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39:星に続く階段

 ぐずぐずと泣きながら早足で歩き続けていた私は、ようやく立ち止まった。

 呼吸が落ち着くのを待ってから、ライ麦畑を出て、いつの間にか辿り着いていた場所を眺める。


 最初の印象は、銀色に光る広い公園だった。

 銀色の柔らかな芝生のような草地が広がり、銀色の葉が繁った銀色の樹木があちこちにある。空を見上げると、濃い紺色で銀色の星が散りばめられたように輝いていて、涼しい風が吹くたびに、どこからか、シャラン……シャラン……と涼し気な金属音が響いてくる。

 気持ちの良い場所だけど、さてこれからどこに向かえばいいんだろう。足元にも道などは無い。立ち尽くし、少し途方に暮れる。いや、感傷的になっている時間は無い。とにかく進もうとショルダーバッグを掛け直す。この世界のどこかに深海魚の<夢>がいるはずなのだ。ビスケットもあるし何とか呼ぶ方法を考えないと。


 しかしずっと泣いていたので、気持ちはすっきりしたけど、顔が気持ち悪い。きっと腫れてひどい事になっているだろう。冷たい水で洗って冷やしたい。異世界でファンタジーぽい所なんだから、どこかに神秘的な噴水でもあるといいな……とゆっくり歩き出した私に、いきなり誰かが話しかけてきた。


「ねえお姉さん、顔が物凄いことになってる。そんな顔でうろうろしちゃ駄目だよ」


 女の子の可愛い声だけど、ひどい言われようだ。

 誰だ、と声のした方を見ると少し離れた場所に派手な花柄の大きな傘が見えた。地面に刺さっているからパラソルというのだろうか。パラソルの下に誰かいるらしい。

 正直、機嫌が悪い上に怖いもの無しな気分の私は、ずんずんと大股で近づいた。いきなり妙な人間が出現して、しかも言葉が通じるのにはもう慣れっこだ。


 近寄ってみると、パラソルの下にふわふわした黒髪で黒い瞳の女の子が、派手な感じの大きな安楽椅子にちょこんと座っている。はっきり言って美少女だ。来ている服も華やかな花柄だけど、何だか目がちかちかして見えずらい。私はいささか不機嫌な声で話しかけた。

「誰よ、あなた」

 女の子は私を見上げてしかめ面をして見せた。顔は可愛いけど、可愛げがない。


「誰よって何よ、失礼ね。あたしが<夢>よ。大声で騒いで呼んだくせに」


 不意打ちを食らって、私はしばらく黙って女の子、<夢>を見つめた。私が見た夢の中では、大きな黒い魚の姿だったけども。ちょっと前に会った深海魚もそう言っていた。

 <夢>は、しかめ面の上に更にふくれっ面になった。美少女が台無しだ。

「どうしたのよ、黙ったまんま睨みつけて。せっかく近くに来てやったのに、なんか文句でもあるの?」

 私は頭をぷるぷる振ってから、急いで笑顔を浮かべた。訳がわからないし本人も生意気そうだけども、ここは機嫌を取っておかねば。逃げられたら困る。

「ああ、ごめんなさい。ずっと会いたくて探してたんだけど、あなたが可愛い女の子でびっくりしただけ」

 <夢>は、ふくれっ面はやめて少し首をかしげた。

「ふうん? まあいいわ。とにかく、まずそのひどい顔を何とかしたら? あっちに泉があるから顔を洗ってきなさいよ。今の見苦しいのがちょっとはましになるわよ」


 胸の内で思わず、悪ガキ、と呟くけど我慢だ我慢。良く考えたら<夢>が子供のはずは無い。姿だけだ。

「ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくるから待っててね」

 愛想良く言ってから<夢>が指差した方に草地を歩く。うーんあの子が<夢>? と不思議で仕方ない。そもそも私、大声で<夢>を呼んだりしたっけ? でもこんなにすぐに会えて、深海魚から渡してもらったビスケットは不要だったかな……いや女の子の姿ならお菓子は喜ぶかもしれない。出来るだけ仲良くしたいし。ともあれ、まずは顔を洗って頭をはっきりさせよう。


