第1章 午前2時の空白通知
その夜、スマホの通知音で、唐突に目が覚めた。
ぼんやりと開いた瞳が捉えたデジタル時計は、午前二時ちょうどを指している。部屋は漆黒の闇に包まれていて、カーテンの隙間から漏れ入る街灯のオレンジ色の光が、私の勉強机をぼんやりと照らしていた。いつもなら、この時間には深い眠りについているはずなのに、その日はなぜか、妙に意識がはっきりしていた。
私は、まだ寝ぼけ眼のまま、枕元のスマホに手を伸ばした。画面に表示されていたのは、たった一件の通知。その通知には、見慣れないアイコンと、名前もない、ただ意味不明な記号が並んだだけの表示。
「新着メッセージ(差出人不明)」
LINEでもなければ、Twitterでもない。ましてや、私がインストールした覚えのあるアプリの通知ではない。薄気味悪さに、指先がひやりとした。普段からスマホの通知を多く設定しているわけでもないし、こんな怪しげなアプリをダウンロードした記憶も全くない。訝しく思いながら通知をスワイプしてみるが、全く反応がない。ホーム画面にも、それらしいアイコンは見当たらない。まるで、最初からそこに存在しないかのように。
「……気のせい、じゃないよね……?」
半信半疑で、しかしどこか引き寄せられるように画面をタップした。表示されたのは、真っ白なチャット欄。既読も未読も表示されず、メッセージの本文があるべき場所は、ただの空白。唯一表示されているのは、名前のない送り主と、時刻だけ。
【02:00】
そして、本文には文字化けの羅列──いや、“ノイズ”にしか見えない不可解な記号が並んでいた。まるで、ラジオのチューニングが合わない時に聞こえる、あのザーッという雑音を文字にしたような。理解不能なはずなのに、そのノイズを見た瞬間、なぜだか胸の奥に、奇妙な温かさが広がった。それは、懐かしさとも、切なさともつかない、形容しがたい感情の揺らぎだった。背筋がゾッとするような恐怖と、一方で、遠い昔に交わした約束を今になって思い出そうとしているかのような、不思議な感覚が同時に襲いかかった。
私、一之瀬あかり。高校二年生。
恋人がいたこともないし、夜更かしが得意なわけでもない、ごく普通の女子高生だ。スマホの使い方も、ごく一般的なSNSやメッセージアプリくらい。だからこそ、この得体の知れない通知には、言いようのない不気味さを感じた。しかし、同時に、このメッセージが、なぜか私だけに向けられた“何か”だと、妙に確信している自分がいた。
翌日、昼間の学校生活はいつも通りで、昨夜の出来事が夢だったかのように思えた。けれど、時計の針が深夜を回り、二時が近づくにつれて、胸の奥がざわつき始める。そして、正確に午前二時ちょうど、再びスマホが震えた。
「……また、来た」
心臓がドクン、と大きく跳ねる。今回は、添付された音声ファイル。恐る恐る開いてみると、砂嵐のようなノイズ混じりの奥から、微かに、しかし以前よりもはっきりと、男の声が聞こえてきた。その声は、耳の奥に直接響くような、不思議な音色だった。
『……あかり……また、話せて……よかった……』
誰? なんで私の名前、知ってるの? まるでずっと昔から私のことを知っているかのような、親しげな響き。だが、私の記憶には、その声の主の顔も、名前も、何も思い当たらない。スマホを落としそうになった私の心臓は、爆音のように跳ねていた。体中に電流が走ったような感覚。親友の詩音に聞かせたら、「なにそれ、都市伝説じゃん!」なんて面白がりそうだけど、私にはただただ恐怖と、そして胸を締め付けるような切なさしかなかった。私は誰かを、大切な誰かを、忘れているのかもしれない──そんな漠然とした不安が、胸を支配し始めた。
第2章 既読のつかない恋
次の日、私は学校で親友の鷹見詩音に相談することにした。昼休み、購買で買ってきたサンドイッチを頬張りながら、昨夜からの出来事を全て語った。詩音は、私とは対照的に理系タイプで、常にスマートウォッチをいじっているようなガジェット女子だ。新しいガジェットや流行りのテクノロジー、そしてインターネットにまつわる奇妙な話には目がなく、常に情報を漁っている。
「へぇ、都市伝説っぽくて面白いね、それ!」
