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極光のロマンティア
極光のロマンティア
寺田とものり
現代ファンタジー異能バトル
2025年06月27日
公開日
5.1万字
連載中
 地を這うように揺れるオーロラのカーテン。  その向こうから現れた少女。 「愛している……だから殺すの」  彼女の口から、少年……遙希(ハルキ)は、そんな言葉を聞いた。  それが契機。  世界の見え方が少しずつ変貌していく。  当たり前の日常が姿を変える。  魔剣と聖槍、戦乙女の馬とルーンの秘術……日常のわずか薄紙一枚裏に横たわる、神々の世界が姿を現す。  ―――「生まれるたびに、君の姿に恋をする」―――  あの日の約束は時を超え。  トネリコの庭で、少年は剣を取る。  ―――雪抱く絶峰  ―――黄金なす痛み  学校と家をただ往復するだけだった日々を……なにもなかったけれどそれでも幸せだった日常を取り戻すために。  なにより。  再び出会えた美しい娘、やっとつかんだ彼女のおやかなその手を、二度と離さぬために。

プロローグ


 鉛の色は、低くたゆたう空の色。


 雪の名残が白くにごった氷となって残る、凍土とうどの平原にひとり。


 王は……


 深いまどろみの海をたゆたっていた。


 南から来た詩人は、海を母とうたうが、あれは嘘だ。


 海は空よりもなお鈍色にびいろで、より重い鉛のおりのわだかまりだ。もしも詩人の語る南方の海原が命を抱く羊水というなら、この大地を囲む絶海はきっとそれとは隔絶かくぜつされた異海なのだろう。


 なぜなら王の知る海は、全てを飲み込むべく口を開けた冥府の沼であり、ゆえにそこにある命は飲み込まれた者のなれの果てだからだ。


 海とは死。ゆえに生きとし生けるものは海に死に、魚となり、海豹アザラシとなり鯨となって人に喰まれ、また陸への回帰を果たす。


 それが、この大地の永劫輪廻えいごうりんねの法則。


 神々すらも、輪廻の環から外れることはかなわず。


 ただひと握り、英雄と認められた戦士の魂のみが永遠を得ることを許され。しかし彼らでさえ、永劫の時を戦い暮らし続けなければいけない宿命なのだと。


 滑稽こっけいな、と、そう思う。


 そんなまどろみの中……


「愛しい人」


 輪廻の海へと沈みかけた意識に、遠く声が届く。


 呼ぶ声に目蓋を開けば、そこには見慣れた娘の顔があった。


 白い、肌理きめ細やかな、透き通る肌の色も。


 陽の煌めきを鋳込んだ氷をくしけずったような、光輝く黄金の髪も。


 長いまつげに縁取られた翠色みどりの瞳も、細く通った鼻筋も、その下でやわらかな弧をもって笑みをたたえる唇も。


 すべてが、かつては愛した恋人であり、今は愛する妻となった王女の形だった。


 王女……すなわち愛しい姫は、戦場にいどむ者の鎧をまとった勇ましくも美しい姿で、冷たい岩の大地に横たわる王の顔をのぞき込んでいた。


 なぜこんなところに……などという疑問はない。


 王宮で待つはずの彼女がここにいる理由はたったひとつ。


 戦女神ワルキューレたる性を持つ彼女が、その姿をしているということは……。


 その意味するところを受け入れ、王は笑みを浮かべた。


「おはようございます、我が王」


 彼女の唇が紡いだのは、鎧をまとって口にするにはそぐわない、当たり前の目覚めの挨拶だった。


 王も当たり前に「おはよう」と応じて、そして思ったままを口にした。


「眠るというのは、死ぬことと同義だね」


 やくたいもないつぶやきを耳にした彼女は、不思議そうな顔で小首をかしげてみせる。


 その仕草があまりに愛らしくて、それで王は、彼にしては珍しく、口にした言葉の意味をつまびらかにする気になる。


 その意味するところは……。


「見慣れたはずのきみの姿に、目覚めるたびに恋をする」


 だから、眠りは死のようなもので、目覚めは生まれ変わることと同じ新鮮さを持つのだと。


 愛しい娘の白い肌が、さっと紅潮した。


 王の顔をのぞき込んだまま、彼女は目をそらすこともできずに、硬直していた。


「ば、馬鹿ですあなたは……」


 彼女はやっとのことで、それだけを口にする。


 すねたように頬を染めてはにかむ姿は、いつまでも可憐さを失うことのない、出会った日のままの彼女だった。


 やがて。


 王が苦笑をにじませ。


 姫も、ふっと表情をやわらげる。


「それならば、わたしにも」


 言いたいことがあるのだと。


「あなたは知らないかもしれませんけれど」


 双丘のふくらみをかたどった鎧の胸元に掌をあて、夢見るように目蓋まぶたをとじて、


「わたしは、まばたきをするたび、初恋のときめきを感じるのですよ」


 目を笑みに細め、そう、言ったのだった。


 ……なるほど、効果的な反撃だ。


 瞳に映る色を人が同じ名で呼んだとしても、それぞれが本当に「同じ色あい」を見ているか否かなどわからないように、誰かを愛しいと思う気持ちが、本当にそれぞれ同じ意味を持つとは限らない。


 それでも今は、そんな曖昧な「愛しさ」という言葉が、なによりも確かに強く互いをつないでいると、王にはそう信じられるのだった。


 しかしそんな触れあいも時間切れだと、娘の掌が、慈しみをもって王の頬をなでる。


「さあ愛しい人、こんな場所で寝ておられては、風邪をひかれますよ」


「そうだね……そろそろ行かねばならないね」


「我が王……」


「我を、君の父のもとへと連れて行くのかい、戦女神ワルキューレ


 娘は……愛する姫は頭を左右に振り、その瞬間はじめて笑顔を崩して、その瞳に、胸に秘めていた悲しみのいろを、耐えきれずにあふれさせたのだった。


 王と呼ばれる身、彼の者の胸には、槍。


 戦においていまだ不敗の王は、此度こたびの戦においても敗北を知ることはなく。しかして彼の国に勝利をもたらしたその身は九本の槍を受け、槍は、王の命をすでにして奪い去っていた。


「王よ……」


 姫は、問う。


「わたしは……わたしでは駄目なのでしょうか? こうして死者の露に濡れそぼってしまったあなたを、あなた様の命を救うことはできないのでしょうか」


「泣く必要はないよ、我が傍らの姫。我はもう、嵐の父と向き合うに充分な栄誉を得た。それは戦列に迎えられる栄えよりなお価値のある誉れ。なぜなら、死した王たる我が傍らには、こうして美しくも愛しき南の黄金が……輝ける我が妻が、そなたがいるのだからね」


「はい……」


 生まれ高き清らかな姫であり、また王神オーディンの娘であり戦女神ワルキューレでもある娘は、涙をにじませてなお微笑みを絶やすことなく、死せる王を見送る。


「ルーン。またいつか」


「探しに行きます、愛しい君」


「来世で」


「はい、来世で」


 口づける。


 そうして……


 唇が離れる瞬間を知ることなく、意識は闇に落ち―――


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