お見合い当日。
立派な大樹が象徴的な、繁華街の手前にある広場が待ち合わせ場所だ。
ここから少し歩けば様々な店が軒を並べる大通りに出る。
今日はそこで気ままにデートをするのだ。
……『気ままに』って縛りが、何気にハードル高いんだけどね。
レンガ敷きの道から、広場の中央――大樹のために土がむき出しになっている一角へと足を踏み入れる。ふかふかとした感触が足に心地よい。
ここは定番の待ち合わせ場所のようで、広場には割と多くの人が留まっている。
大人十人が両腕を伸ばしてようやく囲えるくらいの立派な大樹はよく目立ち、待ち合わせの目印には打ってつけだ。僕でも見つけられたし。
「え~っと、たしかこの樹の前で間違いないはずだけど……」
待ち合わせ場所に着いて、カサネさんを探してみるけれど姿が見えない。
……また僕、約束の時間より随分早く来てしまったかも?
おかしい。
師匠に確認していい頃合いに出発したはずなのに……
意識するとダメだって言われたから意識しないように努めてるんだけど、その状態がもはや意識してるってことになっちゃうのかなぁ……
いつまで経っても馴染めない『世界』の時間感覚に自然と肩が下がる。
ため息を吐くほどではないけれど、小粋なアメリカ人のように肩をすくめるくらいのがっかり感はある。
早くここの時間に馴染まないと、いつかとんでもない大遅刻をやらかしてしまいそうだ。
「まぁ、待たせずに済んだと思えば幾分か気も楽になるか」
僕は人を待つのが割と好きだ。
何を話そう、どんなことをしようと考えている時間は結構楽しい。
今日一緒に過ごす人との時間に思いを馳せる。
それは、今この時に限定すれば、僕にしか出来ない貴重なものだ。
今日、その人と過ごすのは僕だけなのだから。
そう思うと、それはとっても贅沢な時間のような気がする。
天高く聳え、悠々と枝を伸ばす大樹に背を預け、これから始まる楽しい時間を想像する。
枝葉がさわりと鳴り、冷たい風が首筋を撫でてゆく。
思わず首をすぼめ身を固くする。
「きゃあ!」
「あらやだ!」
冷たい風に乗って、女性の小さな悲鳴が聞こえてきた。
声の聞こえた方へ視線を向けると、大通りに続く道の途中に貴婦人の集団がいた。幅の広い道をわざわざ迂回するようにぐるりと回り込んで、何かを避けている。
道の真ん中に何かが落ちているようだ。
貴婦人たちの声でその何かに気が付いた人々がソレを避けるように道の両端へと広がっていく。
その何かを中心にぽっかりと空間が出来る。
一体何が落ちているのだろうかと、少し身を乗り出した時、一人の女性がその何かに近付いていった。
人がいなくなった広い空間へと静かな歩調で進み出て、膝を突いて落ちている何かをそっと拾い上げる。
両手で優しく、丁寧に。
そんな彼女を、周りの人々は怪訝そうな表情でチラ見して、関わり合いになることを避けるように顔を背けると、足早にその場を離れていく。
相変わらずぽっかりとあいた空間に一人佇む女性。
両手で包み込んだソレを見つめた後、ゆっくりと顔を上げる。
そしてきょろきょろと辺りを見渡し、僕がいる大樹の方へと視線を定めた。
数秒動きを止めて、彼女はレンガが敷き詰められた立派な道を静かに歩き出す。
静かに、ゆったりとした歩調で、彼女が近付いてくる。
そんな彼女を避けるように、大樹のそばにいた者たちが四散していく。
けれど、僕はこの場を動く気にはなれずに、近付いてくるその女性をじっと見つめていた。
「……あの」
両手に何かを抱えた女性が僕の目の前まで来て、風に消えてしまいそうな小さな声で言う。
「そこの土を使わせてもらっても、いいでしょうか?」
「……土?」
話の脈絡が掴めず、彼女の両手に包み込まれているモノへ視線を落とす。
そこには、ぐったりと首を垂らした鳥がいた。
おそらく、もう息はしていないだろう。
「レンガの上じゃ、きっと寒いだろうから……」
もう動くことのない鳥を見つめ、彼女は寂しそうな声で言う。
よく見れば、彼女が身に着けている高そうな手袋に黒ずんだ汚れが付着していた。この鳥の血液か、排泄物か何かかもしれない。
彼女は、それらで衣服が汚れることを厭わずこの鳥を掬い上げたのだ。
レンガの上は寒いだろうからって、そんな理由で。
そんな彼女を忌避する心は、僕の中のどこを探しても見つかりっこない。
僕は、不安そうなその瞳を迎え入れる気持ちで笑みを作る。
「そうですね。街の方に尋ねてみましょうか。もしダメだって言われたら、僕が預かって責任を持って弔いましょう」
師匠に頼めば庭の一角を貸してくれるかもしれない。
それが無理でも、どこかこの鳥を埋葬できる場所か方法を教えてくれるに違いない。
「とりあえず、許可なく広場の土を掘り返すのはまずいと思うので、この子を入れられる木箱か何かを探しましょう。……えっと、どこかに頃合いの物はないかな……?」
コンビニなんてものはないから、適当なお店を探すのも苦労する。
大通りに入れば何か見つかるだろうけれど、鳥の亡骸を抱えてうろつくのは……
