月岡と再会して八年が過ぎた頃、珈涼は家族で海外旅行をしていた。
夫と二人の息子、
八歳の大希は朗らかだが、極道の息子らしく平然と自分の主張をしてみせた。
「母さんならあの服似合うよ。買って、今度の親父とのデートに着たら?」
ショーウインドーで胸の開いた赤いドレスをみつけて、にっこり笑いながらそんなことを言う。
珈涼は息子の笑顔にたじたじとなりながら返す。
「ひろくん……ママがあんなドレス着たら、パパはびっくりしちゃうよ」
「そうかな。親父、喜ぶと思うな」
「母さん、あっち見て!」
ふいに七歳の涼真が珈涼の袖を引いて、元気いっぱいに言う。
「舟に乗れるんだって! 俺と乗ろ!」
涼真は甘えっ子だが兄に負けず劣らず自己主張が強く、珈涼はあっちこっちに袖を引かれる。
珈涼はためらいながらも涼真に言葉を返す。
「りょうくん、ママ、これからパパと行かなきゃいけないところがあるから」
「親父かぁ……わかったよ」
涼真はわがままだが、父の言うことにはきちんと従う。二人とも、父親に似て上下関係はよく理解している子どもたちだった。
夫の教育が行き届きすぎて、二人はもう珈涼のことをママと呼んでくれない。ちょっと寂しい珈涼だったが、夫にそう言うと「珈涼が一番子どもみたいだよ」と笑われる。
夫とは宿泊中の古城のホテルで再会した。夫は飛びついてくる息子たちと遊びながら、珈涼に言葉を投げかける。
「海は見れたか?」
「うん、あなた。日本とは色が違うのね」
珈涼が夫を月岡さんと呼ばなくなって久しい。今は珈涼も月岡の姓で、彼の妻としての自分も気に入っていた。
珈涼はふと夫を見て、今もなお均整の取れた長身に似合うその姿にみとれる。
「あなたって変わらないのね。どこに行っても仕事しちゃいそう」
夫は白いタキシード姿の正装をしていて、珈涼ははにかみながら言った。
夫は悪戯っぽく首を傾げて苦笑すると、珈涼に箱を手渡した。
「ここまで来て仕事はしたくないな。さ、これを着ておいで」
珈涼は夫に渡された箱を開けて、その中身を見るなり首を傾げる。
「白いドレス……? でも教会にドレスでなんて、まるで」
珈涼は何かに気づいて、はっと顔を上げた。
二人の間にひととき時が流れた。珈涼は夫をみつめて、夫はそんな珈涼を見下ろしながら微笑んだ。
「教会で白いドレス」
夫は珈涼に、いつかの果たせなかった約束を口にする。
「覚えているよ、ちゃんと。盛大にしようと言っただろう?」
珈涼が驚いて何も言えないでいると、夫は珈涼の肩を叩いて言った。
「行こうか。……私たちの結婚式に」
ステンドグラスから光が差し込む祭壇の前で、珈涼は夫と向き合いながらこの八年を思っていた。
二人の間には、大希が生まれてまもなく涼真が授かった。二人の息子を育てるのと若頭の妻としての仕事で毎日が慌ただしく、籍は入れたものの結婚式はずっと挙げないままだった。
夫は忙しい身だが今も珈涼を何より守ってくれて、二人の息子たちにも愛情をたっぷり注いでくれる。珈涼は自分を囲んでいるその幸せで十分で、今回の旅行を聞いたときだって、「ママは留守番しているよ」と断りかけたのだった。
でも大希は「行こうよ」と彼らしく強く主張して、涼真は「母さんも一緒じゃないと俺も行かない」とごねた。最終的に、夫が「珈涼に来てほしい」と言うから、家族旅行だと思って飛行機に乗ったのだった。
そう思っていたら……まるで夢の続きのような光景が、目の前に広がっている。
天使に扮した大希と涼真が花束を携えて最前列で笑っていて、列席者の中には父も母も兄も、不破や豆子も……そして姐まで、祝福に訪れてくれた。
夢のような気持ちで夫と唇を合わせると、彼はふいに懐かしい呼び方をした。
「珈涼さん」
珈涼が目を開いて問うように首を傾げると、夫は珈涼だけに聞こえるように言った。
「……今夜は、あきひろと呼んでください」
甘い声音を聞いて、珈涼は今も少女の心を揺らして顔を赤くする。
二人の八年ごしの結婚式、それから二人の日々はにぎやかに、永く続いていくけれど。
二人の間にもう一人赤ちゃんが授かったのは、あとほんの少し先の話。