「ルダは、何ができるの?」
宿へ向かう道中、チグルハが問うた。
「うーん……魔法をドカン、って感じ」
具体性を欠く返答に、彼女は怪訝そうな顔をした。
「ほら、手の内を簡単に明かすわけにはいかないじゃん。どこかで悪い人に聞かれてるかもしれないしさ」
尤もらしい理屈を並べ、彼はどうにか追及を躱そうとする。幸運にも、それは成立した。
やがて、ディアルクの待つ宿に到着する。一階の酒場では、その師が地図を広げてあれこれ思案していた。
「む、帰って来たか……その子は──」
「ディアルクの弟子だ、って言ったら会いたいって」
彼は少し溜息を吐きながら、椅子に腰掛けてチグルハの名を聞いた。
「チグルハ・オベス。一つ聞きたいことがある……なぜ、あの夜外に出ていた」
「秘密で飼っている動物がいたので……って、どこかで会いましたっけ」
「俺が魔物と戦っていたのを見ただろう」
ああ、と彼女は得心した。
「その動物は、魔物だったんじゃないか?」
魔の臭いを感じ取っていたディアルクは、何の遠慮もなく踏み込んだ。
「君からは魔の気配がする。どこかで魔物と接触しているはずだ」
「……引き渡しました」
「誰にだ」
「魔物と人類が共生できるか研究している、って人に。ニエルゴッシュ、って名乗ってました」
ディアルクは視線を伏せて思索に入る。彼の知っている魔族の名ではない。
「ひとまず、ルダと話がある。少し待っていてくれ」
そう言って、彼は弟子を連れて部屋に引っ込んだ。
「ルダ、言ったように、彼女はどこかで魔物と接触している。こちらで身の回りを探らせるから、あまり自分から関わるな」
「そんな……悪い人じゃないと思う。友達になれるよ」
「なら、万が一彼女が魔族の協力者だった時、殺せるか」
前触れもなく叩きつけられた疑問に、ルダは何も言い返せなかった。
「魔族は狡猾だ。人を騙し、利用し、命を奪うことを躊躇しない。彼女も、そうなっている可能性があるんだ」
「でも!」
「『でも』も『だって』もない。お前だって見ただろう。魔族は、村一つ消し飛ばしても、何も感じない種族なんだ」
魔族を殺す魔族、と自分を規定したルダは、その事実を何よりよく知っていた。
「とはいえ、いきなり突き放せば疑われる。顔見知り以上にはならない程度に、距離を置け」
「……わかった」
子供に言いつけるように指示を出したディアルクも、心が痛まないわけではない。ルダくらいの年齢は、彼からすれば事実まだ子供だった。新しい友達ができそうだというのに、付き合うなというのは酷だ。
だが、仕事は仕事と割り切って、彼はルダを伴って一階に戻った。
「チグルハと言ったな。君はその臭いで魔物を引き付けてしまうかもしれない。暫く、夜の間出歩くのはよせ」
「……わかりました」
「真面目な話はこの程度にするとして……なぜ俺に会いたがる」
チグルハの顔が、少し明るくなる。
「その、学府に入りたいんです。そのための予備校に入ろうと思っても、私の家じゃ特待とか推薦がないとだめで……だから、口添えしてもらえませんか?」
ディアルクの口から洩れる、小さな笑い。
「何の縁があるというんだ。そこまで俺は名前を安売りしてはいないぞ」
「ですよ──」
「だが、自分を頼る者を無下にするほど無情でもない。勉強ができるというのなら、この街にいる間に見せてもらおう」
一瞬翳った彼女の表情は、曇り空に差した一筋の光明のように明るくなる。
「明日、君の成績を示すものを持ってきてくれ。優良だと判断すれば、推薦の手続きをしよう」
「は、はい!」
「ルダ、送ってやれ。だが、言いつけ通りにな」
肯って、ルダは彼女と宿を出た。だが、チグルハがディアルクの推薦を受けることは、なかった。
◆
深夜。オベス家宅に、一人の来客。その客は空を飛んで、チグルハの部屋の窓を叩いた。
「ん……だれ……?」
眠い目を擦って体を起こした彼女は、見覚えのある中年女性が浮いているのを見た。