詩音は、私の深刻な話にもかかわらず、どこか楽しそうに微笑んだ。私が恐怖を感じているのに、まるでミステリー小説の導入でも聞いているかのような反応だ。しかし、話を進めるうちに、彼女の顔がふっと曇った。いつもの好奇心旺盛な表情から、少しだけ真剣な、考え込むような表情に変わったのだ。
「それ、“記憶の残響(エコーズ)”かもね。ネットで見たことあるよ。なんでも、“選ばれた人”だけが受け取るんだって。昔、そんな都市伝説、ネット掲示板で調べたことあるんだ」
詩音の言葉に、私の背筋が冷たくなる。彼女はスマートウォッチの画面をスクロールしながら、さらに詳しく話し始めた。
「その掲示板によるとね、この『記憶の残響』を受け取った人は、徐々に現実と記憶の境目が曖昧になっていくらしいんだ。過去に経験したはずのない出来事を、まるで自分の記憶のように感じたり、身近な人の存在が微妙に変化したりするんだって。で、最終的には……自分が選ばなかった方の人生の記憶が、上書きされる、とか。ちょっと怖い話だよね」
「なにそれ、怖すぎるんだけど……。選ばれた人って何よ? 結局どうなっちゃうの?」
私の不安を他所に、詩音はさらに面白そうに続けた。
「でもね、こうも言われてるんだよ。『心から誰かを思い出そうとした人にだけ、忘れた誰かが応える』って。つまり、あかりが無意識のうちに、昔の恋人とか、本当に大切な誰かを、心の奥底で求めてるってことなんじゃないかな?」
恋人。私に、そんな存在がいた? 私の恋愛経験なんて、小学生の時に転校生に淡い恋心を抱いた程度で、高校生になってからは、誰かを特別に意識したことなんてない。なのに、この胸の痛みは何だろう? まるで、そこにあったはずの何かが、無理やり引き剥がされたかのように、今もチクリと疼く。
深夜二時の通知は、それから毎晩続いた。
時には意味のない文字の羅列、時にはノイズだけの無音の音声、時には背景がぼやけた無音の映像。だが、どのメッセージにも、まるで水底から手を伸ばすかのように、“彼”がいた。私の名前を呼び、何かを必死に伝えようとしている。彼の声は、日を追うごとに鮮明になり、メッセージの内容も少しずつ具体性を帯びていった。
『……あかり……ずっと……ここにいるよ……』
『……あの日、君は、俺を選ばなかった……』
そう語る声は、優しく、そして少し怒っているようでもあった。私は──こんな誰かを、知っていたのだろうか? 忘れていた? それとも、最初からいなかった? 記憶を辿ろうとするたびに、頭の奥が締め付けられるように痛む。まるで、そこにあるべきパズルのピースが、いくつも欠けているような感覚に陥る。
ある晩、深夜二時ちょうどに、通知ではなく、非通知の電話がかかってきた。心臓が跳ね上がった。普段なら非通知からの電話など無視するところだが、その時はなぜか、迷わず私は応じていた。指が勝手に動いたような、そんな不思議な感覚だった。
「──もしもし……?」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、微かにノイズは混じるものの、以前よりもずっと鮮明になった男の声。その声が、私の耳の奥に直接響くような、不思議な音色だった。
『思い出して。君と過ごした、あの温室のこと』
温室? そんな場所、行った記憶は……ない。私の知っている範囲では、学校にも、家の近所にも、温室なんて施設はないはずだ。けれど、その言葉を聞いた途端、心の奥が激しく震えた。胸が締め付けられ、まるで呼吸ができないような感覚に陥る。同時に、甘い花の香り、どこか遠くで聞こえる草木のざわめき、温かく湿った空気、そして──誰かの指が、私の頬にそっと触れたような感触が、脳裏をよぎった。その優しさに、思わず涙が滲みそうになった。
第3章 影と感覚の接触
その夜、スマホからの声を聞き、意識を失ってから次に目が覚めたとき、私は自分の部屋のベッドの上で、びっしょりと汗をかいていた。夢だったのだろうか。それとも、幻覚? まだ夜明け前の薄暗い部屋で、胸が大きく波打つのを感じる。
けれど、胸元には一枚の写真が置かれていた。
それは、ごく普通のプリント写真で、少し古びた風合い。縦横10センチほどのサイズで、端が少し擦れている。写っていたのは、私の制服姿と──見知らぬ青年が、肩を並べて楽しそうに笑う姿だった。彼の顔は穏やかで、私を見つめる瞳は優しさに満ちている。
