目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第23話 今川家の憂鬱




 俺はここに居るぞ。そう自己主張するように縁側をドスドスと音を立てて歩く。

 準備をしている最中は慌ただしくて大騒ぎだったが、始まってしまえばあっという間の出来事だった。

 義信の葬儀はしめやかに滞りなく済み、数多くの弔問客でごった返していた躑躅ヶ崎館は静けさを取り戻していた。


 ここ、居住区は特にそうだ。

 皆が気を使ってくれているのだろう。人の気配がせず、まるで時が止まっているかのよう。



「待たせたな」



 やがて、目的の部屋へ到着。

 茜色に染まる庭を暫く眺めてから、障子戸をやや乱暴に開くと、二人の喪服を着た女性が平伏して俺を待っていた。


 悲しみを溢れ感じさせるその背中に気後れして踵を返したくなるが、ぐっと我慢。

 ここまで来ていながら逃げるなんて出来ないし、これから行う事を先延ばしにする事も出来ない。



「さて……。今なら瀬名殿も居るがどうする?

 もし、駿河へ帰るつもりなら娘は置いてゆけ。あれは武田の姫だ」



 だから、ここは一気に攻める。

 座布団が用意されている上座に素早く座り、二人が顔を上げるのも待たず、前置きも一切置かず、目的を単刀直入に腕を組んで告げると、二人は揃って身体をビクッと震わせた。


 但し、その直後の様子は完全に正反対。

 一人は思わず顔を上げようとした中途半端な体勢で固まり、もう一人は顔を勢い良く跳ね上げるなり、俺を鋭くキッと睨み付けてきた。


 前者は今川義元の娘にして義信の正室『松』であり、後者は晴信様の継室『三条の方』である。

 応仁の乱以降、松が生まれ育った駿河は混乱する京都から避難する公家達を早期から受け入れていた為、京文化が大きく花開いており、それに造詣が深い松と京都出身の三条の方は出会った当初から相性が良くて、嫁姑の関係というよりは歳が離れた姉妹のような関係らしい。


 それだけに三条の方の怒りは当然と言える。

 今、俺が言った一切の無駄を削ぎ落とした言葉を丁寧に補うと次の通りとなる。



『さて、義信は無念にも亡くなってしまったが、悲しんでばかりはいられない。

 松よ、お前はこれからどうする?

 もし、武田家と縁を切って、実家の駿河へ帰りたいと言うのなら止めはしない。

 今、今川一族の瀬名殿が弔問に訪れているから一緒にどうだ? 同族が一緒ならお前も安心だろ?

