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第7話 ファーストキス

 俺は飾のことが好き――。


 それをはっきりと理解したけれど、何かが変わったわけではない。

 俺の日常は変わらず、学校が終わったら飾とビデオ通話をする。

 一緒に勉強、ゲーム、おしゃべり……その繰り返しだった。


 告白しよう! なんてことは考えなかった。

 もし付き合ったところで、お互いが住んでいる場所は遠くて、会おうと思ってもなかなか会えない。

 そもそも会えないからこそ、こうやってビデオ通話を毎日しているわけで――。

 さらに言えば、毎日会える日々を取り戻すために今がんばって勉強しているわけで――。

 付き合ったとして、俺たちの生活にはどんな変化も起きるはずがない。


 もっと言えば、俺が告白したところで、今の飾にあまりプラスになるとも思えなかった。

 勉強のモチベーションがさらに上がる――とはならないだろう。

 今の飾は、すでにこれ以上ないほど勉強に打ち込んでいる。

 水や肥料のやりすぎが植物を腐らせるんと同じように、モチベーションの上げすぎはきっと良くない。


 それに、飾が俺のことをどう思っているのかもわからない。

 好かれているのはわかっている。

 しかし、それが家族としてなのか、異性としてなのか、そこまではわからない。

 俺の場合、その答えを出すのにはそれなりに時間が必要だった。夢という偶然の力も必要だった。

 もし飾がこの問題について考えたことがない場合、やはりすぐには答えを出せないはずだろう。

 そして、考えている時間は、勉強にとってマイナスになる。


 まとめれば、今告白して、付き合うことになっても、生活に変化は生まれない。

 一方、付き合うにせよ、フラれるにせよ、悩む時間が生まれてしまう。

 それが恋愛の楽しい部分だ――という人もいるだろうが、今の俺たちには、勉強の方が優先度が高い。

 一緒の高校生活を送れるようにすることは、今は最優先だ。


 すべては春から。

 受験が終わって、一緒に暮らせるようになってから。

 もし今の飾が俺のことを異性として見ていなかったとしても、一緒に暮らす中でだんだんと変えていくこともできるはずだ。

 時間はある。

 ゆっくりと、少しずつ進んで行けばいいのだ。


 と、この時の俺は考えていたのだが――。




 飾と会えない間にも季節な廻り、秋は一瞬にして通り過ぎ冬になった。

 冬休みも飾はうちにきた。

 クリスマスの前日にうちにきて、正月が終わるまで滞在した。

 夏休みの時とは違い、俺は飾に対する気持ちをはっきりと認識していた。

 笑顔でケーキを頬張る姿も、大晦日に普段より夜更かしして眠そうな顔も、なんだかとても愛おしく感じられる。

 以前はかわいいとは思っても、その姿を見ているだけで幸せを感じられるなんてことはなかったのだが――そうか、これが恋なのか。頭ではなく、感覚で理解した。

 まぁ飾からは、


「なんでじろじろ見てるの? ……もしかして顔にクリームついてる⁉」


 と思われただけだったが。

 クリスマスにもなにか特別があったわけではないし、年末年始になにかったわけでもない。近所の神社に初詣に行って、地元の友達にばったり会って話をして……それくらい。

 ごく普通の日常を送っただけだ。

 まぁそういうものだ。

 好きな子と一緒に暮らしているとはいえ、昨日今日の関係ではない。

 今は離れている時間が長いとはいえ、お互いの存在がすでに日常の一部になっているのだから。

 好きになったところで、非日常のイベントなど、そうそう起きはしない。




 冬休みが終わってまた離れ離れになり、もちろんそこでも特別なことはなかった。

 いや、ひとつだけあった。

 バレンタインにチョコが送られてきたことだ。

 実を言うと、飾からチョコをもらったのはこれが初めてだ。

 特に理由があったわけではないと思うが、家族の間ではチョコレートを贈らない。というのがこれまでの星宮家の暗黙のルールになっていた。

 なので、宅配されてきた時は、サプライズだったこともあってかなり驚いた。


「まぁ買ったチョコだけどね。手作りしても良かったんだけど、あの家のキッチン使うのイヤだからやめておいた」


 別に高いチョコというわけではなかったけれど、飾のことを好きだと思うようになって初めてのバレンタインに、予想外にもらえたことは無性に嬉しかった。




 バレンタインが終われば、あとは受験まで一直線。

 遊ぶ時間もおしゃべりをする時間も極力減らし、最後の追い込みをかけた。

 飾は入試の二日前にうちに来て、体調を万全に整えて当日を迎えた。

 一方、俺は緊張で朝から固くなっていた。


「あれだけ勉強したんだから大丈夫だって。リラックスして、一緒に合格しようよ」


 家を出る前、飾は俺の頬を掴み、マッサージ……というか、力ずくで揉み解そうとした。

 雑ではあるが、それが逆に染みた。

 そう、俺は絶対に合格しなければいけないのだ。飾と同じ高校に通いたいから。

 同じ家に住んでいるだけでは物足りない。同じ学校に通い、思い出を共有したいのだ。

 その気持ちを改めて心に刻み、その未来を絶対に掴むという意志を込めて、飾の手を強く握った。


「なになに、怖いから手を握ってほしいの? 甘えんぼさんだねぇ」


 俺の気持ちはまったく伝わっていなかったけれど、それでも勇気をもらえた。

 飾は手を放せとは言わなかった。

 なので、俺たちは会場の近くまで手を繋いで歩いて行った。




 テスト翌日に飾は一度向こうに戻った。

 だが、一週間後の合格発表に合わせてまたこっちに来た。

 俺が見に行くし、なんならネットでも見れるので、結果を見るためだけにわざわざ来る必要はなかったのだが――


「いやいや、こういう人生の節目になるビッグイベントは、自分の目で見ておかないとでしょ。ネットで自分の番号があるかを見ただけの受験だと、味気なさすぎて思い出にならないよ」


