鉛の色は、低くたゆたう空の色。
雪の名残が白く
王は……
深いまどろみの海をたゆたっていた。
南から来た詩人は、海を母と
海は空よりもなお
なぜなら王の知る海は、全てを飲み込むべく口を開けた冥府の沼であり、ゆえにそこにある命は飲み込まれた者のなれの果てだからだ。
海とは死。ゆえに生きとし生けるものは海に死に、魚となり、
それが、この大地の
神々すらも、輪廻の環から外れることはかなわず。
ただひと握り、英雄と認められた戦士の魂のみが永遠を得ることを許され。しかし彼らでさえ、永劫の時を戦い暮らし続けなければいけない宿命なのだと。
そんなまどろみの中……
「愛しい人」
輪廻の海へと沈みかけた意識に、遠く声が届く。
呼ぶ声に目蓋を開けば、そこには見慣れた娘の顔があった。
白い、
陽の煌めきを鋳込んだ氷を
長い
すべてが、かつては愛した恋人であり、今は愛する妻となった王女の形だった。
王女……すなわち愛しい姫は、戦場にいどむ者の鎧をまとった勇ましくも美しい姿で、冷たい岩の大地に横たわる王の顔をのぞき込んでいた。
なぜこんなところに……などという疑問はない。
王宮で待つはずの彼女がここにいる理由はたったひとつ。
その意味するところを受け入れ、王は笑みを浮かべた。
「おはようございます、我が王」
彼女の唇が紡いだのは、鎧を
王も当たり前に「おはよう」と応じて、そして思ったままを口にした。
「眠るというのは、死ぬことと同義だね」
やくたいもないつぶやきを耳にした彼女は、不思議そうな顔で小首をかしげてみせる。
その仕草があまりに愛らしくて、それで王は、彼にしては珍しく、口にした言葉の意味をつまびらかにする気になる。
その意味するところは……。
「見慣れたはずのきみの姿に、目覚めるたびに恋をする」
だから、眠りは死のようなもので、目覚めは生まれ変わることと同じ新鮮さを持つのだと。
愛しい娘の白い肌が、さっと紅潮した。
王の顔をのぞき込んだまま、彼女は目をそらすこともできずに、硬直していた。
「ば、馬鹿ですあなたは……」
彼女はやっとのことで、それだけを口にする。
すねたように頬を染めてはにかむ姿は、いつまでも可憐さを失うことのない、出会った日のままの彼女だった。
やがて。
王が苦笑をにじませ。
姫も、ふっと表情をやわらげる。
「それならば、わたしにも」
言いたいことがあるのだと。
「あなたは知らないかもしれませんけれど」
双丘のふくらみをかたどった鎧の胸元に掌をあて、夢見るように
「わたしは、まばたきをするたび、初恋のときめきを感じるのですよ」
目を笑みに細め、そう、言ったのだった。
……なるほど、効果的な反撃だ。
瞳に映る色を人が同じ名で呼んだとしても、それぞれが本当に「同じ色あい」を見ているか否かなどわからないように、誰かを愛しいと思う気持ちが、本当にそれぞれ同じ意味を持つとは限らない。
それでも今は、そんな曖昧な「愛しさ」という言葉が、なによりも確かに強く互いをつないでいると、王にはそう信じられるのだった。
しかしそんな触れあいも時間切れだと、娘の掌が、慈しみをもって王の頬をなでる。
「さあ愛しい人、こんな場所で寝ておられては、風邪をひかれますよ」
「そうだね……そろそろ行かねばならないね」
「我が王……」
「我を、君の父の
娘は……愛する姫は頭を左右に振り、その瞬間はじめて笑顔を崩して、その瞳に、胸に秘めていた悲しみの
王と呼ばれる身、彼の者の胸には、槍。
戦においていまだ不敗の王は、
「王よ……」
姫は、問う。
「わたしは……わたしでは駄目なのでしょうか? こうして死者の露に濡れそぼってしまったあなたを、あなた様の命を救うことはできないのでしょうか」
「泣く必要はないよ、我が傍らの姫。我はもう、嵐の父と向き合うに充分な栄誉を得た。それは戦列に迎えられる栄えよりなお価値のある誉れ。なぜなら、死した王たる我が傍らには、こうして美しくも愛しき南の黄金が……輝ける我が妻が、そなたがいるのだからね」
「はい……」
生まれ高き清らかな姫であり、また
「ルーン。またいつか」
「探しに行きます、愛しい君」
「来世で」
「はい、来世で」
口づける。
そうして……
唇が離れる瞬間を知ることなく、意識は闇に落ち―――