「ニエルゴッシュさん……?」
呟いた瞬間、階下から悲鳴が聞こえてきた。見に行こうとした彼女の肩を、窓を突き破ったニエルゴッシュが掴む。
「魔物を放った」
「え?」
「君は魔の臭いがするからねえ、警察に垂れ込んでも、君がいるせいで殺されたと判断するだろう」
嘘だった。そこまで人は愚かではない。だが、冷静を失った少女の心を揺さぶるには十分すぎた。
「その臭いを制御する方法がある」
ニエルゴッシュは、キスでもするような勢いで顔を近づけた。
「君が、魔族になればいい」
「……え?」
頭の動作が、追いつかなかった。チグルハは呆けたような声しか出せず、魔族の胸で正八面体が輝きだしたのを、抵抗もできないまま見ていた。
「どうする、一生親殺しの汚名を被ったまま生きるかい。それとも闇の中に居場所を見つけるかい」
ニエルゴッシュの右掌の上に、映像が浮かび上がる。一階にある両親の寝室だ。あの狼──くーくんが、父母の死体を貪っていた。
「なんで──」
「さあ、選ぶんだ。魔族になれば、君の魔の臭いは消せるんだ。疑われないためには、最適の解じゃないのかい⁉」
映像が途切れ、代わりに彼女の胸にあるような物体が浮揚している。
「これは魔核。埋め込めば、魔族になれる。さあ、選ぶんだ」
「な、なります」
「後悔しないね?」
「だって、そうしないと私が疑われてしまうんですよね。なら、なるしかないじゃないですか」
ニエルゴッシュは満足げに微笑んだ。
「理解が速くて助かるよ。じゃあ、少し痛むよ」
魔核が、チグルハの胸に入り込む。絶叫。全身を駆け巡る激痛。このまま気が狂って死んでしまうのではないか、という苦痛。体の中では、マナを効率的に張り巡らせるための疑似神経組織が作られつつある。
十五分ほどの時間が、彼女には永遠に感じられた。どうにか意識を繋ぎ止めたその顔は、緑色のマスクのような甲殻で覆われていた。いや、全身そうだ。
「さあ、行こうか。そのナリでは簡単にばれてしまうからね」
手を握られた瞬間、二人はどこかへ消えた。
◆
「魔物の被害が出た」
ディアルクの部屋に集められた少年少女は、班長から報告を受けていた。
「俺が担当していた南エリアだ。現場はオベス家という農家の家。両親は食い殺され、そこに留まっていた魔物を俺が討伐した」
ルダは声にもならない音を喉から出してしまった。
「……そうだ。チグルハ・オベスの家族が、食われた」
「チグルハは? 無事なの?」
「行方不明だ。魔力の痕跡が微弱だが残っていた……魔族か魔物か、そのあたりに連れ去られたのだろう」
信じきれない、と顔に浮かべる彼を、他の二人は不思議そうな目で見た。
「チグルハとルダは顔見知りなんだ。だから、伝えるかは迷ったが……いずれは知ることだからな」
「……行かなきゃ」
ルダが呟く。
「今すぐ探しに行かなきゃ。殺されるかもしれないんでしょ? もしかしたら、今も苦しんでいるのかも──」
「落ち着け! 今、軍の者に魔力の残滓を捜索させている。そう遠くないうちに居場所は割れるはずだ」
それでも、彼は目を大きく見開き、脂汗をかいていた。
「……この件に魔族が関わっていた場合、俺は追加の人員を要請する。探知結界をすり抜けられる、高度な魔力偽装が可能な存在だからな。かなり強力な魔族だろう」
地図が置かれた円卓の横、ディアルクは白い椅子に座っていた。前傾姿勢になり、指を組む。
「だが、この街に魔剣が出入りしているのを感じた。その残り香を追えば、自然と魔族に行き着く」
「誘き出されているかもしれませんよ?」
ソウマが言う。
「だとして、飛び込んだ後に喉笛を掻き切るつもりだ。一先ず、今は休め。夜の見回りは通常通り行うからな」
追い出されるようにして部屋に戻ったルダは、自分の手が何にも届かないのでは、という恐れと共に、入眠剤を飲んで、眠りに就いた。