プロローグ
「赤と青。君はどちらを選択する?」
自らを神と名乗ったその美青年は、二つの錠剤を差し出しながら尋ねてきた。
「赤でお願いします」
「・・・迷わないん、だね?」
間髪入れずに回答したことに、その美青年は少し戸惑いを見せた。
「最後のチャンスかなと思ったので」
「最後の?」
〜〜
昔見た映画のシーンを思い出していた。
普通に暮らしていた普通のサラリーマンの前に、突然現れたコート姿のサングラス男。
サングラス男は、この世界は作られた仮想現実であり、本当の世界は別に存在していると説明する。そして、本当の世界を見たくはないかと、サラリーマン男に問いかけるのだ。
『これは最後のチャンスだ。
もう後戻りはできない。 青い薬を飲めば話は終わる。 ベッドで目覚め、元の暮らしが待っている。 赤を飲めば、この不思議の国で、
うさぎの穴の奥底へ降りていける。 いいか?見せるのは真実だけだ』
今の世界に対して、正体不明の疑問を感じていたサラリーマン男は、悩んだ末に、赤の薬を選んだのだった。
今の世界は正直疑問だらけだ。
真面目に生きているものが苦労をして、適当に暮らしているものが得をする。
私は、勤めていた会社で、上司からの嫌味や後輩からのイビリに耐え続け、客からのクレーム対応を一気に引き受け、終電を逃すほどのサービス残業を毎日のように行なってきた。そんな私に与えられたのは、理不尽な冤罪による突然の解雇だった。
自暴自棄になった私は、苦手な酒を飲み、泥酔状態で足がもつれ、駅のホームから線路に転落した。
激しい痛みの中、眩しい光と耳を劈くようなブレーキ音。
私が覚えているのはここまでだ。
そのあと、すごく長い時間にも感じたし、一瞬だった気もするのだが、気がつくと、一面真っ白な世界の中、美青年が目の前に立っていた。
「はじめまして」
美青年は、屈託のない笑顔を浮かべながら話しかけてきた。
彼の話をまとめると、私は電車に轢かれてしまったようなのだが、彼の力で一時的に時を止め、私をこの場所に呼び寄せているらしい。
私の体に一切傷がないのも、酔いが消えているのも、ここに呼び寄せているのはあくまで魂だけで、姿は仮の姿であるからだそうだ。
「つまり、その赤い錠剤を飲むと、あなたの世界に転送?されて、青い錠剤を飲むと、元の世界に戻れる、ということですね」
「飲み込みが早くて助かるよ。赤と青。君はどちらを選択する?」
そして、今に至る。
元の世界に戻りたいなんて、一切思わない。あんな、疑問だらけの世界なんてコリゴリだ。
「疑問だらけ?」
美青年は私の心が読めるようだ。
私は、美青年の世界がどんな世界かは分からない前提で、元の世界に比べれば幾分マシだろうと思ったことを正直に言った。
「もっと疑問だらけの世界かもしれないよ」
そう言われて、少し迷いが生まれた。しかし、上司や後輩たちの顔が浮かび、迷いは消え、
あなたの世界に飛ばして欲しいと訴えた。
その後、美青年から、転送先の世界について、簡単なレクチャーを受けた。その世界は、私の知るロールプレイングゲームの様に、魔法が存在する、正にファンタジーの世界であった。
神の権限で、何か能力を授けてくれるということで、いつまでも健康な体であればいうことはないと伝えた。
「OK。ウンと丈夫にしてあげるね」
ノリの軽さに若干の不安は過ったが、丈夫に越したことはないかと流しておいた。
「それじゃあ、転送するね」
「一つ、質問してもいいですか?」
私は、転送先の世界で何をすれば良いのかと、なぜ、私はこのチャンスを与えられているのかを尋ねた。
「二つ聞いてるけど、いいよ。答えてあげる」
神という割に少し細かい美青年は、少し真剣な面持ちで口を開いた。
「僕の世界はとてもシンプルな世界なんだ。
でも、一つだけ謎が生まれちゃって。
君にはその謎を解消してもらいたいんだ。
元の世界に、ずっと疑問を感じていた君なら、それができるんじゃないかなぁーって」
彼が話終わるか終わらないかというタイミングで、私の体が白く輝きはじめた。
「転送が始まったね。じゃあ、期待してるよ」
その一つの謎とは何なのかを尋ねようとしたが、白い光が全てを包んでいき、その中で、彼の声だけが聞こえた。
「それは、自分で見つけてねー」
第一章 少女とイノシシ
「右が左か?そこが問題だミー」
薬草取りに夢中で、道に迷ってしまいました。
森の奥には、凶悪な獣もいるから、絶対に行っちゃいけないよって母(かあ)様も言ってたのに。
どっちが帰り道なのか、それともどっちも違うのか。
「さっぱりわからないミー」
途方に暮れていると、後ろの茂みがガサガサガサ。
「ヒッ!」
身構えたところに飛び出してきたのは小さなホーンラビット。
「もう、驚かさないでほしいミー」
小さな獣の登場に、ホッと一息ついていると、同じ茂みからホーンラビットが次から次へと飛び出してきた。
そして、茂みのさらに奥の方から、巨大な何かが近づいて来る音が。
「キャアァァァァーッ!」
〜〜
気付くと、そこは森の中だった。
よくよく観察すると、見たことのない虫や、少し大きすぎる蛾などが飛んでいる。
「ここが、彼の世界」
彼の言う、一つの謎とやらを見つける必要があるとは言え、まずは、この世界のことを知る必要がある。
ここは一つ、慎重に。
と思っていた矢先、少女と思しき悲鳴が聞こえてきたのだった。
〜〜
昨夜、皿洗いをサボったから?
