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転の章

第32話 御旗楯無も御照覧あれ!




「全将兵に伝える! 今川殿を助けて、三河を攻めるのは事実!

 だが、これは天下を欺く策! 我等が攻めるは南に非ず、西に有り! 敵は美濃、斉藤家だ!」



 俺が知る歴史において、武田家は織田家によって滅ぼされている。

 より正確に言うなら、中央に進出した織田家が大領を得ると共に一強と化して、いよいよ戦国時代に終止符を打とうと他勢力を圧倒し始めた為だ。


 だったら、織田家が一強となる前に武田家が一強になる。或いは織田家が一強となるのを防いだら良い。

 それを可能としたら、武田家は戦国時代を乗り切れる筈と結論を出した後、次に織田家は何故に一強と成り得たのかを考えた。


 その結果、出てきた答えが立地条件。

 信長が時代にそぐわない革新的な考えの持ち主であろうと、豊臣秀吉を代表とする極めて有能な人材が数多に揃っていようと、出発地点が尾張でなかったら織田家は一地方の雄で終わっていた筈だ。


 なにしろ、濃尾平野ほど広大で肥沃な平野はそうない。

 現代における日本最大の平野は関東平野だが、戦国時代の関東は大部分が湿地。

 利根川と荒川は毎年のように氾濫しており、これをどうにかするには国を跨いだ関東全域の大規模な治水工事が必要であり、それを実現させるには太平の世を待たなければならない。


 次点の石狩平野も、その次の十勝平野も北海道。戦国時代はまだ日本の仲間入りをしていない。

 四番目は越後平野になるが、越後は雪国で冬の行動制限が有り、京都までの道のりが遠い上、その最短路が日本海沿いの為にやはり冬の行動制限が有る。


 ところが、五番目の濃尾平野にある尾張は京都に近くて、伊勢湾も有り、気候は温暖。

 人が集まって商業的に栄える要素が揃っているのだから、これはもうチートと言うしかない。


 その上、濃尾平野の残り半分である美濃を制したら石高は倍に跳ね上がる。

 これだけで日本の十指に入る戦国大名の誕生となり、武田家と上杉家が善光寺平を巡って争っていた十年が馬鹿馬鹿しくなる。


 しかし、裏を返せば、織田家は美濃を得ない限り、飛躍は難しい。

 西の伊勢へ進むには長良川と木曽川が天然の要害化させている国境の長島城を一向宗が占拠しており、東の三河を手に入れたら芽も出てくるが、信長は今川義元を討ち取った張本人だけに今川家との衝突は避けられず、それなら松平家を間に置いた方が無難と言える。


 つまり、織田家が美濃を得る前に武田家が美濃を得る。

 これこそ、俺が考え抜いた末に出した武田家が戦国時代以後も生き残る為の結論であり、俺は歴史を知るが故に今こそが美濃へ攻め込む絶好のチャンスというのも知っていた。


 正確な時期までは憶えていない。

 だが、桶狭間の戦いのすぐ後、美濃を支配する斉藤家の当主『斎藤義龍』は病に伏すとそのまま呆気なく早逝していた筈だ。


 しかも、名前を憶えていない斎藤義龍の跡を継いだ斉藤某は凡愚。

 家中の不和を招き、それが斉藤家滅亡の大きな要因になったのも記憶している。



「木曽山脈の南を通り、南木曽へ出ずにその手前で南下!

 苗木城を西から一気に奇襲する! 戦列は昨夜の会議のままだ!」



 ところが、信濃から美濃を攻める上で大きな難点が二つ。

 一つは語るまでもない。信濃と美濃の間に横たわる木曽山脈が進軍と兵站の確保を困難にしている点。

 もう一つは木曽山脈を越えた先は狭い山間地であり、そこに苗木城と岩村城の二城が立ち塞がっている点だ。


 その為、敵は迎撃が容易な上にその兵力も少なくて済む。

 もし、美濃を獲るとなったら、苗木城と岩村城の二城を一気呵成に陥落させて、敵の迎撃が整う前に濃尾平野へ進出しなければならないが、大軍になればなるほど進軍速度は落ちて接近に気づかれる悪循環を生む。


