目覚ましよりも早く目を覚まし、僕はベッドから這い出て部屋を出る。
ここは僕、
五歳上の幼なじみ、透さんがひとりで住む家だ。
この春、大学に入学した僕は、半分この家に住むようになっていた。
階段を下りてリビングに行くと、ソファーで寝転がる人影がある。癖のある黒髪。透さんが、大きな三毛猫を抱いて眠っていた。
それを見て、僕は苦笑して息をつく。
ついたままのエアコン。
テレビは動画がついているけれど、一時停止されている。
透さんは昨日の夜、仕事に行っていたはずだ。
部屋着には着替えているから、帰ってきてお風呂に入ってそのまま寝てしまったんだろう。
それに、わずかに漂うたばこの匂い。
僕は透さんの身体にそっと触れ、声をかけた。
「透さん、起きてください」
「ん……」
うっすらと目が開き、黒い双眸が僕を捉える。
その顔にどきり、とするけれど、それをなんとか抑えて僕はもう一度声をかけた。
「もう朝ですよ。僕、ご飯の準備しますから、寝るなら部屋で寝てください」
「……緋月……」
眠そうな、低い声が僕を呼ぶ。
透さんはそもそも朝に弱い。
しかも夜仕事をしているから余計、七時前になんて起きられるわけなかった。
だから起こしたくはないけれど、どうせバタバタしてしまうし起こしてしまうだろうから、それなら先に起こして部屋に行くよう促したかった。
なのに。
「緋月……おはよう」
そう微笑み、僕の顔に手を伸ばして頬にそっと触れる。
「お、おはようございます」
違うそうじゃない。
透さんに触れられて喜んでいる場合じゃない。
僕はぐっとこらえ、透さんにもう一度強めの口調で言った。
「まだ寝てるでしょう? 透さん。ここで寝てると風邪ひきますよ」
「ん……あぁ、朝か」
さっきよりも目が開き、透さんは呟く。
少し目つきの悪い一重の瞳。
夜しか外に出ないせいか色の白い顔。けれど不健康さはさほど感じない。
「朝ですよ。昨日帰ってきてそのままそこで寝たんですか?」
「あぁ……うん。風呂入って……たばこ吸って……。何か食べようと思ってそのまま」
あぁ、だからわずかにたばこの匂いが残っているのか。
「たばこより先にご飯、食べましょうよ」
そう声をかけると、透さんは僕から目をそらしてしまう。
透さんは放っておくとご飯を食べない。
そのことも僕がここに半分住んでいる理由になっていた。
「わかってるよ、緋月。だから朝食、一緒に食べようか」
と言い微笑む。
僕は何も言えなくなってしまい、すっと離れ、彼に背を向けてキッチンへと向かった。
「わかりました。じゃあ透さんの分も用意しますね。あ、先に飲み物、いれますか?」
「うん」
背中に返事を聞き、僕はカプセル式のコーヒーマシーンに水やカプセルをセットした。
その間に僕は、冷蔵庫からソーセージを出して焼き、目玉焼きを作る。
透さんにカフェオレとシュガーポットを渡して、僕は朝食の準備を進めた。
僕の父と、透さんのお母さんが幼なじみで、僕たちは幼いころから交流がある。
僕が高校生の時、ストーカー被害に悩まされていた。でも両親の理解がないため警察に相談ができずにいたとき、透さんのところにすっと逃げていた。
駅前で待ち伏せされたり、あとをつけられたり。電車内で触られたこともあるし、私物を盗まれたこともある。ずいぶんと怖い目にあった。だけど男がストーカーにあう、という発想が両親になかったため僕は逃げ場をなくしてしまった。
たぶん今でも両親は、僕が高校時代にここへ家出を繰り返していた理由を理解していないと思う。
透さんが説明してくれたことは何度もあるけれど、両親はあまり真に受けていないようだった。
おかげで僕は女性が苦手だ。大学で、女性に声をかけられることがあるけれど、なんとかかわし続けている。
ソーセージに目玉焼き。サラダとカップスープ。それにトーストを用意して、僕はそれらを食卓に並べる。
透さんはカフェオレを飲みながら、膝の上で丸くなる大きな三毛猫を撫でていた。
「透さん、できましたよ」
そう声をかけると、透さんは三毛猫を抱き上げてわきにどかし、マグカップを持ってこちらにやってくる。
昔は透さんの方が大きかったけれど、中学の時に僕は透さんの身長を抜いてしまった。
僕は今、百七十七センチくらいだろうか。透さんは多分、百六十五センチくらいだと思う。
透さんはカップをテーブルに置き、食卓を見た後僕の方へと視線を向け、微笑んだ。
「ありがとう、緋月」
そう、眠そうな、低い声で言う。
だからそんな声で言わないでほしい。
……ドキドキしてしまうから。
僕は胸の高鳴りを抑えつつ、笑いかえして頷いた。
「はい、あの……食べましょう。僕、一限目から講義あるので」
「あぁ、そうだな」
そう答えて透さんは椅子に腰かけた。