「……はぁ」
事務所に戻り、私は一人、ため息を漏らしました。
また、破談になってしまいました。
お見合いを実施した結果破談になることは珍しくなく、まして異種族が共に生きるこの『世界』ではなんの問題もなくご成婚される方が確率としては低いのですが……
トラキチさんは、これで二連続破談です。
それも、私が先方の事情や性格をきちんと把握していなかったことに起因するところが大きい――言わば、こちらの不手際による破談が続いてしまいました。
申し訳なさに押し潰されそうです。
辛うじて潰されずに済んでいるのは、お見合い後のトラキチさんがとても明るく、いつものように微笑みかけてくださったから、かもしれません。
『すみません。またダメでした』
そんな言葉を、とても楽しそうに口にしていたトラキチさん。
「……だから、なぜそこで謝罪なのですか」
誰もいない事務所の中で独りごちます。
返事するものは何もなく、私の声が空しく部屋の中に紛れて消えました。
ハーブティーを、飲みたい気分です。
本当に、気にされていないのでしょうか。
トラキチさんは、帰宅された後、……穏やかに眠れているのでしょうか。
「あの笑顔に、偽りはなかったと思うのですが……」
お見合い会場を後にし、トラキチさんと二人、広場まで歩いていた時のことです。
トラキチさんは、こんなことを言って笑ったのです。
『でもよかったです。ミューラさんの本当の笑顔が見られて。なんか僕、カサネさんのおかげですごく素敵な人との縁が増えている気がします』
そして、私に――『ありがとうございます』と。
その後慌てたように、
『あぁっと、でも、カサネさんとしては担当している相談者が破談ばっかりじゃ困りますよね!? そこはもう、本当に申し訳なくて、あの、次は頑張りますので、本当に、だから、えっと…………すみませんでした』
そう言って、また頭を下げたのでした。
……分かりません。
トラキチさんという方が、分かりません。
なぜ、いつもあんなに謝罪を口にするのか。
なぜ、いつもあんなに屈託なく笑っているのか。
なぜ、いつもあんなに……私に優しいのか。
「……なぜなんですか、トラキチさん?」
誰もいない部屋で呟いてみても、答えるものはありません。
少し疲れているようです。
やはりハーブティーを飲みましょう。
疲れている時は、すべてにおいてネガティブな発想になってしまうものですから。
席を立ち、給湯室へ向かい、いつものようにハーブティーの準備を始めます。
ケトルに水を入れて、魔導コンロにかける。沸騰するまで約三分。
その間にティーポットに茶葉を入れて、カップを用意して……ふと、シュガーポットが目に留まりました。
何かの本で読んだのですが、疲労には糖分がよいとか。
疲れた時には甘いものを摂取することで気力と体力を回復させることが出来ると、そのようなことが記載されていたと、記憶しています。
「……甘い、もの」
お湯が沸き、ケトルが蒸気で音を鳴らしました。
ティーポットへお湯を注いで二分蒸らします。
余ったお湯をティーカップへ注ぎ、お湯を捨ててカップを温めます。
それらをすべてトレイに載せて……隣にシュガーポットを載せて、自分の席へと戻ります。
茶葉を蒸らしている間に、今日のお見合いを振り返ります。
ノートを取り出し、今日書き記したことを確認します。
『巨乳好き』――は、太い線でしっかりと消されています。
代わりに『慎ましい胸元が好み』という記述がその下に追記されています。
まったく、トラキチさんは……お見合いの席でなんという話題を持ち出すのでしょうか。不埒です。不届きです。不潔です。不許可です。
特に意味はないのですが、『慎ましい胸元が好み』という一文を丸で囲っておきました。
こちらが真意であると、示すためにです。
今回はたくさん書き込みました。
トラキチさんの趣味嗜好が多く語られたからです。
今後のお見合いに役立てなければ……と、書き記したのですが…………
『高身長の女性が好き(2メートルくらいあると尚よし)』
『努力しない自堕落な女性も捨てがたい』
『龍族に勝てるくらいに強いと最高(二度目です。強い女性が好きなのは確定です)』
『料理上手な味音痴というアンバランスな感じが面白くて好き』
『空飛べる女性は素敵』
『口から炎、目からビームが出せる女性が好み』
……信憑性は、如何ほどなのでしょうか?
最新のページから、時系列とは逆にページを遡っていきます。
『バッキバキの腹筋を舌であみだくじしたい』
『甘え上手な妹が好き(十歳以下ではなく、十二~十四歳程度)』
……私がこのノートを落としたら、トラキチさんはどのような人物であると世間に認知されるのでしょうか? このノートは落とせません。肌身離さず持ち歩きましょう。
『朝目覚めるのが楽しみになるような、温かい家庭に憧れている』
『一緒にいて楽しい人が好き』
この辺りは、実にトラキチさんらしい、と思いました。
『少し抜けているので、しっかり者の女性にリードされたい』
この記述の『少し』の部分に下線が引かれ、矢印で『?』と記されています。
おそらく、その時の私が疑問を投げかけたのでしょう。
投げかけますよね、それは。
だってトラキチさんは…………まぁ、皆まで言うのはやめましょう。
さらに遡ると、こんな記述がありました。
『職務に忠実で、責任感があって、しっかりしていて、素晴らしい相談員さんだと思います』
これは、トラキチさんが、私を評してそう言ってくださった内容を……思わず書き留めてしまったものです。
そのように思われていたなんて……
正直、とても嬉しかったです。
所長や同僚の方からは、『カサネ・エマーソンは人として、女として大切な何かが欠損している』『割と天然』などと、不名誉な評価を下されているようです。
だから、私は私なりに汚名を返上するべく職務には忠実に、誠実に向き合ってきました。
それが、初めて認めてもらえた。
それが、今回のトラキチさんの、この言葉だったのです。
「職務に忠実で、責任感があって、しっかりしていて、素晴らしい相談員さんだと思います」
ゆっくりと、声に出して読んでみます。
耳の奥では、トラキチさんの声で同じ文章が読み上げられています。
「…………くふっ」
喉の奥で、奇妙な音が漏れました。
頬が、緩んで仕方ありません。
お見合いの間、表情筋を弛緩させないよう努めるのは非常に骨が折れました。
何かの本で、人体は話しかけることで状態をコントロール出来ると読んだことがありました。
つまり、筋肉に「もっと硬くなれ」と話しかけるとただトレーニングするよりも成長率が上がり、たるんだお腹に「引き締まれ」と声をかけるとそこに意識が向くようになりシェイプアップ効率が上がり、自身の胸元に「育て~育て~」と語りかけるといつの日かその成果が目に見えて現れるに違いないと、そのような内容でした。
ですので私も、気を抜くと緩もうとする頬に注意を施す目的で咳払いなどをして、なんとか表情筋が弛緩するのを堪えていたのです。
……トラキチさんには、気付かれていなかったでしょうか。おそらく大丈夫だと思いますが。