口づけはなかった。
乱暴に体を暴かれ、喘ぐと熱い息を吐きどこからともなくナイフを取り出して俺の首を掻き切った。
ごぼり、と血を吐き喉を押さえる。
「お兄様、愛しております。また来世」
ぱたりと血に溺れた俺はどろりと嗤う弟を眺めて息絶えた。
◆
はたりと思い出した事実に目の前の弟が怖くなった。
あの時と前世と全く同じ見た目。
俺はただ困惑して自分の部屋に逃げた。背後で弟と執事の声が響く。
ベッドにもぐりこみ毛布をかぶる。
「なんでっ!俺じゃない。前世なんて信じない」
そう言い聞かせたが、出てくるあふれる涙は本物で。
嗚咽を漏らして毛布の中で号泣した。
「リカルド様」
そう呼ばれ、メイドが凄く、気まずそうに俺の背を撫でる。
「どうされました。何か、使用人が不始末を?」
「ちがっちがうっ俺、俺が……」
どうしたらいい?
俺は殺されるのか。
愛した弟に。
俺は弟のグスタフが大好きだった。
俺よりも優秀で、魔法も使えて、剣術も上位クラスで、勉強も出来て、領地経営も簡単にこなす。
そんな弟が自慢だった。
そんな優秀な弟に殺されるのか。
「悪い夢を見て。弟が、グスタフが……」
そう言って涙を見せるとメイドが手を握ってくれた。
「そうですか。話し辛いことなんですね」
「うん」
「リカルド様。大丈夫ですよ。私がお守りいたしますから」
「あり、がとう」
跡取りはグスタフだ。グスタフは黄金の髪、青い目。背も190cmある。恵躯ではあるが威圧感はない。いつも優しく、穏やかな弟。
俺は癇癪持ち背も低い。長い紫色の髪に青白い肌、赤い目。
どうしたって勝てっこない。父が跡取りにグスタフを選ぶのは当然の流れだった。
俺は、いつまでたっても子供のまま。
◆
この世界は、10歳になると“スキル”が神から与えられる。
神官の家系なら光属性上昇。農民の家系なら作物成長などだ。
一番下がEランク。E、D、C、B、A、S、SS、SSS、また滅多にいないが、EXが存在する。
しかし貴族は大抵、あまり重要視してない。それは、貴族としての能力の方が大切だからだ。
ただ、軍人ともなれば話は変わってくる。
軍の家系の貴族は戦闘系のスキルを求められるのだ。
我が家、ロドニー公爵家は脈々と1000余年続く強い軍人の家系だ。
ただ俺には、長男である俺には、戦闘系のスキルは与えられなかった。
与えられたのは治癒魔術に特化したスキル。【回復上昇EX】
せめて光属性上昇なら、望みはあった。この虚弱な体でも軍に入れた。
父はその結果に何も言わなかった。
ただ翌年に弟のグスタフがスキルを授かった時、話は変わってしまったのだ。
【戦闘能力向上EX】
あらゆる武器を扱え、あらゆる戦法を行使できるスキル。
グスタフは俺とは違い、もともと体躯に恵まれ剣術などは現役の軍人相手でも簡単に勝てるクラスだった。
だから、グスタフは子供の時分から簡単に軍に入り、地位を上げて行った。
そう望まれた子供。大切な恩寵の申し子。
俺とは違う。
治癒魔法を男がつかえて何だっていうんだ。
勿論俺には神殿から何度も手紙が来た。
でも、その度、父はその手紙をもみ消していた。
俺が恥ずかしいんだ。俺は虚弱だから。
なんで、どうして。
◆
「まあ見て、グスタフ・ロドニー様よ」
淑女は皆一様にグスタフを見て頬を染める。
俺はいない者扱い。社交の場ではいつもこうだった。
病弱な少女のような見た目の俺では女性は寄ってこない。
溜息をこらえて壁に向かう。
周りは着飾った淑女たちとよく目立つ軍服姿の男性たち。
「はあ」
俺は背が低く、剣術もいまいち。魔術は一応使えるが、治癒の魔術だけ。だから、軍には入れなかった。
ロドニー公爵家はジルッザ帝国に7ある公爵家の一角。
公爵家の序列は一番下だが、軍閥を持つ強い家系だ。そう、強い家系なのだが、俺が生まれてしまった。
「リカルド様」
そんな中声をかけてくる奇特な男がいた。軍服に身を包み金銀の徽章をつける茶髪緑目の大男。厳しそうな顔に柔らかな笑顔を必死に作っているのがちょっと面白くて口に手を当てる。
「ふふ」
「何故笑うんですか」
大男の手を握り俺は笑う。
マルセロ・コロラドは幼馴染だ。親友ともいう。
