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14:ヒストリー・オブ・ザ・ラビリンス

 私は、恐ろしく分厚い本の表紙の「間宮巌まみやいわお」という著者名を見つめた。


 ――そうだ、子供時代に祖父の屋敷に行った時。

 本のぎっしり詰まった本棚や床に積まれた本だらけの狭い部屋。大きな椅子に座った祖父が私に本を渡しながら厳めしい口調で申し渡したのだ。

「いいな菜月、決して本を読みながらビスケットを食べるなよ。本の間に細かい食べかすが落ちる。本の間のどんな屑も私は決して許さないからな」

 あれは祖父の書斎だったのだろうか? 私は何かの薄い本を受け取りながら、ビスケットは好きじゃないよ、と返事をしたような記憶がある。

 祖父の顔は思い出せない。でも声は何となく覚えている。

 母親が傍にいたような気もするけど思い出せない。

 父親はあの<5つの決まり>を見た時に、祖父の事を思い出すか連想して「本を読みながらビスケットを食べてはいけない」を線で消したのだ。多分、自分も父親から口うるさく言われた記憶が蘇ったのだろう……。


 それにしても、まさかここで祖父の書いた本と出合うとは考えもしなかった。

 いやでもこのダンジョンは祖父の屋敷のあった場所に出現しているのだ。当然自分の書いた本は所有していただろうし、十分に考えられる。でも底も見えない地底に落ちた屋敷から?


 混乱しながら顔を上げたら(いいからさっさと宣誓しろ)としか言いようのない表情でこちらを見ている司書ウサギと目が合った。仕方ない、宣誓してから質問しよう。

 えーと宣誓なんてした事ないけど、某超大国の大統領の大統領就任式の映像を思い出しながら左手を本に置き、右手を何となく掲げて「私、間宮菜月はダンジョンの<5つの決まり>を守ります」と声に出して宣誓した。どうだ、これで文句ないだろう。

 司書ウサギは初めて満足そうな表情を浮かべた。


「結構だ。これで血縁者は我々の管理下の存在となった。今後は決まりと秩序を守りダンジョン内を探索するように。質問があればこちらで受け付ける」

 ウサギの管理下か。でも腹も立たなくなってきた。どうせダンジョン内だけの付き合いだ。それより尋ねたい事がある。

「あのですね。真っ先に聞きたい事があるんですが」

「何だ?」

 司書ウサギは別に面倒そうな顔はしない。職務に忠実である。なのでつい丁寧な言葉遣いになってしまう。やむなし。

 私はもう一度分厚い祖父の本に手を置いた。

「このえらく分厚い本、私の祖父が書いた本なんですけど、何でここにあって宣誓に使われてるんですか?」

「血縁者は本当に何も知らないのだな。それは、このダンジョンの創始者が間宮巌氏だからだ。創始者の書いた最も分厚い本なので、最も重要な本として取り扱い、宣誓にも使用している。創始者の蔵書が元となり基礎となり、ダンジョンは生まれ、存在し続けているのだからな」


 私はぽかんと口を開けた。この奇妙なダンジョンの創始者……創ったのが祖父?