 泉はすぐに見つかった。地面から大きな岩の盃のような物が生えていて、透明な水がこんこんと湧いて地面に流れ落ちている。ありがたい、とひんやり冷たい水でざぶざぶと心行くまで顔を洗った。

 さっぱりして、タオルハンカチで顔を拭く。目はまだ少し腫れぼったいけど、だいぶ気分が良くなった。おそるおそるポケットの銀の鱗を握ってみると、ほんのり暖かいし嫌な感じもしないので、ほっと息をつく。何とか大丈夫だったのかな。でも急がないと。乱れていた髪を手櫛で適当に整え、頬をぺしぺし叩いて気合を入れる。


 パラソルがあった場所に戻ると、そこは銀色の可愛い花が咲く花畑のようになっていて、<夢>が座り込んで花を眺めている。パラソルも安楽椅子もどこにも見当たらない。

 私が近づくと、<夢>は顔を上げた。

「ああ、ちょっとは見られるようになったわね。そこに座っていいわよ」

 そこって、花の上に? でも、仕方ないので同じように座り込む。銀色の花がゆらゆらと揺れて、かすかに甘い匂いが漂う。


 間近で見ると、<夢>のふわふわした黒髪には鮮やかな緑色のリボンが巻かれている。この光沢は多分シルクだ。着ているワンピースは、上品な白地に緑色のバラが散りばめられた模様で華やか。リボンと同じ緑色のシルクのベルト、襟や袖に繊細なレースがたっぷり使われている。肌も白くて滑らで完全にお嬢様だ。口を尖らせた生意気な表情はただの悪ガキだけど。


「それにしても、何でそんなにみっともなくなるほど泣いたの?」

 みっともないは余計だ。でも素直に答える。

「……死んだ父親とこっちの世界で再会してね。色々と話しが出来たし、別れる時に悲しかったから」

「ふうん。そういう事。それでお姉さん、あたしに何の用なの」

 特に表情を変えない<夢>を見つつ、私は深呼吸をした。

「あの、あなたがダンジョンを作ったの?」

「そうよ」

 あっさりと言われて、安堵する。

「良かった。あのね、手短に言うね。私はダンジョンから来たんだけど、ダンジョン全体で異変が起こって、あちこち崩壊が始まって大変な事になっている。だから、ダンジョンをもっと頑丈に、壊れないように作り変えて欲しいと思って、あなたにお願いに来たの」


 <夢>は口の中で何事か呟き、無表情にじっと私を見るので少しとまどう。

「異変が起こって崩壊ねえ。本棚が崩れたの?」

「9階が通路ごと完全に崩れて、上の階と下の階で分断されて行き来が出来なくなってる。それと、各階にあった温泉も突然消滅したり、冷気でダンジョンが寒くなったり。私は何としても、ダンジョンの皆を助けるって決めたから、何とかここまで来たの」