それとも、苦手なビッツをこっそり父(とう)様の皿に移し入れたから?
そうじゃなきゃ、こんなに全速疾走をしなければならないはずがない。
婆(ばあ)様の為に薬草を取りにきた良い子の私が、ビックボアに追いかけられている理由が一つも見当たらない!
でも、後少し!
この先の湖まで行けば。
湖に、飛び込みさえすれば、ビックボアは追ってこないはず!
「あっ!」
ぬかるみに足を取られてしまい、豪快にコケてしまった。
急いで立ち上がるが、すでに時は遅い。
目の前には、鼻息を荒くしたビックボアが私を睨みつけている。
逃げなきゃ。
でも、足がすくんで動けない。
ゆっくりと近付いてきたビックボアが、私の頭上で口を大きく開いた。
喉の奥まではっきり見える。
私は今からあの中に飲み込まれてしまうんだ。
「危ない!」
何か強い力が私を突き飛ばした。
〜〜
私は叫び声が聞こえた方へ走っていた。
何か大きな生き物が森の中を進んでいる音がする。
そして、その音の主が、大きなイノシシであることがわかった。
更に、そのイノシシから必死で逃げている少女の姿も。
と、少女の姿が突然消えた。
どうやらコケてしまった様だ。
巨大イノシシが少女に迫る。
どうする?何か武器になる様なものは?
いや、そんなものを探してる暇はない。
巨大イノシシの大口が、今正に少女を飲み込もうとしている。
どうする?!どうする?!
考えなど一切まとまらないまま、私は走り込んだ勢いで少女を突き飛ばした。
その後、激しい痛みが腹部を襲ったのだった。
〜〜
後輩がヘマをした。
会社としてはかなり大きな損害に繋がるヘマだ。
すぐに上司に報告をして対応を進めたが、後輩はそれを躊躇った。
先週もそこそこ大きなミスを犯していたので、今度こそクビにされていまう、だから、損害をできる限り小さくした上で報告したいとのこと。
気は進まなかったが、懇願する後輩の姿に根負けし、協力することにした。
通常の業務を終えた後、後輩のミスを少しでも小さな損失になる為、ほぼ徹夜の業務が3日は続いた。
予想以上に損害は小さなものとなったが、全く0になるわけではない。
後輩を連れ、改めて上司への報告を行なうことにした。
私は、なるべく後輩のヘマが目立たない様に報告を進めたが、すぐに報告しなかったことに対して、上司が鋭い指摘をしてきた。
すると、後輩は、すぐに報告しなかったのは、私の指示だったからだと言ったのだ。
上司は、私に事実かどうかを聞いてきた。
人助けした方が痛い目を見る。
人助けなんかしない方がいい。
苦渋を飲むことになるだけだ。
ん?
口の中が苦い。
汁ではなく、固形のもの。
砂か?
「ペッペッ」
口の中でジャリジャリと嫌な感触のものを吐き出す。
顔にかかった砂を払いながら起きあがろうとしたが、うまくいかない。まず手が動かない。
顔以外のほとんどが砂に埋められてしまっている様だ。
「キャアァァァァーッ!」
聞き覚えのある叫び声がすぐ横から聞こえた。
見ると、先ほど少女が、まるでこの世のものでは無いものを見た時の様な様子で、怯えながらこちらを見ている。
「よかった。助かったんだね」
「喋ったーっ!」
一目散に逃げ出した少女はだいぶ離れた位置の木の影からこちらの様子を伺っている。
知らない人から、しかも生首状態の男から声を掛けられたら、当然の反応だ。
私は、少女に少しでも怪しいものではないことを証明しようと試みるが、いかんせん体が動かない。
右へ左へと体を捻り続け、小さな可動域を少しずつ広げることにした。
繰り返し続けること数分、この努力は全くの無駄なのではないかと思いはじめた頃、少女が声を掛けてきた。
「あのぉ、、、まだ、、、その、、、生きてるんですか?」
なるべく怪しまれない回答を模索し、私は笑顔で答えた。
「ああ、生きてるよ」
〜〜
なんてことかしら。
私の目の前には、私を助けてくれたであろう人の、無惨な死体が転がっている。
ビックボアはもういない。
腹を満たし、森の奥へ帰って行ったのだ。
私の代わりに、ビックボアの腹を満たした命の恩人。
せめて、お墓を作ろう。
震えの止まらない足に張り手をして、なんとか立ち上がる。
死体からは湯気のようなものが吹き出している。
腐食が始まっているのだろうか。
少し窪んだところに死体を移動させ、
(お腹の部分が引きちぎれそうでとても嫌だった)腰の短刀をスコップ代わりにして砂を掘り、足元から、体の上にかけていく。
腕の震えが止まらず、なかなか上手く掘れない。
死体の男の顔に見覚えはない。衣服も見慣れない。
迷い人、だろうか。
この世界には、ごくたまに異世界から迷い込んでくる人がいると聞いたことがある。
その人はこの世界にない知識を持ち、神に与えられた特別な力を持っていたらしい。
ただのお伽噺だと思っていたけど。
この人も、何か特別な力を持っていたのだろうか。
どちらにしろ、この人は私を助けて死んでしまった。ビックボアに、腹を食いちぎられて。
泣いてる暇は無い。
いつまたビックボアが戻って来るかもしれない。
急いで埋葬しないと。
ん?
何か今、声が聞こえたような?
