「遅れて申し訳ありません」
甲斐の躑躅ヶ崎館の奥座敷。襖が静かに開いて、ダンディーな髭のおじ様が姿を現す。
俺が知る歴史において、明治の世まで家を残した真田家の祖といえる人物『真田幸隆』である。
「構わん。皆も来たばかりだ」
「恐れ入ります」
顎をしゃくり、空いている場所へ早く座れと促す。
今、この広間には後世『武田二十四将』と呼ばれる武田家の重臣達が車座になって集っていた。
それぞれとは諏訪の屋敷で何度も会っているが、こうして一堂に会するのは初体験。皆の手前、平静を装っていても腕を組んだ手の中は汗ばみが酷い。
もっとも、正確な数を挙げると、この場に居るのは俺と二十人。
武田二十四将の内、三人は鬼籍に入っており、義信の後見人だった飯富虎昌は義信の若すぎる突然死に寝込んでしまって欠席している。
持病を持っていないにも関わらず、23歳の若さで突然死した義信の正確な死因は判明していない。
朝食を済ませた後、厠への道中で不意に膝を落として崩れ落ちたかと思ったら、そのまま眠るように亡くなった状況から当初は毒殺の可能性を怪しまれたが、一割も食べていない残った朝食から毒は一欠片も見つかっていない。
だが、俺は義信の遺体と対面した瞬間に死因がすぐ解った。
明らかに脳溢血か、心臓麻痺による過労死。それが一目で解るほど義信の死相に深い疲労が刻まれていた。
事実、何人かに事情聴取を行ってみると、これが予想以上のスーパーブラックな働きっぷり。
武田家当主としての職務は勿論の事、西に揉め事が有ったら仲裁に行き、東に祝い事が有ったら祝福に行く。
朝は誰よりも早く起きての鍛錬を行い、夜は誰もが寝静まるまで兵法や律令を学ぶ。朝、起こしに行ったら夜通しで起きていた時も多々有ったらしい。
そんな毎日を繰り返していたら身体を壊すに決まっている。
おまけに、ここ数ヶ月は食が細くなって、無理に食べたら戻してしまう為、粥を常食にしていたらしい。
何故、そんな義信を誰も止めなかったのか。
その役目を一番に担っていた筈の飯富虎昌を殴り飛ばそうとしたが出来なかった。
『大殿……。若を、義信様を褒めてやって下され。
あの日以来……。大殿とのわだかまりが解けて以来、義信様は大殿を超えてみせるんだと、日々邁進して参りました。
その先を急ぎ過ぎる様を心配して、儂や皆が少しは休めと苦言を申しても……。
俺は凡人だ。凡人が天才の父上を超えるとなったら、父上の二倍も、三倍も努力をしなければならない。この程度は当然だと言って……。
事ある毎に大殿より頂いた言葉を……。それがどうしたと嬉しそうに笑いながら疲れ切った身体に喝を入れて……。いつか、大殿に褒めて貰うのだと……。』
涙を隠そうとしない号泣の懺悔に止めても止まろうとしなかったのを知って。
もし、義信を止められるとしたら、それは俺だけだったのかも知れないと教えられて。
俺が『武田信玄』になって四年目。
今、他人から見たら呆れるしかない椿と諏訪の方の確執解消に奔走が出来ているのは義信のおかげが大きい。
上洛へ出かける前、諏訪の屋敷へ訪れる者は晴信が武田家の当主だった頃を懐かしんで愚痴を零す者ばかり。
うんざりする事が多かったが、上洛から帰ってくると、それが徐々に減った。義信の影響力が高まって、晴信の影響力が低くなってきた何よりの証拠である。
今や、諏訪の屋敷へ訪れる大半が隠居した者。
隠居した者同士、若者に対する愚痴が含まれてもそれは気楽な昔話。
俺の人生も、武田家もこれで安泰と実感し始めていたところ、唐突に義信が亡くなってしまった。
「さて、これで揃ったな。