「……『この子』?」
いい案が浮かばず頭を捻っていると、女性が首を傾げて僕を見る。
少し低い位置から、灰色の瞳が見上げてくる。
「知っている鳥なんですか?」
「あ、いえ。そういうわけじゃないんですけれど……」
いくら死んでいるからといって『ソレ』とか『コレ』とか、物扱いのようなことは言いたくなかっただけだ。
かといって、名前も知らない種類の鳥だし。『鳥』って呼ぶのも、なんか違和感が。
なので『この子』あたりが妥当かなぁって。
「この鳥は命を失い、体は硬直し、冷たくなっています。あなたの敬いの心は、誰にも届きません」
敬う気持ちは、生きている者に向けてこそ価値がある。――って、そんな風には思いたくない。
権力者に
けれど。
「その子にも家族はいたと思うんです。その子を大切に思っている誰かが、きっといるはずです」
大切に思う誰かがいるなら。
「その誰かの心の中で、その子はいつまでも生き続けていくんです。その誰かが忘れてしまわない限り、ずっと」
僕の心の中に生き続けている大切な人たちのように。
「だから、敬意を払うことを無駄だなんて、僕は思いませんよ」
ずっと寂しげだった瞳が大きく開かれ、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「優しい人、ですね」
「あなたもね」
死者に敬意を払う。
それはきっとこの女性も同じだろう。
だって、大勢の人が顔をしかめて避けた亡骸を、こんなに優しく両手で包み込んでいるのだから。
寒風が吹き荒び、二人揃って肩をすくめる。
風が吹き抜けていった後、「寒いですね」と言葉をかけると「……そうですね」と、眉を曲げながら微笑んでくれた。
なんて素敵な表情をする女性なんだろう。
これからお見合いだというのに、僕の心臓は目の前の無防備な笑顔に高鳴っていた。
「トラキチさん?」
名を呼ばれ振り返ると、突風に乱された髪を右手で押さえているカサネさんが立っていた。
僕と目の前の女性と、そしてその手に包まれている鳥の亡骸を見つめて困ったような表情を見せる。
「あの、これはですね――」
事情を説明すると、カサネさんは「お見合い前だというのに、困った方たちですね」と嘆息し、「分かりました。私が対応いたします」と、大通りへと駆けていった。
数分後、街の職員なのかなんなのか、同じ制服を着た二人の男性を引き連れて戻ってきたカサネさんは、その男性たちに事情を説明し、鳥の亡骸を受け渡した。
内側に布が張られた木箱に丁寧に入れられた亡骸を見て、灰色の瞳の女性はほっと安堵の息を漏らした。
カサネさんが書類にサインをすると、男性職員たちは礼をした後、大通りの方へと戻っていった。
「今の方たちは?」
「ペット専門の葬儀屋さんです」
本来なら、街中で死んでいる鳥獣類の死骸は清掃員が処分するそうなのだが、僕たちがとても大切そうに扱っていたから葬儀屋さんを呼んできてくれたらしい。
今日も気が利いてます、カサネさん。
「あの、代金はわたしが……」
「いえ。相談者様の希望を叶えるのが当相談所の役割ですので。経費で落とします」
『経費で』と言った時のカサネさんは、なんだかいつにも増してキリッとした表情をしていた。
経費を毟り取ることに快感でも見出しているのだろうか……頼もしいですけどね。
「……って、あれ?」
今、さらっと聞き流しそうになったけれど。
『相談者様』と、カサネさんは言った。僕の目の前にいる、灰色の瞳の女性に向かって。
ってことは、もしかして?
「トラキチさん、ご紹介します。彼女は、クレイ・バーラーニさん。本日行われるお見合いのお相手です」
あ、やっぱり。
ちらりと視線を向けると、彼女も驚いているようで目を真ん丸く開いていた。
「クレイさん。こちら、シオヤ・トラキチさんです」
「トラ、キチ……さん」
僕の名を呟き、遠慮がちにこちらへ視線を向けるクレイさん。
目が合うと、恥ずかしそうに視線が逃げていった。
うわぁ、なに今の。可愛い。
「あ、あはは。こんな偶然、あるんですね」
「びっくり、ですね」
なんだか照れくさくて、二人して照れ笑いを浮かべる。
その時、リンゴーンと、大きな鐘の音が鳴り響いた。
大通りの向こうから聞こえてくる鐘の音はとても荘厳で、思わず聞き惚れてしまう。
「さて、トラキチさん。そして、クレイさん」
鐘の音が鳴り止むのを待って、カサネさんが静かに口を開く。
正三角形の頂点を作るように僕とクレイさんのちょうど間に立って。僕たちの方をまっすぐ見つめて。
僕とクレイさん、双方に等しく微笑みかける。
「今が待ち合わせ時刻です」
……え?
いや、だって。カサネさんが来てから鳥の亡骸の処理とか結構いろいろなことやりましたけど……え、本当に?
「私も、時間に遅れないよう細心の注意を払いましたが……お二人とも、早過ぎです」
「「申し訳ありません」」
呆れ半分なカサネさんの指摘に、僕とクレイさんは揃って頭を下げた。