「あれ?手が動かない」
私は、この日2回目の悲鳴をあげた。
〜〜
少女の助けもあり、なんとか砂の中から脱出が出来た。
途中、私のお腹をまじまじと見つめていたが、理由は教えてくれなかった。
少女の名はミーアと言った。
私は、そうたと名乗った。
この世界では、苗字という概念は貴族しか持っていないということだったので、本名の下の名前の一部だけを名乗ることにしたのだ。
ミーアは、病気がちの祖母の為に薬草を取りに森へ入り、迷ってしまっていたということだった。
ミーアの住む村は森の北の位置にあるとのことだったので、まずは北を目指すことにした。
さっきの大イノシシがまたいつ現れるかもしれないと思うと、一刻も早く、この森から抜け出したかった。
北を目指すにあたり、この世界について幾つか質問をした。
地球と同じように、日中は太陽が昇り、夜は月が二つ昇るらしい。
月は少しずつ形が変わり、それは神の仕業であるということだ。
いわゆる天動説の概念であるようだったので、地動説について話してみようかとも考えたが、色々と、ややこしくなりそうだったのでやめておいた。
種類の違いはあれど、植物の生態も地球と同じようだったので、切り株を探し、その年輪から北の方角を導き出した。
ミーアが随分と感心していた。
昔学んだ知識が役立ってよかった。
10分ほど進むと、知っている道に出ることができたとミーアが喜んでいた。
知っている道ということは、それだけ、村の近くに大イノシシ(ビックボアという名前らしい)が現れたということになるわけだが、触れずにおいた。
村へ帰ることができそうだという安堵からか、道中、ミーアは色々と話をしてくれた。
この世界では魔法が使えるのだが、それは精霊の力を借りることで成立するらしい。
そして、その際には精霊に対し、何かしらの代償を払う必要があるそうだ。
簡単な生活魔法、例えば、小さな火を起こしたり、水を少量生じさせるなどの場合、精霊に対して「感謝」の気持ちがあれば、それを代償として力を貸してくれるという。
さらに大きな魔法を使いたい場合、それに見合った大きな代償を払う必要があるというわけだ。
精霊によって求めるものは異なり、食料だったり、歌や踊りだったりと様々で、中には生贄を捧げることで使うことができる、闇魔法なんかも存在しているらしい。
ミーアは風を起こす魔法を見せてくれた。
私も見様見真似でやってみたが、うまくいかなかった。
私には、どうやら才能はないみたいだと落ち込んでいると、ミーアが言った。
「ステータスはどうなってるミー?」
この世界では、自分の能力値を確認することができるらしい。
試しに、ステータスと呟いてみたところ、目の前に半透明のスクリーンが現れた。
まさにロールプレイングゲームそのものだ。
私のステータスは次のようになっていた。
LV:1
体力:10
魔力:0
腕力:5
敏捷性:4
知力:7
幸運度:3
能力:超回復
役職:迷い人
ミーア曰く、最弱レベルの数値だということだ。無理もない。これまで、デスクワークしかしてこず、体を鍛えるようなことは一切なかったのだから。
役職の「迷い人」というのは、違う世界からやってきた人の総称だそうだ。私のように、あの美青年に転送されてきた人が他にもいるということになる。
機会があれば、会ってみたいなと思った。
私のステータスで、一つだけミーアも知らない内容があった。
能力:超回復
能力とは、その人が生まれ持った特技のようなもので、迷い人は特殊な能力を持ち合わせていることが多いという。
私の時と同じように、神の計らいで、チートな能力を与えてもらっているのだろう。
「超回復」とは、文字通り回復力がずば抜けて早いという能力のようだ。ビックボアに腹を食いちぎられた後、この能力のおかげで、私は死なずに済んだらしい。
丈夫な体にしておく、と言った美青年を思い出す。私は健康な体をとお願いしたつもりだったのだが、命拾いをしたわけなので、いちおう感謝しておくことにした。
目の前が急に開けたかと思うと、そこは小高い丘の上。眼下には小さな集落が見えた。
「あれが、ミーの村だミー」
〜〜
第二章 イロハ村とドクガエル
「ついて行った方がよかったかなぁ?」
窓の外を伺いながら、細めの男は心配そうに呟いた。
「大丈夫よ。もう子供じゃ無いんだから。そろそろ帰ってくるわよ」
「でも、もうすぐ日暮だよ?森の中で迷ってじってるかもしれない。獣と遭遇してるかもしれない。もしかしたら--」
ソワソワと家の中を歩き回る男に対し、夕食の準備をしながら、膨よかな女は答えた。
「大丈夫だって。森の奥には行かないようにって、いつも言い聞かせてるし」
女は、胸の辺りに拳を当てながらさらに続けて言った。
「何より私の子なんだから、いざって時はなんとかするでしょ」
女はそういうと、近所にも聞こえていそうな、実際に聞こえている大きな声で豪快に笑った。
「僕の子でもあるんだよ」
男の言葉に、女は笑うのをやめた。
「確かに、自分の皿にビーツを移し替えられてても気付かない、あんたの血も引いてるんだもんね」
「大きな獣が近付いてるのに、気付かないなんてことも」
二人の脳裏に、ビックボアに追われている娘の姿がよぎる。
その時、玄関の扉が激しく開いた。
〜〜
「さあ!たーんと食べておくれ!」
テーブルいっぱいに料理を並べると、ミーアの母親は大きな声で言った。
「なんたって、娘の命の恩人だものね」
この世界に来てから、何も食べていなかった私は、目の前のご馳走に堪えることができず、遠慮なく手を伸ばした。
「でも、まさか本当にビックボアに襲われていたなんて」
豪快な母親とは見た目も性格も正反対のような父親が、心配そうな面持ちで言った。
「やっぱり、僕も着いて行くべきだったね」
