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ぼちぼちなわたしたち -2-

 いきり立つルチアーノさんをアサギさんが宥めている間、わたしはハーブティーをいれました。

 これで落ち着いてくださるといいのですが。


「何があったんですか、まずはそれを聞かせてください」

「実ぁよぅ……」


 ハーブティーを飲み干したルチアーノさんは、その怒りの原因を話してくれました。


「あいつ、俺の他に男がいやがったんだ。証拠もある!」


 にわかには信じがたい話でした。

 嫌われるのが怖いと、あれほど泣いておられたアレイさんが、別の男性と親密になっていただなんて。


「何かの間違いでしょう。きっとまた、意思伝達の齟齬ですよ」


 アサギさんも同じ意見のようです。

 けれど、ルチアーノさんは納得されず、担いでこられた荷物をばんっと叩いて声量を上げました。


「ここに動かぬ証拠がある! これを見りゃあ、あいつが浮気してたってすぐ分からぁ!」


 言いながら、荷物を覆っていた風呂敷を剥ぎ取るルチアーノさん。

 中に入っていたのは、大きな水槽でした。

 水の中に、黒くて丸い、可愛らしい生き物が四匹泳いでいました。


「これは、アレイが生んだガキだ! 全然俺に似てねぇだろ!?」


 そ、そんな!? まさか、アレイさんが!?

 ですが、確かに、この黒い丸い生き物とルチアーノさんは似ても似つきません。

 ど、どうしましょう……一体どうすれば……


「帰れ」

「えぇ!?」


 思わず変な声が漏れてしまいました。

 アサギさんが、ものすごく冷たい声でルチアーノさんを追い出そうとしています。


「待ってください、アサギさん! 問題が何一つ解決していませんよ」

「どこにも問題なんかねぇよ。これは100%こいつの子供だ」

「でも、どこにも面影が……色もこんなに異なりますし!」

「カエルの子供はみんなこんなもんだ。オタマジャクシで問題ない」

「ですが、『カエルの子はカエル』という言葉がありまして……」

「問題ないと言っているだろう?」


 アサギさんの整った顔が笑みの形に変わります。

 なぜでしょう。

 微笑んでいるのに、とてもお顔が怖いです。


 本当に、アサギさんが言うように問題ないのでしょうか。

 そういうもの、なのでしょうか。


「おいオッサン」

「お、オッサン!? お、俺のことか?」

「他に誰がいる、オッサン」

「いや、まぁ……そりゃそうだけどよぉ……」


 アサギさんの言葉遣いが崩れています。

 これも、相談員として重要な使い分け……なの、でしょうか?

