王太子殿下がお出ましになられた時、大広間は戦場かと見間違える程、悲惨な状況でございました。赤いワインがテーブルクロスを血のように染め、呆然と立ち尽くす紳士淑女たちは生クリームまみれだったのでございます。
「これは一体、どう言うことだ?」
その中央には、白鳥のように美しいお嬢様と、黒鳥のように気高いヘンリエッタ様がケーキを握って睨み合っておりました。興奮しているお二人は王太子殿下の姿に気付くことなく、お嬢様はモンブランケーキを握り直しました。栗皮のデコレーションクリームの中から滲み出る白い生クリーム、お嬢様はおおきく振りかぶって、それをヘンリエッタ様に向かって投げた・・・・までは良かったのです。
ーその後は、ご想像通りでございます。
ぐちゃぐちゃになったモンブランは、こともあろうか王太子殿下の顔に命中し、べちゃりと音を立てて床に落ちたのです。その場は凍りつきました。管弦楽団の演奏は止み、大広間は水を打ったように静かになったのでございます。
(こっ・・・・国家、ゲフンゲフン、反逆!)
「・・・・・!」
流石のお嬢様とヘンリエッタ様も王太子殿下の姿に背筋を伸ばし、膝を折りドレスを摘むとカーテシーでゆっくりと敬意を表されたのですが、時すでに遅しでございます。衛兵が重厚な槍でお二人を拘束すると、大広間は重々しい雰囲気に包まれてしまいました。王太子殿下は、額についたモンブランを指先で拭うとペロリと舐められたのです。
「美味いな、料理長に美味かったと伝えてくれ」
宰相様が頷くと、侍従が慌ててタオルで王太子殿下のお顔を拭き下がってゆかれました。そして、王太子殿下のお顔をまじまじと拝見したわたくしは、我が目を疑ったのでございます。
「こういう騒動も嫌いじゃないぞ」
(あれは、あの方が・・・王太子殿下!)
お嬢様が、チェンジ!チェンジ!と切り捨てた見合いアルバムに、馬に跨った殿方がおられました。お嬢様が、「悪役令嬢」には黒い馬に乗っていなくちゃ駄目なの!と仰られたあの殿方が、王太子殿下だったのでございます。お嬢様も気付かれたようで、目を白黒させて王座を見上げていらっしゃいました。
「あ、あの・・・・殿下!申し訳ございません!」
「驚いた。私の未来の妃は、ケーキ屋だったのか」
王太子殿下は生クリームだらけのお嬢様を見つめ、優しく微笑まれたのです。やはり白い馬の殿方は、王太子殿下。名前を変え、身分を明かさずにケールナー侯爵家にオデット様との見合いを申し込まれたのでした。これにはわたくしも驚きましたが、お嬢様は意中の殿方から「未来の妃」と呼ばれ、耳まで赤くしてその場に立ちすくんでおられました。
(お嬢様、これはフライドチキンを食べている場合ではないですぞ、ゲフンゲフン)
「さて、この場はどうしたものか」
真っ青になったのは、ヘンリエッタ・ドマーニ嬢だったのでございます。まさか、ケーキを投げ合った相手が、王太子殿下の妃となるとは思いも寄らなかったでしょう。いや、わたくしも思いも寄りませんですから当然のことです。ゲフンゲフン。
「も、申し訳ございません!」
王太子殿下は立ち上がると、鼻先の生クリームを舐めながら仰ったのです。
「へンリエッタ・ドマーニ嬢、オデット・ケールナー嬢、二人にはしばし舞踏会への参加を禁ず!」
「は、はい!」
「はい!」
ここまで王太子殿下に無礼を働き、この程度のお達しで済んだのは、奇跡としか言いようがありません。
「ヘンリエッタ嬢、オデット嬢、二人はこの大広間の掃除を手伝いなさい」
令嬢が掃除をするなど前代未聞でございます。が、本来ならば、明日の昼には断頭台で天に召されていたかも・・・ゲフンゲフン、王太子殿下の温情には感謝しかございません。
お嬢様とヘンリエッタ様は侍女の服に着替え、辿々しい手付きで床を拭いておられました。微力ながら、わたくしもお手伝いさせて頂きましたが、一生懸命雑巾を握られるお嬢様の口元はほころんでおいででした。そのお嬢様の姿は、かつての「白い天使」とは違う、自由な輝きに見えたのでございます・・・ゲフンゲフン。
「次は負けないわ!」
ところが、ヘンリエッタ様は雑巾を握り、次はケールナー侯爵家の恥を必ず・・・!と呟き、お嬢様を睨んだのでございます。ヘンリエッタ様のあの目は、王太子殿下への執着か・・・ゲフンゲフン。真の「悪役令嬢」とはゲフンゲフン、げに恐ろしきものでございますな。
ちゅんちゅん
「ほーほほほほ、爺、王太子殿下も私の魅力にイチコロね!」
いいえ、お嬢様。王太子殿下の寛大なお心遣いがなければ、お嬢様がイチコロ・・・・ゲフンゲフン、なにも言うまい。ところで「悪役令嬢」ごっこは、どうなさるおつもりなのだろうか?