「父様が一緒だったら、食べられていたのはきっと父様だったミー」
ミーアがさらっと恐ろしいことを言った。
この世界では、父親の立場は低いのだろうか。
「なんにせよ、無事でよかったよ」
母親がミーアを強く抱きしめた。
その二人に、父親がそっと手を置く。
この家族の姿を守ることが出来たんだと思うと、自分のことを少し誇らしく思うことが出来た。
「さあ、ソータさん。ドンドン飲んでおくれ。いける口かい?」
母親がワインのような酒を勧めてきたが、丁重にお断りした。暫くアルコールは控えることにした。
「そうかい。なら遠慮せずに食べておくれよ。いくらでもおかわりあるからね」
〜〜
食事の後、私用に部屋を用意してくれた。
私が迷い人であることを知ると、いつまで居てくれても構わないという。
ありがたい話ではあるが、いつまでもというわけにはいかない。この世界について最低限のことがわかれば、自立しよう。いつになるかは分からないが。
とにかく今日は疲れた。
あまりにも色んなことが起きすぎた。考えないといけないことが沢山ある気もするが、明日にしよう。
〜〜
「よく眠っているようだね」
ミーアの母、マイは囁く。
「まさか、迷い人とは」
ミーアの父、ヒムが神妙な面持ちで呟いた。
「まったく、このタイミングでね」
部屋の扉を閉めながら、マイは言った。
「あんた。分かってるだろうね」
ヒムがゆっくりと頷く。
「恩人とはいえ、村人全員の命には変えられないよな」
「ビックボアが、村近くに現れたんだよ。もう少しの猶予もない」
マイは低い声で、そして力強く言った。
「明日の夜よ。ミーアには、気付かれないようにね」
〜〜
翌朝、朝食を済ませた後、ミーアの案内で村を見て回ることになった。
村の総人口は300名ほどらしい。半日もあれば村人全員とあいさつが出来るほどの小さな村だ。
案内をしてもらう最中で気付いたことは、ミーアが村中の人たちから好かれているということだ。そのミーアの命を救ったということもあってか、私への歓迎も恐縮してしまうほどに大きかった。
ただ、数名の人たちの表情に、少し気まずそうな雰囲気が感じられることもあった。
村の外れまで来たとき、森の中に続く、舗装された細い道を見付けた。
「お蛙様の祠があるミー」
お蛙様とは、この村の守り神で、強い毒性の能力がある精獣とのことだった。
精獣とは、精霊の上位種で、より強い力を持っているという。
その分、支払わなければならない代償は大きく、これまでにも、お蛙様の力を手に入れようと、多くの人間が接触を試みたそうだが、その能力を手に入れることは出来なかったそうだ。
ミーアが、私の超回復であれば、お蛙様の猛毒にも耐えられるのではないかと勧めてきたが、いくら回復するとはいえ、猛毒を喰らうなどたまったもんじゃない。丁重にお断りしておいた。
の、はずだったのだが。
なぜ私は、そのお蛙様と対峙することになったのだろう。
〜〜
第三章 生贄と猛毒の力
「飲むべきか、飲まざるべきか」
ミーアに村を案内してもらったその日の夜、村をあげての大宴会となった。
これでもかというほどのご馳走が目の前に並んでいる。
それほど裕福な村ではなさそうだったのだが、この村の人たちは人をもてなすことが好きなのだろうか。
まあ、ミーアがとても喜んでいるようなので、気分はいい。
昨日誓ったばかりの禁酒宣言は撤回となり、勧められるままに飲んでしまった。
これだけ勧められては、断るのも野暮ってもんだ。と、自分を肯定する。
それにしてもよく回る酒だ。
眠気がどんどん強くなってくる。
まだまだご馳走は残っているというのに、村を歩き回ったせいだろうか。
〜〜
「んー、美味しいミー」
村唯一の料理人、ククの作る料理はホント美味しい!
特に年に一度のお祭りでしか振る舞われない、この川獣のパイ包みは絶品だわ。
ソータのお陰でご馳走にあり付けて超ご機嫌。
これまでも、村に迷い込んだ人がいたときは、こうやって歓迎してたっけ。
私、どんな人にも優しい、この村の人たちがだーい好き。
おっと、そんなことより、お目当てのスイーツを確保しておかないと。
こういった歓迎の宴は、いつも時間が足りない印象があるから。
あっ!
ソータがお酒飲んでる。弱いっていってなかったけ?
ほら、言わんこっちゃ無い。もうウトウトして。
って、いくら何でも弱すぎない?
〜〜
「宴は終いじゃ。子供達は早う寝るように」
村長の言葉で宴は終了し、片付けが始まる。
「さあ、ミーア。手伝っておくれ」
マイがミーアに声を掛ける。
「ねえ母様。ソータは今日どこで寝るの?」
ミーアの問いに、マイは満面の笑顔で答える。
「村長さんのところさ」
ミーアは、マイの笑顔が、ほんの僅かだが、いつもと違う気がしていた。
村の男が複数人、眠ってしまったソータを運んでいく。
ミーアは、もう2度とソータと会えないような、そんな気がしてならなかった。
〜〜
頬を打つ雫で目を覚ました。
何も見えない。真っ暗闇だ。
頭に激痛が走る。
また飲みすぎてしまった。
だが何より、身動きが取れない。
起きあがろうとしても、手と足の自由がきかない。強く縛られてしまっているようだ。
頭痛のせいで頭が痛く回らない。とにかく、状況は最悪なようだった。
少しずつ目が慣れてきた。
そこは洞窟の中のようだった。
なんとなく、村外れにある祠なのではないかと感じた。
生贄とは、このように捧げられるのではないかと思った。
その時である。
洞窟の奥から、唸るような、低い音が聞こえてきた。
〜〜
またスイーツを食べ損ねてしまったわ。
こんなことなら、もっと早くに確保しておくべきだったよぉ。
ソータが弱いのにお酒なんか飲んじゃうから。
主役が寝ちゃったからって、あんなに早く片付けなくてもいいと思うんだけどなぁ。
なんか、前にもこんなことがあった気がする。
ん?
