「とりあえず、どこ行こっか?」
なんとかミューラさんの機嫌を戻すことに成功し、僕たちは並んで街を歩く。
どこに行こうかと言われても、僕はお勧めできるようなお店を知らない。
行ったことがあるのは、エリアナさんとお見合いをした料亭――あんな高そうなお店は無理だ。
あとは、ミューラさんとお見合いをしたレストラン――破談した二人で同じ店に行くって、なんかちょっと……
そうでなければ、ティアナさんとお見合いをしたダンジョン――ダンジョンにはもう潜らない。えぇ、絶対に!
「ミューラさんはどこか知らないんですか?」
「私が、二人で行くようなお店を知ってると思う? 居心地がよくて落ち着いてついついおしゃべりに花が咲いちゃうようなお店に独りぼっちで入り浸ってたとでも?」
「す、すみません。僕も同じようなものなんで睨まないでください……」
ですよねー。
一人だと、おしゃべりしやすいお店とか行かないですよねー。
「それとさ、敬語やめて。その……友達、なんだから」
先ほどとは毛色の違う睨みを利かせて、ミューラさんが要求してくる。
くぅ、惜しいことをしたかもしれない。今の顔、めちゃくちゃ可愛いです!
ミューラさん、素顔のままでも十分可愛いですよ。
「分かった。じゃあ、今から敬語はなしで」
「うん。よろしくね」
「あ。じゃあ名前も呼び捨てとかの方がいいかな?」
「それは馴れ馴れし過ぎじゃない?」
「はい……すみません」
距離感難しいなぁー!
「くすくすくす……、真面目ん坊」
どうやら冗談だったようで、ミューラさんが可笑しそうに肩を揺らす。
「真面目ん坊って……。初めて言われたよ」
「なんだかあれだね。君は『いい』と『悪い』の境目がはっきりしているよね、良くも悪くも」
「そう……かな?」
「うん。そう」
確かに、なるべく周りに迷惑をかけないように分別ある態度を取ろうと普段から心がけてはいる。けれど、そんなにしゃっちょこばっているわけでもない。
「けど、気を付けてね。『これはしちゃダメ』『これはやるべき』って、ちょっと極端に考え過ぎてるようにも見えるから」
「いや、でもそれは義務とかマナーとかそういうヤツで……」
「そうやって現実から目を逸らしていると――私みたいに、自分を見失っちゃうよ」
一瞬、呼吸が止まった。
どきっとさせられた。
二秒ほど経って、ようやく酸素が流れ込んできた。心臓は、妙に速く動いていた。
「絶対正しいって確信していることでも、たまには疑ってみなきゃダメだよ。……って、トラキチ君が私に教えてくれたんでしょ」
「僕、そんな大それたこと言いました?」
「言ったも同然」
息苦しくて、下手な愛想笑いで誤魔化してしまった。
なんだろう、この焦燥感。
なんだろう、この……後ろめたい感じは。
「まっ、堅っ苦しい話はこのくらいにして、何か食べに行こうよ。おなかすいちゃった」
えへへ、とミューラさんが笑ってくれて、喉の奥に引っかかっていた空気が抜けていった。
お昼にはまだ少し早い。今なら、どこのお店に行っても入れるだろう。
師匠は「昼過ぎには戻ってこい」と言ってくれた。外で食事をしてきていいぞという気遣いだ。
少しずつ任せてもらえる仕事も増えて、お給料もそれなりにもらっている。ご馳走することだって可能だ。……女友達の場合、奢るのがマナーかな? 恋人でもないのに奢るって言うと馴れ馴れしく思われたりしないだろうか?
あぁ、こういうことを考え過ぎてしまうのを指摘されたのかもしれないな、さっき。
確かに、こうやってどうすればいいのかって悩むことは多い。
最適解を導き出せた時に、姉や家族が本当に嬉しそうな顔をして褒めてくれたから、それが嬉しくて、こんな癖がついちゃったのかもしれないな。
家族の顔が浮かんで、先ほどの悩みが霧散していった。
そうだ。ミューラさんならきっと、僕にご馳走されるよりもフランクな対応の方が喜んでくれるだろう。
「それでは、ワタクシめがお食事をご馳走させていただきましょう」
「ぶはっ! なにそれ!? 似合わな~い! あっはっはっ、割り勘でいいよ割り勘で」
おなかを抱えて、僕を指さして笑うミューラさん。
うん。きっとこういう方がミューラさんと僕の関係としては正しいのだ。
空気がふわりと軽いものになる、
僕はやっぱり、こうして一緒にいる誰かと楽しい時間を過ごすのが好きだ。それは偽らざる真実。
だから僕がこうして他人に合わせるのは無理をしているとか我慢しているとかそういうのではなく、ほとんど習性みたいなもので、誰かにわがままを言うよりも、誰かのわがままを聞いている方がずっと性に合っている。
それはきっと、生まれ持った僕の性質なのだ。
「あっ、そうだ。『トカゲのしっぽ亭』って知ってる?」
「……え?」
だから、その時の感覚に、僕は少々戸惑ってしまった。
「なんでも、美味しいベーグルを出してくれるお店なんだって。そこに行ってみない?」
トカゲのしっぽ亭は――
「あ、あのさっ、他のところにしない?」
言い様のない焦燥感に襲われて、僕の口から勝手に否定の言葉が飛び出していた。
少々強い口調になってしまっていたのか、ミューラさんが驚いたような顔で固まってる。
「あ……いや、別に、どうしても嫌というわけじゃないから、ミューラさんが行きたければお供する、けれど……」
「い、いやいや。こっちこそ、そこまで行きたいわけでもないし。ただ、有名だって聞いたから提案しただけで」
「……なんか、ごめんね」
なんで、断ったんだろう。
その店の名前は僕も知っていた。
ミューラさんと同じように、その店は美味しいベーグルを食べさせてくれるという情報を得ていた。
実際、僕も一度行ってみたいと思っていた。
なのに、なんで……?
「フラれた女でも働いてるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、フッた女だ」
「なんで破談前提なのさっ?」
「だって、それ以外で女の子と出会う機会ないでしょ?」
「……否定したいのに、図星過ぎて言い返せないよ」
そんなやり取りでミューラさんは笑ってくれる。
けれど、僕の心はざわざわと静かな騒音を立てている。
異変を感じるほどではないのに、確実に何かがおかしい。気になる。そんな、気持ち悪さを覚える。
その原因を、僕は……
「こら、トラキチ!」
「ぅわあ!?」
ねこだましのように目の前で手を叩かれ、僕は肩を震わせる。
「人の話はちゃんと聞く! 二人でいる時に一人で考え込まない! こんな可愛い女の子と一緒にいる時に眉間にシワを寄せない!」
「へ? ……え?」
「今言った三つは今後絶対守ること! 分かった?」
「は、はい。ごめんなさい」
「よろしい」
どうやら、僕は結構な時間ボーっとしてしまっていたようだ。
呆れ顔でミューラさんがため息を吐く。
「でさ、もうこのお店でいいよね? 私、おなかすいちゃった」
気が付くと僕たちは一軒の食堂の前に立っていた。
小ざっぱりとしていて庶民的。お値段も懐に優しそうな、それでいてとても美味しそうな匂いが漂ってくる小さなお店。
うん。ここなら僕たちでも気兼ねなく入れそうだ。
「よさそうなお店だね。異論なし」
「うん。じゃ、行こう」
軽く混乱していた頭を振って、僕たちはお店に入った。