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15:迷宮温泉

 父親の書き残したダンジョン・ガイドブックによると、「2階の温泉『つやつや温泉』は狭いが肌がつるつるになって気持ち良い。無人。薬草茶とまんじゅう」と書かれていたのでちょっと楽しみにしていた。でも今回は素通りになったので、目の前の温泉に突撃だ! やっぱりシャワーだけでは物足りない。

 3階の温泉は確か「『ひろびろ温泉』ものすごく広い湯舟で解放感あふれてストレス減少。無人」と書かれていたので期待大だ。筋金入りの道楽者だった父親の言葉だ、間違いは無いと思われる。広い湯舟! 私はウキウキしながら本棚の隙間に入って入り口に下げられた布をくぐった。


 内部は木造で、薄暗くがらんとして広い。板張りの床に靴を脱いで上がり込む。おや、床が暖かい。床暖房とは気が利いている。

 どうやらここは休憩室のようで、あちこちに巨大な座布団が幾つも置かれ、壁に「ごはんとやくそう茶」と張り紙がしてある。低いテーブルにポットと湯呑と小さな白い箱が積まれている。弁当か何かだろうか? でも先に温泉だ。


 ちゃんと浴場への入り口に「おとこ湯」「おんな湯」と大きな暖簾が下がっている。もちろん「おんな湯」の暖簾をくぐると、籠が置かれている更衣室だった。ここも薄暗いが、手入れがされているようで清潔だ。ナップザックからタオルを引っ張り出し、素早く服を脱ぎ、一応畳んで籠に入れた。泥棒の心配は全く無いのが有難い。さっさと曇りガラスの戸をガラリと開く。


 思わず、うわー!と声が出てしまった。


 広い広い広い。感覚的には広ーいプールのような湯舟からお湯が溢れている。かけ流しという奴だろうか。太い木材を組んだ低い天井、丸い提灯のような照明が浴室内のあちこちに置かれ、湯気の中でぼんやり灯っていて風情満点である。薄暗い所に私ひとりなのでちょっと怖いけど。

 でもちゃんとカランがあり、ボトルで「しゃんぷー」と「ぼでぃそーぷ」が置いてある。これは嬉しい。喜んで髪と身体をざぶざぶと洗い、足元に注意して温泉にそっとつかる。うわーぬるめの温度も丁度良くて気分最高! 思い切り手足を伸ばしてしばらくぼーとする。どこからお湯が出ているのか確認したかったけど、反対側も良く見えない湯舟で転倒したりしたら危険過ぎるので止めておく。

 でもこんな広い温泉に一人だけとは、つまらないなあ。友人たちが一緒なら賑やかに楽しめるのに……せめてウサギがいてくれたら。女子ウサギでないとだけど。


 首までつかってお湯をぱしゃぱしゃし顔にかけながら、何となく祖父と父親の事を思い出す。仲が悪いわけでは無かったんだろうけど、上手くいかなかった親子なんだよなあ。父親の母親、つまり私の祖母は父親がまだ子供の時に病気で亡くなっている。そのせいかどうか祖父は気難しく、反動だろうか父親は物事にこだわらないのん気な性格だった。良くある話かもしれない。

 ただ、のん気過ぎて私の母親とは暮らせなかったけどね……。

 しかし。今までろくに思い出した事も無い身内のあれこれを、こんな妙なダンジョンで、ウサギに教えられるとはねえ。


 突然、私はあれ? と不思議に思った。

 そういえば司書というか本の整理役が何でウサギなんだろう? 『不思議の国のアリス』の影響でもあるんだろうか。


 あれこれ考えているうちに温まったので、のぼせないように一旦お湯から出る事にする。

 私も慣れてきたので、どうせ誰もいないんだし、と大きなバスタオルを巻き付けた格好で休憩室に戻り、吸水タオルで髪をわしわし拭きながら、座布団に座り込んでポットの濃い香ばしい香りの薬草茶をちびちび飲む。

 小さな白い箱は、蓋を開けてみると塩お握りが2個詰まっていた。具は入ってないけど悪くないな、と思いつつ食べる。本当に誰が、どうやってこの温泉を整えているんだろう。


 お茶を飲みながらぼんやりと考える。

 司書ウサギの説明では、祖父の蔵書は特別扱いで全部蔵書庫の中に納められていて、ダンジョンの通路の本棚に並べられているのは、毎日増え続ける本だけだそうだ。

 色々質問してみて私が少し驚いたのは、ウサギたちは本の中身が白紙なのを全く不思議に思っていなかった事だ。そういう物だからだ、との事。普通に活字のある本もあるそうだけど、違いの理由は不明だしどちらでも同じらしい。


 誰も読まない、読まれる事のない本だからだ。


 ウサギたちにはウサギたちの世界が本棚の奥にあり(文化が全く違うので私は訪問できないとの事)、職務上当然文字というか日本語や他言語は読めるし、日々整理はしているけど、本の中身を読む事は無い。