外で話し声がする。
まだ片付けが終わってなかったのかな。
この時間、開けちゃダメって言われてるけど、ちょっとだけ。
窓を開けた少しの隙間から外を覗く。
あれって、村長や村の大人たちよね。何かを運んでいるみたい。
何でみんな、顔に布なんて巻いてるのかしら。
運んでるのは、棺?
運び方からして、中に何か入ってそうよね。
あ、躓いた。
こんな暗い中で作業なんかするからよ。きっと転がっていた石に躓いて、バランスを崩したのね。
あ、棺が地面に落ち、蓋がずれたわ。
えっ?!
あれって、ソータじゃない?!
どういうこと?!
ソータ死んじゃったの?
〜〜
「どこにいく気だい?」
家を出て行こうとするミーアをマイは呼び止めた。
「母様!大変ミ!今、ソータが」
答えながら扉を開こうとしたミーアを止めるマイ。
「行っちゃダメだよ」
いつもの雰囲気とは異なるマイの物言いに、ミーアは戸惑った。
「あんたにも、そろそろ話しておかないととは思っていたんだよ」
〜〜
「ぐるるるる」
唸り声は次第に大きくなり、ゆっくりと、しかし確実に近付いてくる。
「我が祠に何の用だ。人間よ」
想像してたよりも甲高い声が話し掛けてきた。
そのお陰か、少し落ち着いて回答することができた。
まずは突然の来訪を謝罪し、自分は用があったというわけではなく、こちらとしてもなぜここにいるかすら理解できておらず、気付いたらこんな状態であることを説明した。
少し間が空いた後、小さなため息が聞こえた。
「そのようだな」
話せる相手という印象だったので、つかぬことをお聞きしますが、と、自分はこの後、どうなるのかを尋ねてみた。
「死ぬだろうな」
そっけなく、そして最も望んでいなかった回答に愕然とした。
生贄として食べられてしまうのかと聞くと、
「食われたいのか?」
と返答されたので、急いで否定した。
その後、沈黙が続いた。暗闇の中の沈黙は不安感を増幅させる。しかし、下手なことを言って、声の主を怒らせてしまうわけにはいかない。
ただ、じっとしていると、だんだん眠たくなってくる。頭痛もすでに治っている。これも、超回復の賜物であろうか。
〜〜
「それじゃあ、ソータを生贄にするつもりなのミ?!」
ミーアの問いにマイはゆっくり頷く。
「どうしてミ?!ソータは命の恩人ミよ?」
「分かってる。悪いとは思ってるよ」
「思ってたらそんなこと出来ないミ!」
ミーアは激しい怒りをマイにぶつけた。
しかし、マイは冷静な態度で答えた。
「これは昔から決まってることなんだ。村のみんなを守るためには、必要なことなんだよ」
ミーアは拳を強く握りしめ、押し出すように言葉を発した。
「そんなの、、、絶対におかしいミ」
再び家を出ようと扉を開けようとするミーア。
「ミーア!」
「私は!ソータを助けるミ!」
その時、扉が開いた。
そこには、ヒムが立っていた。
〜〜
どれくらいだっただろう。
何かが近付いてくる気配で目が覚めた。
ヒタヒタという足音が、少しずつ近付いてくる。
暗闇の中でもなんとか見える位置に近付いてきて、その足音の主の正体がはっきりした。それは、サッカーボールくらいの大きさのカエルであった。
「・・・ったくよお。毎度毎度、迷惑なこったぜ」
ぶつぶつと文句を言っているようだ。先ほどの甲高い声の正体はこのカエルらしい。
ふと、カエルと目が合った。
「あ、ども」と、軽く会釈をする。
「生きてんのかよ!」
カエルが驚いて宙返りをする勢いでひっくり返った。
「なんで生きてんだよ!?とっくに死んでると思ってたわ!」
〜〜
「父様!母様!開けて!開けてミ!」
「すまない、ミーア。生贄の儀を邪魔させるわけにはいかないんだ。分かっておくれ」
「分からないミ!生贄なんて間違ってるミ!」
ミーアは激しく扉を叩きながら、叫び続ける。
しかし、扉の向こう側の父親たちの意思は変わらない。
「明日の朝、改めて話をしよう。悪いが、今日はそこで過ごすんだ」
そう言い残し、二人の足音が離れていく。
「父様!母様!」
ミーアの声が、夜の闇に吸い込まれていった。
〜〜
カエルと食事を共にすることになるとは思いもよらなかった。
手と足を縛っていたロープはカエルの毒の能力で溶かしてくれた。
自由になった私は、周りにあった料理や酒を、カエルと共に食することとなった。
カエル曰く、この洞窟は毒が充満しており、普通の人間は1時間もすれば、死んでしまうのだそうだ。
「急に静かになりやがったから、毒が回っちまったんだと思ってたぜ。にしても、超回復たぁなぁ。とんでもねぇ能力だぜ」
案外、話好きなのか、カエルは饒舌に話し出した。
