人の顔をゆっくりと確認してから、そっと口を開いた。
「みんな、大丈夫。今ならまだ調整できる時間があるよ」
その落ち着いた声に、ざわついた空気が少し和らぐ。
「朋子さん、肝試しの小道具は代用品で対応できるものをリストアップしよう。僕と純くんが手分けして集めに行く」
「え?あ、うん……」
「テントのロープは、将吾くんと悟くんでホームセンターに買い足しに行ってくれる?」
「お、おう、任せろ!」悟が即座に返事する。
将吾も肩をすくめつつ頷いた。
「ったく……仕方ねえな。行くか」
大知は次々と指示を出しながら、決して責める言葉を使わなかった。むしろ皆の不安を吸収するように、柔らかく支えていく。
朋子はその様子を見ながら、ふと胸が熱くなるのを感じた。
(まただわ……。こうやって、誰も責めずに、自然と皆を動かしていく……)
その柔らかな磁力に、焦燥すらも吸い寄せられていくようだった。
夕方にはすべての買い出しと代用品の手配が終わり、なんとか形が整い始めた。
「よし……これでひとまず明日の通し準備には間に合うな」
将吾がホッとしたように言う。隣で悟が両手を上げた。
「いやー、危なかったな!正直、胃が痛くなるかと思ったぜ」
「実際ちょっと痛くなった」純がぼそっと呟き、皆がくすっと笑った。
その輪の中心で、大知は穏やかに微笑んでいた。
「本当に皆が動いてくれたおかげだよ。ありがとう」
「お前があんだけ自然に指示出すから、動きやすかったんだろ」
将吾がやや照れくさそうに言うと、朋子も小さく頷いた。
「……そうね。私、今日ちょっと焦りすぎてたわ」
「大丈夫。焦るのは、それだけ大事に思ってるからだよ」
朋子は苦笑する。
「ほんと、あなたってそういう言葉が自然に出るのね。羨ましいくらい」
「朋子さんの準備がなかったら、今頃もっと大変だったよ」
その真っ直ぐな言葉に、朋子は思わず目を伏せた。少しだけ、また泣きそうになる。だがそれを悟が茶化す。
「お、また告白タイムか?そろそろ大知争奪戦始まる?」
「バカ言わないで」朋子がすぐに返すが、その表情はもう柔らかい。
亜紀がそんなやり取りを静かに見守っていた。小さく笑いながら、そっと独り言のように呟く。
「……ほんとに、見事な磁場ね」
純がすぐに食いつく。
「もうそれ、あだ名にしちゃえよ。“磁場の男・大知”って」
「いや、それだとカッコよすぎるから、やっぱ“魔性の男”の方がしっくり来るわ」朋子が軽口を叩く。
「俺は“天然吸引機”とかの方がピッタリだと思うけど」将吾がぼそっと付け加えると、皆が一斉に笑った。
その中心で、大知は少しだけ困ったように微笑む。
「どんなあだ名だって、こうして皆が笑ってくれてるなら嬉しいよ」
悟が肩を組みながら叫んだ。
「ほら出た、またそれ!ほんっとズルい男だぜ!」
夜のキャンパスに笑い声が響く。トラブルはあったが、それを乗り越えたことで、この小さなグループの絆はまた少しだけ深まっていた。
翌日、学園祭前日の最終通しリハーサル。
縁日風の屋台も肝試しコーナーも、ようやく予定通りの形に仕上がった。班員たちは疲れた顔を見せながらも、どこか誇らしげだった。
そんな中、最終確認を終えた大知がふと皆を集めた。
「今日は本当に、みんなお疲れさまでした」
大知の静かな声が、自然と場の空気を整える。
「今回の準備、正直僕一人じゃどうにもならなかった。でも、みんながいてくれたから、ここまで来られたよ」
朋子が小さく微笑んだ。
「もちろんでしょ。私たち、チームなんだから」
純が腕を組んでうなずく。
「まあ、最初にトラブル起こしたのは俺たちだけどな」
将吾が苦笑しながら頭をかく。
「でも、そういう失敗があったから、今こうしてまとまった気もするな」
亜紀が静かに微笑む。
「危機を乗り越えると、人は強くなるものよ」
悟が大きく腕を広げた。
「よーし!じゃあ明日は思いっきり楽しもうぜ!」
「うん。明日、きっと楽しい一日になるよ」
大知の柔らかな笑顔に、皆の顔も自然とほころぶ。
夕陽がオレンジ色に染めるキャンパス。テントの向こうで、風に揺れるカラフルな飾り付けが静かに踊っていた。
誰もが知らず知らずのうちに、大知という中心の“磁場”に安心し、引き寄せられていた。
この日、小さな危機は乗り越えられた。けれど——この「魔性の男」の真価は、まだほんの序章にすぎなかった。
(第7話 完)