 司書ウサギは、分厚い本の表紙を開くと、中に挟まっている古びた紙を見せた。

「このように、<5つの決まり>もこの本の中で啓示されている。宣誓の書類は、この文章を書き写したものだ」

 紙には、群青色のインクで手書きされた<5つの決まり>があった。恐らく祖父の文字だろう。祖父じいさん、何を思ってこんな奇妙な文章を……。


 実は父親の手紙やダンジョン・ガイドブックや色々なメモを読んで、気になっている事があった。

 父親はダンジョンは祖父のせいだと言い、久満老人にもそう話していた。

 しかし、何で父親がそれを知ったのか、かつ確信した理由がどこにも書いていなかったのだ。

 それが引っ掛かっていて、司書ウサギに尋ねてみようと思っていたけど、まさか祖父が創始者だとは。


 慌てて表情を戻すと、司書ウサギにまた尋ねた。

「創始者、えーと私の祖父だけども、まだダンジョンで生きているんですか?」

「いや、残念ながらそれは無い。実際のところ亡くなった時期は不明だが……」

 何か少し言い淀んでいるが、まあ確かに言いづらいだろうなあ。年齢的には生きててもおかしくは無いが、確かにあんな大事故では生きていられないだろう。

「どうして、祖父の蔵書を元にしてこんなダンジョンが出来たんですか?」

「それはわからない。創始者の思念だとしか言いようがない。ただダンジョンはここに存在し、我々は決まりに従い秩序を保つことで存在出来ている」


 うーん、やっぱそういう答えになるのか。確かにダンジョンはここにある。

 思念か。思念ね。古本屋のうろこ氏もこのダンジョンは思念に満ちていると話してたな。

 祖父の思念に満ちたダンジョン?……血縁者しか扉から入れないのもそのせいだろうか? まあともかく、ダンジョンの歴史は今はこの辺にしておこう。肝心な事を尋ねないと。


「間宮巌がダンジョンの、その……創始者で蔵書がダンジョンの元になっているって、私の父は知っていましたか?」

 司書ウサギは耳をパタパタさせた。

「勿論だ。初めてダンジョンに入ってここを訪れ、署名と宣誓をした時に今の血縁者と同じように色々尋ねていたからな」

 どうも我が父親、かなり要領良くダンジョン内を歩き回って3階まであっさり辿り着いたようだ。さすが道楽者、何を見てもあんまり動じなかったに違いない。

 だけど、ここで教えてもらったのにガイドブックには書き残さなかった……。


「司書のあなたに、本を探しているとかそんな話はしませんでしたか?」

「ああ……確かにその話はしていたが、その本は我々の管理下に無いと説明した。しばらく考えていたが、じゃあいいですと断念していた」

 それであっさり諦めたのかー!


 私はジャケットのポケットから『お魚たちの朗読会』の資料を取り出すと、司書ウサギに見せた。

「一応見てもらえますか? こんな本なんですけどね。作者の原稿をそのまま本にした本で、祖父が知人に借りたまま地底に落ちたんですよ」

 耳をピンと立ててから、司書ウサギは紙を受け取り目を通した。

「ふむ。彼にも説明したが、『お魚たちの朗読会』は初版本が創始者の蔵書にあるが、この手製本は無い。蔵書の手製本は冊数が少なく135冊だが、『お魚たちの朗読会』手製本は我々司書の管理下に無い」

 135冊でも十分多いよ! と思ってから、あれ? と気になった。

「管理下に無いって、じゃあダンジョン内のどこかウサギさんの知らない所にあるかも知れないって事ですか?」

 司書ウサギは少し黙ってから、ゆっくりとした口調で言った。


「このダンジョンでは、本が我々司書の管理下にあるならば、整理カードにより司書の手で探し出す事が出来る。また未整理の本でも、冊数は膨大だがとにかく倉庫には納められているので時間をかければ見つけ出す事は可能だ。

だが4階と12階の古本屋の店にある本と、ダンジョンの13階以降にある本は一切我々の管理下に無い。古本屋にあるなら古本屋の店主により何とかなるだろうが、もしその手製本が13階以降にあるならば、探すのは不可能だろう」

「何でですか? むちゃくちゃ広いんですか?」

「……広さの問題ではない。13階からは、暗黒と海辺の世界だ。何階まであるか不明だし、我々司書も迂闊うかつには踏み込めないダンジョンだ」


「暗黒と海辺の世界?」

 私が海の匂いがすると言ったら態度がおかしくなるのと関係があるのだろうか。

 しかし、司書ウサギはどうしてもその話題は避けたいらしく、強引に話を打ち切った。

「さて、これ以上の質問が無ければ、これから創始者の蔵書庫を案内しても良いが? 血縁者ならば見ておいた方が良いと考える。以前、血縁者の亡き父親も見学したしな」


 私は司書ウサギと同じ緑色のエプロンを渡され、決まりだから身に着けるように指示された。

 何の変哲も無い頑丈な布製のエプロン。周囲のウサギたちは、皆この緑色のエプロンを着けている。

 ずっと私の相手をしている司書ウサギは一番偉いようだけど、私の目から見たら他のウサギとほぼ同じだ。白ウサギしか見かけないし、違うのは毛並みと体格ぐらいかな。驚いた事に、私より身長の高いウサギもいて、興味深そうに首を傾げてこちらを見ている。うう可愛い。

 そもそも人間で言う男女差もわからないのだ。司書ウサギも、喫茶室や食事処にいたウサギも口調はともかく「何だか可愛い感じの声」で喋るので、話してみないとわからない感じだ。


 私がエプロンをきちんと身に着けたか、じろじろと確認している気配の司書ウサギに話しかける。

「あなたが、ここで一番偉いウサギなんですか?」

 司書ウサギは鼻をピクピクさせた。ちょっと自慢なのかな。

「偉いというよりは、責任者だ。ここにいる皆を取りまとめ、一人一人に本に関する指示を出したり、作業の割り振りをするのが私の役目だ」

「ほーそうなんですか。なるほど」

 どうも、名前は無くともウサギ同士は各々見分けがついているようだ。しかし私としては、尋ねたい事も多いし、この司書ウサギだけはすぐに判別できて話しかけやすいようにしておきたい。

 名札は今は準備出来ないし、頼んで童話のように耳に花でも飾ってもらうか? と馬鹿な事を考えてから良い事を思いついた。


 足元に置いてあったナップザックの中をしばらく探す。あったあった。

「ウサギさん、ちょっとこちらへ」

 ちょいちょいと呼ぶと、司書ウサギは怪訝な顔をしつつ、カウンターから出て私の方にやって来た。

「何事だ?」

「いえ、これをね、胸元に飾ってもらおうと思ってですね」

 私は細い金色のリボンを掲げて見せた。友人から貰った誕生日プレゼントのラッピングに使われていたリボンだけども、ダンジョンで何かちょっとしたお礼として使えるかも? と思いついて荷物に入れておいたのだ。