やはり、ここは村外れの祠だそうで、このカエルこそが、村人たちが崇めるお蛙様だそうだ。と言っても、このカエルはポイズントードと呼ばれる一般的な獣(この世界では人間も含め、生き物は獣と称されているらしい)の一種だそうだ。
昔、偶然口にした植物が長生きの妙薬だったらしく、寿命の数倍生きているらしい。昔、この地域で暮らし出した頃、襲ってきたビックボアを撃退したことがあったそうだ。それ以来、村の守り神と崇められ、現在に至るという。
「まあ、随分と昔の話だから、それが実際にあった事だって知ってる奴は、もう村にはいねぇだろうがなぁ」
お供物として私の周りに置かれていた食べ物を頬張りながら、カエル様は饒舌に話し続けた。長く生き続けていくにあたり、自身の毒性がどんどん強くなり、この洞窟の奥底に移り住んだそうだ。
暫くは村人との接点があったそうだが、どんどん強まる毒性に耐えられる人間はいなくなり、どんどん疎遠になっていったらしい。それがいつしか、村の守り神として祀られる対象と変わっていったようだ。
「たまに、村に迷い込んだ旅人やらを生贄として捧げてくるんだが、俺は人間なんて食いやしねえってんだ」
それで合点がいった。村人たちが私を大歓迎してくれていたのに、どこかに気まずそうな雰囲気があったのは、いずれ生贄とする相手への表情だったわけだ。多少腹は立ったが、それよりも、ミーアがこのことを知っていたのかが気になった。
これまで生贄とされていた人たちは、カエル様がこっそり逃していたらしい。私も逃がそうとしてくれていたらしいのだが、急に話さなくなったので、手遅れだったと諦めていたそうだ。
「分かったならとっとと行け。この奥に別の出口がある。村人に見つからずに外へ出られるぜ」
確かに、私を生贄にしようとした人たちと、もう一度会おうとは思わない。
私はカエル様に礼を述べ、洞窟の奥へと向かおうとしたのだが、気になることを言われて立ち止まることとなった。
「まあ、あの村ももう終わりだろうがな」
〜〜
どれくらいの時間が経ったのかしら。
家の裏にある倉庫に閉じ込められるなんて、小さい頃、近所の友達と喧嘩をして、怒った母親に閉じ込められた時以来だわ。
あの時は、婆様がこっそり鍵を開けてくれて、一緒に謝ってくれたんだっけ。
今は寝たきりとなってしまってるから、婆様が助けに来てくれることはないよね。
それより、ソータのことが心配だわ。
まさか、母様達があんなことをしてたなんて。
いくらソータの能力でも、お蛙様の力には敵わない。また生き返ったとしても、ずっと苦しい思いをするはず。
命の恩人に対して、なんてことをしてしまったんだろう。
「バチが当たっちゃうミー」
その時だった。
ドーン!
な!なんの音?!
何か大きな音が。みんなの叫び声も聞こえる。
「一体、何が起こってるミー!」
〜〜
「ビックボアが、村を?!」
洞窟中に私の声が響き渡った。
カエル様曰く、私を襲ったビックボアが、今まさに、村を襲っているというのだ。
助けに行かないと、というわたしに対し、カエル様は冷静に言った。
「自分を生贄にしようとした奴らを助けようってのか?」
そうだった。彼らは私を騙したのだ。
いまこうして生きていられるのは奇跡に近い。
助けに行く義理はないし、行ったところで助けられる可能性も0に近い。
でも、なぜだろうか。
ミーアの顔が浮かんで頭から離れない。
「行ってみます。時間稼ぎくらいなら出来ると思うんで」
カエル様に礼を言い、洞窟の入り口へと向かおうとした時だった。
「気に入った!」
洞窟内にカエル様の甲高い声が響き渡った。
「その馬鹿みてぇな利他の精神。昔会った人間にそっくりだ。何より、俺たちの能力は相性がいい」
相性というのはどういうことかと尋ねようとしたが、間を空けずにカエル様が近付いてきて言った。
「手を貸してやる。ちゃんと復活しろよ。不死身野郎」
そう言い終わるか否かのタイミングで、カエル様の体は輝きだし、小さな丸い球体に姿を変え、私の胸の辺りに突っ込んで来た。
光る玉が私の体内にゆっくりと入っていく。痛みはない。
その全てが体内入り込み、暗闇が戻ってきた瞬間、全身にとんでもない激痛が走った。目や耳や口など、体中の至る所から紫のあぶくが溢れ出し、私は気を失った。
「あれ?死んだか?」
〜〜
「ビックボアだ!」
「逃げろ!」
扉の向こうで誰かが叫んでる。
まさか、ビックボアが村に入ってくるなんて。
今まで一度もそんなことなかったのに。
本当にバチが当たったのかも。
ここにいれば、ビックボアに気付かれずに済むかもしれない。
でも、父様や母様は?婆様なんて逃げることもできない。
あれ?みんなの声、どんどん大きくなってない?
っていうか、大きな足音が近付いてきてる気がする。
まさか?!
扉の隙間から外の様子を伺って、、、!