 なんとなく、ただ単純に苛立っているように見えるのですが……けど、アサギさんのすることですし……うん、きっと意味があることなのでしょう。


「お前、親族の子供を見たことはないのか?」

「俺ぁ、ガキの頃に今の親方に拾われてよぉ、親族って言えるヤツぁいねぇんだ」

「カエル族に知り合いは?」

「親方がガマガエル族だ」

「じゃあ、親方に子育ての方法を聞いて、夫婦二人で大切に育てろ。そのうち、お前そっくりに成長するから」

「……本当、なのかい?」

「保証してやる。お前の嫁は、絶対浮気なんかしていない」


 断言するアサギさん。

 その意見には、わたしも賛成です。


「それに見てみろ、口元はあんたにそっくりじゃないか」


 水槽で泳ぐ真っ黒な赤ちゃんをよく見てみると、確かに口元と、あと目元がルチアーノさんによく似ています。

 尻尾の先が少々メタリックなのは、アレイさんに似たのでしょうか。


「言われてみりゃあ……似てる、か?」

「まぁ、カエル族のことはそこまで詳しくないが、カエルは変態する生き物だからな」

「だっ、だれが変態だ!? よ、嫁の太ももをぺろぺろしただけじゃねぇか!?」

「そうじゃねぇよ!」

「太ももじゃないってことぁ……お尻に顔を埋めたからか? だから変態か!?」

「違ぁーう!」

「じゃあ、脇の下に挟まっ……」

「これ以上夫婦の痴態を晒すな!」


 アサギさんがルチアーノさんの口を顔ごと掴んで塞ぎます。

 以前にも見た光景です。


「成長過程で体の作りや色が変わる変態だ。自分が子供だった時のことを思い出してみろ。オタマジャクシだった記憶はないか?」

「ん~…………あっ!? あるな! 俺ぁ、昔オタマジャクシだったぜ!」


 仕事に打ち込む中で、過去のことを思い出さなくなっていたルチアーノさん。

 ご自分がオタマジャクシであったことは忘却の彼方だったようです。


「分かったなら今すぐ帰って嫁に謝罪し、二度と、いいか、二っ度っとっこんなくだらないことで騒ぎを起こすな? いいな、二度とだぞ?」

「お、おぅ……迷惑、かけちまったなぁ……あ、あと、兄ちゃん、顔、怖ぇぞ」


 何度もお辞儀をして、ルチアーノさんは相談所を後にされました。

 来た時とは違い、大切そうに水槽を抱えて。


 異種族間の結婚は、種族の差異によって様々な誤解を生みます。

 愛情だけでそのトラブルを乗り越え続けるのは、きっと大変なのでしょうね。

 そんな悩めるご夫婦の力になれるよう、今後も精進していくつもりです。


「よかったですね。疑いが晴れて。アサギさんのおかげですね」

「あぁ……まぁ、ただの知識だ。というか、相手のことはともかく、自分の種族のことくらいは理解していてもらいたいもんだがな」

「アサギさんは、博識ですね。教わることばかりです」

「そんなことはないさ。俺だって、分からないことだらけだ」

「わたしも、何かアサギさんに教えてあげられることがあればいいのですが……」

「必要があれば教えてもらうさ」


 ルチアーノさんを掴んでいた手を拭きながら、それはもうしっかりと拭きながら、これでもかと懸命に、必要以上に、若干やり過ぎなくらいに拭きながら、アサギさんが眉根を寄せました。


「分からないと言えば、なぜ二週間程度でもう出産をしているかは謎だな」

「それならば、理由が分かりますよ」


 アイアンゴーレム族をはじめ、魔力を原動力として生命活動を行う種族の方は、婚姻などの状況変化により出産のための『魔力』を体内に蓄積し始めるのです。

 そして、ある一定量の魔力が溜まると、交配し、新たな生命を生み出すのです。

 ルチアーノさんを一途に愛し続けているアレイさんは、きっと結婚当初から魔力を溜め続けていたのでしょう。

 だから、二週間という短い期間でお子さんが誕生したのです。


 よし。

 では、この情報をアサギさんに教えて差し上げましょう。


 先ほどまでルチアーノさんと大声でやり取りしていたアサギさんが、喉を潤すようにハーブティーを飲んでわたしの答えを待っています。

 わたしは、薀蓄をひけらかすような嫌味にならないよう、簡潔に求められている回答を伝えることにしました。


「アレイさんは、溜まっていたんだと思います」

「ぶふぅーっ!?」


 アサギさんがハーブティーを吹き出しました。

 ちょっとだけ、虹がかかりました。


「大丈夫ですか、アサギさん!?」

「ごほっ、ごほっ! そ、それはこっちのセリフだ! 何言ってんだ、お前?」

「いえ、お子さんが早く生まれた理由です。アイアンゴーレム族の女性は溜まっていると早くお子さんを……」

「待て! ……ごほっごほっ、それ以上しゃべる、な……ごほっごほっ!」

「あの、お背中、さすりましょうか?」

「……いや、いい。いいから……『溜まる』とか言うな」

「はぁ……。分かりました」


 お子さんをすのに必要な魔力が溜まっていたから、これほど早くお子さんが誕生したのですが……他にどう説明すればよかったのでしょうか?

 しばらく咽た後、アサギさんは一人、窓の外を眺めました。

 心なしか、耳の先が赤く染まっているような気がします。


「……いろいろ、問題は山積みだな」


 ぽつりと、アサギさんがこぼした言葉。

 それはきっと、離婚相談所の在り方に関してなのでしょう。

 わたしも同感です。

 様々な知識と、ご夫婦それぞれの心の機微を察する心と、柔軟に対応できる器用さ、必要な能力は多岐に亘り、それらを有していてもうまくいくとは限りません。

 決して、十分な能力を有しているとも、万全な対応が出来ているとも言えません。

 けれど、だからと言って何も出来ていないと悲観することもありません。

 アサギさんがいてくれるだけで、少なからずわたしたちは誰かのお役に立てると、そんな自信が湧いてくるのです。


 最高ではないにせよ、悪くはない。


 今は、そのような状態なのでしょう。

 だから、つまりは。


「ぼちぼちですね、わたしたち」


 この状況にもっとも適しているであろう言葉を口にすると、アサギさんは一度わたしを見て、そして盛大にため息を吐いたのでした。







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