 だから、美濃を奇襲する。その為の布石が三河攻めだ。

 今、この瞬間に勝頼が明かすまでこの事実を知っていたのは俺を含めて、たったの九人。勝頼、信繁さん、勘助さん、真田幸隆、武田四天王のみ。

 それ以外は重臣にすら伏せて、上杉家と同盟が成ったその時から今川家の三河攻めに呼応した援軍派遣を大々的に忍者も用いて広め、天下を欺いてきた。



「馬場信春!」

「はっ!」

「馬籠峠を越えたら、我々の本隊を待つ必要は無い! 先鋒を預かるお前の判断で苗木城を攻めよ!」

「御意!」



 また、勝頼が今挙げたルート自体にも奇襲の効果が有る。

 正確に言ったら違うが、このルート『中央自動車道』は長野から岐阜へ向かう道として現代では常識だが、今の時代に生きる者達にとっては違う。

 信濃から美濃へ向かう道と言ったら、伊那から木曽山脈北の合間を抜けるか、塩尻から南に進み、木曽福島城を経由して、木曽川沿いに進むのが常識である。


 しかし、このルート『中央自動車道』を現代の常識で前回の上洛ルートに選んだ俺は知っている。

 整備が十年、二十年単位で放棄されて荒れ放題になってはいるが、有史以来を踏み固められてきた道は美濃へと確かに通じていると。



「もう一度、言う! 此度の美濃攻めは奇襲だ!

 勝つも、負けるも、全てはどれだけ敵に気づかれないまま近づけるかにかかっている!

 ……とは言え、山野に隠れようと万を超える軍勢が近づいていて気づかない間抜けは居ない!

 よって、此度の戦において重要なのは早さだ!

 疾き事、風の如し! 我等が武田の旗印、風林火山! その最初の一文字の真髄を敵に見せつけてやれ!」



 勿論、今川家と援軍の約束を交わした以上、三河攻めも同時に行う。

 こちらは俺を総大将として、副将を山県昌景と勘助さんの二人が務め、三千の兵力で向かう。


 ちなみに、俺が三河攻めの総大将を務める理由は簡単。

 第一に勝頼の実績作りの為と第二に三河攻めの噂を武田家の総力を挙げてと大体的に広めている為だ。

 恐らく、今川氏真は兵力の少なさに落胆するだろうが、俺が総大将として軍勢を率いているなら納得するしかない。


 それに今は正義感が強い上杉輝虎と同盟を成したばかり。

 ここで援軍の約束を破ったら、上杉家との同盟がご破算になりかねない。


 山県昌景を副将に選んだのは特に意味は無い。

 俺が知る歴史において、三河攻めと言ったら山県昌景のイメージが有ったからである。


 だが、山県昌景は本命の美濃攻めから外されて落ち込むと思いきや、俺直々の指名を受けて大はしゃぎ。

 最初の目標である長篠城を鎧袖一触で落とした上、今川家の軍勢を置き去りにして岡崎城へと迫り、松平元康の尻をブリブリと鳴らせそうな勢いが実に頼もしい。



「四日だ! ここから先は山あり、谷ありの難所!

 ここまでの道中のように整ってなければ、途中に宿場町も無いが、それを四日で踏破せよ!

 そして、五日目! 苗木城を落として、日が沈みきる前にそこへ辿り着いていた者全てに私は恩賞を等しく与えよう!」



 それともう一つ。誰にも言えない最大の理由。

 前回の上洛の際、護衛役として同行した信君にふと視線を向けてみれば、顔をこれでもかと引きつらせている。

 十代の若い彼ですら、こうだ。あの荒れ放題になっている道を五日で踏破するなんて、俺は絶対に無理とは言わないが絶対に御免被る。



「御旗楯無も御照覧あれ!」



 しかし、その過酷さをまだ知らない勝頼とこの場に集った者達の士気は高い。

 勝頼が右拳を勢い良く掲げて叫ぶと、全員が同様に右拳を勢い良く掲げて叫び、その唱和は天にも届かんばかり。


 余談だが、勝頼が今言った『御旗楯無も御照覧あれ』とは武田家の当主のみに許された伝家の宝刀。

 御旗は帝から賜った日本最古といわれる日の丸の旗、楯無は武田家開祖が用いた大鎧を意味しており、そのどちらも武田家の最重要家宝とされてきた品である。

 要するに『帝も、開祖も見ているから頑張るぞ! お前達も頑張れよ!』という意味があり、この決め台詞を当主が発した時、家臣は当主の決定に反対してはならない武田家絶対のしきたりとなっている。



「では、出陣せよ!」



 俺の記憶が確かなら、信君が配置された戦列は後ろの方だから、出発は正午前くらいか。

 あとで恨まれても困る為、暇を見つけて労いの言葉をかけておこうと心のメモに書き加えた。




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