次の瞬間、扉ごと吹き飛ばされてしまった。
〜〜
突然目が覚めた。
最悪な気分だ。
体中に痛みが残っていて、それぞれが熱を帯びているようですごく熱い。
周りには、滑っとした液体が広がっており、蒸気を噴き出している。
これが、自分の体内から出た物だと気付いたのは、だいぶ時間が経ってからだった。
「目覚めたか?相棒」
甲高い声が頭の中に響く。
「超回復ってのは本当だったみてぇだな。俺の毒に耐え切れたやつは久しぶりだぜ」
カエル様曰く、私は無事(?)に、カエル様の能力を手に入れることができたらしい。
「グズグズしてる暇はねぇぞ。助けるんだろ?そのミーアって娘を」
カエル様と私は融合した状態になっているらしく、私の記憶や思考も共有出来るらしい。
「そろそろそのカエル様ってのはやめてくれないか。俺には、ケルロード・デ・フログシュタインってぇ名前があるんだ」
長いな。ケロでいいかな。
「ケロでいいよ」
思考を読まれるということは、だいぶ時間短縮になることを知った。
それよりもだ。
私は急いで洞窟の入り口に向かった。
驚いたのは、洞窟の中がはっきりと見えていたことだ。
ケロと融合したことの副産物なのであろう。
洞窟を抜け、村の中心部、ミーアの家を目指す。
多くの村人達が逃げ惑っている。
ビックボアほどでは無いが、大きなイノシシが村の至る所で暴れている。
村の男達が、農具の鋤や鎌で、そのイノシシ達と戦っているが、状況は厳しい。
目の前で倒れた村人が持っていた鋤を拝借し、私も加勢しようとした時、少し離れた所の家屋が破壊される大きな音が聞こえた。
ミーアの家の方角だ。
〜〜
痛い痛い痛い。
頭から頬に熱い物が伝っていくのを感じる。
でも、そんなことよりも、目の前の光景に目が離せないでいる。
もう2度と会いたくなかったのに。
こんなにも早く再開することになるなんて。
ビックボアが、私の頭上で口を大きく開いた。
この光景も覚えている。
前回同様、喉の奥まではっきりと見える。
今度こそ、あの中に飲み込まれてしまうんだ。
頭の痛みのせいか、思考力が薄れていく。抵抗する気にもなれない。
どうせなら一思いに丸呑みしてくれたらいいのに。
ソータみたいに噛みちぎられるのは痛そう。
ああ、ソータは無事だろうか。あの世で会ったら、ちゃんと謝ろう。
「ミーア!!」
だれ?私を呼んだ?
突然、ビックボアが大きく吠えた。
誰かがビックボアの横腹に、農具の鋤を突き刺してる。
私はこの人を知ってる。
また助けに来てくれるなんて。
「ソータ!」
〜〜
ミーアの家の手前の倉庫が大きく破壊され、ビックボアの大きな後ろ姿が見えた。
そして、そのわずかな隙間から、倒れるミーアの姿が!
「ミーア!」
私は持っていた鋤を、渾身の力でビックボアの横っ腹に突き刺した。
ビックボアが呻き声をあげる。そして身体を大きく捻り、私に体当たりをしてきた。
今走ってきた道に吹き飛ばされる。
「ソータ!」
よし。ミーアは無事だ。
全身が悲鳴を上げる痛みと、その痛みが急速に癒えていく感覚を覚えながら、必死で立ち上がる。
ビックボアの標的は完全に私に向いたようだ。
「私の体に味をしめて、村までやってきたのか?」
言い終わるか否かのタイミングで、ビックボアが物凄い速さで近付き、私の右半身上部に食らいついた。
ビックボアの牙が体に食い込み、激しい痛みが走る。
「残念だけど、今の私は、この前と一味違うぞ」
ビックボアに、噛みつかれている部分が紫色に変色し、泡状になっていく。私の右目が裏返ったかと思うと、ケロの目に切り替わった。
「久し振りだなぁ、森の長よ。ちょっと雰囲気変わったか?」
私の口からケロの声が発せられ、その声にビックボアが反応する。
「たっぷり食らいやがれ!ギフトフロッシュ!!」
ビックボアに噛みつかれている右半身上部から、大量の猛毒泡が放出され、ビックボアの胃袋に一気に流れ込んでいく。
毒はあっという間に全身に広がり、ビックボアは激しく痙攣すると、どんどん生気を失っていった。
そして、断末魔をあげた後、大きな地響きを立てて、倒れ込んだ。
ビックボアの緩んだ口元から体を引き抜く。
「どうだ?ひと味違ったろ?」
〜〜
一体、なにが起こってるの?
助けに来てくれたソータが、ビックボアに噛みつかれたと思ったら、今はそのビックボアが倒れてる。
ソータさんの体が、あれ、なに?
どうなってるの?
体の半分、ぐちゃぐちゃになってる。
あ、イノシシ達が森に帰ってく。
ビックボアが率いてたのね。
村は、助かったんだわ。
またソータに助けてもらっちゃった。
あんな酷い事を、したのに。
〜〜
原型を留めていない、泡状の右半身が、蒸気を出しながら少しずつ回復していく。
それに相反するように、ビックボアの体は少しずつ溶けるように崩れ始めた。
私の体がある程度、元の形に戻った頃には、ビックボアが骨だけになっていた。
これがケロの毒の力か。
少し前、自分もあの毒を喰らっていたのかと思うと心底ゾッとする。
超回復パネぇ、だ。
その時、ビックボアの骨の中に、光る何かがあることに気付いた。
「なるほど。そう言うわけか」
ケロが呟いた。
「あれは魔石だ。強い魔力を込めて威力を発揮する」
ケロの説明によると、ビックボアはこの魔石の力で操られているような状態だったらしい。
誰が何のために行ったのかは全く不明だが、ケロに言われて、その魔石は回収しておくことにした。
この魔石の回収が、後々面倒に巻き込まれていくことになるとは、知る由もなかったのだが。
「ソータ」
見ると、ミーアがふらふらと近付いてきていた。
頭から血を流している。
早く手当をと声をかけようとする前に、ミーアが叫んだ。
「ごめんなさいだミ!生贄とか、ミーアは全然知らなくて」
私を助けに行こうとして、この倉庫に閉じ込められていたらしい。それを聞いて、少し涙腺が熱くなってしまった。年を取ると、どうも涙腺が弱くなっている。