「ふうん……なるほどね」

「私の世界の地震の影響もあるかと思ってる。あと、本が毎日のように増えるのはもう止めたいから、最深部にある無限の記憶庫との境目の扉は、私が閉じる」

 黙って手元の花を見つめている<夢>を見ながら、彼女はダンジョンの現状を把握していないのか、と不安になる。でも余計な事は言わないでおこう。やがて<夢>が私を見た。

「で、ダンジョンを頑丈に作り変えて住民を助ける……それ、お姉さんの思い付き?」

「うん、それが一番いい方法だと思って。その、出来るかな?」

「まあ方法はあるよ」

 思わず、ほうっと息が出た。少しだけ肩の荷が下りた気分だ。けれど、<夢>は表情を変えない。


「お姉さん、書斎で深海魚に会ったよね」

「あなたと分かれた深海魚だよね。会ったよ。彼からあなたの事を教えてもらったの」

「書斎の深海魚から、あたしは魚の姿をしているって教わったの? さっき、あたしが女の子でびっくりしたって言ってたけど」

 妙に鋭い事を言うな。

「うんまあ。それと、私の夢の中であなたと会った時も、大きな黒い魚の姿だったから……」

「ああ、お姉さんの夢にね。それ、あたしじゃないよ。あたしだけどね」

 私は驚いて、身を乗り出した。

「はあ? どういう意味? 2つからまた分かれて、3つになったの?」

 まさか、これから大きな黒い魚を探して歩かないといけないんだろうか。


「ちょっと違う。分かれたのは2つだよ。大陥没の時に剥製での姿が砕けて、甦って、分かれて書斎の深海魚と<夢>になったの。それから<夢>であるあたしがダンジョンを作って、それからあたしはここにいるけど、深海魚そのものは<元の夢>として、黒い魚の姿であちこちを漂っているの」

「<元の夢>?」

「<夢>と<元の夢>、どっちもあたしだけど、世界の力を操っているのは<元の夢>よ。書斎の深海魚は書斎の力だけを操っているから、あたしや<元の夢>を認識出来ていないんだよね」

 なるほど、剥製の深海魚が分かれた理由は私には不明だけども、何となく役割分担をしている感じか。


 夢で見た黒い魚の姿の深海魚を思い出す。祖父の帰りを待っている、悲しそうな目。ピクニックにビスケット……。私は<夢>に尋ねた。

「あのー深海魚というか、<元の夢>とちょっとだけでも話がしたいんだけど、すぐに会えるかな?」

「うん。海辺に行って呼べば来るよ。別に隠れている訳じゃないしね」

 海辺って、あの夢に出てきた所かな。でもとりあえず探さなくてもいいようで安心する。

「海辺ってどこなのかな? 遠い場所?」

「ううん、私が一緒ならすぐだよ」

「良かった。それで書斎の深海魚から聞いたけど、死んだ祖父を葬ってくれたんだよね。でもどうして<元の夢>は、祖父の帰りを待っているの?」

 <夢>は手元の花を突きながら少し笑った。

「<元の夢>はねえ。理解はしているんだけど、でも魚の姿のせいかな? 諦めきれないようなんだよね」

「……ふうん」

 少女の姿をした、元は剥製の深海魚の<夢>を何だかひどく曖昧な存在に感じてしまう。<元の夢>も自分だと言うけど、でも別人のような話し方をしている。まあ人間の私が理解しずらいのは仕方ないか……。

「えっと、じゃあ、私はこれからどうすればいいのかな? 力は何も無いけど、出来る事は何でもやるから」

 突然、すうっと私に顔を近づけた<夢>の大きな瞳の奥で、不思議な火のような輝きが揺らめく。

「まずね、お姉さんに見てもらって決めなきゃいけない事があるの。一緒に来てくれる?」

 決めるって何を、と思いつつ了承すると<夢>は立ち上がり、銀色の広場を歩き出した。私は後に続く。


 <夢>の背中で、緑色の大きなリボンが揺れる。足元は白いタイツに黒い革靴。お嬢様だ。だけど、何で<夢>はこんな美少女の姿なんだろう? 書斎で会った深海魚は、死んだ祖父の記憶の中の若い友人の姿をしていた。同じように祖父の記憶のどこかにこの少女がいたんだろうか。なかなかロマンチストだったんだな、と考えているうちに、銀色の草がなびく広い草原のような場所に出た。


 草原の中央に大きな穴が見えていて、地面からなだらかな坂で下りられるようになっている。

 <夢>は何も言わずに下りて行き、私も地下に行くの? と少しだけ不安に思いつつ坂道を下りる。思ったよりすぐに、底らしき場所に到着した。周囲は鈍く銀色に光る洞窟のようで、そして何故か天井から地面まで、銀色の太い綱が何本もぶら下がっている。何だこれ、と思った時、背中がぽかぽかと暖かいのに気づいた。同時に、どこからか氷のように冷たい風が身体がよろけるほどの猛烈な勢いで吹き出し、銀色の綱が大きく揺れる。ささささ寒い!

