ひとりの夕食をたべ、リビングでひとりの時間を過ごす。
座布団に座り、僕は大学のレポートを書いていた。
ノートパソコンのキーを打つ音が、静かな部屋に大きく響く。
ソファーの上では、お銀さんが丸くなって眠っていた。
大学のレポートを書きあげて時計を見ると、時刻は十一時を過ぎていた。
透さんはまだ帰らない。
帰りが遅いのはいつものことなのに不安が僕の中で大きくなっていく。
胸に痛みを感じて、僕は思わず胸を手で抑えた。
「先に寝ろと言われているのに、お前はまるであいつの女房だねぇ」
ソファーで寝ていたお銀さんが、顔を上げ呆れた様子で言った。
「女房って……そんなんじゃないですよ。ただ心配なだけですし」
苦笑して答えると、お銀さんはひょい、とソファーからおりて僕のそばへとやってくる。
「お前、あいつに依存しすぎだろう。今朝だって、あいつの言葉、あいつの動きに振り回されて。全く、面白いんだから」
そんなに振り回されているだろうか?
正直自覚がないので、僕は肩をすくめた。
「そんなこと、ないと思いますけど」
「お前は透のことは見えても自分のことになると見えなくなるからねぇ」
そしてお銀さんは僕の膝にちょん、と手を置き金色の瞳を僕に向けた。
「お前は自分のこと大事にしなよ」
「大丈夫ですよ」
そんな話をしているときだった。
廊下を歩く足音が近づいてきた。
透さんだ。
立ち上がろうとしたとき、お銀さんが低い声で言った。
「血の匂いがする」
それを聞いた僕のなかで、血の気がひく音が聞こえた。
立ち上がったとき扉が開いて透さんが姿を現した。
出かけるときと同じ服にみえる。
透さんは、普段より一層白い顔をこちらに向けて、わずかに笑って言った。
「ただいま。寝ていていいと言ったのに」
「おかえりなさい。あの……レポート、やっていたので」
言いながら僕は透さんの様子をよく見た。
頭から足の先まで変わった様子がない。
でも、お銀さんは確かに言った。
血の匂いがすると。
お銀さんは僕よりもずっと鼻がいい。
だから嘘はないだろう。
「透さん、けが、されましたか?」
でた声は少し震えていた。
「大丈夫だから」
と言い、透さんは微笑む。いつもよりもずっと、白い顔で。
そして僕の横をすり抜けて、言った。
「風呂入って着替えるよ」
僕はばっとふりかえり、透さんの背を見る。
心がざわつく。
透さんが大丈夫、と言って本当に大丈夫だったことなどないのだから。
怪我をしたなら言ってほしい。
でもきっと透さんは言いはしないだろう。
お風呂に入れるような怪我、なんだろうか?
透さんは部屋に入ると、着替えを持ってすぐ出てくる。
「緋月」
「あ、はい。なんでしょう」
「シャワーのあと、包帯を巻くの、手伝ってくれないか?}
やっぱり怪我をしてきたんだ。
そのことに心が痛くなるけれど、包帯を巻いてほしいって言われたのは少し嬉しかった。
いつも透さんは、僕に怪我をした事を隠そうとするから。
「わかりました。あの、怪我ってどんな怪我したんですか?」
「……」
しばらく沈黙した後、透さんはおもむろに黒いパーカーを脱ぎ、その下に着ている黒のロングTシャツを脱いだ。
それを見て、僕は思わず息をのむ。
左肩と胸に包帯が巻かれていて、血がにじんでいるのが見えたからだ。
「あの……それ……」
「縫ったから大丈夫だよ」
そう言って、彼は包帯の巻かれた肩に触れる。
病院に寄ったのは見ればわかる。
市販では見かけない、大きな包帯だからだ。
でもそういう問題じゃない。
縫うってけっこうな大けがだろうに。なんでそんな平気そうなんだろうか。
いつもそうだ。
透さんは自分の怪我には無頓着すぎる。
「あの、何針……」
言いながら僕は透さんの前に立つ。
彼は首を傾げて言った。
「さあ。いつもよりはましだと思うけれど。肩を抉られて、胸は少しかすって、それでも血が止まらなくて。どうも毒を持っていたらしい」
「いった何と戦ったんですか?」
「植物の化け物だよ。鋭い触手を持っててそれで」
と、軽い口調で言う。
まるでファンタジーアニメに出てくるモンスターみたいだ。
そんなのと現実に戦う透さんは勇者かなにかだろうか。
改めて透さんの身体を見る。
意外と筋肉はついているけれど、細い。
もう少しちゃんと食べてほしいんだけどな。
「透さん」
「何」
「縫ったのにシャワー浴びて大丈夫なんですか?」
「さすがに泥だらけになったから汚れて気持ち悪い。傷口はラップで巻けば大丈夫だろう」
と、軽く言う。
ラップでまく、という発想はなかった。
それでいいんだろうか? と思うけれど、僕としても強く止める理由がない。
「とりあえず頭だけでも洗ってくるから」
と言い、透さんはキッチンで本当にラップを手に持って、リビングの扉をあけて出て行った。