「お嬢様、「悪役令嬢」はどうなさるのですか?」
「もう断罪されたから、おしまい!」
断罪?断罪とはなんのことであろうか。
「お嬢様、「悪役令嬢」とは断罪されるものなのですか?」
「そうよ!悪いことをして断罪されるの」
「お嬢様が受けた断罪とはなんのことでございますか?」
「お掃除よ!」
なんとお手軽な断罪なのであろうか、まぁ、これで「悪役令嬢」ごっこが終わるということであれば万々歳である。ベッドサイドに置かれていた『非情なる悪役令嬢』も本棚で埃を被っている。やれやれ、これでようやく平穏な日々が戻って来るのでございます。
その数日後。侍従が、ルーベル様、荷物が届いております。と部屋の扉をノックした。商人が運んで来た木箱は両手で抱えるほどの大きさでございました。
「なんだこれは、ガタゴトと動いておるではないか」
「お嬢様が取り寄せられたようですね」
わたくしは、その木箱から不穏なものを感じ取ったのでございます。木箱には、生き物注意と黄色に黒のラベルが貼られていました。わたくしは、木箱の蓋が開かぬように押さえ付け、小麦粉一袋分の重さの生き物をお嬢様の部屋にお運びいたしました。すると、お嬢様は目を輝かせました。
「あぁ!それ!「悪役令嬢」のペットに良いかと思って注文していたの!」
「ペット、ですか?」
「そう!」
木箱を開けると、中には可愛らしくない顔をした「火食いトカゲ」が入っていたのでございます。吠えるたびに口から火花を出して、ギョロリとした目でこちらを見る。ううむ、憎らしい。
「あ、爺やが世話をしてね。ドラゴンとか得意でしょ?」
「お嬢様、それは退治する方でございます」
「おんなじ、おんなじ」
そして「火食いトカゲ」は度々脱走し、屋敷の中を走り回ったのでございます。勿論、火を吹きながら・・・・。かつてドラゴンの炎を浴びたこの身が、今はトカゲの火花に追われるとは・・・ゲフンゲフン!
「これぞ、「悪役令嬢」のペット!おほほほほほ!」
「お嬢様!「悪役令嬢」はお止めになられたのでは!?」
お嬢様の高笑いに唖然となっておりますと、火食いトカゲがギョロリと睨み、火花を吐いて爺のズボンの裾を焦がしたのでございます!かつてドラゴンを倒したこの身が、トカゲに!ゲフンゲフン。
「おーほほほ、これぞ悪の華!「悪役令嬢」の証だわ!」
火食いトカゲがカーテンを焦がし、侍女の悲鳴が屋敷に響き渡るゲフンゲフン。・・・かつてドラゴンの炎を浴びたこの身が、トカゲごときに!ゲフンゲフン。爺がバケツを手に走る姿に、「悪役令嬢」のお嬢様は扇子を開いてご機嫌でございます。
(お嬢様!これはただの火災ではございませんか!?)
了