彼はスキル【物理攻撃上昇S】という者を持っている、軍人で、非常に優秀な将官だ。
「音にも聞こえるマルセロ・コロラド大佐殿がそんな、顔をするとは」
「だって怖いとそうおっしゃったでしょう」
少々憮然とした顔を見せる、マルセロに笑いかける。
「なに、子供のころはよく遊んだじゃないか」
「それから、もう何年もたっていますよ。俺だって、あ、私だって、もう大人ですし」
「だから、怖くないよ。悪かったって」
そう言うと自然な笑顔を見せるマルセロは俺の頬に手を当てる。暖かい手に頬を摺り寄せる。
「……なあ、よかったら……」
「コロラド殿」
何かを言いかけたマルセロを抑え込んだのはグスタフだった。
「あ、これはロドニー中将閣下」
「兄に何か用か」
酷く攻撃的な言葉に俺は反発して低く唸る。
「仲が良くて何か問題か」
そう言うとグスタフは困ったように眉を下げる。
「お兄様。コロラド殿は軍閥が違います」
「だからどうした。俺は、軍の人間じゃない」
そう、グスタフとは違うのだ。優秀な弟とは違うごく潰し。いつ家を追い出されてもおかしくない、綱渡りの俺とは違う弟。
「お兄様。ただ、危険ですとお伝えしたかったのです」
「何が危険だ!俺の親友だぞ!」
「お兄様……私は……」
伸ばされた手を叩き落とし俺はマルセロの手を握って会場の外れに向かった。
グスタフは背後ですぐに女性に囲まれた様子だった。
「マルセロ。また家に来てくれ。俺はやることがないから」
「なあ、リカルド」
「ん」
髪を梳かれ俺は微笑み、マルセロを見上げる。
「治療院で働いたらどうだ?」
「父が許さんだろう。神殿からの手紙でさえ、もみ消しているのだから」
「けど、このままでは……」
「家を追い出されてから考えればいいさ」
「リカルド」
頭を撫でられ、俺は笑った。
「なんだ子ども扱いか」
額にキスを落とされ、俺は視線を合わせてくるマルセロを見た。
「愛してる」
「俺も」
「ああ、違うよ。友としてじゃない」
「友達じゃなかったか」
「それも違う。友達だよ。親友だ。けど、今の愛してるは、その、恋人になって欲しいって意味だ」
俺はきょとんとしてマルセロを見た。
「そう言うのはもっと大人の……」
「お前の癇癪も好きだよ」
「そうか、でも、答えられない」
頬を撫でられ俺は悲しくてやりきれなかった。
このままじゃ、俺はいつかグスタフに殺される。それが分かった今、恋人を作る気はない。
「……なあ、俺は次男だし、そのうち、侯爵位につく。だから、お前は何も心配しなくていいんだよ」
「俺は、いいや。俺は、うん……」
唇に熱い吐息がかけられる。そのまま唇を奪われ、口の中を蹂躙される。
びっくりして舌を噛んでしまった。
「ん、あっ」
「ごめん。嫌だったよな」
「ちがう、うん。悪くない」
「俺の事好き?」
「ううん。それは別の話。びっくりしたんだ」
マルセロと笑いあい微笑む。
「なあ、俺なんか気にすることない。お前もモテるし、さ」
「お前が好きなんだよ」
「なんで、急ぐんだ」
マルセロは悲しそうな顔を見せる。
「俺、前線行きが決まった」
「マルセロ」
ぐっとマルセロの大きな手を握り溜息を吐く。
「なあ、前線と言っても基地から出ることはないだろう?」
「いいや。俺は強い。前線を押し返すことも可能だ」
「……」
なんと言ったらいいか分からなかった。
西のテチラ王国の前線は混迷を極めている。
ジルッザ帝国との戦争はもう3年目になるが、戦力を分散し、ゲリラ戦を行っているらしい。
らしいというのは、俺は軍の人間じゃないし詳しくないのだ。
「勿論、無事に帰ってくるつもりでいる。けど、万が一がある。だから、リカルドに一言言っておきたかった」
「俺、俺は」
「……いいよ。またさ、帰ってきたら、答えを聞かせてくれよ」
「うん」
ちゅっと口づけを軽くかわすとグスタフが向こうからくるところだった。
「生きて帰って来いよ」
「任せろ」
「お兄様」
低く唸るような声。
俺は肩を竦めてグスタフを見上げた。
「なんだ?」
「そんな男のどこがいいのですか」
「お前にはないところ」
「……」
毒々しい目でグスタフはマルセロを見て、それから俺の肩を抱き寄せる。
「さ、あちらで食事をしましょう」
「……ああ」