 <夢>が銀色の綱を握り締めて、私に大声で言った。

「さあお姉さん、この綱をしっかり掴んで! 早く!」

「わかった! けど何なのこれ!?」

「説明は後よ! 早くしないと銀色の氷人形になっちゃうから!」

 私は慌てて手近にぶら下がっている銀色の綱を握り締めた。気持ちのいい手触りだ……などと感じる間もなく、私はいきなり綱と一緒に思い切り空中に振り上げられていた。ぎゃー!!


 必死で綱に縋りついていると、「絶対に手を放しちゃ駄目よー」という声が遠くから聞こえてきた。

 何がどうなっているのか、目を閉じているのでさっぱりわからないけど、頭が下に足が上という逆立ち状態のままで振り回され、耳がわんわん鳴って気が遠くなる。相変わらず背中がぽかぽかと暖かい……学生時代に友人たちと好奇心で乗り込んだ巨大ジェットコースターを思い出す……あの時も絶叫しっぱなしだったっけ……なあ……けど最近妙な目にばっかり遭うなあ……。

 その辺りで、ふっつりと意識が途切れた。


 カラン……コロン……と軽やかな音色が聞こえる。


 目を開けると、真っ白な世界だった。ふわふわした柔らかな地面に、仰向けに寝転がっている。

 まだ思い切りぼんやりした頭でむくりと起き上がり、とにかくショルダーバッグの荷物とポケットの銀の鱗の無事を確かめる。両方とも何ともなかった。良かった。

 そのままの姿でぼーっとしていると、いつのまにかそばに来た<夢>が話しかけてきた。

「お姉さん、大丈夫? 気絶してたのはほんの一瞬だし、怪我はしてないよ」

「うん、そうだね。ねえ、私いつあなたを呼んだのかな」

 まだ混乱している私の質問に、<夢>は別に変な顔もせずに答えた。


「ああ。森に入ったあたりで泣きながら、大声で、<夢>出てこーいって何度か叫んでた。うるさいのなんの、びっくりしたわよ」

「へえ、そうだったのか……ごめん、覚えてないや。無意識に呼んだんだなあ」

 溜息をつくのと同時に、急に頭がはっきりしてきた。

「あの、さっきの綱は何だったの? ていうか、ここどこ?」

 真っ白で柔らかな地面の、大広間という感じの場所だ。遠くに見える壁も高い天井も何もかも白い。

「ここは星の世界へ行く途中の広場だよ。銀色の綱は、あの世界から星の世界への移動手段ね。境目だから冷たい風が吹きまくってるし、ちょっと荒っぽいけど手っ取り早いのよ。さあ、これから階段を上って星の世界に行くから。すぐそこよ」

「……星の世界……」

 ぐったりと俯きながら、私、一体どこにいて、何をしているんだろうと考えてしまう。ダンジョンから、ずい分と遠く離れてしまったなあ。寂しくて、皆が恋しくてたまらない。でも、行かないと。きっとあと少しだ。もうすぐダンジョンを作り変えて、そして安心できる。そうだ、記憶庫の扉も閉めないといけない。へばっている時間は無いぞ。

 父親の励ましの言葉も思い出しながら、何とか立ち上がった。


 確かに、<夢>と歩いてすぐに巨大な階段の前に辿り着いた。真っ白で、内側からぼんやり発光しているような物質で出来ている。いよいよ壮大なファンタジーじみてきた。さっさと上りだした<夢>と同じように私も上る。上の方は霧に包まれているような感じではっきりと見えない。どこまで行けばいいんだ……だけども段差は普通で進みにくいという事は無いし、不思議と足が疲れて息が切れたりしない。

