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私はまだ踊れる!再び舞台に立ってみせる!!
私はまだ踊れる!再び舞台に立ってみせる!!
菊池まりな
文芸・その他ショートショート
2025年06月29日
公開日
967字
完結済
かつて天下無双のダンサーと呼ばれた「私」は、原因不明の激しい痛みに見舞われ、寝たきり寸前に陥る。線維筋痛症と診断された後、懸命なリハビリと治療を経て、車椅子なしで歩けるまでに回復。ダンススクールの講師となり、生徒への指導を通して自身のスキルも磨き上げ、コンテストへの出場を決意。そして、見事復活を遂げた。

線維筋痛症と診断された私が再び舞台に立つまで

 私はかつて、天下無双のダンサーといわれていた。数々のコンテストで賞を取り、ダンサーとしてはそれなりに知名度もあった。


 そんなある日、私は今までに感じたことのない、全身の激しい痛みを覚える。しかし、病院へ行っても異常はないと言われ、こんなに身体中痛いのになぜ?と不思議に思うこともしばしばだった。


痛みの原因を探るべく、私は病院を転々としていた。その頃には、身体中の痛みが酷くて、布団に寝たきりの日も多くなっていた。


私には夢がある。それは、再び舞台に立ち、ダンスをすることだ。こんな痛みに負けてなるものか。歯を食いしばり、痛みに耐えてきた。


やがて、とある病院で、ようやく診断名がついた。それは、線維筋痛症だった。痛みの緩和目的に、抗うつ剤を服用したり、整体に通ったりもした。少しずつ、本当に少しずつだが、症状は良くなっていった。しかし、気圧の変化などで、すぐに悪化してしまう。なかなか前に進めなかった。私はこのまま布団に寝たきりになってしまうのか?…いや、それは避けたい。


私は起き上がり、軽めのストレッチを始めた。身体はダンサー時代に比べたらかなり硬くなっていた。

「今、頑張らなきゃ…!前に進めない!!…負けてたまるか!」

毎日、ストレッチを行いながら、服薬、整体通いも続け、普段は寝たきりで外に出るには、車椅子が必要だった私が、車椅子なしで外を歩けるまでに回復した。


私が歩けるようになって、真っ先に向かったのは、ダンススクールだった。たまたま講師募集の広告を見掛けたからだ。

「私は諦めない…!きっと再び舞台に立つ!!」


ダンススクールの講師として採用が決まり、私は持っている知識や技術を生徒に教えていった。生徒たちは、みるみる上達していった。

「私も、負けていられない!」

ダンススクールのレッスン終了後、私は一人、鏡の前に立ち、ダンスを始めた。痛みのせいで、前のようには踊れないが、頭が、身体が覚えている。音楽に合わせて何とか一曲分踊り切った。

「私はまだ踊れる!」

そう、自信が持てた。


その日から、私はレッスン終了後には、毎日ダンスしていた。納得のいくダンスが出来るまで、毎日、毎日踊り続けた。


 数ヶ月後、市内のダンスホールで、コンテストがあることをたまたま知った。私は迷うことなく、ネットから応募した。


そうして、私は再び返り咲くことが出来たのだ。













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