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4-2

「千里、本当はわかってんだろ……」

「え……?」

「俺が、お前のことどう思ってんのか……」


 緊張のあまり、声がふるえてしまった。もう降参だ。これ以上、冷静なフリなんかしていられない。彼へのやましい気持ちを捨てられない。これがまやかしだとして、妖力にあてられているとして、たぶらかされているとしても。千里が欲しくてたまらない。千里を愛したいし、愛されたい。これ以上、彼のそばにいてこの感情を殺すなんて、それこそ狂ってしまいそうだ。


「ごめんな……。俺、好きにならないって約束したのに。好きになっちゃったんだよ……」


 ふるえる声で想いをこぼし、やはり絶望する。これまでだ――と、そう思わざるを得ない。衛人の言葉を聞くなり、千里は泣きそうな表情になって、目を潤ませていた。


 あぁ……、言わなきゃよかったな……。


 釣られて、衛人も泣きそうになった。好きな人を自分の言葉で泣かせてしまったうえに、失望までさせてしまったのだ。「きっと好きになんないよ」という彼との約束を、衛人はたった六日で破ってしまった。


「ほんと、ごめん……。こんなはずじゃなかったのに……」


 だが、もう一度、そう謝った時だった――。


「衛人さん……!」

「せん――……」


 千里は突然、衛人に近づいてきたかと思うと、衛人を強く抱きしめたのだ。


「お願いです。もう、謝らないでください……」


 千里は衛人の耳元でささやくようにそう言った。彼の吐息が、耳元に触れて、ゾクゾクッと全身の肌が粟立あわだつ。おかげで、衛人はすっかり力が抜けてしまい、そのまま、しゃがみ込み、畳の上に押し倒されてしまった。千里は長い髪をき上げてから、衛人の頬をそっとでる。そうして、衛人をうっとりと見つめながら言った。


「ごめんなさい。本当は謝らなければいけないのは、僕のほうなんです……」


 衛人はまゆをしかめる。千里の言葉の意味が、よくわからなかったのだ。彼はなにかしたのだろうか。だが、この家で勝手に暮らしていたことを除けば、彼が衛人に謝らなければならないようなことは、なにひとつ思い当たらない。それなのに、千里はもう今にも泣きそうな表情で、衛人を見つめている。


「千里、どういうこと?」


 たずねてみたものの、千里はなにも答えない。いや、答えようとしているのはわかった。だが、言いにくいことなのか、彼は下唇を噛んでいるばかりで、なかなか話し出そうとしなかった。


「千里……」

「衛人さん、ごめんなさい……」


 謝るばかりの千里を前に、衛人は頬をゆるめる。どうしてだろう。言葉がなくても、こうして彼の表情を見つめていると、彼がひたすらに謝る理由に気付けるような気がしたのだ。


「大丈夫だよ」


 衛人は千里の長い髪を、指でそっとくようにしてでる。すると、不意に。彼の髪に、蛍がとまった。


「千里は、本当にきれいだな……」


 思わずこぼれたセリフに、彼は瞳を潤め、頬をゆるめる。彼の髪を何度もでながら、どうしようもなく恋をしていると、改めて思い知らされた。あやかしにたぶらかされていたとしても、まやかしだったとしても、これは恋でいいと思った。


 本当はもうずっと、恋なんかこりごりだった。不完全燃焼のまま、身を切られるような失恋をしたせいで、胸の古傷が癒えないまま、そのわずらわしさを隠して過ごすのがやっとだった。誰であろうと、もう恋なんかしない。きっと、できない。ずっとそう思っていた。それなのに、衛人は今、千里に押し倒されて、途方もなく期待していた。


「衛人さん……」

「うん?」

「僕を、抱いてください……」


 心臓を鷲掴わしづかみにされるような心地に、きゅうっと胸の奥が苦しくなる。愛おしくて、狂おしくて、もう今にも我を忘れてしまいそうになる。だが、彼の言葉でハッと気づかされた。


「もしかして、千里……。俺に妖力を使ってたの?」


 そうたずねると、千里がこく、と頷き、長い髪が揺れる。衛人は思わず笑みをこぼした。この恋は、やはり千里の仕業だった。彼はわずかながらにも妖力を使い、衛人を誘惑していたのだ。


「……やっぱり、そうだったのか」


 それには、深く納得させられた。すると、千里は慌てて言い訳をするようにして言う。


「ごめんなさい……。だって僕、あなたを好きになっちゃったんです……。だから、あなたにも僕のことを好きになってほしくて……、それで……」

「それって、俺が千里を抱いても、千里はずっとそばにいてくれるってこと?」


 衛人がたずねると、千里はまた、頷いた。


「僕、あなたの伴侶になりたいです。この家で、一緒に暮らしたいです。でも……」

「でも……?」

「半妖ではやはり、だめでしょうか……。僕は、妖力を使ってしまったし……。卑怯ひきょうな真似をしたから……」


 千里は悲しい笑みを浮かべてそう言った。同時に、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちる。それが衛人の頬を濡らした。衛人はもう嬉しくてたまらなくなって、体を起こし、千里の唇をそっとふさぐ。


「ん……っ」


 彼にたぶらかされていようと、本当の恋に落ちていようと、そんなことはまったくどうでもいい。それほど、彼が愛おしかった。今すぐ、彼が欲しかった。


 千里の、つやっぽい声が漏れた短いキスのあと、彼はぽうっとした顔で衛人を見つめた。その表情もまた、ひどく愛らしかった。


「千里、だめじゃないよ」

「衛人さん……」

「俺は、千里が半妖でもいいし、妖力でまやかしをかけられていてもいい。千里が好きだってことには、変わんないから」


 衛人がそう言うと、千里の瞳から、また涙がこぼれた。それを指先で拭いてやって、衛人はまた彼の唇に口づける。そうして、言った。


「ただ……、誰かを抱くのってはじめてなんだ。うまくできるかわからないけど……、絶対大事にするよ。伴侶になろう、千里」


 すると、今度は衛人が唇をふさがれた。筋肉質な千里の腕が、衛人の体を包み、再び畳の上に押し倒される。同時に首すじに吐息が触れ、たまらなくぞくりとさせられる。衛人は多幸感に浸り、目を閉じた。


 まやかしだっていい。俺は、千里が好きだ――。


 その晩、衛人は千里を抱いた。畳の上で抱きしめ合い、互いの温もりに溺れながら、何度も何度も口づけ合ったあと、もう蛍も飛ぶのをやめた夜更け、千里とひとつになった。それは、とろけるように甘く、恐ろしいほどに妖艶ようえんで、官能的な夜だった。

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