 と言って、片道二時間以上をかけてやってきた。

 飾の中学校の卒業式はすでに終わったらしいので、一日でも早くこっちに戻って来たかった……ということなのかもしれない。

 結果だが、俺も飾も合格していた。ついでにいえば、尊もその彼女さんも合格していた。

 こうして夏から続いた受験の日々は幕を下ろし、春からの高校生活が始まることになった。

 一年前、両親の突然の離婚で離れ離れになったが、再び飾と一緒に暮らし、同じ学校に通うことができる。

 母さんはいないので元通りというわけではないが、戻れる限りは以前の星宮家に戻ることができた。

 とりあえずは一段落。めでたしめでたし――と、気が緩んでしまったからだろう。

 その日、ちょっとした事件が起きた。というか、起こしてしまった。

 飾にキスをしてしまったのだ。




 父さんが仕事から帰って来てから、合格祝いとして高い寿司を注文してうちで食べた。

 父さんはとても上機嫌で――ふたりとも合格できたというだけでなく、飾がまた俺たちの本当の家族になってくれることが嬉しくてたまらなかったようだ――ずいぶんとたくさん酒を飲んでいた。

 途中で寝てしまって、飾は、


「しかたないなぁ」


 と笑いながら、ビールの空き缶を片付け、残ったつまみを冷蔵庫にしまった。


「いつもはこんなに飲まないのにね」

「飲まずにはいられないくらい嬉しいんだよ」

「そうだね。そんなに祝ってくれるなんて、あたしも誇らしいよ。るぅもお父さんも、血の繋がりがないのに、繋がりのあるお母さんよりあたしのこと考えてくれてるもん」

「……母さんは、飾がこっちに戻って来ることについてなんて言ってるの?」


 気にはなっていたが、この話はこれまでしてこなかった。

 飾におもしろくないことを言わせてしまう気がしていたから。


「勝手にしろ、って。どれだけ時間が経っても、あたしが向こうの人たちと一切仲良くしないのを見て諦めたみたい。長い間ストライキをしていた甲斐があったよ」

「かなりストレスになってたみたいだから、ちゃんと耐えられるか心配だったけど。大丈夫だったみたいで良かった」

「るぅがず~っとお話しに付き合ってくれたからだよ。ひとりで引きこもってたら、絶対途中で外出したくなってたはずだよ」

「うん」


 飾はインドア派ではあるが、部屋から出ずに暮らせるほどの引きこもり気質ではない。


「家の外で過ごす時間が増えたら、友達ができるかもしれない。そしたら、あの町も悪くないと思ってしまってたかも。一番はこっちに戻って来ることだけど、妥協してあっちでもいいか……なんて考えて、ずるずる流されていたルートもあり得た。そうならなかったのは、るぅがいてくれたからだよ。ありがとう」


 微笑む飾を見て、今まで感じたことがないほどに胸が高鳴った。

 あまりに愛おしくて、見境がなくなるほどに――だが、ここまではまだ我慢できた。

 だけど、次の一言が最後の一押しになった。


「るぅがずっと傍にいてくれたから、大好きなこの町に戻ってくることができたよ」


 町のことを大好きと言っていたのに、俺の頭は、俺のことを大好きと言ったように感じてしまった。

 その勘違いにはすぐに気付いたけれど、その前に体が動いていた。

 このタイミングで、思わずキスしてしまったのだ。


「………………………………ん?」


 唇が離れてから数十秒。

 飾はまばたきさえせずに、その場に立ち尽くし、目を丸くして呆然としていた。

 それから自分の唇に手を当て、首を傾げた。


「今、なんか、るぅの顔が近づいてきたと思ったら、経験のない感触がしたような気がするんだけど………………ん?」


 この時には、俺は自分の逸った行動に気が付いていた。

 ゆっくり、慎重に関係を変えて行こうと考えていたのに。

 受験が終わったという開放感とハイテンション、そこに勘違いが加わりついやってしまった。


「今のは…………なんだ? 気のせいかな?」


 う~ん、と唸りながら、飾は自分の部屋へと戻るべく廊下に出た。

 まるで何事もなかったかのようなことを言いながら。

 まさか、なかったことにするつもりか?

 だが、廊下に出た直後、飾は何もない床で足を滑らせて転んでしまった。


「大丈夫か?」


 と手を差し伸べる。


「うん、大丈夫。キスされたもんだから、動揺して足が動かなかっただけだから」


 飾は俺の手を取ったけれど、自分の失言に気付いたらしく、固まって動けなくなっていた。

 してしまった俺も俺だが、言葉に出してしまった飾も飾だ。

 なかったことにしたいなら、もっとちゃんと演技しないと。

 そんなに顔を真っ赤にして。

 はっきり言葉にしてしまって。

 これじゃ“なかったこと”になんて、できなくなってしまうじゃないか。




 義兄妹として育った俺たちが、他人になってしまってから一年が経った。

 こうしてまた一緒に暮らせるようになり、以前のような楽しい日々が戻ってくると期待していた。

 そう。基本的には、以前と同じような生活で良かったのだ。

 俺は飾のことが大好きだけど、急いで付き合いたいとは思っていなかった。

 すでに一緒に暮らしているし、誰よりも仲の良い親友なのだから。

 しばらくはここままでも十分。時間をかけて、良い方向に変わっていけたらと思っていたのだが――。


 どうやら、恋というのは想像よりもスピードを求めてくるようだった。

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