日本史上、応仁の乱から始まる戦国時代。
綺羅星が数多に輝き、綺羅星が数多に散っていった時代。
その中で一際強く輝き、天下をその手に握りしめる寸前まで至った存在。
戦国時代の代名詞たる織田信長を恐れ慄きさせて、戦国時代に終止符を打った徳川家康を苦しめた甲斐信濃の大名、武田信玄。
日本人なら百人が百人。今の俺の姿を見たら、そう指差しながら呼ぶに違いない。
なにしろ、今の俺は武田信玄そのものだ。
諏訪法性兜と赤糸威二枚胴具足、朱色の陣羽織。床机に座り、軍配団扇を右手に持ち、そこに書かれた文字は『風林火山』の四文字。
どこからどう見ても誰もが肖像画などで一度や二度は見た経験が有る筈の武田信玄像であり、それ以外の答えがまず浮かばない。もし、武田信玄の名前が出てこなくても、それと解る筈だと断言が出来る。
ここがコミケの会場なら間違いなく写真を撮られまくり。
さすがにセクシー路線の方々には勝てないだろうが、一般部門の話題は俺が独占。ひょっとしたら、今日のネットのトレンドワードに『武田信玄』が挙がってしまうかもしれない。
それほど今の俺は圧倒的な存在感を放っていた。
解る人には解るし、解らない人でも感じ取れる装飾の気品。ダンボールやプラスチックで作られた模造品とは格が明らかに違う。これぞ、触れるのすら躊躇いを感じさせる本物だけが持つ輝き。
普段はガラスの向こう側に展示されている博物館の品を着てきたと言ったら、その世迷い言に誰もが失笑を漏らしながらも頭の片隅で『まさか』と疑いを持つほどの美がここにあった。
「だって……。これ、本物だしな」
「父上、何か言いましたか?」
「いや、独り言だ。気にするな」
「はっ!」
そう、コスプレなどではない。
偽物なのは俺自身のみ。身に纏う物全てが本物なら、思わず漏れてしまった呟きを拾い、こちらへ顔を振り向けた左隣の床机に座る若武者が身に纏う当世具足も本物。
四方に張られた武田菱の家紋が描かれた陣幕も、その外から感じる物々しい緊迫感も全てが本物であり、鞘を抜けば人殺しの道具となり得る腰に差した日本刀までも本物。
しかし、銃刀法違反で逮捕される心配は無い。
そんな法令は今の世に存在はしないし、概念すら生まれていない。
今は正親町天皇の世、永禄四年。
馴染みの深い西暦で解りやすくいうと、1561年の戦国時代真っ盛り。
季節はこれから暑さが本格化する初夏。場所は長野県犀川の南。
ここまで説明したら戦国時代に詳しい人はピーンときただろう。通称『川中島の戦い』と呼ばれる戦国時代を代表する一つの戦地である。
何故、地球温暖化が著しい21世紀の現代社会日本に生きていた俺が戦国時代に居るのか。
その理由は知らない。それを俺自身も切実に求めているが、これから先も恐らくは知る事が無いのだろう。
だが、俺が武田信玄の姿に扮している理由なら説明は出来る。
21世紀の世の中に比べて、人の命があまりにも軽い戦国時代を生きてゆく為に選ぶしかなかった選択肢だったからだ。
ならば、何故に選ぶしかなかったのか。
それを語るには時間が少し必要になる。突然、この戦国時代に降り立ってから、まだ四年ちょっとしか経っていないが、俺にとってはとてもとても長い四年だった。
「御旗楯無も御笑覧あれ。……ってね」
今、こちらへ向かっているだろう後の世に上杉謙信の名で知られる上杉輝虎が到着するまで時間の余裕はまだ有る。
これから始まる一世一代の大舞台を前に過去を振り返るのも悪くない。そう考えながら夏の抜けるような青い青い空を見上げて呟いた。