「というわけで師匠。修行の方をよろしくお願いします」
「お、おおお、お前っ、トラっ、俺が自分で作るのも緊張するってのに、お前が作れるように修行しろって……お前っ、それっ……!」
「一流の弟子を育ててこその一流だ。職人としての誇りを見せてもらうぞ、師匠殿よ」
「はぅ……っ! ……か、かしこまりました」
涙目になっている師匠に、エリアナさんが笑顔で鬼のような激励を贈る。
しかし、師匠は師匠で少し楽しそうな顔をしているように見える。
やり甲斐。それは、職人の魂に火をつける魔法の言葉。
「よぉし、トラ! 今日からビシバシ鍛えてやるからな! これまでみたいな甘い修行じゃなくなるから、覚悟しておけよ!」
「はい!」
エリアナさんが僕に幸運を運んできてくれた。
師匠のやり甲斐に燃えている今の表情を見て、僕はそんなことを思った。
「これくらいの細工なら小一時間で出来るようになってもらうからな」
と、師匠が得意気にポケットから取り出したのは、知恵の輪だった。
「えっ!? 師匠、これ!?」
「はっはっはっ! お前が作ったのを見て面白そうだったからな。作ってみたんだ。いい出来だろう?」
それは、繊細な形状ながらも均整が取れた造りのおかげで耐久性も増し、何よりよく手に馴染み、オブジェとして飾っておいても問題ないくらいに芸術的な美しい知恵の輪だった。
外し方は、僕の知恵の輪を参考にしただけあって同じだけれど。
「他に何種類もあるんですよ。今度教えますね」
「おぉ、そうか。なら、商品として並べてもいいかもな」
ウチの師匠は一流ゆえに教わることを恥だとは思わない。
弟子に教わるなんてプライドが許さない、なんて器の小さいことは言わない。
いい物はいいと認め、教わり、そして自分の糧とする。
プライドを捨てるプライドを持っている、一流の職人なのだ。
「これは、あの知恵の輪と同じ物なのか?」
壊してしまって、結局自分で外すことが出来なかったエリアナさん。
顔に分かりやすく「遊びたい」と書いてある。
「同じやり方で外れますよ、これなら」
「譲ってはくれないだろうか!? 金ならいくらでも出す!」
そう言って、懐から取り出した布袋を師匠に押しつけ、知恵の輪をひったくる。
そして早速ガチャガチャと知恵の輪を弄くり倒す。
布袋を押しつけられた師匠は、その中身を見てまた悲鳴を上げた。
「こっ、こんなにいただけませんよっ!?」
布袋の中には、金貨がぎっしりと詰まっていた。
金貨だ……どれくらいの価値があるのかな?
スーツを買うため、師匠に借りたお金は銅貨だったから……絶対間に銀貨があるだろうから……相当な額のはずだ、アノ金貨一枚で。
それがざっくざっく…………エリアナさん、本当にお金持ちなんだなぁ……
「好きなだけ持っていくといい」
「一枚でも多過ぎです!」
「では、釣りをくれ」
「そんな大金、ウチにはありませんって!」
金貨って、一般家庭には置いてないくらいの価値なんだ。
エリアナさん、あなた、なんつう大金持ち歩いてるんですか。
もし強盗にでも襲われたら…………返り討ちにしちゃうんだろうなぁ。
青ざめる師匠の隣で乾いた笑いが漏れ出してしまっている僕。
そんな僕たちの目の前で、エリアナさんの顔に満面の笑みが広がる。
「外れたぁ!」
両腕を肩幅に広げたエリアナさん。その両手には銀の輪がそれぞれ握られていた。
今度はどこも破損していない。
正真正銘、知恵の輪が解けたようだ。
「見てくれ、トラキチ殿! どうやったのかは分からぬが、出来た! 出来ておるよな? な!?」
「はい。おめでとうございます」
「やったぁぁああ! 師匠殿! 知恵の輪が出来次第すべて売ってくれ! 全種類買わせてもらうぞ!」
「は、はいっ! もちろん、よろこんで!」
意図せず、龍族のお得意様が出来た。
師匠が「ちゃんと教えるように!」と、アイコンタクトを寄越してくる。