「……誰、これ……?」
写真の中の私は、確かに満面の笑みを浮かべている。作り物のような笑顔じゃない。心から楽しんでいる顔だ。その笑顔は、嘘じゃない。でも、隣にいるこの彼は、一体誰なのだろう。記憶のどこを探しても、彼の存在を示すものは何もない。スマホのアルバムを開いても、この写真は存在していなかった。いや、そもそもスマホから出てきたわけじゃない。あの写真は、まるで誰かがそっと置いていったかのように、ベッドの上に、そこにあったのだ。誰かが、私の部屋に? いや、それはもっと違う“何か”だ。理解できない状況に、頭が混乱する。
頭の奥で、何かがずっと引っかかっている。思い出せそうで、思い出せない。まるで、脳のどこかに、薄い膜が張られているかのようだ。けれど、指先だけは、あの彼の、温かい手の感触を確かに覚えていた。夢の中で触れた、あの確かな感触が、現実の私にも残されているのだ。
私はその夜、勇気を出して“あの番号”に、メッセージを送った。たった一言、「あなたは誰?」と。返信が来るかどうかも分からなかったが、なぜかそうせずにはいられなかった。
既読はつかない。まるで、存在しない番号に送ったかのようだ。けれど、すぐに返信があった。瞬間的に画面にポップアップした通知。
『思い出した? あかり』
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。手が震え、スマホを握りしめる力が抜ける。涙が零れそうになった。わけもなく、懐かしくて、苦しくて、そして、ほんの少しだけ温かい。彼の言葉が、心の奥に空いた穴を、ゆっくりと優しく撫でてくるようだった。
メッセージアプリのチャット欄には、彼からの言葉が刻まれていく。
『温室で、初めて君が笑った時のこと、忘れてない。
ガラス越しの雨音と、白いシャツ。』
白いシャツ──。思い出した。夢の中で彼が着ていたのは、真っ白なシャツだった。夢の中の記憶と、現実のこのメッセージが、確かに繋がっている。それは、恐怖でもあったが、同時に、失われたピースが埋まっていくような、不思議な安堵感もあった。
だけど、そこにあるはずの記憶は、やはり穴が空いていた。彼の名前も、顔も、声も、何もかもが霧の中。なのに、心だけが、確かにその存在を覚えている。このもどかしさに、私は唇を強く噛みしめた。しかし、もう一つ、彼の名前が、スマホの通知に確かに刻まれていた。
──「結城 陽(ゆうき・よう)」。
第4章 上書きされる私
それからの数日間、私は少しずつ“変わって”いった。
それは、私の意思とは関係なく、まるで知らない誰かに操られているかのように、無意識のうちに進行していた。スマホに届く通知は、すでに“他人の記憶”を含んでいた。初めて陽と手を繋いだ日。キスを交わした記憶。彼の誕生日、好きな食べ物、夢。どれもこれも、私の知らない、しかし詳細すぎる情報ばかりが、まるで現実の出来事のように私の頭の中に流れ込んできた。
だが、現実の私は、結城陽という人物に会ったことすらない。誰ともそんなことをしていない。なのに、指先は、唇は、彼の温度を覚えている。夢の中で触れた、あの確かな感触が、現実の私にも残されているのだ。まるで、私の体が、私とは別の記憶に支配されているかのように。
友人たちの態度も、明らかにおかしい。
ある日の放課後、詩音がスマホの画面を見せてきた。そこには、詩音と私、そして……陽が写っている。
「昨日のプリクラ、消しちゃったの? あかりってば」
詩音は笑っているが、私の頭の中は混乱で真っ白になった。
「え? プリクラ……?」
見せられた写真に写っているのは──私と、“陽”。肩を寄せ合って、おどけた顔で微笑んでいる。陽の腕が、確かに私の肩に回されている。私は、昨日、ずっと家にいたはずだ。詩音とプリクラを撮りに行く約束なんて、していなかった。なのに、写真の中の私の笑顔は、まるで心から楽しんでいるかのように輝いている。
その瞬間、私は理解した。
“現実が書き換えられている”んじゃない。
“私の記憶が、彼によって上書きされている”んだ。
