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第5話 帰ってきた

 リビングで僕はレポートの続きをしながら、透さんが出てくるのを待った。

 でも全然手は動かない。

 今回も僕の胸騒ぎは当たってしまった。そんなの当たらなくていいのに。これは一種の特殊能力なのだろうか。透さんが持つ、妖怪退治に使われるような力……霊力のようなもの、なのだろうか。

 僕の父は昔、透さんの母親と一緒に妖怪退治をしていた時期があったらしいから、その力が僕にもあるのかもしれない。

 だけど僕には妖怪を退治するようなことはできなかった。

 父に反対されたから。

 反対される理由はわかる。だって危険と隣り合わせだから。透さんを見ていればよくわかる。

 透さんが怪我をして帰ってくるのは見ていて嫌だ。でも透さんの仕事は妖怪退治だし、困っている人たちを助けるためでもある。

 それをわかっているから、僕は少し苦しかった。

 しばらくして、透さんが半裸で姿を現す。

 タオルを頭からかぶり、怪我をしている左肩と胸にラップを巻いて。

 黒いボクサーパンツだけを着た透さんは、巻いた状態の包帯をふたつ手に持っている。

 目のやり場に困る。透さんの裸なんて子供の頃から何度も見ているけれど、大人になってからはそんな機会なくなったから。

 何でだろう。透さんの裸を見て、僕の鼓動が早くなっていく。

 たぶん、左腕を上げられないのだろう。右手だけで頭のタオルをワシャワシャとしている。


「透さん、座ってください。僕、やりますよ」


 そう声をかけると、透さんは頷きソファーへと腰かけた。

 立ち上がった僕はタオルを手にして、彼の頭を拭く。

 たばこの匂いじゃなく、シャンプーの匂いだけがする。

 それが少し新鮮だった。

 僕が頭を拭いている間、透さんは胸と肩に巻いたラップを剥がしていた。

 本当にラップを巻いてお風呂に入ったのか。正直驚く。


「片手で頭を洗うのは面倒だな」


「言ってくれれば手伝いますよ」


 でもきっと、透さんは僕にそんなことお願いしてこないだろう。

 面倒でも自分でできるからだ。

 包帯を巻くのはひとりではできないから、僕に助けを求めてきた。

 その違いくらい僕にもわかる。

 頼ってほしい、とは思わないけれど……なんだろう。この感情。

 僕の心の中にあるこのもやもやした感覚をどう認識したらいいのかわからず、僕は顔をしかめた。


「ドライヤーかけましょうか? その方が乾くの早いですし」


「あぁ……そうか、そうだな」


「わかりました。ちょっと待っていてください、ドライヤー、とってきますね」


 僕はタオルを畳み、ソファーから立って洗面所へと向かった。

 僕が普段使っているドライヤーを持ってリビングへと戻り、延長コードを用意する。

 そしてコードをつないで電源を入れ、僕は透さんの頭を乾かした。

 透さんの癖のある黒い髪。徐々に乾いていくうちに髪の毛が跳ねていく。


「これくらいで大丈夫だと思います」


 言いながら、僕はドライヤーの電源を落とし、コードを抜いた。


「あぁ、ありがとう、緋月」


「いいえ。あの、そうしたら包帯、巻きますよ」


「あぁ、頼む」


 そして透さんは僕に包帯を手渡した。

 僕は透さんの正面に回り傷口をみる。

 肩の上の方に、何針も縫った痕がある。

 それに、左胸の脇の方にも縫った形跡を見つけた。

 痛くないのだろうか。

 僕が負った傷じゃないのに、僕の方が痛みを感じてしまう。


「……ガーゼ、用意しないと」


 縫ったばかりだし、そのまま包帯を巻いたらまずいだろう。

 そう思い僕は一旦包帯をおいて立ち上がり、救急箱をとってくる。


「そんなに気にしなくていいのに」


 そんな声が聞こえるけれど、気にするに決まっている。


「細菌が入ったらどうするんですか」


「あぁ……そうか」


 本当に、透さんは怪我に無頓着だ。

 内心呆れつつ、僕は透さんの傷口にガーゼを当ててそれをテープで留める。


「痛くないんですか?」


「たぶん痛いけど……あまり気にならないかな」


 そう答えて透さんは小さく首を傾げる。


「怪我なんていつもだし、なれているから」


「慣れないでください。そんなものに」


 考えてみれば、数か月に一回は、透さん、縫う様な怪我をしているかもしれない。

 死にかけたのは二回くらいだろうか。

 管に繋がれ、病院のベッドで眠る透さんの姿を見たとき、僕はこの世界が終わるんじゃないか、というくらい絶望を感じた。

 そこまで思うのはおかしいと、自分でも思う。

 透さんは僕と同じ男で、幼なじみなだけなのに。

 肩と胸と。包帯を巻き終えると、透さんは僕に微笑みかけてくれる。


「ありがとう、緋月」


「いいえ。あの、何か飲みますか? お茶、いれますよ」


「あぁ、そうだな」


「じゃあ少し待っていてください」


 そう声をかけ、僕は立ち上がる。

 お湯を沸かし、ルイボスティーを淹れる。

 リビングのほうでがさごそと音がするので何をしているのかと思ったら、透さんはパジャマを着てお菓子を出していた。

 四角いチョコレートを口に放り込み、テレビを見つめているのが見える。

 テレビに映るのは、透さんが好きなバンドのミュージックビデオだ。

 激しい音楽がテレビから流れてくる。

 ふくろうの柄のマグカップにお茶を淹れ、透さんが座るソファーに近づく。


「お待たせしました」


「ありがとう」


 透さんはカップを受け取り笑う。

 そうやって笑顔を向けられるのは、僕にとって幸せな瞬間だった。

 透さんが生きて、目の前にいる。

 それが僕にとって一番大事なことだから。

 そして僕は、テーブルの上に散らばるチョコレートの包みに目を向ける。

 よくある四角いチョコレートがいくつも並んでいて、透さんは無意識なのか、その包みを開けては口に放り込み、ゴミを捨てては次のチョコに手を伸ばしていた。


「あの、お腹、空いてますか?」


「え? あぁ……」


 言いながら透さんはテーブルの上のチョコレートと、ゴミ箱にたまっている包み紙を交互に見る。


「……そうかもな。疲れたし」


「何か作りますか? フレンチトーストやホットケーキならすぐ作れますけど」


 すると透さんは目を輝かせて僕を見つめる。

 透さんは甘いものが大好きだ。

 食事代わりにしてしまうほどに。

 一瞬悩んだようなしぐさをした後、透さんは微笑み言った。


「じゃあ、フレンチトーストで」


「わかりました。少し待っていてください」


 そして僕は、キッチンの方へと戻っていった。



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