さて、何種類思い出せるかなぁ……
「ふふん! これをしゅ、主人の前でやってみせて、自慢してやりたいと思っていたのだ。そして、解けないしゅ、主人を笑ってやろうとな!」
マウントを取ろうとしつつも「主人」が恥ずかしくて言い切れていないエリアナさん。
よほど悔しかったようだ、お見合いの時に解けなかったのが。
「じゃあ、ゲルベルトさんが解けたらご褒美をあげなきゃですね」
ゲルベルトさんは、エリアナさんみたいに諸手を挙げて大喜びをしそうにないし、それくらいのやり甲斐があった方がいいんじゃないかと軽い気持ちで口にした言葉だったけど……
「ご、ご褒…………」
エリアナさんが両手で口を押さえて、顔を深紅に染めた。
口を、というか……唇を。
「そ……そうであるな……、頑張った者には、褒美が、ひつ、必要……だものな!」
必要以上に唇をぷにぷに触っている。
なるほど。それがご褒美なんですか……いいなぁ、くそ。ちょっと羨ましい。
「そ、そそそ、それでは、ゆび、指輪を頼むぞ、トラキチ殿! 師匠殿は知恵の輪だ!」
「はい。精進します」
時間はかなりかかるでしょうけれど、と、一応申し添えておいた。
けれど、時間がかかればその分、エリアナさんたちとの縁は長く続くのかなとも思う。
あまり待たせ過ぎるのはよくないのだろうけれど。
「いい買い物が出来た」と、エリアナさんは満足げに工房のドアをくぐる。
そして、帰り間際に顔だけをこちらに向けて、半身で、こともなげに師匠に告げる。
「そうそう。古くからの習わしでな、めでたいことがあった時にその運気を留め置く目的で食器を一新しようと思うのだが、それも師匠殿にお願いする」
「えっ!? 食器を一新って……」
「具体的な数と種類は使いの者にリストを持たせるが、ウチの屋敷すべての食器だからかなりの量になるだろう。知恵の輪製作の合間によろしく頼む。ではな!」
「いや、そっちメインですか!?」
金銭感覚が常人離れしているらしいエリアナさんが片手をひらひらと振って帰っていく。
師匠は膝が笑って、ドアに縋りついたまま地べたへとへたり込んでしまった。
お屋敷の食器すべてを一新する……十個や二十個じゃないんだろうな。
銀食器って、お皿とかフォークとかいろいろあるし……
「あの、師匠……」
腰を抜かした師匠に声をかける。
もしかしたら、僕のせいでとんでもないことになってしまったのではないかと、今さらながらに焦りを感じて。
だが。
「ぃ…………やったぞ、トラぁ! 大型顧客ゲットだぞ! でかした! お前は最高の弟子だよ! 師匠思いのいいヤツだ! やってくれるヤツだと思ったんだよなぁ、俺ぁよぉ!」
ガバッと飛び起き、僕に抱きつき、力任せに頭をぐりんぐりん撫でまわされた。
……あぁ、よかった。喜んでる。
「よぉし、トラ! お前に寸志をやろう!」
「寸志って……僕、まだ何も商品作ってないですよ?」
「いいんだよ! それで仕立てのいい服を買ってこい! お前がお見合いに行けば、またウチの工房に幸運が舞い込んでくるかもしれないからな! がっはっはっはっ!」
そんな何回もお見合いするつもりはないですよ。
とは言わずに、折角のご厚意なので受け取っておこうと思う。
次のお見合いに向けて。
次こそは結婚できるように。
やっぱり、見た目はいいに越したことはないからね。
工房を覗き込んでいたセリスさんも大喜びして、チロルちゃんはいつも通り元気いっぱいで、今日の夕飯は『大型顧客獲得おめでとうパーティー』を開催することになった。
朝の残念会が霞むほどのご馳走を作ると、セリスさんが腕まくりをしていた。
その準備の間、僕はお暇をもらって買い物に行くことにした。
そうしろと、師匠たちに背を押され。
握らせてもらった銀貨の重さをしっかりと感じながら。
風が少しだけ冷たさを増した大通りを一人歩いていった。