まるで、私という人間の脳に、別の誰かの記憶を無理やりインストールされているかのような、ぞっとする感覚に襲われた。自分の過去が、彼によって塗り替えられていく。このままでは、私は、私自身ではなくなってしまうのではないか。自分が自分でなくなっていくような感覚。過去の友人との会話や、思い出が、現在の自分の記憶と食い違うことへの混乱。しかし、陽の存在は、同時に心に温かさをもたらす。私は、心の奥底で彼を求めているのだろうか。このまま彼に身を委ねてしまえば、楽になれるのかもしれない──そんな誘惑も、私の心を揺さぶり始めていた。
第5章 選ばれた恋と消える存在
その夜、私は夢とも現実ともつかない、不思議な空間にいた。
そこは、あの温室だった。月明かりが差し込む、ガラス張りの美しい空間。葉擦れの音だけが、静かに響く。誰もいないはずなのに、彼はそこにいた。
──結城 陽。
私が忘れてしまった、でも本当は一番大切だった名前。
彼が、ゆっくりと、私のほうへ近づいてくる。その一歩一歩が、温室の床に、ガラスの破片が散らばるような、微かな音を立てているように感じられた。彼の顔は、以前の写真よりもさらに儚げで、そして、涙ぐんだ目で私を見つめていた。
「ごめん……怖かった。君を消すくらいなら、自分が残りたかった」
彼の口から出た言葉は、私の予想とは全く違うものだった。私は、はじめて彼の“弱さ”を見た。彼はずっと、私に自分を思い出させようとしていた。その理由が、私を失うことへの恐怖だったと知って、胸が締め付けられる。
陽の話によれば、かつて私は、ある“選択”をしたらしい。それは、私が全く記憶にない、人生の岐路だった。その瞬間、私たちの世界は枝分かれし、陽の存在する側の“現在”は選ばれなかったのだと。私と陽が共に生きる世界は、存在しなくなった。彼は、その「選ばれなかった世界」に取り残されてしまったのだ。
「僕は、君との記憶を失いたくなかった。だから、空白のメッセージを送った。君の記憶を、僕の存在を、少しずつ取り戻させるために……」
彼は、自身の存在の記憶と引き換えに、私を“思い出す側”に引き戻していた。空白メッセージは、彼が最後の力を振り絞って送っていた、唯一の合図だったのだ。彼の体が、淡い光を帯び始めた。その光は、まるで陽炎のように揺れ、彼自身の存在が希薄になっていることを示しているようだった。
「もう一度だけ、選んで。君がここに残れば、ふたりは一緒にいられる。僕が、君の世界に存在できる。そして、君は僕との記憶と共に生きられる」
彼の言葉に、私の胸は激しく高鳴った。陽と共に生きる世界。それは、私がずっと無意識のうちに求めていたものだったのかもしれない。写真の中の私が、あんなにも幸せそうに笑っていたのだから。
「でもその代わり、君の世界にいた“誰か”は、存在を失う。それは、もう一人の君がいた世界の“誰か”……親友かもしれない。家族かもしれない。そして……」
その「そして」の言葉を聞いた時、私は気づいてしまった。その「誰か」が、“今の私”なのかもしれないことに。陽を選べば、私は、今ここにいる私自身を失ってしまう。今まで築き上げてきた全てが、まるでなかったことになってしまうのだ。詩音との友情、家族との温かい食卓、何気ない学校生活。これら全てが、私の中から消え去ってしまうのだろうか。
温室のガラス一枚を隔てて、陽と私が立っている。彼の瞳は、私に選択を促していた。彼の瞳の奥には、私への切ないほどの愛情と、そして、彼自身の存在の消滅への覚悟が見て取れた。私は、陽への恋慕と、現在の世界での絆の間で、激しく揺れ動いていた。詩音との他愛もない会話、家族と囲む食卓の温かさ、学校で感じる日常の安堵感。それらの記憶が、陽の呼び起こす温かい記憶と交錯し、私の心を締め付ける。私は、このかけがえのない「今」を、手放すことはできない。陽への愛情とは別の、もっと深く、強く、私を構成するものが、そこにあった。
第6章 空白を埋めるもの
私は、陽の、光を帯びて透き通る手を取った。
彼の指は冷たく、そして、とても儚かった。まるで、触れたらすぐに消えてしまいそうなほどに。陽の存在を感じながら、私は深く考えた。陽と共に生きる世界。それはきっと、温かくて、愛に満ちた世界なのだろう。写真の中の私が、あんなにも幸せそうに笑っていたのだから。しかし、もし、その世界を選んだとして、今ここにいる私はいったいどうなるのだろう?