 階段には壁が無く、向こうには黒い空間が広がっているようだ。さすがに怖いので近づかないようにする。しかしこの上に何があるんだろうと思っていると、<夢>が話しかけてきた。


「お姉さんて、間宮おじいちゃんの孫娘だよね?」

 間宮おじいちゃん? えらく気さくな呼び方だな。でも良く考えたら剥製として長くそばに居たんだった。

「うん、そうだよ。ごめん、自己紹介をしてなかったね。間宮巌まみやいわおの孫で間宮菜月っていいます」

「あんまり似てないねえ。馬鹿息子には似てるけど」

 さすがにムッとする。否定はしないけど他人に言われたくない。

「ちょっと、似てるかどうかはともかく、人の親つかまえて馬鹿息子呼ばわりは失礼でしょ」

「だって間宮おじいちゃん、いつも馬鹿息子って呼んでたもん」

 まったく、口の減らない悪ガキめ。

「そういえば、あなたはどうして女の子の姿なの? 誰かの子供時代の姿なの?」

「あたし? あたしは間宮おじいちゃんの奥さんの子供時代の姿よ」

 意外な答えに驚く。仲のいい夫婦だったとは聞いてたけど。

 何でも、祖母が子供時代にピアノ発表会のために誂えてもらったこの洋服とリボンは、一番大事な宝物だったらしい。祖父は祖母と幼馴染で、祖父にとってもこの服装の少女時代の祖母は特別な記憶であったわけだ。微笑ましい話ではあるけど、つまり祖母は、こんな風に生意気で元気な美少女だったのか。会った事のない祖母に少し親近感を覚える。


 やがて、覚悟していたよりも楽に、はるかに早く白い階段が途切れて、広い広い場所に到着した。何もかも真っ白で遠近感が怪しくなりそうだ。でも空気はひんやりとして爽やかで、白檀のような香りがかすかにする。

 そして、真正面の見上げるほど高い場所に、大きな星のような青い光が煌めき、輝いていた。

 美しくて荘厳な眺めで少し怖くなるけど、あれが星だろうか。恐ろしく巨大な青いダイヤモンドに見える。<夢>が説明してくれた。

「あれが、星の世界の星、本質の星だよ。全ての世界の中央の存在で、みんなあの星に繋がっているの」

「へえ……」

 意味は良くわからないけど、とても神秘的な輝きというのはわかる。本質の星か……。


「お姉さん、こっちに来て」

 うっとりと青い輝きを見上げていたら、<夢>に呼ばれた。

 私から少し離れた場所で、<夢>が真っ白な安楽椅子に座っている。


 <夢>の横には、丸くて巨大な透明の器が宙に浮かんでいる。私の背丈ぐらいはありそうだ。器の中はかすかに光りながらゆっくりと波打っているように見え、中央に、大きな青い輝きがある。

「何、これ?」

 近寄った私が尋ねると、<夢>がゆっくりと言った。

「これがダンジョンだよ」

「ええ? これが!?」

 驚いて<夢>の顔を見て、もう一度透明の器を見る。暗黒女王の、迷宮は水槽だ、という言葉を思い出す。

「そうだよ。ダンジョンとダンジョンの全てを維持する巨大な力。小さく見えるけど、大きさや形は関係ない。中央にあるのが本質の星の輝き。あの輝きを中心にダンジョンが出来ているの。ダンジョンの1階の扉でお姉さんの世界と繋がっているけど、地中にある訳じゃないわ。こうやって、星の世界に存在しているの」

「じゃあ、私の世界の地震と異変は関係なかったの?」

 <夢>は頭を振った。

「ううん、関係ありよ。地震のもつ巨大な破壊力がぶつけられた形になったのね。確かにお互いに別々の世界にあるけど、扉のある1階だけはお姉さんの世界にとても近いの。揺れたりはしないけど、地震の破壊的な力が何度も何度も1階からダンジョン全部に伝わって、ほころびの広がりが加速したのね。まあ不可抗力よ」