「私の世界ではですね、責任者の証明として胸に印を飾って、他の皆や部外者からすぐにわかるようにしておくんですよ。だからダンジョンに訪問している血縁者として、ウサギさんにこのリボンを飾って欲しいと思いまして」

 愛想の増えた私の態度に少しばかり不審そうだけど、それでも興味を引かれたように私の手元を見ている。

「責任者の証明? その金色の紐でか?」

「そうですよ、ほらこうやってこんな風に。緑色のエプロンに金色は映えますね」

 司書ウサギのエプロンの左胸の部分、紐の所にリボンを通し、しっかりと固く蝶々《ちょうちょう》結びにする。ダンジョンのウサギたちは謎に器用だけども、さすがにこういう小細工は無理だろう。


 自分の胸元を見下ろした司書ウサギは、ひどく嬉しそうかつ得意そうになった。

「なるほど。こういう物は初めて見るが、金色の飾りは悪くないな」

「かっこいいですよ。キラキラ光って、遠くからでもウサギさんがわかります」

 司書ウサギは胸を張りながらトテトテ歩いてカウンター内に戻り、他のウサギたちに何やら胸のリボンを示して説明している。やがて「おおー」と歓声が上がり、皆パタパタと拍手した。可愛い。

 うん、全員私の子分にするという最初の野望もかなうかもしれないな。


 その後、司書ウサギに案内されて、カウンターの更に奥にあるドアをくぐり、祖父の蔵書を納めたスチール製の巨大な本棚がずらりと並べられた広い蔵書庫を見学した。どうやらウサギのエリアはどこも同じなのか、ここも蛍光灯で明るい。

 見回して一体何冊あるんだ、と呆れたけど司書ウサギによるとまだ未整理の本もあるそうな。ご苦労な事である。

 きちんと保管されているからカビくさい事は無いですね、と感想を言ったら時々どこからかカビの匂いが漂ってきて原因は不明らしい。空調はきちんとしているのだが、と司書ウサギは不満そうだった。


 そういえば、と父親のメモを思い出しながら、横に立っている司書ウサギに尋ねた。

「ダンジョンでは毎日のように本が増えるそうですけど、その本はどこから来るんですか?」

 司書ウサギは、私の方を見ずに答えた。

「どこからかは知らない。知る必要も無い。ここはダンジョンだから本が増える。それだけだ」


 3階のウサギのエリアでは、まだ他にも未整理の本の倉庫や、ウサギの作業場や本棚工房など色々案内が出来る場所があるが、と司書ウサギに誘われた。けれど流石に少々疲れたし、4階の古本屋に早く向かいたいので今回は遠慮しておいた。また来る機会はいつでもあるだろうし、帰りに寄ってもいい。

 そう言うと、司書ウサギは了解してから急に渋い顔になった。

「古本屋に会ったのだったな。あの人物は我々の管理下になるのを断固として拒否していてな。存在は許されてはいるのだが、ダンジョン内では少しばかり迷惑な存在だ。あまり好き勝手な事をやるなと血縁者からも言ってくれ」

「はあ、確かにそんな雰囲気の人でしたね。一応伝えておきます」

「そういえば、4階の古本屋には妙な存在がいる。血縁者は気が短いから、くれぐれも揉め事を起こさぬように前もって忠告しておく」

「妙な存在……それはともかく、なんで私が気が短いって知ってるんですか?」

「血縁者が1階で勝手に本を移動させた時、気づいた私が注意しただけで顔を真っ赤にして怒り狂っていたではないか。いささか驚いたぞ」

 そういえば、あれが司書ウサギとの初対面だったな。


 本棚の裏にあるウサギエリアから薄暗い通路に出ると、見送ってくれている司書ウサギや他のウサギたちに手を振った。最初に来た時は怒っていたけど、別れは和やかだった。まあこの方が気分がいいね、と司書ウサギの胸元の金色の光を見ながらしみじみと思った。


 今日の3階の迷宮案内処はさほど遠くないだろう、と司書ウサギに方角は教えてもらったので、ナップザックを担いでそちらに向かって歩く。通路は相変わらず本棚が続き、代わり映えしない。2階のように天井が高くて青い事も無い。

 どこからかのどかな鐘の鳴る音がかすかに聞こえた。ウサギたちへの何かの合図だろうか。

 途中で休憩処があればいいな、と思っていると通路に置かれている立て看板に気が付いた。近寄ってみると、ちょっとカクカクした文字で【ひろびろ温泉 温泉とごはん】と書かれているではないか。温泉! よし何もかも後回しだ。まずは温泉だ。


 私は勇んで本棚の隙間に入って行った。

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