助けに来ようとしていたと言うことよりも、ミーアが、生け贄の件に関わっていなかったことが嬉しかった。
気付くと、空が明るみ始めている。
〜〜
エピローグ
夜が明け、昨夜の被害状況についてが分かってきた。
怪我人は出たものの、いのちを落とした者などは一人もいなかった。
門扉と、ミーア家の古屋を含めた、幾つかの家屋が半壊していたり、畑が踏み荒らされたりなどはしていたが、復旧が難しいというほどではなかった。
村長やミーアの母親たちを含めた村人たちから、謝罪の場を改めて設けさせてほしいと提案されたが、丁重にお断りをしておいた。
人を生贄に差し出した人たちと、また仲良くできるほど、私はお人好しではない。
近くの村への行き方を確認し、早々に村をでる準備を進めた。
遠くの方で、悲しそうな表情をするミーアが気にはなったが、あえて見ないように務めた。
ケロからの提案で、祠は早々に破壊し、洞窟の入り口を塞ぐようにと村長に伝えた。
それがお蛙様の言葉だと強調して伝えたこともあり、必ず対応すると約束してくれた。
これで、生贄にされる旅人が出ることはなくなると、ホッとした。
出発の準備、と言っても、荷物などはほとんどないのだが、借りていたズボンを履き替え、(上着はビックボアにボロボロにされてしまっていたので、借りている服をそのまま頂戴することにして)私は村を後にした。
旅路での食糧をと用意してくれたのだが、これ以上の施しは受けないと強く断った。
後で後悔することにはなったが、私としても意地がある。
それに、受け取ってしまえば、彼らの罪が少し軽くなってしまうのではとも考えた。
2度と、あんなことを繰り返さないようにしてもらうためにも、なるべく、罪の意識は持ち続けてほしい。
そんなことを考えながら、少し歩いた時だった。
「ソータさん!」
振り返ると、そこには息を切らしたミーアが立っていた。
息を整えると、私の目をしっかりと見て、こう言った。
「私も、一緒に連れて行ってもらえないミか?」
「ダメだ」
「、、、迷わないんですね」
私の間髪入れずの返答に少し戸惑っていたミーアに、私は自分の考えを伝えた。
私としては、ミーアが一緒にいてくれた方が心強い。しかし、ミーアが村を出るということは、彼女の人生を大きく変えることになる。
私は神様でも何でもないただのおっさんだ。人の人生を変えてしまう選択肢を与えるような権利はないし、その資格もない。
何故なら、私自身が、今、あやふやな生き方をしているからだ。
神様に与えられた目的を果たそうとはしているが、それはあくまで与えられたものであり、私の目的ではない。
そんな、あやふやな生き方をしている私の影響で生まれた選択肢で、人生を決めてしまうようなことはして欲しくないのだ。
これは、彼女のためではなく、私自身のためだ。そこまでの責任を負う自信が無いのである。
ミーアは納得した様子ではなかったが、私の意思が変わらないことを悟ったようで、それ以上、着いて行きたいとは言わないでくれた。
「せめて、これを持って行って欲しいミー」
そういうと、ミーアは腰に付けていた短剣を差し出した。
少し迷いはしたが、受け取ることにした。
実際、役立つこともあるだろう。
お返しに何か渡そうとズボンのポケットを漁ってみると、少し皺のついたハンカチを見つけた。
使っていたわけではなかったが、果たしてこんなものを渡されてもどうなのかと迷っていると、ミーアが欲しがってくれたので渡すことにした。
「後生、大切にするミー」
そこまで感謝されると困ってしまうのだが、あえて価値を下げる情報を与えなくてもいいかと、何も言わずにおいた。
改めてミーアに別れを告げ、次の村へと足を進めた。
「お前さん、あの娘に惚れてたのか?」
突然ケロに問いかけられた。
私は違うと答えた。
「その割には、だいぶ入れ込んでたじゃねえか」
ケロの指摘は正しかった。だが、それは恋愛感情ではない。
しいて言えば、家族愛だろうか。
私には4つ年の離れた妹がいた。
私が高校生、妹が中学生の時、親の離婚を機に私たちは離れることになった。
それ以来、一切妹とは会っていない。
だから、私の中では、妹の姿は中学生時代のままで止まっているのだ。
その妹と、ミーアの姿が被っていたのかもしれない。
私の話にケロは、そうかよと一言呟き、次の村まではだいぶ遠いぞと急かしてきた。
~~
「魔石の反応が消えた」
薄暗い部屋の中、黒いローブを纏った男が呟く。
「ビックボアに埋め込んでいた分か」
「あのあたりに、ビックボアを倒せるようなものはいなかったはず」
部屋の隅に立っていた、スレンダーな体形がはっきりとわかる、スーツの姿の女が口を開く。
「様子を見てまいりましょうか?」
女の提案に対し、男は首を横に縦に振った。
「そうだな。魔石の回収ついでに、少し調べてきてくれ」
どこか楽しそうに話す男に対し、女はあくまで冷静に答えた。
「かしこまりました」
女の姿が闇に溶けるように消えていく。
部屋に残った男は、うっすらと笑みを浮かべる。
「なんだか、楽しいことが起こる気がするねえ」
~~
2時間ほど過ぎただろうか。さすがにお腹がすいてきた。
村の人たちの行為を無下にすることはなかったのではなかったのではないだろうかと、
2時間前の自分の行動に対し、もう後悔し始めていた。
ケロの力を借りて獲物を狩れないかと相談してみたが、毒を食らった生き物はすぐに骨だけになってしまうと説明され、あのビックボアですらあっという間に骨だけになってしまっていたことを思い出し、潔く諦めた。
神様に、腹の減らない体にしてもらえばよかったな、なんて考えたりもした。
異世界に転送されたオッサン。
パネぇ回復力だけで無双しながら、世界の謎に挑む。
私の旅は、まだまだ始まったばかりである。