 私の推測も概ね当たっていたな。そういえば、ダンジョンの1階に温泉や宿泊処が存在しないのを不思議に思った事があるけど、外の世界に近いのが理由だったのかもしれない。


「あの、触ってみても大丈夫かな?」

「うん、大丈夫。壊れたりしないから」

 私は近寄ると覗き込み、そっと滑らかな表面に手のひらで触れてみた。ガラスのような手触り、暖かいような冷たいような。感じる事は出来ないけど、この中にダンジョンの皆が存在しているのか。<夢>は壊れないと言ったけど、何だかとても脆いような……見た目からくる錯覚だろうけど。だけど、これをどう頑丈に作り変えるんだろう。


 その時、私の背中に向かって<夢>が言った。

「そのダンジョンはもうすぐ消えるよ。永遠に存在する物なんて無いからね」


 一瞬固まってから、ゆっくりと<夢>の方を振り向いた。

「……消えるってどういう事?」

「そのままの意味よ。ダンジョンが作られてから今までのほころびがどんどん広がっているって事。地震の影響や、本が減らされて空間が歪んだとか色んな要因が重なっているけどね。でも永遠に存在できないんだから、いつかは消えるのよ」

「消えるって、じゃあ、ダンジョンの住民はどうなるの!? 本棚の裏の世界や、深海魚のいる書斎の世界は!?」

「もちろん一緒に消えるわよ。本棚の裏の世界はダンジョンと完全に繋がっているし、書斎の世界はダンジョンの核だもの。でも、お姉さんだけは消えないわよ。ダンジョンの外に放り出されるだけ」

 放り出される。胸がえぐられるように痛む。

「私だけって、別種族のエルフや幽霊の鱗さんは……」

「彼らは、ダンジョンの仕組みで取り込まれて存在しているから、同じように消える」

 私は自分の顔から血の気が引くのを感じた。ヴァレンティールが、皆が消えて私だけが助かる? 私が異質な存在だから? 思わずカッとなってしまう。

「あなた、さっき頑丈に作り変える事が出来るって言ってたのに!」


 <夢>は動じず、真っ青になって震える私を見ている。その表情は冷静だ。

「私は何も言ってないわ。方法があるって言っただけよ。今のダンジョンを修復したり作り変える事は出来ない。ほころんだ力は決して戻せないから。ダンジョンの住民を助けたいなら、今のダンジョンを元にして、完全に新しくダンジョンを作って全てを転移させるしかない」

「新しくダンジョンを作る……転移……」

「そうよ」

「そうすれば皆は助かるのね? あなたに出来るのね?」

「新しくダンジョンを作って、転移する事は出来るよ」

 私は<夢>に近づき叫んだ。

「じゃあ、お願い! 新しくダンジョンを作って! お願い!」


 私の焦った声を聞いた<夢>は、かすかに目を細めた。

「さっき、お姉さんに見てもらって決めなきゃいけない事があるって、言ったわよね」

「え……」

「私が作るダンジョンはね、夢で満たされている必要があるの」

 ぎくりとした。<夢>の雰囲気が変わった。ここにいるのは、生意気な少女じゃない。ダンジョンを作った深海魚だ。

「ダンジョンを新しく作るなら、新しい夢で満たさないといけないのよ。ダンジョンを作れと願う者の夢を」

 私は思わず後ずさった。訳のわからない恐怖感で、声が出ない。そんな私を見ながら<夢>は、深海魚は、更に言った。


「そしてダンジョンを夢で満たした者は、ダンジョンの守護者となるわ。生命の続く限りダンジョンの守護者として生きていかねばならないの。守護者になるか、ならないか。どちらか決めて」


 私は、ポケットの中の銀の鱗を固く握り締めた。

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