私は、陽に、そして自分自身に、震える声で告げた。
「……ごめん。思い出せたのは、嬉しかった。本当に、嬉しかったよ、陽。でも、私、今を選ぶよ。詩音も、家族も、この全てが私だから。この私でいたいから……」
私の言葉を聞いた陽は、ゆっくりと微笑んだ。その瞳には、悲しみも、安らぎも、両方があった。まるで、私の選択を最初から知っていたかのように、全てを受け入れているような表情だった。彼の笑顔は、どこか諦めにも似た、しかし深い愛情に満ちていた。
「うん。あかりらしいな」
彼の姿が、淡い光に包まれていく。温室のガラスが淡く揺らぎ、まるで水面に石を落とした波紋のように、空間全体が歪み、そして消えていく。私は、彼の手を強く握り返そうとしたけれど、彼の体はすでに半透明になっていた。指の隙間から、光が零れ落ちていく。彼の存在が、私の中から、そして世界から、消え去ろうとしている。
「最後に……名前、呼んでもらえる?」
陽の体が、ほとんど光になってしまった。その声も、風の音に掻き消されそうだ。しかし、その言葉は、確かに私の心に届いた。私は、目を閉じて、静かに、そして精一杯の想いを込めて、彼が消える直前の、最後の瞬間を胸に刻みつけるように、口を開いた。
「──陽。ありがとう。私、あなたを……」
言葉はそこで途切れた。感謝の言葉だったのか、それとも別の何かの言葉だったのか、私にはもう分からない。ただ、温かい涙が、とめどなく溢れ落ちてきた。彼の最後の微笑みが、私の瞼の裏に焼き付いて離れない。
エピローグ
次に目を覚ましたとき、私は自分の部屋のベッドにいた。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。まるで、何もなかったかのように、日常の時間が流れている。
スマホの通知も、陽とのチャット履歴も、ベッドにあった写真も──全部、消えていた。まるで、全てが夢だったかのように、何もかもが、なかったことになっていた。彼の存在を示す物理的な証拠は、何一つ残されていない。
けれど、胸の奥には、確かに“何か”が残っていた。それは、温かく、そして少しだけ切ない、漠然とした感情の塊。言葉にはできないけれど、たしかに私の心の中に刻み込まれた、消えない記憶の痕跡。それは、私がした選択の重みと、失われた存在への哀惜だった。
机の上には、小さな白い花が一輪、無造作に置かれていた。真っ白で可憐な花。見覚えはない。部屋に飾った覚えもない。でも、それを見た瞬間、私は自然と微笑んだ。それは、涙の痕が残る頬にもかかわらず、心からの、穏やかな笑みだった。あの時の陽の温かさと、彼の最後の微笑みが、この花の中に宿っているかのように感じられた。
高校の卒業式の日。私は、温室の裏手に咲く白い花を見に行った。あの時、机の上に現れた花と、同じ種類の花。誰も気づかないような、ひっそりとした場所に、その花は小さく、しかし力強く咲いていた。まるで、誰かがそこにいるかのように、風が吹いて、花が小さく揺れる。
スマホが、ふっと震えた。ポケットの中で、僅かに振動する。
──通知:新着メッセージ(差出人不明)
本文:『また、いつか』
私は微笑んで、スマホをそっとポケットにしまった。陽の存在は、もう私の世界にはない。物理的な繋がりは消え去った。でも、彼は私の中に、かけがえのない記憶と、そして選択の重みを残してくれた。その経験は、私を少しだけ強く、そして優しくしてくれた気がする。私は、これからの人生で、きっとこの経験を忘れはしないだろう。そして、この空白のメッセージが、いつかまた、私に新しい「何か」を教えてくれるかもしれないと、静かに期待していた。陽との出会いは、確かに私の世界を一度は揺るがしたが、その空白は、私の心をより豊かなものにしてくれたのだ。
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