忙しいところ、皆にこうして集まって貰ったのは他でもない。
薄々気付いているとは思うが、明日の葬式で発表する義信の後継を予め知って貰う為だ」
真田幸隆が腰を下ろしたのを合図に頷き、第一声を静まり返った場に放つ。
たちまち息を飲む声があちらこちらで聞こえた。俺の言葉からその先を言わなくても既に答えを得たらしい。
「何の為の車座だ。許可を得る必要は無い。
儂の心は決まっているが、遠慮なく意見を言ってくれ。それがより良いのなら、一考もする」
全員が全員、顔を忙しなく見合わせて、それ等の視線が最終的に信繁さんへと全て集う。
それに応えて、信繁さんが目を一旦瞑り、静かに挙手するが、その役者ぶりに苦笑を堪える。
実を言うと、俺と信繁さんと勘助さんの三人にとって、この会議は茶番。
昨夜、皆が寝静まった頃に集い、今後の武田家に関してを明け方近くまで膝を突き合わせて語り合い、密かに統一した見解を得ている。
改めて言うまでもないが、俺は晴信の影武者である。
だから、俺達三人による武田家秘密会議が開催される時、常に俺は聞き役に徹していた。
あくまで話し合うのは信繁さんと勘助さんの二人。
俺は参考意見を出すか、二人がどうしても判断に苦しんだ際の一票を投じる程度だった。
しかし、今回は違う。
俺も意見を積極的に出して、武田家の将来の舵取りに参加している。
その理由はただ一つ。
俺が知る歴史通り、戦国時代の代名詞と言うべき戦い『桶狭間の戦い』が遂に起こり、信長が駿河の今川義元を打ち倒して、大勝利。三日前、その報告がこの躑躅ヶ崎館へ届いたからだ。
俺は激しい焦燥感に駆られた。
もし、義信が突然死していなかったら、信長を強く警戒せよと義信に助言するだけで済んだ。
義信の奥さんは今川家の出身。
義憤に駆られて、仇討ちを望むかも知れないが、信長が治める尾張とは領土を接していない。
当主を討ち取られた今川家もまずは混乱から立ち直らなければならず、仇討ちを行うとなったら数年先。その猶予があった。
だが、義信は死んでしまった。
俺が知る歴史と大きく違い、家督を円満に継ぎ、晴信との間にあった確執もめでたく解消したにも関わらずだ。
まるで俺が知る歴史に引っ張られているかのようであり、これこそが正しいと、余計な事はするなと世界が俺に諭している気がしてならなかった。
もし、そうだとするなら、あと十年もしたら武田家は大きく衰退。滅びの道を歩む未来が待っている事になる。
古今東西、侵略によって敗れた支配者一族の末路は変わらない。将来の禍根を断つ為、服従に利用が出来る年若い女性を除き、一族全員が抹殺される。
最早、俺の命が、俺の寿命がと言っている場合では無い。
近い将来、桃が産んでくれる自分の子供の未来を何が何でも守りたかった。
その為にも俺が知る歴史から大きく捻じ曲げて、世界が正そうにも正せなくする必要が有ると考えた。
幸いにして、信繁さんも、勘助さんも俺の変化を歓迎してくれた。
ようやく傍観者から当事者になる覚悟が決まったかと。食い物の事しか関心が無いのかと呆れていたんだぞと。
余談だが、京都を中心に活動中だった勘助さんが義信の葬儀に間に合ったのは京都に作った拠点のおかげ。
こんな事で役立つなんて皮肉も良いところだが、その有用性は確かめられた。今後は勘助さんの助けが絶対に必要で傍に居て貰いたい為、義信の葬儀が終わった後は別の者を京都へ送る予定になっている。
「では、遠慮なく……。
兄上のその口ぶり。後継は勝頼という事ですか?」
さあ、ここからが台本スタート。
心の中で順調に進みますようにと願いながら頭の中でカチンコを鳴らせた。