 金色のリボンを贈った司書ウサギだけは色々読んではいるが「責任者と知識人として必要だから」で、彼が少数派なのだそうだ。

 父親の言葉を思い出す。


 ――多分私の父親のせいだ。あれは「積ん読ダンジョン」としか言いようがない。

 ――本棚が増えて本が増える。誰も読んでいない積ん読だが。


 積ん読ダンジョン、か。

 確かにここはそういう所だなあ。


 祖父の血縁しか入れないダンジョン、誰も来なくても日々準備されている休憩処のお茶、快適な宿に清潔な手洗い、支払いはおもちゃのレプリカ金貨。住民もほとんど会わず、親しくなるのはウサギたち。

 誰も読まず、誰も手にしない本が日々増え続けるダンジョン。

 思念に満ちたダンジョン。


 他所のダンジョンは多種多様な法則で異世界と繋がっているようで、妙な生物やモンスターや住民がどこから来ているのかは調査されて割とはっきりしているらしい。

 けれどこのダンジョンは明らかに違う。

 何だか「何か」に厳重に包まれた世界のような、奇妙で、どこか、何かがずれているような……。


 司書ウサギは口癖のように「決まりと秩序」と言い、徹底的に管理と秩序にこだわっていた。

 けれどどうも何か目を逸らしているような感じも受ける。


 ――13階からは、暗黒と海辺の世界だ。何階まであるか不明だし、我々司書も迂闊うかつには踏み込めないダンジョンだ。


 私は溜息をついた。

 このダンジョンは、もしかしたら、とても脆いのかもしれない……。


 ふと気づくと、長い時間考え込んでいた。

 身体が冷えかけていたので、再度温泉にゆっくりつかる。あー気持ちいい。

 うん、あんまり難しい事は考えないようにしておこう。

 まだダンジョンの3階なのだし、あれこれ調べられるのは私だけなのだ。不明点が多くても仕方ないだろう。いずれもっとダンジョンの事もわかってくるだろうし、古本屋のうろこ氏ともきちんと話していない。焦らずに行こう、焦らずに。どうも私はせっかちでいけない。

 今日はきちんと過去の事なども思い浮かべているし、記憶の心配はもうしなくても良さそうだ。やっぱりここに慣れてきたのだろう。


 広い湯舟の温泉を思う存分堪能し、服を着てから休憩室でしばらく座布団を枕に昼寝をし、元気を取り戻す。お握りの小箱を一つ貰ってナップザックに詰め、テーブルの小皿にレプリカ金貨を3枚入れて「ひろびろ温泉」から通路に出た。

 時間的には、夕方ぐらいだろうか。幸い迷宮案内処にすぐに到着し、ごつい革ジャンのような上着を羽織った案内人(やはりビリケンさんにそっくり)に4階へ下りる階段の位置を教えてもらい、のんびり歩いて順調に辿り着いた。また壁に激突しそうになったけど好調である。


 少しばかり長く感じる階段を慎重に下り、無事に4階に降り立った。じゃーん。


 この階も通路の眺めは薄暗く、変わり映えしないが、意外な事に通路の両側の本棚にほとんど本がない。いわゆるスカスカである。近々、ウサギたちが本を詰めに来るのかな? 

 通路の右側のすぐ先に壁が見えている。助かった、では左へ、と歩き出した私の耳に不思議な音楽が聞こえてきた。


 ……何これ、ハワイアン?


 のどかで軽やか、多分ウクレレの音色である。しかし何でまたハワイアン?

 首をひねりつつ歩き続けると、やがて前方右手に灯りが見えてきた。近寄ると、本棚と本棚の間が広く開き、レトロな感じのガラスの引き戸が。戸は開いていて、そこからハワイアンが流れてくる。誰かかがウクレレを弾いているようだ。ここがもしかして古本屋かな、と覗き込んだ私は仰天した。


 本の詰まった本棚に囲まれた古びた風情の古本屋。

 その店内のパイプ椅子に長い足を組んで座っている男性がいた。

 長い銀髪に銀色の髪飾り、少し尖った長い耳には煌めく青い耳飾り、濃い黒い眉毛にくっきりとした顔立ちで、肩にかけた床まである長い高級そうなマントは、鈍く輝く灰色……。


 どこからどう見ても、美形のエルフだ。


 うわー本物に会うのは初めてだよ!

 しかし何で、古本屋でエルフが何やらうっとりした表情でウクレレでハワイアンを奏でているんだ?

 現実離れした光景に固まって凝視している私に、エルフが気づいたように手を止めてこちらを見た。

 切れ目の美しい緑色の瞳。もしや彼が不思議な店番? と私が思った瞬間、エルフはいきなり私を指差してはっきりと喋った。

「そこの客。私が奏でる音色に聞き惚れていたな。よろしい金を払え」


 何、このエルフ?

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