 但し、その場合は心苦しいが娘は置いていって貰うぞ? あれは義信の血を唯一引く大事な武田家の姫だ。今川家へ戻るお前に渡す事は出来ないから諦めろ』



 夫の葬儀が済んだばかりの未亡人に告げる言葉としてはあまりにも容赦が無さ過ぎる。

 俺も辛いが、誰かが絶対に告げなければならず、その役目は担うのは俺以外に居ないのだから仕方がない。



「わ、解りました……。そ、それが乱世の習いと仰るのでしたら」

「待ちなさい! 貴方は先ほど!」

「い、いいえ、義信様のご冥福は何処に居ようと祈る事は出来ます。わ、私は駿河へ戻り、戻り……。ううっ!」

「くっ!? 幾ら何でも酷すぎます! せめて、四十九日を待てないのですか!」



 案の定、松は伏せた顔を上げないままに泣き崩れた。

 気丈に振る舞おうとするも失敗して、言葉を最後まで言い切れず、嗚咽を懸命に耐えようとするも耐えきれず、身体を丸めた隙間から嗚咽を漏らして。


 その背中に優しく覆い被さる一方、三条の方が俺に唾を飛ばして烈火の如く怒鳴る。

 切れ長の目をした美人が皺を眉間に刻んで怒る様子は恐ろしく、思わず腰が引けそうになるのを堪えながら右掌を突き出して反論する。



「待て、待て! 俺は出ていけとは一言も言ってないぞ?」

「えっ!? で、ですが、旦那様はさっき……。えっ!?」

「どうするとは聞いたが、そうしろとは一言も言ってないだろうが」

「で、では?」



 その途端、三条の方は目をパチパチと瞬き。

 烈火の怒りから茫然とした表情になり、松も嗚咽に震わせていた身体をピタリと止める。


 もっとも、勘違いするのも無理は無い。

 今先ほど松が『乱世の習い』と表現したが、そこに勘違いの原因が有る。


 なにしろ、今現在の今川家はてんやわんやの大混乱中。

 桶狭間の戦いにて、当主の今川義元が討ち死にしたと知れるや、俺が知る歴史で後に『徳川家康』と名を改める松平家当主『松平元康』が従属関係にあった今川家から独立を宣言。先祖伝来の地である西三河を支配下に置いた。

 それをきっかけに東三河の者達も今川家から続々と離反。矛を交えるまではまだ至ってないが、三河は松平派と今川派に分かれての一発触発状態に陥っているというのが、義信の葬儀に訪れた今川家家臣の瀬名殿による最新情報だ。


 もし、三河で戦いの火の手が上がれば、今川家が支配する駿河と遠江にも戦火の炎は瞬く間に広がってゆくだろう。

 早急な立て直しが必要だが、桶狭間の戦いで討ち死にしたのは今川義元だけでは無い。今川家を支えてきた重臣達も多く討ち死にした結果、今川義元の跡を継いだ今川氏真は最悪の選択肢を選んでしまっている。


 今川義元の妹の娘を嫁に貰った松平元康が裏切り、激しい疑心暗鬼に陥ったのだろう。

 勢いが波に乗っている時ならまだしも、落ち目な時ほどやってはいけない行為。家臣達の忠誠を疑い、人質の差し出しを強要したのである。

 戦国時代を題材にした現代のシミュレーションゲームにて、その能力値の低さから俺は今川氏真を凡愚と知っていたが、ここまで愚かとは思っていなかった。


 その結果、甲斐と信濃に近い今川家の家臣達から従属の打診が幾つか届いている。

 もし、今川家へ攻め込む気が有るなら、その時は今川家の本拠地である駿府城までの道案内を是非したいという申し出すら有る。


 桶狭間の戦いから日がそれほど経っておらず、武田家と今川家が婚姻による同盟関係を結んでいると誰もが知っていながらだ。

 実際、今川家の状況がここまで悪いと、同盟を破棄して、この混乱に乗じて攻め込み、今川家の領土を切り取った方がどう考えても賢い。


 それこそ、三河の領土を保証すれば、松平元康は喜び勇んで馳せ参じるだろう。

 そうなったら、今は武田家と今川家の三国同盟を結んでいる北条家も参戦してくる。来年か、再来年には今川家の名前が地図の上から消えているのは間違いない。


 だが、その野望の炎を燃やすには義信の奥さんであり、今川義元の娘である『松』の存在がどうしても邪魔になる。

 それが今川氏真も解っているからこそ、大事な一族の瀬名殿を義信の葬儀へ送ってきている。どうか裏切らないで下さいと。


 ついでに離反者を討伐する為の兵力を貸してくれと厚かましい事も言ってきているが、もう駄目駄目だ。

 政治に疎い俺ですら解る。自国の反乱を治めるのに他国の力を頼ったら、対等な関係はもう二度と戻れず、最悪の場合は良いように扱き使われる傀儡に落ちぶれてしまうのを。


 当然、松はこれ等の情報を瀬名殿から聞いており、口添えを頼まれている筈だ。

 何故、それが正反対の答えを選んだかと言ったら、気後れした俺が言葉を省いたのも悪かったが、それ以上に晴信が悪いと断言する。


 以前にも語ったが、晴信は三条の方とは疎遠の、義信とは険悪の仲にあった。

 なら、晴信が三条の方と義信の二人を介した先にいる松と友好的な関係をどうして結べるだろうか。逆もまた然り。


 それ等を踏まえて、先ほどの自分の発言を省みる。

 きっと二人には俺が命じているように聞こえたのだろう。



「もう一度、聞こう。松、お前はどうしたい?

 儂やお前の兄がどう考えているかなど抜きにして、お前自身がどう考えているかを聞かせて欲しい」



 だったら、今度は間違えない。

 松の涙の前に気後れする心はより増したが、それを押し隠しながら松に改めて問いかけた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?